投稿者: karib_sotai

  • 救いの実相

    おはようございます。

     

    何日か前のブログで、操体の創始者である橋本敬三先生が、NHKラジオ放送に出演した際、言われていた言葉を紹介したが、以下のようなことも言われている。

    だから仏教の経典のなかにね、読ましてもらったんだけど、「観普腎菩薩行法経」ってのがあるんだな。

    それにね、「一切の業障海は、皆妄想より生ず、もし懺悔せんと欲せば、端座して実相を思え、衆罪は霜露の如し、慧日よく消除す」

    だから懺悔の心が起きれば実相をみろっていうの。

    妄想とは、有るものを無いと思い、無いものを有ると思い込む心。

    今の社会を生きていると、「妄想苦」を抱え込みやすいと感じる。

    スマホをはじめ、Webツールが無くては社会生活が成り立たないような社会になっており、小学生でもスマホを持つ時代。

    便利になったことは確かだが、弊害も多い。

    つい先日もニューヨーク市長が、SNSが若者の精神衛生危機を生じさせているとして、運営会社を相手どり訴訟を起こしたというニュースもあった。

    からだそっちのけで、浮世の心の方ばかりが、あっちいったり、こっちいったりでは、妄想を生じさせやすいと思う。

     

    しかし、浮世の心だけで生きているわけではない。

    心とからだの奥底には、此の世を創造した無極無限の太極の意志が貫通している。

    これは、からだの組成を細胞レベルではなく、その元の元を辿っていくと、物質だけでなく、太極の「愛と調和」という意志が有り、無ければ成り立っていないであろう事からも納得できる。
    そして、生きているということは、それらに生かされている事でもある。

    元々救いは成立している。

    浮世は相対的に良い事も嫌な事もあるが、此の世に生まれてきた事と今生かされて生きている事は、絶対的な救いなのだから、そちらに心を向けてみよ、という事なのだと思う。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

     

    2024年春季東京操体フォーラム開催致します。

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  • 畏敬すべき力

    おはようございます。

     

    この宇宙は、137億年前に真空のゆらぎから生まれたという。

    物質も空間も時間も何も無い真空に、ゆらぎが起こったことから生まれた宇宙。

     

    大統一理論によれば、素粒子に働く電磁気力、強い力、弱い力、重力の4つの力は、宇宙が生まれたばかりの頃は、一つの力だったという。

    その一つの力は、とても熱かった宇宙が膨張して冷えていくにつれて、まず重力、次に強い力、そして電磁気力と弱い力に枝分かれしていったと考えられるという。

     

    これは、見方を変えれば、重力が今につながる最初の力として成立したと考えることもできるのでは?と思う。

    だとしたら、この宇宙の創造主の意志に最初に触れ、今も全てのものに影響を与えているように思う。

     

    重力は、全ての素粒子に引力として働くという。

    また、重力は遮られることなく無限遠まで働く為、マクロの世界を支配しているといわれる。

    地球、太陽、銀河系などの天体の運行をつかさどり、巨大な宇宙の構造を作り出しているともいう。

    もの凄い力だと思うし、畏敬すべき力だとも思う。

     

    その凄い力は、私達のからだにも働いている。

    それを私達は、活かせているだろうか?

     

    操体の創始者、橋本敬三先生の直弟子である師は、今新たに重心の適正化を提唱しているが、その効果は計り知れないものがあると思う。

    また、操体は健康学だが、真の健康を考えた時、そうしたスケールとの関わりも考える必要があるのだと思う。

     

    2024年春季東京操体フォーラム開催致します。

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  • 素の元の真

    おはようございます。

     

    宇宙には、物質の元である素粒子を生み出す場とか、素粒子どうしを結びつける力を生み出す場が無数にあるという。

    そうしたミクロだが壮大なスケールの場が、私たちの生活空間やからだの中にもあるのでは、という捉え方。

     

    実際、私達の細胞も細かくみていけば、分子の集まりであり、その分子は原子の結びつきからなり、その原子と原子の間はギュウギュウに詰まっているのではなく、その間には隙間がある。

    その隙間は何もない空間だが、虚無ではなく、何かしらの要因で波が起きてゆらぎ、そのゆらぎによって素の元に成るものや力が生じたり、消えたりしている。

    物事の具現化の元には、このような事が起こっており、そこには素粒子の法則性があるという。

     

    素粒子の法則性で、宇宙や複雑な人間社会の成り立ちさえも、説明できるともいわれる。

    しかし、まだ未発見なものも多く、重力に関しても重力子は未だに見つかっていない。

    だからといって、端から否定するのもおかしい。

    科学で客観的に証明できたものだけが、真実ではない筈。

    重力の素というのは、未だに観測されていないが、あるという事はわかっている事。

    心や言葉も、様々なものに影響を与えているというのも、実感としてわかっている事。

    心の持ち方も含め、みんなを幸福に導けるような思想論理も必要であり、それこそ真実を超越した真理への求めだと思う。

    操体の創始者である橋本敬三先生の「万物全ての元は太極の愛と調和の意志による」からなる思想、哲学には、そうした真理への求めがあると思う。

     

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  • 素の元

    おはようございます。

     

    此の世にある全てのものは、物質的にミクロのミクロまで見ていくと、分子、原子となり、原子も細かくみれば原子核と電子となるという。

    原子核は陽子と中性子から構成され、それらは更に細かな素粒子からなる。

     

    素粒子は、クォークやレプトンといった物質を構成する素粒子と、素粒子間の相互作用に働く素粒子、素粒子の質量となる素粒子があるという。

     

    そうした素粒子は、全く何もない空っぽで静まりかえった空間に、時折何らかの拍子に波が起こり、粒子は生まれるのだという。

    こうした空間は場と呼ばれ、それぞれの粒子は、それぞれ固有の場から生まれているという。

    クォークやレプトンといった、物質の素の場であったり、電磁気力、強い力、弱い力、重力といった相互作用の力の場であったりとか。

    そうした場というのが、宇宙には無数にあるという。

     

    こうした場、何もなく空っぽだが物質と力の素を生む空間というのは、宇宙に無数にあるというだけでなく、私たちの生活空間やからだの中、細胞の内の内にも無数に在るのではないだろうかと思える。

    そして、その生みの空間に波を起こさせ、そこから良い物事をつくり出すには、唯物的捉え方だけでなく、唯心の所現という捉え方も必要だと思う。

    心の持ち方とか、発する言葉というのが重要になってくるのであり、良き事を想わなければ良き事は始まらない。

    良き事を想う。これは自分自身に対する責任でもあると思う。

     

     

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  • 物質を超えて自在するもの

    おはようございます。

     

    いつもの道を歩き、ふと見上げればもう梅の花が咲いていた。

    そして、周りを見渡せば茶系一辺倒だった木々草花の世界も緑が入り、地面の草花にはもう花を咲かせているのもある。

     

    植物の開花には、フロリゲンという花芽を作るスイッチとしてはたらく植物ホルモンが大きく関わっているという。

    葉で日長を計測し、花成に最適な日長が認識されると、フロリゲンがつくられ茎までおくられて、花芽の分化を開始させる。

    生かされし環境での空間の光を認識し、新たな生命を誕生させる為に、重要な役割を担う植物ホルモン。

     

    フロリゲンの正体は、長い間謎だったというが、近年では科学技術の向上と研究者の熱意によって、組成や花芽の分化以外にもはたらく様々な機能やその仕組みまで解ってきて、農業分野での応用の仕方も期待されるという。

    喜ばしい事である。

    しかし、目に見える(観察できる)物質のミクロの内の内を解明し、そこから学ぶ事も大切だが、目に見えないものを意識するのも大切。

     

    目に見える(観察できる)ものは、目に見えないものを元にして、目に見えないものに触れながら、他の目に見えるものとも関わりながら存在を保っている。

    無極無限の太極の「愛と調和」という意志をはじめ、慈悲無量寿、智慧無辺光といった、目には見えないが自在しているであろう、物質を超えた心的エネルギーを想い、意識する事も大事だと思う。

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  • 奥底にあるもの

    おはようございます。

     

    宇宙をはじめ此の世のはじまりは、より根源的に突き詰めていけば、無極無限の無の世界に、太極が「愛と調和」という意志でもって「陰」と「陽」を設定し、物事を具現化できるようにしたことにはじまるという。

     

    この「陰」と「陽」は正反対の性質を持つが、存在する全ては「陰」と「陽」を内在している。

    もちろん私達にも内在しているが、それは単に姿形の構成要因としてだけではなく、何か心の奥底に有難い性質として内在しているのではないかとも思える。

    しかし、関心を向けなければ、宝の持ち腐れとなってしまう。

     

    操体の創始者である橋本敬三先生が、NHKラジオ放送に出演した際、以下の様なことを言われている。

    だから有難いってことがわかってくるといいんだけれども、ま、一番有難いってのは、お母さんだな。

    「慈悲無量寿」だと思う。

    父のほうは、やっぱり天地と同じだと思うけど、これは「智慧」だと思うね。

    だから「智慧無辺光」という言葉があるけどね、慈悲は無量寿、それが二つ揃えば、功徳は無尽蔵ですよ。

    僕はそう思う。

    お母さんの愛ってのは自分の欲得じゃないです。

    だから男は女に敵わないってことだ(笑)。

    慈悲とか智慧とか、普段あまり意識して生活している訳ではないが、誰でも奥底にはそうしたものがあるのではないかと思える。

    しかし、誰だって欲望はあるし、不安もあるし、他人様や社会に不満もあるしで、忙しくて奥の方へ閉じ込められてしまっているように思う。

     

    それでも慈悲はわかるし、慈悲に触れれば誰だって有難いと感じるだろう(表情に表れていなくとも)。

    しかし、慈悲や楽ばかり求めていては成長はなく、いずれ自分で自分を苦しめる事になる。

    だから、気持ちよく生きていく為には、智慧も必要になってくる。

     

    しかし、智慧の方はわかりづらい面や、伝わりづらい面もあると思う。

    よく慈悲と智慧は、子供の躾の例で例えられる。

    智慧は、真理を知り迷いを破る力というが、仮に真理を知っていたとして、それを言葉にしようとしても当てはまる言葉がなかったり、あっても言葉の意味が理解できなければ、それは伝わらない。

    また、いくら正しくとも力で無理強いすれば、反発を生む。

    しかし、優しく相手の身になって幸福を願う様な、そんな慈悲の心が加わることで、頭で理解できなくともからだにヒビキ、心の奥底から納得した理解につながる。

    躾に限らず、何事にもまずは慈悲の心に象徴される様なやさしさは必要だと思う。
    また、物事がスムースにいく時には「陰」から「陽」への流れとなっているという。

     

    2024年春季東京操体フォーラム開催致します。

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  • 無題より

    おはようございます。

    実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。

    どうぞ、よろしくお願いいたします。

     

    今回のリレーブログは、共通テーマを定めずにお送りしています。

    テーマが無ければ自由でやりやすいかというと、そうでもない。

    特に操体の場合は、なんにでも応用が可能で適応範囲がひろい為、ややもすると焦点がしぼりずらいという面もある。

    何かとっかかりとか、きっかけがほしいとも感じるが、どうしたものか。

     

    物事は、何事もきっかけがあって始まり、展開していくという。

    物事のはじまりも、その元の元を辿って、より根源的な物事の始まりを突き詰めていけば、無極無限の無の世界に太極が「愛と調和」という意志でもって、「陰」と「陽」を設定し、物事を具現化できるようにした事にはじまるという。

     

    此の世が出来たきっかけは、無限の愛からであり、それをカタチにするには異質なものどうしの調和が必要。

    そうやって出来てきた存在で成り立っているのだから、皆それぞれ個性があるし、様々な意見もあって当然。

    時には対立する事もあるだろうが、それでも根底には無極無限の愛がある。

    根底にある太極の愛の法則性の究明と、建前ではない本音の快の追求。

    それも操体の学びの、奥の深さや醍醐味だと思う。

     

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  • からだがききわけていることば7

    ことばは「言葉」。

    用いられている漢字が言の「葉」となっている。

    本来の語源や意味からは離れていくかもしれないが、

    ことばにまつわることは「植物的」な営みなのかもしれないなと思う。

     

    普段頭のなかには様々な思考意識があふれている。

    それは言葉になっているものもあれば、言葉になる以前のもやもやした状態のものも含んで実に目まぐるしく動いている。

     

    植物的にイメージするなら、ふとしたきっかけで、頭のなかに言葉の「種」がポロポロとこぼれ、ところどころ言葉の「芽」が伸び始めているような状況が浮かぶ。

    そのままその芽を放置していると、頭のなかが言葉のジャングルになっていく。

     

    頭のなかにある思考意識を発声・発音すれば、自身の周囲にひとつの現象を生みだす。

    頭のなかの言葉の状況が自身の周囲にも投影され始める。

     

    操体の創始者である橋本敬三先生も「言葉(ことば)」の統制について言及されされているが、これは言葉(ことば)のもっている可能性について深く思うところがあったからではないかと感じる。

     

    言葉を統制するというのは、頭のなかに生い茂る言葉を手入れしたり、口にする言葉を選んだりして、言葉を使うことについて気を向けることではないかと思う。

     

    そのひとの中に宿っていることばが変化し、ことばが描く景色が変わっていく。

    からだはそういった変化を空間を介してききわけているのではないだろうか。

     

    一週間ありがとうございました。明日から友松実行委員が登場です。

    どんなテーマに引き継がれるか、おたのしみに。

  • からだがききわけることば6

    今回はからだとことばについてブログをすすめてきましたが、少し視点を変えて、こんなこともことばに通じるのではないかと思うことを挙げてみます。

     

    私たちが「間」と呼んでいるものも、ことばを用いることの延長にあるように感じます。

     

    操体の動診・操法のなかでとても大切にしていることばのなかに「ゆっくり」という問いかけがあります。この問いかけは魔法のような言葉で、からだの動き(うごき)を介助・補助するうえで欠かせないものです。

     

    そして、「ゆっくり」ということばをもってからだに問いかけることによって、ほどよい「間」が生まれていくことにもつながっています。

     

    からだがことばをききわけているように、ことばとことばの間の「間」、またことばのなかに含まれているような「間」、そしてことばを介して生まれる「間」もからだはききわけているように感じます。

     

    操体を学んでいると、ことばを通じて実はからだがききわけている「間」のことについて学習しているのではないかと感じます。

  • からだがききわけることば5

    ことばについての学習は、どんな言葉を選んで使っているのか

    ということ以外にも、波及します。

     

    操体臨床の操法のなかで、ことばを使う。

    その際に、操法を介助、補助している操者の発することばが、

    どんな対象に向けての問いかけなのか、というのも重要になってきます。

     

    通常言葉を用いる際、言葉は「相手」に向って発せられるものだと思います。

    操体では「相手」としている対象が「被験者本人」と「被験者のからだ」の両方を含んでいます。

     

    被験者本人に向けて問いかけた場合と、からだに向けて問いかけた場合とで、

    その結果は変化します。

     

    ことばをどんな風に用いるか。

    その目的が変われば、臨床空間も変化します。

    ことばひとつとってみても、学ぶことは尽きないのを感じます。