カテゴリー: 三浦 寛幸(みうら ひろゆき)

  • 「からだとじぶんの間にあるもの ~その4~」

    からだが重い時や痛みが生じている時には決まって「こうしたら痛くなる」「これだけ動いたら後々キツくなる」というような計算でからだを使っている。

     

     

    それは痛みによる呪縛のようもので、ずっと続いていたのですが、最近はじぶんの思考よりも先にからだが動いてくれる時が多くなってきました。

     

     

    その時は痛みや疲れを感じずに気が付けば結果的にやっていることが多いです。

     

     

    そんな経験は恐らくわたしだけでなく、ほとんどの人がしていることだとは思いますが、なぜそういったことが起こるのか疑問に思っています。

     

     

    何度かこういったことを体感していくと、からだがわたしの代わりにやりたいことをしてくれているように感じるのです。

     

     

     

    あれこれとマイナスにしかならないことを考えてから動いてしまうじぶんの思考のスイッチをからだは動くことでそのスイッチをオフにし、わたしの導いてくれる。

     

     

    からだが主体となっている時に感じられるのものは「楽」ではなく「快」にベクトルが向いている。

     

     

     

    そんなことを感じていると橋本敬三先生が言われていた「病気なんてない」という言葉の意味も今までと捉え方が変化してくるように感じています。

     

     

    本当の病の根っこにあるものはじぶんの思考や意識によって作り出されているのかもしれませんね。

  • 「からだとじぶんの間にあるもの ~その3~」

    最近つくづく「からだはウソをつかないな」と感じています。

     

     

    約半年前から足の裏の皮膚の状態や色、形態がどのように変化しているのかをチェックし、自身の立ち方と歩き方の評価をしています。

     

     

    この半年間、出来るだけ母趾球を意識し、からだを使ってきたつもりでしたが、左右の第三趾の下(湧泉よりも少し上)にタコみたいなものがありずっと消えません。

     

     

    その原因を解明したいと思い、日々の無意識にしていることを意識を向けて観察していたのですが、疲れてきた時にその部位に体重をかけていることがわかりました。

     

     

    じぶんの意識の行き届く中では正当にからだを使うために必要なことをしていても、意識が行き届かなくなった時にからだはじぶんに対し、正当な評価をしてくれるように思います。

     

     

    その評価は時に呼吸であったり、時にじぶんの意識の行き届かないからだの特定の部位でしてくれます。

     

     

    特に足の裏や背中、首といった自身の肉眼で確認しづらい部位に何らかの形でメッセージを送ってくれている。

     

     

    その変化に意識を向けていくこともからだとじぶんとの距離を縮めていくためには必要なことなのではないだろうか?

  • 「からだとじぶんの間にあるもの ~その2~」

    前回までのブログでも書きましたが、約1年前に患った関節リウマチになりました。

     

     

    現在も治療中なのですが、その過程の中で実際のからだの痛みよりも苦しいのは痛みから逃れるために楽を選択しようとするじぶんの意識でした。

     

     

    「楽は苦なり」とよく言いますが、動きでもじぶんの生活においても楽を積み重ねてしまうと、じぶんにとっても、またはからだにとってもそれは本当に苦痛なことなのです。

     

     

    そしてその積み重ねにより、時間の経過と共にからだとじぶんとの間に距離が生まれ、からだがききわけている感覚がわからなくなってくるように思います。

     

     

    個人的にリウマチと1年近く向き合ってきた中でこれが一番の難題だと思いますし、、現在病気を患っているほとんどの人がこのことに悩まされいるようにも感じます。

     

     

     

    また病を患っていると、よく「気力」が削がれていくというようなことをよく耳にしますが、これもからだとじぶんとの間に距離が生じていることが1つの要因なのではないでしょうか?

     

     

    最近のわたしもよくやる気が出ない、もしくはめんどくさいと言ってやらなければいけないことを痛みを理由に後回しにしてしまうことがあります。

     

     

    大抵、そういった時のじぶんは実際のからだの痛みよりも過大な痛みを妄想で作りだしているように思います。

     

     

    明日に続きます。

  • 「からだとじぶんの間にあるもの ~その1~」

    三浦先生、一週間ありがとうございました。

     

     

    本日からは三浦寛幸がバトン引き継ますのでお付き合い下さい。

     

     

    本日もそうでしたが、最近早朝5時位から7時、8時の時間帯で公園をジョギング、もしくはウオーキングしている人達をよく見かけます。

     

     

    わたしの職場は三鷹台が最寄りなのですが、朝の井の頭公園を吉祥寺にかけてかなりの人がからだを動かしているのを目にします。

     

     

    そのほとんどが年配の方なのですが、中には若い女性や子供もいて、最近はこういった人達から物凄いエネルギーを頂いているように思います。

     

     

    その頂いたエネルギーのお陰もあり、先週から空いた時間を使って可能な限りウオーキングをするようになりました。

     

     

    それまではリウマチの痛みが強くなってきたこともあり、動くことを極力避けていましたが、その恐怖心や横着してしまうじぶんの心がだいぶこれらによって変化してきました。

     

     

    その中で強く感じることは痛みとの対立していたじぶんの意識がそれを受け入れるようになってきたことです。

     

     

    明日に続きます。

  • 「じぶんとからだとの関係性 ~その7~」

    本日で最終日になります。

     

     

    昨日まで痛みと向き合っていく中で感じたことや治っていくプロセスの中でからだが教えてくれたことを素直に書いてきました。

     

     

    その中で特に最近特に強く感じていることはからだの左と右の違いです。

     

     

    例えば人体で一番使うことの多い右手と左手にはどういった違いと役割があるのでしょうか?

     

     

    わたしは日常生活の中で使うのは利き手である左手ですが、最近は使う回数が極端に減り力を入れたりすることが少なくなりました。

     

     

    また臨床やからだに触れることにおいても、左手の方が右手に比べるとやさしく包み込むように触れられる感じがして、じぶんの思考意識が働かない手のように感じています。

     

     

    逆に右手は意識し使うことが多くなってきました。

     

     

    人や物から何かを受け取る手という感じがします。

     

     

    また先日書いた膝の裏筋も左右違った性格があるようにみえます。

     

     

    左の膝の裏筋は自身のからだの状態に関わらず「緩む」という感覚が強く、逆に「曲がる」「伸びきる」という感覚があまりない。

     

     

    右の方は病んだりしてくると「曲がる」、もしくは「伸びきる」ことが多いように感じます。

     

     

    こういったわたしが感じるからだの左右の違いはここで書いたことが全て正解であるとは思いません。

     

    しかし左右それぞれ健康維持増進に繋げていくための役割があるということは確かです。

     

     

    それを1人1人がからだに問いかけていっていくことが大切なことだと思っています。

     

     

    一週間お付き合い頂きありがとうございました。

     

     

    明日からは半蔵さんが担当致します。

  • 「じぶんとからだとの関係性 ~その6~」

    昨日の続きになりますが、痛みや苦痛が生じている時にからだが表現している呼吸や動きにはある特徴があるように見えます。

     

     

    まず呼吸は呼気が優位になっているということです。

     

     

    呼気に優位性を持たせることで痛みを緩和させようとするからだのメカニズムがあるように感じます。

     

     

    初日にも少し書かせて頂きましたが、この時の姿勢に着目してみるとやや前屈気味になり体重が右足の踵に乗り、膝の裏筋が伸びきった状態になる傾向がみられる。

     

     

    もしこれに当てはまる方がいましたら、よく観察して頂きたいことがあります。

     

     

    それは左右の膝の裏筋の状態です。

     

     

    特に痛みや苦痛に悩まされている時の緊張の度合や立位において右の膝の裏筋がどうなっているのかを確かめて頂けれたら幸いです。

     

     

    わたしが体感したように伸びきっているのか、もしくは曲がっているのか、はたまた緩んでいるのか。

     

     

    そしてその時の自身の呼吸はどのようになっていて、そして痛みの変化と共にどのように変わっていくのか。

     

     

    こういったことをじぶんのからだを通じて確かめ実感していくことが医者に頼らず、これからの健康寿命を長く全うしていくためにはとても大切なことだと思うのです。

     

     

    明日に続きます。

  • 「じぶんとからだとの関係性 ~その5~」

    最近は痛みというものはからだとじぶんとの距離を縮めてくれる本当にありがたいものだと思っています。

     

     

    痛みがなく過ごせている時よりも痛みがある時の方がからだから受け取れる情報量が多く、そして貴重なものが多いように感じます。

     

     

    「(痛みがある部位とは離れた)こんなからだの部位が疲れているんだ」

     

     

    「(痛みによって)呼吸はこんなに変わるんだ」

     

     

    という無痛の状態ではききわけられないからだや呼吸の情報が入ってきます。

     

    それと向き合うことで健康の時に先走っていたじぶんの意識が一歩下がってからだに寄り添っていくように感じます。

     

     

    近頃はこういった情報をどのようにじぶんの健康と臨床に生かしていくか考えているのですが、これには何らかの共通性があるように思います。

     

     

    そのヒントとなるのが無意識に中でからだが表現すると動きと呼吸です。

     

     

    明日はそのことを少し書いていきます。

  • 「じぶんとからだとの関係性 ~その4~」

    体調が悪かったり、疲れが溜まってきた時によくわかることがあります。

     

     

    それはからだのことを置いてきぼりにしてしまっているということです。

     

     

    感覚的にはじぶんの意識がからだの意識より常に一歩、二歩先にあるような感じます。

     

     

    そういった意識の状態に気付かされると、からだに対し「好き勝手」をしてきたことに気付かされます。

     

     

    からだとじぶんとの関係において、この「好き勝手」というのはよくありません。

     

     

    なぜならからだとじぶんの間に摩擦が生じてしまうからです。

     

     

    からだは常に快適感覚を要求しているのに対し、じぶんの意識のベクトルは楽に向かっていく。

     

     

    この2つのベクトルが全く違う方向に向いてしまうことが病の第一歩のように感じています。

     

     

    このベクトルを同じ方向に向けていくことが出来るのが操体法の臨床の魅力です。

     

     

    明日に続きます。

  • 「じぶんとからだとの関係性 ~その3~」

    「ゆっくり動く」とはいったいどういうことなのかと考えています。

     

     

    操体を学び始めた当時、三浦先生から「動きが早い」とよく指摘されましたがこれも深い意味があったように思います。

     

     

    からだの動きの学習を重ねてきた現在になって思うのは「動きが早い」ということは「からだの動き」ではなく「じぶんの動き」になっているということです。

     

     

    じぶんが先立ってイメージした通りにからだを動かすのと、からだに寄り添って動くのではゆっくりの度合が大きく異なってきます。

     

     

    思考優位の再現性の中でゆっくりからだを動かすのは骨や筋肉に負荷がかかります。

     

     

    それを常に繰り返していくとからだの内圧と外圧のバランスが崩れてしまい、からだにとっては不要な歪みを作ることにも繋がっていきます。

     

     

    逆にからだと対等な関係性の中での感覚優位の動きは呼吸(吸気)によって動きは導かれ、からだの内圧と外圧のバランスは上手い具合に保たれるように感じます。

     

     

    少しでも興味がある方は試してみてください。

     

     

    明日に続きます。

  • 「じぶんとからだとの関係性 ~その2~」

    昨日は本人の意識の持ち方によってからだの重心や立ち方、呼吸と動きが大きく変わってくることを書きました。

     

     

    本日はそれに「感覚」を絡めて少し書いていきます。

     

     

    最近は人の重心や立ち方によって時間の感じ方も変化してくるという仮説を立てて、からだと向き合っています。

     

     

    からだにとって自然な立ち方が出来れば、呼気と吸気のバランスがとれて、時間の感じ方が「ゆっくり」感じられるのではないかということです。

     

     

    「ゆっくり」というキーワードが何か「じぶんとからだ」とのよい関係性を構築していくことにおいてとても大事なことのように思えるのです。

     

     

    わたしが関節リウマチを患い、痛みと向き合う日々の中で感じるようになったことは動きがとても早くなってしまっているということでした。

     

     

    それは痛みや不快から逃れるように感覚を遮断させ、からだを意識操作の中で早く動かし、からだを置いていってしまっているじぶんがいました。

     

     

    そういった先走っていたじぶんにブレーキをかけ、からだとの距離を縮めてくれたのが「ゆっくり」というキーワードでした。

     

     

    明日に続きます。