カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • 「だけ」のリスク

    「当たり前」なこと。

    「普通」なこと。

     

    日常を何気なく支えているこうした存在へ

    少しだけでも意識を向けてみれば、

    いまのこの状況は「当たり前」でも「普通」でも ないのではないかと感じられてくる。

     

    「そんなことは『当たり前』であり、『普通』である」

     

    と断言できるのは、

    恐らく、目に見えるモノだけを材料にして

    判断しているからではないかと思う。

     

    一方で、

    「目に見えるモノだけ」は

    「自分の目に見えているモノだけ」なので、

    ほんの一部の材料から見立てていることになる。

     

    本当の支えになっている素材の

    こぼれてしまっている状況で

    見立てをしなければならないのは、

    もしかしたら、相当のリスクを

    自分に背負わせていることなのではないかと思う。

  • 「だけ」のリスク

    「当たり前」なこと。

    「普通」なこと。

     

    日常を何気なく支えているこうした存在へ

    少しだけでも意識を向けてみれば、

    いまのこの状況は「当たり前」でも「普通」でも ないのではないかと感じられてくる。

     

    「そんなことは『当たり前』であり、『普通』である」

     

    と断言できるのは、

    恐らく、目に見えるモノだけを材料にして

    判断しているからではないかと思う。

     

    一方で、

    「目に見えるモノだけ」は

    「自分の目に見えているモノだけ」なので、

    ほんの一部の材料から見立てていることになる。

     

    本当の支えになっている素材の

    こぼれてしまっている状況で

    見立てをしなければならないのは、

    もしかしたら、相当のリスクを

    自分に背負わせていることなのではないかと思う。

  • 身立て(ミタテ)

    操体は「からだ」の要求を診立てる。

    そして、その要求に素直に応える。

     

    同時に、 その人の普段の「生き方」、

    日常どんな「ミタテ」を行いながら生きているか。

    そんなことも診ている。

     

    操体臨床の空間は、

    「からだの要求に適う、こんな『ミタテ方』があるんですよ」

    と、経験し、紹介する場にもなっている。

     

    からだの要求に応える空間を味わった上で、

    本人が今後の生活でどんな「身立て(ミタテ)」を成していくか。

     

    その点ばかりは、本人の意志に委ねられている。

  • 身立て(ミタテ)

    操体は「からだ」の要求を診立てる。

    そして、その要求に素直に応える。

     

    同時に、 その人の普段の「生き方」、

    日常どんな「ミタテ」を行いながら生きているか。

    そんなことも診ている。

     

    操体臨床の空間は、

    「からだの要求に適う、こんな『ミタテ方』があるんですよ」

    と、経験し、紹介する場にもなっている。

     

    からだの要求に応える空間を味わった上で、

    本人が今後の生活でどんな「身立て(ミタテ)」を成していくか。

     

    その点ばかりは、本人の意志に委ねられている。

  • 身立て(ミタテ)

    操体は「からだ」の要求を診立てる。

    そして、その要求に素直に応える。

     

    同時に、 その人の普段の「生き方」、

    日常どんな「ミタテ」を行いながら生きているか。

    そんなことも診ている。

     

    操体臨床の空間は、

    「からだの要求に適う、こんな『ミタテ方』があるんですよ」

    と、経験し、紹介する場にもなっている。

     

    からだの要求に応える空間を味わった上で、

    本人が今後の生活でどんな「身立て(ミタテ)」を成していくか。

     

    その点ばかりは、本人の意志に委ねられている。

  • 診て、みえてくるもの

    その人の生き方は、

    その人の「からだ」に現れている。

     

    臨床家がからだを「診る」ということは、

    その人のからだを通して、

    その人の「生き方」を診ること。

     

    そして、その生き方を通して

    その人が普段どんな「ミタテ方」をしているのかを

    知ることにもつながる。

  • 診て、みえてくるもの

    その人の生き方は、

    その人の「からだ」に現れている。

     

    臨床家がからだを「診る」ということは、

    その人のからだを通して、

    その人の「生き方」を診ること。

     

    そして、その生き方を通して

    その人が普段どんな「ミタテ方」をしているのかを

    知ることにもつながる。

  • 診て、みえてくるもの

    その人の生き方は、

    その人の「からだ」に現れている。

     

    臨床家がからだを「診る」ということは、

    その人のからだを通して、

    その人の「生き方」を診ること。

     

    そして、その生き方を通して

    その人が普段どんな「ミタテ方」をしているのかを

    知ることにもつながる。

  • 生き方(いきかた)

    日常生活は「ミタテ」の連続である。

     

    何気なく送る生活のなかで

    目の前の状況を

    判断(診断)し、その結果をもとに

    行動に移る。

     

    ひとつの捉え方として、

    その人の「生き方(いきかた)」は

    その人の「ミタテ方(みたてかた)」

    そのもののようにも思えてくる。

  • 生き方(いきかた)

    日常生活は「ミタテ」の連続である。

     

    何気なく送る生活のなかで

    目の前の状況を

    判断(診断)し、その結果をもとに

    行動に移る。

     

    ひとつの捉え方として、

    その人の「生き方(いきかた)」は

    その人の「ミタテ方(みたてかた)」

    そのもののようにも思えてくる。