一歩退くか
半歩踏み出すか
眼の前のことに向かう姿勢にも重心はあらわれる。
それがこころの軸とも関係があるように感じられて興味深い。
一歩以上踏み出したら、もしかしたら眼の前のことは一歩退いてしまうかもしれない。
半歩踏み出せば、もしかしたら眼の前のことも半歩踏み出してくれるかもしれない。
程よく、目にみえない、間の空間はたしかに在るのだと感じさせてくれる。
一歩退くか
半歩踏み出すか
眼の前のことに向かう姿勢にも重心はあらわれる。
それがこころの軸とも関係があるように感じられて興味深い。
一歩以上踏み出したら、もしかしたら眼の前のことは一歩退いてしまうかもしれない。
半歩踏み出せば、もしかしたら眼の前のことも半歩踏み出してくれるかもしれない。
程よく、目にみえない、間の空間はたしかに在るのだと感じさせてくれる。
じぶん
からだ
こころ
皮膚
呼吸
空間
「そうなっている」ことを感じ、学んでいる。
何か特別なものだけが特別なこと、というわけでもないことにハッとさせられる。
身近なもののひとつひとつに「そうなっている」ことは宿っている。
そしてそれらは重なっていることが感じられる。
ありがたい当たり前に浸る。
人間が作り出した日常生活のなかにいても、
その前から存在している「そうなっている」ことの力学は感じられる。
迷路の鍵はいまもここに在る。
人は何十年かけて大切に学び続けてきたことであっても、その学んでいることのなかに、そのままにしてはおけない何かを感じているのなら、もう一度根底からひっくり返して取り組み、学びを続けていくことができる。
そんないのちある学びを再生する過程がこの本のなかには息づいています。
それは可能なのだということを見せてくれています。
土づくりのようなことからやり直しているのだから当然時間はかかります。
どこまで深く、どこまで高く。
その問いの過程が綴られているこの著作は、単なる新しい理論の発表の場としてだけではなく、これから先学びを続けていく人たちへの、伴走者となってくれるものだと感じています。
おはようございます。
目にみえたり、みえなかったりするけれども私たちの身のまわりに満ち満ちているなにか。言葉になっていないなにか。
それをまるごとで触れて感じ入るような一週間。瀧澤さんありがとうございました。
本日よりバトンを受け取って寺本が担当致します。宜しくお願い致します。
既にご承知の方も多いかもしれませんが、実に久しぶりに三浦寛先生の新著が世にリリースされました。
幾年月をかけてあたためられてきた、からだの中心と重心についての新たな問いかけ。
その問いの軌跡の様子がこの本の中には宿っているように感じます。
そこで語られている重心の定義についての内容もさることながら、私にとってはこの本のなかで浮かび上がってくる「自分の学び」と向き合っている師の姿が非常に強く伝わってきます。この本を通してそれが大きな励みとして感じられてきます。
誰かが用意してくれた答えのなかで学ぶこととは違う、からだと向き合うことを通して生まれる問いのなかで生き続ける姿勢。
そして生きているなかで自然と学びが動きだしている、そんな様子が響いてくるようです。
またこの本の中には橋本敬三先生も息づいているように感じられます。
からだの中心と重心について、今までの常識を根底から問い直し、またその問いを深めていくなかで、橋本先生とも対話を続けている。
そこには途切れることのない師匠と弟子の姿というものも感じられる。
学びというのはこういう風に人と人を介して、いのちをつないでいくことができるんだということを見せてくれるのです。
なかなか継続して何かに取り組むことが苦手な性分なのですが、そんななかでも眠る前や目覚めた後に心がけるようにしていることがあります。
居間の箒掛けがそのひとつなのですが、これがやってみると不思議に感じることがあります。
見た目にはそんなにゴミが落ちているような感じがしないとき、忙しくしている時など「今日はやらなくていいかな」と思ったりもするのですが、それでも箒をかけてみるとだんだん塵やホコリや髪の毛などたまってきてちりとりにはそれなりのものが集まります。
僅かな時間で結構たまるものだなぁと毎回感じるのですが、そうして集まったものへの驚きとともに、なんとなく、でもあきらかに空間が変化していることが面白いのです。
箒掛けをしたあとの空間を前にして、
なんとなくの変化というのは、例えば空間が清浄な感じがするなぁというもの。
そして、あきらかな変化というのはその空間で呼吸がしやすくなっている感じがするというもの。
どちらの変化も興味深く、不思議な現象です。
毎回のことですが、箒掛けをする前にはこういった変化が起こる事は忘れてしまっているのではないかというくらいな気持ちがしてしまいます。
そんな風に忘れてしまっているような自分のときには、キャッチできていないものがある。そんな実感が重なると一日を送るなかで、なにか自分自身のモードのようなものが度々変わっているのではないか、とも感じます。
でも、やってみればたしかに感じることなのです。
目にみえるものを頼りにしているような自分自身から、目にみえないけれどもたしかに感じられることが素直に感じられている自分自身に切り替わるような瞬間。そのきっかけとなるようなことはどんなことでしょうか。
いろいろ素直にやってみるということを繰り返しながら、そして自分自身の呼吸なども頼りにしながら何か目にはみえない見落としている大切なことを感じていければと思うのです。
一週間のお付き合いありがとうございました。
明日から友松実行委員のブログがスタートします。
どうぞおたのしみに。

2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
今季テーマは「解禁・新重心理論」です。
いよいよ世に紐解かれる新重心理論とは。
予約受付中です。どうぞおたのしみに。
本ブログでも何度か書いたことがあることですが、近隣の小学校の中にある学級園の活動に昨年より関わることになりました。
このところは栽培中の作物につく虫チェックに勤しんでいます。
今朝も活動中に覗いてきましたが、つい数日前の報告では全然そんな気配のなかったラディッシュがナニモノかに葉っぱを食べられていました。
これはきっとイモムシがいるなと思ってちょっと葉っぱの裏など確認して見るのですが、全然見つかりません。
おかしいなぁと思って一呼吸おいて、もう一度何人かで確認してみると「あ!」っと結構大きなイモムシが見つかりました。
さっき見たはずのところですが、見逃していたみたいです。
こういうこともあるんだぁと思って、着けていた軍手を外して、もう少し時間をかけて葉っぱの裏の世界をながめてみることにしました。
するとさっきまで見えていなかった小さな卵や、その卵から孵った細く小さいイモムシが葉っぱの上でじっとしているのが、見つかる見つかる(汗)
一体さっきまでは何を確認していたんだろうか、というくらい
葉っぱの裏にはたくさんの生き物が潜んでいるのでした。
見よう見ようと思って見つけられなかったものが、見えてくる。
一体、何が変化したのか不思議で仕方がありませんが、こういう経験って色々な場面で味わっていることだと思うのです。

2025年秋季東京操体フォーラムは11月24日(月)勤労感謝の日振替にルーテル市ヶ谷センターで開催致します。
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普段の何気ないときのことですが、外を移動していて、ふと空の様子に目が行くことがあります。
特に自転車で移動している時に、急に空が目に入ってくることなどあり、
しばらくしてからやっぱり気になって、ちょっと立ち止まってみたりもするのですが、不思議とその瞬間に感じた空の様子は立ち止まったところでは感じられないのです。
そんな経験を何度かしてからは、パッと空が目に入ってきたら、できるだけその場に立ち止まる様にしています(もちろん急に止まったら危ないので、そういうことは気にかけながら)。
美術館に行って風景画を堪能するのも素晴らしい経験ですが、普段の何気ない時の空の様子というのも、なんとも言えずいいものだと感じます。
ほんのひととき空を眺めているだけでも遠くの空の様子がとても親しみをもって感じられるのが不思議です。
なんとなくですが空がこちらをみているような錯覚に陥るのです。

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初日のブログでお話した木崎湖での話。この湖畔のバンガローに仲間と一泊したので、朝にはバンガローの前で火を焚いてお湯を沸かしました。
その辺に転がっている比較的乾いていて薪になるものを自分で探してくるところから。焚き付けにはこれがいいかな、お、こんなところにちょうどいい枝が転がっているなぁ、と普段使わない素材探索の回路が動き始め、それがとても愉しいのでした。
出鱈目の焚き火なので煙に燻されたり、火が消えそうになったりいろいろ試行錯誤しながらでしたが、ちゃんとお湯は沸き、無事コーヒーは淹れられて、朝ごはんのうどんも茹ったのでした。
食事の後、特にあたためる必要のあるものはもうないのですが、なんとなくその焚き火の前を離れられず、火を絶やさないように薪をくべていました。
火のゆらめき
薪のはぜるおと
煙のにおい
樹上では名前のわからない鳥たちが鳴いていて
風の揺らす枝葉は澄んだ音を鳴らしている
火を見つめながら過ごす、なんでもない時間。
生活の営みに宿っている間が素直に感じられて
それをただただ味わっている。
しばらくその空間をあじわっていたい、と感じたのでした。

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今年から月に2回ほど、近隣の公園の竹林管理のボランティアに参加するようになりました。
昔からなんとなく竹といういきものには惹かれるものがありました。
素材としても面白く、いきものとしても興味深い。
今まで竹林を訪れたことなどありませんでしたが、気持ちが向いたので長年公園の竹林を管理されている団体の活動に参加してみることにしたのでした。
巷では放置竹林の問題などきこえてきますが、この公園の竹林は継続して人の手がかかっていることで、なんだか雰囲気もよく、聞くところによると毎年たけのこ狩りを近所のこどもたちとしているとのこと。
また、その団体は生えてくる竹を切り、公園内の竹垣を自作したり、竹団扇をつくって、地域行事でこどもたちにふるまったりなど、様々な用途に竹を利用してきました。
竹のもっている強烈な生命力とその竹を利用する人間の営みの程よいリズムができあがっている。そんな印象をもちました。
私も竹林のなかで何度か孟宗竹を切らせてもらいました。
よく手入れされている竹林は竹と竹との間に程よい空間が存在していて、とてもきもちがいい。
竹林が呼吸していて、そのなかにいる私も呼吸がしやすい感触がたしかにあるのです。

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先日とある老紳士のお宅へお邪魔する機会がありました。
昨年からふとした御縁で家族ぐるみでお付き合いする仲になった方で、年に数回顔を合わせるのをお互い愉しみにしています。
その方は今年からハイビスカスをお部屋で育てています。
一体いくつの花をつけるのだろうと興味を抱き、その様子を観察していたとのこと。
ハイビスカスは基本的には咲いた花は一日でしぼんでしまう一日花。
その方はそのしぼんだ花を捨てるのがしのびなかったそうで、それを丁寧に並べてとっておられました。数えてみると30輪以上あり、当初花屋さんから聞いていた数の倍をこえる花を咲かせてくれたとのこと。
「この頃はもうだいぶ花も咲き切った感じですが、今日は寺本さんたちがいらっしゃるから咲いてくれたらいいなと思っていたんです」
そうお話いただいたその先に、とても素敵に咲いている一輪の花がありました。
「今年咲いたなかで今日が一番綺麗かもしれない」、とその老紳士はしみじみ仰っていました。
一連のお話を伺い、またそのハイビスカス、そしてしぼんでも大切にされている花々を前にして、何かことばにならないものが流れ込んでくるようでした。
ひとつたしかに感じられたことは、この窓辺にて植物とヒトは一日一日を過ごし、互いに対話して生活してこられたんだなということでした。
こうして目の前にいる私にも何か言葉にならないことばが語りかけてくれているように感じ、しばらくその場にいて味わっていたのでした。

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