カテゴリー: 日下和夫

  • (四日目)シンメトリーとアシンメトリー その2

    日本でも、神社やお寺の建造物は、左右対称に造られているものが多いですが、これは、あきらかに仏教の影響です。
    有名なのが十円玉になっている、平等院鳳凰堂です。中学の修学旅行で行きましたっけ。。
     
    なお、平等院鳳凰堂が左右対称なのは、阿弥陀様のいらっしゃる極楽浄土を再現したからだと言われており、これは「死を克服して極楽浄土に行きたい」という貴族達の切なる願いですね。
     
    ここで、一度まとめてみますと
    日本(仏教伝来以前)は、自然崇拝であった。
    また、日本は「自然の摂理である”死”を受け入れる」という考え方があった。
    それは、いわゆる「左右対称的な完全」を求めるものではなかった
     
    日本以外(キリスト教、ヒンズー教、仏教、神仙思想など)では「自然の摂理である”死”を超克する」という思想があった。
    それが「完全性」つまり、シンメトリーに繋がってきた。
     
    大雑把ではありますが、こんな図が浮かんできます。
     
    一方、面白いのは、チャクラとか経絡図です。
     
    これは、関西相談役の日下和夫先生から教えて頂いたのですが、古い図をみると、お腹のチャクラは、真ん中ではなく、少し左に寄っているそうです。
    素人考えですが、お臍を避けたのでしょうか?近年のチャクラ図は皆からだの真ん中を通っていますが(背骨に沿っている)あれは、真ん中にしたほうが、説明しやすいとか、見栄えがいいとかという人的理由があったのかもしれません。
    また、経絡図は、ご存知の通り、規則性がありませんし、シンメトリーではありません(私にはそう見える)。経絡については「からだに宿るもの」として、古代の中国の人は、極めて客観的に「経絡」というものをからだから読み取り、それを図示したのでしょう。
     

    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

     

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    最澄展より
  • 私のズッコケ操体クロニクル⑥  昨日の続き

     当院を案内したことで、彼も大いにやる気になったようだ。 そして、その2日後に連絡があり、話を進めてくれとの返答だった。 私はすぐに当テナントビルのオーナーに掛け合った。 同業の仲間に引き継いでやらせたい旨、説得するのに頑張った。 その結果、名義変更の手数料(賃料1か月分)で話がまとまった。 彼はこの金額に既に納めている保証金相当額を私に支払うことでテナントの引継ぎ契約が完了した。

     

     そして、明け渡しまで半月、当院の患者さんにはよく説明し、納得してもらうよう努めた。 明け渡した後、次に兵庫県三田市の駅近のテナント物件を探したところ、駅から5~6分の場所にあるマンション1Fのオフィスが見つかった。 これで再々デビューすることになる。 

     

     この地は現在、三田市となっているが、元々は有馬温泉のある旧有馬群であり、一千万ドルの夜景で有名な六甲山の北側に位置する北六甲の地域である。 大阪の人は南側の神戸市の地域を表六甲と言い、北側にあるこの地を裏六甲と称しているが、正しくは北六甲である。 この地の人は誰も裏六甲などという言い方はしない。 それ故、今度はこの地にちなんで 「北六甲操体院」 というネーミングにした。

     

     再々スタートするこの場所では操体を中心とする施術に加えて、操体ヨーガの臨床版ともいえるヨーガセラピー、並びにサイコ・セラピーも併設することにした。 精神療法のどこが操体に関係しているのかと疑問を持たれるかも知れないが、精神療法と操体の双方に知識と経験がある人なら当然、理解できると思う。

     

     特にブリージング・セラピーであるリバーシング(rebirthing)においては、場合によっては肉体的・感情的に激しい動揺と混乱を招くこともある。 ブリージングという名のとおり、リバーシングは 「呼吸して、感じる」 ことであり、操体の動診における 「動いて、感じる」 のも同じように共通しているのは、「感じる」 ということが、ともに 「自力」 から 「自療」 につなげるプロセスである。

     

     我々は肉体・精神・感情の緊張を呼吸によってエネルギー的に押さえ込むことでエネルギーを収縮させてきた。 それを呼吸によってその収縮したエネルギーに触れ、刺激を加え、強い流れを呼び起こす状態になった時に、ドラマチックなほどの悲しみ・怒り・恥ずかしさ・怖れ・性的興奮を覚えたりする。 肉体の反応も、ほてり・悪寒・吐き気・呼吸困難などのほか、からだの一部がどうしようもなく震えたり、顔や手足に極度の痙攣が生じたりすることもある。 

     

     感情や肉体のこうした状態は苦しいし、かなりの恐怖を感じるかも知れない。 そのようなときに泣く・叫ぶ・うめく等、頭を振ったり、拳を打ち付けたりして、からだを動かすことによって本能的に外に向かって表現しようとする。 感情や肉体的緊張を 「表現」 することと、「感じる」 こととは、まったく異なる行為である。 表現は顔や手足の末端に生じるが、収縮エネルギーの根底にまで届くことはない。 

     

     そのような収縮パターンを完全に解き放つためには、からだの中心に生じる感情に届かなければならない。 それは呼吸エネルギーの流れを保ちつつ、「感じる」 ことに専念しなければならないのである。 こうしたときに、深い意識的な呼吸を通して収縮エネルギーそのものに触れ、それを動かし、ついには解き放つことができるのである。 

     

     この 「呼吸して、感じる」 流れを維持するのに、操体法で 「渦剰波」 と名付けられた皮膚操法を胸の中央に施すことにより、中断することなく、呼吸して、感じることを続けることができるようになる。 これは一大発見と言えるものであった。 このように被験者の進歩を大いに助けることができるのである。 そうした理由で操体とブリージングは深く関連しているということができる。

  • 私のズッコケ操体クロニクル⑤  昨日の続き

     問い合わせがあった出張施療先は、兵庫県の三田市だった。 都市部からは郊外ではあるが、大阪、神戸への通勤圏内にあり、そのベッドタウンとしてサラリーマン人口も増え、また最近は学園都市でもある。 施術依頼のあった自宅に伺うと、電話してきた本人ではなく同居している義母が患者であった。

     

     その義母は1年前に脳梗塞に倒れ、四肢の動きが不自由になり、リハビリ生活を余儀なくされていた。 電話してきたその家のお嫁さんは家庭療法研究会で教わった操体法をやってはみるものの、なかなか効果が出ないので、プロの操体家に委ねることにしようと思い、当操体院にアクセスしてきたものだ。 

     

     その後、3回、出張施療に出向いた結果、僅かながら効果が見られたので、できるだけ操体の本文である自力自療に近づけようという思いから、リハビリ的なヨーガを指導することとした。 ヨーガと言ってもからだの末端の手と足に限ったヨーガを日課として続けてもらうことにした。 これが後に私が 「操体ヨーガ」 と名付けるものに引き継がれていくのである。

     

     それからは月1回のペースで出向くことになった。 そして、3か月も過ぎる頃には、その効果に驚きを隠せない。 それを指導したのは私であり、本来的には自慢したいところだが、やはりその指導されたリハビリヨーガを信じて、一心に反復継続してこられた本人の努力の賜物である。 日常生活するのに最低限必要なからだの動きをほぼこなせるようになったことは奇跡に近い。 これには私自身とても驚いている。

     

     私の指導したリハビリヨーガは本格的なハタ・ヨーガと言えるようなものではなく、どちらかというと、からだの感覚を重視した操体的なヨーガであった。 この時は行き当たりばったりの操体的ヨーガであったが、この患者さんの回復ぶりを見るにつけ、真剣に操体とヨーガの融合を研究するようになった。 患者さんから教わったともいえる、まさに操体ヨーガの始まりである。

     

     その後、ハタ・ヨーガのアーサナ(体位)を操体で分類する8つの動きに洗い出し、感覚重視の動きに改良する研究を始めた。 またハタ・ヨーガにはない全身への動きの連動もヨーガに組み入れたのである。 これを体系的に編纂しようと思った。 それには薬品開発の治験じゃないが、被験者による効果を見極める必要がある。 いわゆるヨーガセラピーなるスペースを確保する必要がある。

     

     さあ、こうなってくると大阪で夜のお嬢ちゃんを相手にしている場合じゃない! しかし、無責任に院を閉鎖するわけにもいかない。 今や、当院を当てにして来院する患者さんも少なからずいる。 どうすればいい、困った! こんなときに、またあの精神療法のヘルプ要請が来た。 それどころではないのに!

     

     それを断り切れない私は、仕方なく出向いた。 その帰り道、私が以前通っていたカイロプラクター養成所の前を通ると、一人の男が出てきた。 向こうは軽く会釈をするが、思い出せない。 近くまで来てやっと思い出した。 私と一緒にカイロを学んでいた人で、今はこの養成所でカイロの講師をしているという。 

     

     その彼がビアガーデンのサービス券を持っているというので、二人で飲みに行くことになった。 お互いの近況を話すうちに、彼は近いうちに独立開業を目指しているというので、これは渡りに船だと思い、当院を引継いでもらえないかと打診した。 彼は一度、現地を見たいと言ったので、善は急げ! である。 その日の夜に当院を案内した。 彼はカイロを学んだ後、オステオパシーの専門スクールへも足を運んでおり、臨床には自信を持っているようだった。 また彼は自分で夜型だというのも、好都合であると思った。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ④  昨日の続き

     私は本来、朝型タイプなので夜は苦手な方だ。 それなのに夜型開業セラピーにハマってしまうなんて成行きとはいえ自分でも信じられない。 こんな生活を続けて1年が過ぎた頃、私が最初に開業する前に勤務していた催眠療法センターの所長から電話をもらった。 

     

     スタッフが急に辞めることになったので、手伝ってもらえないかということだった。 私は今、ボディワークに変えたので無理だと伝えたが、今週末に入っている予約を断れないのでどうしても来てほしいと懇願された。 ブランクもあるのでやはり難しいとお断りしたにもかかわらず、サブを付けるからと言って引かない。

     

     仕方なく、行くことになった。 被験者は6人、久しぶりに精神療法のリバーシンググループを行ったが、どういう訳かしんどさが全くなかった。 精神的に疲れてやめたはずなのに、これならいけるかなと思った。 それよりも何より昼間のワークがいい。 この1年のナイトワークで私の中では不健全な夜というイメージが根付いてしまったようだ。

     

     これがきっかけで昼間の活動に憧れるようになってしまった。 そもそも何故、都市部で開業したのか、すっかりそれを忘れていた。 私は食べることよりも料理することにとても興味がある。 大阪に来れば、「男の料理教室」 なるものがある。 昼間、ボディワークの仕事の後、夕方からはそんな料理教室に通うのが当初の計画であった。 それが夜専門の施術院になってしまうなんて番狂わせにもほどがある。

     

     朝型人間の私としては、こんな生活は長くは続かないと常々思っていた。 ひょっとするとここから抜け出すきっかけを探していたのかも知れない。 そんな時に珍しい患者がやって来た。 カイロプラクター養成所のスポーツトレーナ科で共に学んでいた友人である。 友人と言っても私より一回り年下の私学高校で英語の教師をしている男性だ。 

     

     現在も英語教師をしている彼は陸上部の部活の顧問もしている。 そんな彼が引越しの手伝いで腰を痛めて当院にやって来たのだが、お互いに顔を見てびっくり! ここに来たのは偶然ではなく、スポーツトレーナ科で操体法(初期の操体法)を少しかじって知っていたので、たまたま当院の看板を見て予約なしの飛び込みで来院したのである。 

     

     カイロプラクティックじゃなくて、なぜ操体法をやっているのか? と聞かれたので、操体院開業の経緯を説明すると、ああなるほど、それなら理解できるね、と納得していた。 彼の施術を終えた後、彼から、うちの部活のトレーナをやってくれないか、主にスポーツ障害の部員を見て欲しいという。 部費の関係で月1回のペースで来てほしい旨、依頼された。 これは快く引き受けた。 からだの使い方、動かし方を中心に部員を指導することにより、障害を防止するいわば操体トレーナとして活動することになった。

     

     数日後、開院時刻すぐに電話が鳴った。 出張施療の問い合わせであった。 HPの検索から見つけたという。 出張先を尋ねると、何と、私の自宅に比較的近いところだった。 操体をどこで知ったのか、聞けば橋本行生という名のお医者さんが主幹する家庭療法研究会で知ったそうだ。 近くで操体法の施術院を探していたので早速電話してきたということだ。

  • 私のズッコケ操体クロニクル ②  昨日の続き

     「哲学する操体 快からのメッセージ」 を熟読した私は、東京操体フォーラムに参加してこの本の著者である三浦寛師に出会うことができた。 その夜の会合で皮膚操法について伺うことができ、操体講習を受講することになり、毎週2年間の上京生活が始まった。 

     

     カイロでは主に知識とテクニックの学習をしてきたので、今度は五官で感じ取るスタイルに学び方を変えようと思った。 見て感じる、聴いて感じる、触れて感じる、そのような吸収の仕方で講義を受ける方策に決めた。 そのように研鑽を重ねるのは実に新鮮な感じであった。

     

     この講習を終えて、今度は 「操体療術院」 として再デビューすることとなった。 開院する場所について、大阪北のビジネス街と繁華街にも近い商業地域にあるテナントビル2Fのオフィスを賃借契約した。 この地域にはマッサージ店がやたらと目につく。 また昼間から夜遅くまで客の出入りも多く見受けられる。 それらを横目に見ながら開院初日をスタートさせた。

     

     マッサージ店の客層はビジネスマンと思われる人が殆んどといったところだ。 マッサージ店はどこも派手なイルミネーション看板を設置しているが、当院では当ビル1Fアプローチ部分に折りたたみ式の質素な看板のみが置いてある。 果たして、来院者を期待できるのだろうか? そんなことを思いながら初日を過ごした。

     

     その日の帰り道で最寄り駅のすぐ近くの路地裏通りにある小さな居酒屋に立ち寄った。 そこには肉体労働者と思われる作業服姿の客が3人で焼酎を飲みながらどて焼きを食べていた。 そこへ店主と思われる気の良さそうな初老の男がお通しの枝豆をもって注文を取りに来た。 私は、生ビールにどて焼きを注文した。

     

     30分ほど、物思いに耽りながら飲んでいただろうか、肉体労働者風の客は帰り、客は私一人になった。 その店主であるが、先ほどからしきりに首に片手を当て、上を見上げるような仕草をしている。 私は声をかけてみた 「首の調子でも悪くしたのですか?」、「ええ、寝違いをして昼間、マッサージを受けて来た」、と言う、「その時は解消されたと思ったんだが」

     

     私は 「ちょっとよろしいですか」 と云って店主が手を当てていた左首筋を軽く指で触れてみた、それだけで熱感と硬結が確認できた。 そして次に気になったのが、左肘が外に向いていたことから、ついでに左手首を触診させてもらった。 特に手首の皮膚を指でつまんでみると、針に刺されたような強烈な痛みがあるという。 そこで立位のまま、左手関節から動診・操法のアプローチを試みた。 この間僅か数分であったろうか、首の痛みが劇的に改善したことに店主はとても驚いていた。 

     

     店主は私のジョッキーが空であることを見過ごすことなく、すぐにおかわりを持ってきて 「これは私のおごり」 と一言。 「お客さんは何をしている人?」 と聞かれたので、実は今日からこの先にあるテナントビルで開院したばかりであることを話すと、「これから世話になるだろうから」 と言ってどて焼きのおかわりもサービスしてくれた。 

     

     その後、2~3日連続してその居酒屋に通っていた。 当院の方は電話での問い合わせはあるものの、患者の来院がまだ一人もない、というようなことを店主に話していた。 店主はうちの店に当院の広告を出してもいいよ、と言ってくれたので、それに甘えて次の日に早速、広告を作成して、お店の壁に貼らせていただいた。 これからが意外な展開に

  • 私のズッコケ操体クロニクル ➀

     私が操体と縁ができたことについては、大した意味があるわけでもない。 それまでの私のワークはヨーガと精神療法を生業としていた。 原初療法やブリージング・セラピーといったサイコ・セラピーのオフィスを神戸市内で開いていた。 こういったところにやって来るクライエントというのは大抵、誕生以来のバーストラウマのような問題を持ち抱えているものだ。 それに対応していくというのは、それなりの忍耐というものが必要である。

     

     しかし、私自身がベストコンディションでない時はとても疲労感に襲われる。 そんな状態が続くとクライエントに対して感応することが難しくなり、いつの間にかマニュアル反応するようになってしまう。 そんなとき、不動産屋の友人から 「そんな面倒くさい精神世界から早く足を洗ったらどうだ 同じやるなら精神を相手にするより、ボディを相手にしたほうがよっぽど気楽にやれると思うぞ!!」 と、軽く言われた。 私も 「それもそうだな」 と、軽い気持ちで返答した。 だがしかし、その軽く答えたはずが、だんだんとその気持ちが重くなってきた。

     

     それなら、よし ボディをメインにしよう!! そう決めた私は早速、ボディワークスクールの資料を集め、カイロプラクター養成所に入門し、2年間、カイロプラクティックの手技を学ぶことになったのである。 カイロを学ぶ傍らでインド正統派ヨーガの指導もこなしていた。 健康ヨガや美容ヨガ、○○ヨガというものと一線を画した本来目的である瞑想に主眼をおいた調息法をメインに指導したことで、本物志向の受講者からはとても受けが良かった。

     

     そして、カイロプラクターとして開業することになったのであるが、それは自分自身に納得のいくものではなかった。 というのも、カイロプラクティックは骨格の矯正を行う手技療法で矯正後は確かに改善されてはいる。 ただ、2~3日後、早ければ翌日、極端な例では矯正して帰宅後に元の矯正前に戻ってしまう場合もあった。

     

     この時、疑問に思ったことは、施術前と施術後では確実に骨格変異が改善されているのである。 また筋肉においても十分なマニプレーションを施しているにもかかわらず戻るのは何故なのか? この時期、大いに悩んだ。 ところがチャンスというのは訪れるものだ。 2年間のカイロ養成所を終えた後もスポーツトレーナ科や物療技術士科のコースを週に1~2回のペースで受講していたことが操体の出会いにつながっていくのである。 

     

     そういった講義の中で操体法(初期の操体法)も学んだ。 それがきっかけとなって当院において骨格が矯正前に戻った患者に、カイロ手技を再矯正した後に操体法の施術を試みた。 するとどうだろう、元に戻ってしまったという訴えがほぼ無くなったのである。 これはひょっとしたらひょっとするぞ!! と思った。 

     

     それから書店に行き、操体法関連の本を物色していた。 そして目に止まったのが 「哲学する操体 快からのメッセージ」 であった。 立ち読みすること30分、そうか、「快適感覚」 がキーワードだったのか その本を買い、その日のうちに読み終えた私は、以前知り得たある記憶がよみがえってきた。 

     

     それはホリスティック医学のセラピューティックタッチの概念である。 特にアメリカの看護師たちの間に広く浸透していたヒーリングテクニックであり、脳波の修正や慢性痛に苦しむ患者の症状の緩和を可能にしているものだ。 この本の著者である三浦寛師は皮膚操法という言葉で表現されていた。 日本国内においてもこのような研究者がいるのなら是非お会いしなければならないと思った。

  • 般若心経の考察 ~ 般若身経解説⑥

     インドの習慣では、マントラ(明呪)は公開的なものではなく、グル(宗教上の師)が弟子と二人だけの席で、弟子に授けるものであって、弟子は自分に授けられたマントラは固く秘密にして、他人に漏らしてはならないことになっている。 これらの習慣を鑑みて、般若心経の明呪(マントラ、真言)においても同様に、当初はそういう性格のものであったのではないだろうか。 そのような疑いも当然起こってくる。

     

     科学文明至上主義を妄信しておられる方々は、呪文(マントラ)といえば、頭から馬鹿にされていると思うが、世の中には科学で解らないことは山ほどある。 日本にも 「ことだま」 という言葉があり、言葉には 「いのち」 があると言い伝えている。 インドでは声に出した言葉よりも、声の元にある声なき言葉に偉大な力があると信じられている。 試しに、毎日一定時間マントラを唱えるのを実行してみて欲しい。 数カ月も経つ頃には、何かが自分の心の中に起こることであろう。

     

     仏陀が言葉で説いたとされる八万四千の経典と同じように、仏教の 「心経」 では仏陀のエンライトメント(光明、悟り)と智慧の内容が経典を読誦し理解するという知解(ちげ)のみに依るものである。 しかし、操体の 「身経」 では、体解(たいげ)、つまりからだという全身の実践(身体運動)に転化して、生命そのもので解読する方便が編みだされた。 

     

     それはからだの使い方のルールである 「重心安定の法則」 とからだの動かし方のルールである 「重心移動の法則」、そして、からだの末端が動けば全身が動くという 「連動の法則」 のことである。 そのような動きが即ち、「体解」 というものであり、この動きこそがまさに 「仏の舞」 と言えるものなのだ。

  • 般若心経の考察 ~ 般若身経解説③

     

     般若波密多(ハンニャ・ハラミッタPrajñā‐pāramitā:プラジュナー・パーラミーター)は大乗仏教の菩薩(bōdhi‐sattva:ボーディ・サットヴァ)の修行に六種布施・戒・忍辱・精進・定・慧ある中で一番大事な 「慧」 の行法であり、ここでいう般若波密多(ハンニャ・ハラミッタPrajñā‐pāramitā:プラジュナー・パーラミーター)は智慧の極限ということになる。 しかし、般若(智慧)の内容が 「心経」 の書かれたそもそものねらいではない。 一般に般若心経の内容である 「空」 の理論を展開するのは本来、「金剛般若経」 あたりの役目であり、今さら般若心経がこんなちっぽけな 「空」 を説く必要はまったくないのである。

     

     般若(ハンニャprajñā:プラジュナー)は智慧という意味で、波羅蜜多(ハラミッタ)は六つの行法に共通して付けられており、 「極限」 を意味する。 そして極限的な智慧だけが仏陀を生みだすことができることから、般若波羅密多(ハンニャ・ハラミッタ)は女性の菩薩の名称となったものである。 また、別名をターラー(Tārā)菩薩とも呼ばれている。

     

     般若菩薩の信仰はインド教(ヒンズー教)の中の密教に刺激されて起こった仏教系の密教(Tantrism:タントリズム)であり、「金剛乗」 と呼ばれる宗教運動の中で支持されてきたものである。 この密教は女性神であるシャクティ(Śakti)信仰と真言(マントラ、明呪、またはダラニともいう)信仰に結びついている。 すなわち、般若心経は 「密教経典」 であり、顕教たる大般若経系統の経典でないことがわかる。

     

     操体の 「般若身経」 もからだの使い方、動かし方という身体運動の自然法則を説いた智慧の経典であり、仏教経典の 「般若心経」 と同じ密教である。 その般若身経から派生した操体臨床もまた密教であり、操者の意識の向け方が重要になってくる。 

     

     それは患者 「本人」 に意識を向けるのではなく、患者の 「からだ」 に意識を向けるようにする。 何故なら、本人に意識を向けてしまうと、限られた知識、経験、情報から発信してしまうことになり、からだの声を阻害することになる。 そうではなく、からだへ意識を向けることで素直に診ることができるのである。

     

     般若身経では言葉や知性で経典を解読するのではなく、身体生命そのものの智慧によって解読するメソッドである。 これは頭脳や知性の優劣は問われない。 仏典では言葉の方便としての経典が、操体では身体の方便としての実践法なる身体運動が智慧として存在しているのである。

  • 般若心経の考察 ~ 般若身経解説②

     般若心経を日本語に訳すと、般若波密多(ハンニャ・ハラミッタPrajñā‐pāramitā:プラジュナー・パーラミーター)という女体の菩薩の心臓を解きあかした経典ということになる。 施護(Dānapāla:ダーナパーラ)の訳に 「聖仏母」 とあるのは、この女性の菩薩が、仏母(Bhagavati:ヴァガバティ)、すなわち、仏陀を生んだ母親だからだ。 

     

     また鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の訳に 「心」 の字がなくて、「大明呪経」 となっているのは、この経典のねらいが明呪(マントラ、真言)を提示しているからである。 故に仏母である般若波密多菩薩の心臓とは、この経典の最後に書かれている 「明呪(マントラ、真言)」 のことにほかならない。 

     

     この 「般若心経」 の経題を 「身経」 に置き換えてみると、操体経典ともいえる 「般若身経」 というものが誕生する。 この経典は自然法則に基づいた身体運動の法則であり、からだの使い方と動かし方を説いたものである。 それはからだ全体に動きを連動させて、そのからだに 「心経」 でいうところの 明呪 を唱えてもらうことにある。 

     

     「般若身経」 は操体における臨床やからだの動きを理解する上で最も重要なものである。 操体操者は患者の動きについていけるように、自分のポジションや患者の心理状態である 「管理されたい! 指導されたい!」 という心の欲求から、動きの誘導を会得するのにとても役立つ経典と言えるものである。

  • 般若心経の考察 ~ 般若身経解説➀

    今回のリレーブログのテーマは操体経典とも言える 般若身経を解説である。

     

     仏教経典の 「般若心経」 と 操体経典の 「般若身経」 は 「心」 と 「身」 のひと文字に違いがある。 操体の 「般若身経」 を解説する前にその元になっている仏典の 「般若心経」 についてまずその意味を探っていきたい。 元にある般若心経を知らずして操体の般若身経を語るのは、心経に対していささか失礼であると思う。 そこでこの珍重すべき、珠玉のような僅か二百六十二文字からなる経典をあらためて考察してみる。

     

     はじめにお断りしておくが、私は古今東西におけるすべての宗教に関わる 「信仰」 というものには、まったくもって興味がない。 しかし、仏教にまつわる哲学的、心理学的なドグマについては、「仏伝文学(サンスクリット文学)」 という学問体系において、非常に興味がある。 これから述べる仏典の考察は、無宗教ではなく非宗教者としての個人的見解である。

     

     世に般若心経を解釈、講義した書物は、仏教伝来以前の昔から山ほど書かれている。 なぜなら、仏教経典の中でもこの般若心経がきわめて短い上に、大きなご利益のある経典として、現在まで永く尊ばれているためである。 しかし、それらの書物を読みあさってみると、まるで見当違いの評価や解釈が多いことに気がつく。 仏教学者の偉い先生方の中には、経典文字の正確な意味さえつかめずに、縦横無尽にあてずっぽう的な理解に基づいて、拉致もない放談をやっている方も少なくない。 

     

     まずこの経典の経題(お経の題名)についての誤解を考察してみる。 まず仏伝の流れからいくと、鳩摩羅什(仏典翻訳者:クマーラジーヴァ)の訳では、「摩訶般若波羅蜜大明呪経」 と訳している。 鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の訳には 「大明呪」 という文字があるが、何を意味するのか? とても不可思議な感じがする。

     

     次にその鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の二百年ほど後に、玄奘三蔵(唐三蔵法師)が訳した経題は、「般若波羅蜜多心経」(ハンニャ・ハラミッタ・シンキョウ サンスクリット原語:Prajñā‐pāramitā‐hṛdaya‐sūtram:プラジュナー・パーラミーター・フリダヤ・スートラ)となっている。 この題名ならまさしく梵語(サンスクリット語)の原名に合致している。 ところが、経典を訳す際に 「魔訶般若波密多経六百巻」 という膨大なお経の中心的要部分を要約して説いたものだと、誤解してしまったようだ。 

     

     何故そのようになったのか、先達者の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の経題には 「摩訶」(mahā:マハー)という 「大」 の文字が付けられていたために、そのような見当外れの解釈になったものと思われる。 それによってこの経題原著者の願いは裏切られてしまうことになる。

     

     そして、その後、宋代にインド出身の訳経僧で施護(Dānapāla:ダーナパーラ)という人が書いた訳本においては、「聖仏母般若波羅蜜多経」 という経題になっている。 この経題に至っては、「聖仏母」 という文字が頭にあって、「心」 の文字が省かれている。 これも不思議に思えるのではあるが、これらの題名が何か不可解に感じてしまうのは般若心経を 「大般若経」 の略述だと捉えているからであろう。

     

    明日からは、般若心経の考察 ~ 般若身経解説へと話を進めていきたい。