
投稿者: karib_sotai
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からだからのメッセージ(6)
からだからのメッセージということで、初日に知人が「それはお通じでは」と言った話をしました。それに少し関連するのですが、昨年の11月から、東京国際仏教塾の曹洞宗専門課程のお手伝いをしています。私は30期生ですが、今回35期生の修行をサポートしています。その時、先輩(出家得度した本物のお坊さん)がメインで指導をなさっているのですが、興味深いことを聞きました。この先輩も、現在現役の住職とかではないのですが、久しぶりに後輩を指導するので、からだがなまってはいかんと、三拝(五体投地の三拝)、の練習をしたのだそうです。五体投地(ごたいとうちとは、五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝すること)を三回やるのが三拝です。これ、やってみるとわかりますが、かなりの運動です。全身運動にもなります。先輩曰く、便秘気味だったのが、三拝をやってたら、結果的に腹筋を鍛えることになって、便秘が解消した、とのことでした。五体投地、膝を強く床につくと膝を痛めます。上手い人はその辺りを上手にやっていて、膝に負担をかけないようにしているようです。 -
からだからのメッセージ(5)
あなたは銭湯とか行きますか?私はかなり銭湯が好きなのでよく行きます。理由:湯量が豊富で温まる湯温が高い(あつ湯好き)電気風呂がある(電気風呂は除霊効果があるそうなので)銭湯の常連の元若い女性達は、洗い場や脱衣所で色々話をしているのですが、よく聞こえてくるのは「膝が痛い」という声です。膝が痛いので、接骨院に毎日通っているとか、サポータをしているとかそしてもう一つ気になるのは、自分の膝で、自分が使って痛めたにもかかわらず「膝が悪い」のオンパレードなのです。そんだけ「(私は悪くないけど)膝が痛いのは膝が悪い」と言っていれば、膝だって「おいコラ!」と怒るかも、なんて思います。どこかが痛くなるのは「無理がかかってるんだよ」というからだからのメッセージ。
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からだからのメッセージ(4)
何気にリサーチしてみると、やはりぎっくり腰は初めてではないとのこと。この辺り、操体実践者であればお馴染みかと思いますが、「モノを拾う時、どうやって拾ってます?」と聞くと、案の定(右利きなので、右手を使う前提)「右足を前に出すか、横着して足をそろえて拾う」とのことでした。ギックリ腰、大変ですが「からだの使い方、動かし方がちょっと間違ってるよ」「それを修正しないと、またギックリしちゃうよ」という、からだからのメッセージなんですよ、と伝えました。
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からだからのメッセージ(3)
年末の話ですが、大学の研究室で、研究員の方が「クシャミをしたらぎっくり腰になった」と言いました。右腰背部が痛く、首も痛いそうです。昨日は整形にいってシップを貰ってマイクロ波。ちなみに、マイクロ波は除霊には効果があるそうです。(すいません笑)20年位前の私なら、仰向けになってもらってまずは足関節の背屈とか、考えたと思いますが、さすがに20年以上やっていると、どんなポジションでも対応できます(多少の成長)。というわけで椅子に座ってもらったまま、右のひかがみに触れます。「いたたたたたたたたたたた」と、痛がります。靴も履いたままでしたが、踵を支点にして、つま先を背屈させ、靴の中でいいので趾を反らせるようなイメージをしてもらいます。そこから脱力に誘導しますが、抜く時に「響いた」と言います。私は「響く」なんていう言葉は使っていないのですが。からだが発する「語感」なのでしょう。これも「からだからのメッセージ」です。
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からだからのメッセージ(2)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。あなたにとって2024年が素敵な年でありますよう、心よりお祈り致します。さて「からだからのメッセージ」というテーマですが、そんなに大袈裟に考えなくても朝目が覚める夜眠くなる空腹を感じるというのも「からだからのメッセージ」だと考えます。これは最近知りあいから聞いた話です。クシャミをした瞬間に、ぎっくりやってしまったそうです。ぎっくり腰というのは、我々操体臨床家も結構遭遇する症状です。クシャミだけで、ぎっくり腰になるのなら、どんなに凄いクシャミなんだろう、となりますが、何もクシャミでぎっくりするのではありません。というかどんだけすごいの、と思いますよね。ぎっくり腰になるメカニズムですが、大抵はからだの使い方を間違えています。間違えてもそこそこ「からだ」がカバーしてくれるんです。例をあげると、右手で物を拾う時、右足も前に出して拾うようなからだの使い方は、腰や背中に負担がかかります。それを長いこと続けていると「からだ」もカバーしきれなくなってきます。そこで、寒い朝などに洗面所でクシャミをしてぎっくり腰になったりするのです。(洗面所が低すぎて、腰に負担がかかっていることも多い)となるとですよ、からだのどこかの痛みというのも「からだからのメッセージ」ということですよね。あなたも、からだからのメッセージをしっかり受けとって、それを健康維持増進に役立ててくださいね。もし、ヘルプが必要であれば、その時は操体の出番です。今年もどうぞ東京操体フォーラムを宜しくお願い致します。
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からだからのメッセージ(1)
こんにちは。2023年から2024年をまたいで1週間畠山裕美が担当致します。2023年の元旦は、足趾の操法の講習にはじまり、大晦日は第五日曜なので恒例の「塾操体」で終わります。操体に始まり操体に終わる一年でした。あなたは「からだからのメッセージ」と聞いて何を思い出すでしょうか。私の知りあいは「お、お通じ!」と言ったので、「それは『お便りだろ』!」と言って笑ったことがあります。まあ、胃腸の様子をお知らせしてくれるので、メッセージの1つでもありますね。寝不足で肌荒れするチョコの食べ過ぎで吹き出物ができるまた、自分では大したストレスではないと思っていたら、10円玉くらいの円形脱毛を発見したり。そういうのでなくとも、ちょっと寒気がしてクシャミが出た!と言う時は「風邪引いたかな」と思いますよね。今日の夜、外出する方も、そうでない方も、暖かくしてよいお年をお迎え下さい。
まーちゃんとりんちゃん。今年もお世話になりにゃした。 -
からだからのメッセージ・・・7
おはようございます。
操体の臨床は、操法をとおして良くなったから、それで終わりというのではない。
日常生活でのアドバイス、からだの正当な使い方を生かした日常生活動作を提案するのも大切な事だと思う。
操法後に被験者と向き合い、日常生活でのからだの使い方について「こうしたら良いのでは」という提案をした後、ハッとする時がある。
それは、自分でも気づけていない事を、自分が喋っているという事。
普段の日常での会話というのは、自分が知っていることを喋り、自分の知らない事、気づいていない点については、相手に言ってもらって知ったり、気づいたりしているという感じだと思う。
それと違い、相手に喋っていて、自分が気づけていなかったことや頭の中にないものを喋っている自分が居る。
からだの動きというのは、呼吸、目線、意識の仕方などで変化する。
簡単そうで奥は深い。
自分で分かっているつもりでも、生命記憶を宿し霊性を持つからだからしたら分かってないと痛感させられる事も度々である。
被験者の方に、「ここをこのようにすれば」と自分で言っていて、自分が気づかされる。
これも、からだからのメッセージであり、それまでバランス制御に向けて対話していた被験者のからだと自分のからだからのアドバイスなのであり、からだのことばが言葉に変わったものだと感じる。
からだに感謝なのであります。一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。 -
からだからのメッセージ・・・6
おはようございます。
操体では、言葉を運命のハンドルとして捉えている。
自分の周囲に現象をつくり出す時というのは、言葉の指向性をうけ、言葉によって現象が具現化するという事。
だから、「よく思い、よき言葉を叙べよ、よきことがなる、悪しく考え、悪しき言葉を語るなら物事は悪くなる」ということが、操体の創始者である橋本敬三先生の時代から言われている。
また、「言葉を統制せよ」という教訓も、創始者から師、私達へと受け継がれている。
その為、動診操法を行う上での言葉掛けに関しても、厳しく指導を受ける。
何しろ、からだはこちらの言葉に反応するのだから。
その事を師は熟知されており、からだがより良く反応してくれるような、言葉掛けを伝授して下さる。
だからこそ、言葉の一語一句、言葉を掛けるタイミングにも厳しい。
その分、実際の臨床でも役立つのだから有難い限りである。
操体臨床で、からだがより良く反応してくれ、バランス制御に向かっている時というのは、調和に向けたからだのメッセージがある。
これは、被験者自身も感じているであろうが、被験者の動きをサポートしているこちらにも感じられる事である。
それは、調和に向けて「こうして欲しい」と自分の表在意識に強く訴えてくるものではなく、呼吸と動きの循環の中で自分を超えて、からだにそこへと導かれ、からだからの感覚をとおしてキャッチできるもの、気づかされるもののように感じる。
これは、自分を超えた神聖なからだのことばが言葉に変わり、よき事が成る瞬間でもあるようにも感じられる。
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からだからのメッセージ・・・5
おはようございます。
私達のからだには、この地球で生命が誕生して以来の進化の歴史が、生命記憶として埋め込まれ受け継がれているといわれる。
この事一つとっても、からだというのは凄いと感じる。
高度に発展した文明の中で生きる現代人が忘れてしまっているもの、それはからだへの想いであり、それが物質的には豊かなのだけど、何か不安を抱えやすく、ストレスと手を組みやすい状況をつくっているように思える。
キリスト教では、からだは精霊の宿る神殿だと説かれているという。
聖書の中の有名な一文がある。
主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。
(創世記2章7節)この一文からも、からだは物質的な単なる肉塊ではなく、神から命の息を吹き入れられた霊的な存在であり、その上で私達の存在もあるという捉え方もできると思う。
霊的な存在とは、単なる物質とは異なり、神や天といったものとの交わりを持つことが可能という事であり、メッセージの送受信を行っているのではないだろうか?
そうだとしたら、自分がからだに対して痛めつける様な事をしていたり、言葉を吐いていれば、それが神にも伝わる事となってしまう。
それならば、からだをいたわり、優しい言葉、感謝の言葉をかけてあげる方が良いのではないか。
実際、そうした方が、心は安らぎ、不安やストレスの解消につながると思うし、自分だけでなく、周囲にも良い影響を与えると思う。
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からだからのメッセージ・・・4
おはようございます。
からだは、言葉に反応する。
頭で言葉を理解して、それがからだの反応となるように考えている人もいるだろうが、頭が先ではなく、無意識の内にもからだが先に反応している。
頭で理解できていない言葉にも反応してくれている。
からだは、言語理解というよりも、もっと崇高な理解の仕方をしているのではないかと思える。
人間をはじめ全ての動物のからだには、この地球で生命が誕生して以来の進化の歴史が、生命記憶として埋め込まれ受け継がれていると説く人もいる。
私たちは、胎児として母親の胎内に宿ってから出産までの間に、単細胞生物から多細胞生物、脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と生物の進化の過程を再現しながら産まれてくるのだという。
自分の頭の中には、そうした記憶は残っている感じはしないが、からだにはそうした生命記憶が残っている。
残っているから、生きていられるのだと思う。
地球で生命が誕生したのが30億年くらい前とされているので、その生命記憶とは想像を絶するものであろう。
人工的につくりだされたAIなど足元にも及ばないであろう。
そうしたからだと常に一緒に居られ、必要なサインやメッセージも送ってもらえる。
からだと一緒に存在できているだけで、生きてるだけでも凄い事なのだと感じる。