これチベタンシンギングボールっていう楽器です。
上に乗せてある木の棒でボールの周りをぐるぐる廻して音を鳴らします。
共鳴すると倍音(バイオン)という高周波が鳴り始める。
この倍音の中には1/fゆらぎの波動があり
リラックス効果があるらしい。僕自身は無心になって鳴らしているととても落ち着くので重宝している。
もっとブレイク(故障)
通勤途中に見つけた看板です。多分 「ここで用をたさないでください。」 と書いてあるのだと思います。 明日はちゃんとしたネタを準備しておきます。
秋穂 一雄

この本達はホテル学校出身のうちの奥様がたまたま持っていたという御縁で読み始めた、橋本先生の三男さん、先生の本の中にも神田駿河台の山の上ホテルに勤めている出来た三男坊として紹介されている橋本保雄さんの著書です。
内容としてはホテルマンのためのHow To本的な要素が多いのであるのですが、随所に橋本敬三先生の姿を彷彿させる哲学が随所にちりばめてある臨床家の方にも読んでみて頂きたい本です。
この中の一つ 喜ばれる「もてなし」の秘訣 という本の中にハイタッチ・サービスという言葉が紹介してあります、これは情感を持つ人間だからこそできる、心の通い合うサービスという意味なのだそうですが、この文章を読んだ時に三浦理事長の治療院での臨床風景が浮かんできました。
僕は橋本先生が亡くなった後に操体を学び始めた人間なので、橋本先生の臨床というのは映像で垣間見ることしか出来ないのですが、理事長の治療室で見せてただいた臨床風景は患者さんのからだの要求を満たすために最善の操法を提供しようとする暖かく、柔らかいけれども、芯の通ったサービスの場であるように感じられました。
操体の臨床はフォーラムの席でも繰り返し説明されているように患者のからだの要求に従って行われるという操者と患者(のからだ)のコミュニケーションが円滑にとることが出来ないと成立しない、まさに高い感受性と人間性が要求される臨床です。橋本敬三先生の息子さんがサービス業のプロフェッショナルであるというのが妙に納得できる気がするのは僕だけでしょうか。
勿論見る人の感じ方によっては橋本敬三像・操体像というのは様々なのかも知れませんが、実際に操体法の創始者橋本敬三医師の近くでその息吹を感じた方々の感じ方に触れるということは橋本先生を知らない世代にはとても貴重な体験です。
春のフォーラムでは、晩年、橋本先生の身の回りのお世話をされてあったというミヨちゃんこと今美代子さんの特別対談も予定されています。私達の知らない橋本先生とのエピソードを聞かせていただけるのではないかと今から待ち遠しい限りです。首を長くして待つことにしましょう。
秋穂 一雄
たにぐち書店から毎年発行されている『手技療法年鑑』2008年度版に、当フォーラムの母体である、操体法東京研究会が掲載紹介されました。
フォーラムの実行委員会はこの講習の出身者を中心に結成されています。
『手技療法年鑑』は、鍼灸指圧、柔道整復の専門学校の紹介をはじめ、各種療法の詳細な紹介と学校、スクール、セミナーの紹介、現在の手技療法の社会的位置づけなどが書かれているものです。
操体法東京研究会は、今年で設立30周年を迎えます。
主宰は当フォーラム理事長でもある、三浦寛(人体構造運動力学研究所)。
なお、ここに掲載されている「操体とは何か」をご紹介するとしましょう。
操体法とは何か
操体法とは、昭和初期に仙台の医師、橋本敬三(1897-1993)がさまざまな民間療法を試すうち、高橋辿雄氏の正体術(整体とは異なる)にめぐり合い、創案・体系づけたもので西洋医学、東洋医学とも異なる、いわば日本医学とでもいうべき未病医学に基づく、診断、臨床法である。
操体法の初期は、正体術と類似する方法がとられ、客観的に骨格、関節の構造を診て、運動系の歪みを正す試みがなされていた。その方法は、骨格、関節の動きを二者択一的に比較対照させて分析し、辛い方から楽な方へからだを操つり、運動系の歪みを正すことによって、疾患、症状の治癒、改善をはかってきた。その後、客観的な見方からはなれ、生体の内部感覚に基づいて、生体のフィードバック機能をより洗練させていくため、快適感覚をより重視するようになった。結果、操者の決めつけを操法から一切排除し、からだの要求感覚に委ねる臨床への対応が急速に進められてきた。また、その一方で、患者の意識を介さず、からだの無意識に直接快適感覚をききわける皮膚体壁系へのアプローチも体系化されてきている。
操体法には、他に類をみない特徴がある。それは、診断も治療も患者自身に委ねていることである。つまり、患者自身が医療者の立場に立つことで、患者本人が診断し、治療する。本来、治療とは施術者が診断し治療する行為である。操体法の場合、施術者と患者の立場が逆転している。操体法は、それゆえ、患者自身の自力自療が成り立つ。
なぜ、自力自療が可能なのかというと、本人にしか分からない(認識、識別できない)感覚を診断、治療の要にしているからである。感覚をからだにききわけること、ききわけた快適感覚を操り味わうこと、これが操体法、臨床の特徴である。「ききわけること、味わうこと」これは、患者本人の責任分担であり、第三者(施術者)が直接介入することのできない診断と治療なのである。操体臨床における第三者の役割は治療に直接介入する立場ではなく、指導及びサポートしていく立場に立つだけである。
原則は”自力自療”
操体法の特徴の1つは治すことまで関与しないこと」である。どういう意味かというと、治すことはからだが一番よく知っているということであり、「治すことはからだにまかせればよい」のである。治すことまで関与するから臨床そのものが、難しいものになってくるのである。
からだが治す、治せる力とは、生命力である。その自然治癒力とはからだにききわけた、快適感覚そのものであり、操体法は、この生命感覚の快に従う臨床医学である。正確には操体法は手技療法とも、治療医学とも言えるものではなく、操体法の創始者である橋本敬三医師の言葉をお借りすれば「未病医学に基づく健康維持増進の医学」と言えるのではないだろうか。
又、操体法の特徴の1つに「症状、疾患にとらわれない」ことが上げられる。操体法には○○疾患、△△病を治す、という発想がないことである。「生活の間違いからおこるからだの歪みを正し、健康のもとをただす」ことが症状、疾患に対する操体法のとらえ方の原点になっている。そのため、からだの診方、症状、疾患のとらえ方が「運動系の歪みという異常状態(病態変化)から構造運動力学的に把握しているのである。
近年の操体法は、筋、骨格系のみならず、内臓筋系の不随意筋への問いかけ、皮膚を介して、からだの無意識に問いかけていくことによって、より質の高い快適感覚の診断が可能となり、あらゆる症状、疾患に幅広く対応できるようになってきていることで、介護や精神科的疾患を対象にする機会も非常に多くなってきている。
日本中で大雪が降っている様ですが、博多では寒いなりに晴れています。
ちなみにこの時期の福岡は玄界灘から吹いてくる北風が情け容赦なく吹きつけてきて、いざ家の外に出ると風が痛い・・・この風の中をオートバイで通勤するのが辛い今日この頃です。
最近の僕の楽しみはコレ
↑自宅のベランダから見た朝日です。
朝、ぼやっと寝ぼけまなこでカーテンを開けるとまばゆい太陽の光が無理やり目を覚まさせてくれます。
朝天気が悪くて朝日を拝めないと、一日が始まった気がしません。
以前畠山常任理事からお借りした(いや、お借りしている)本によると、野生の動物の本能をコントロールするのは、太陽光の変化によるという内容が書かれていました。
光が眼から脳の中に入り込むと、体内のホルモンの分泌をコントロールしている視床下部に作用して、食欲・性欲・睡眠周期・月経周期・体温調節、脂肪の代謝から気分や行動意欲にまで影響をあたえるというのです。これはもう私達の体は太陽に支配されていると言っても過言ではないのかもしれません。
以前、三浦理事長に「仕事をするなら、朝日が登ってから始まって、夕日が沈む頃には終われるからだを使う仕事が良いぞ。」というアドバイスを頂いたことがあった。「自然の流れに沿った生活をしなさい。」ということだったろうと思う。
朝日を眺めながら思う。「そう言えば最近夕日見てない・・・。」
秋穂 一雄
鬼は外〜、福は内〜
ぱらっ、ぱらっ、ぱらっ、ぱらっ、豆の音〜
2月3日節分の今日は全国で大雪が降る本当に寒い一日でしたね。
皆さんは思う存分豆まきましたか?
私の家では今から豆まきをします。
僕が鬼のお面をかぶって「鬼は〜外、福は〜内!」との罵声を浴びつつ、豆をぶつけられます。
家中を逃げ惑いながら毎年頭をよぎる疑問
「何故、鬼はこんなにも豆を怖がるのだろうか?」
いくら思いっきり豆をぶつけられても痛くも痒くもありません。
調べてみるといくつかの理由が出てきました。
1、魔を滅する(魔滅)という洒落。
2、東洋医学の五行(木火土金水)ではそれぞれ
鬼は金、それを弱める火の性質を持つのが豆だから。
3、古来から穀物、果実、豆類は神聖なもので
邪気を祓う働きがある。
待てよ・・・秋のフォーラムで人の食性は穀物・果実食がもっとも適していると三浦理事長がテーマ発表をしていたな〜。節分の豆まきでも操体を学ぶことができるなんて、操体は本当に天然自然の原理原則が纏められているんだな〜。これは春もフォーラムに絶対参加しなきゃ!(強引)
秋穂 一雄
私がまだ小さい頃、映画をいわゆるタイアップメインでなく、良いものを紹介するという形で、地上波放送していました。
水野晴男さんや、淀川長治さんが解説をしてくれて「いや〜本当に映画っていいものですね!」とか「またお会いしましょう、さよならっサヨナラッ」と挨拶していました。
本来良いものは、自然に共感が得られるのではないでしょうか?
例えば、澱むことなく流れる川の美しさの中で、賑やかな川魚の命が育まれるように。
爛々と輝く太陽にヒマワリがその射す方向へ花を向けるように。渡り鳥が風の流れの変化を感じて飛び立つように。ヒトも本能的無意識に理由がはっきりしなくとも、自然の摂理・叡智には逆らえず気付かされるのではないでしょうか?
そう考えますと・・・操体の良さも紹介したい〜ッ!と思うのは私だけではありますまい。(というオチかいっ!)
しつこい私にマジックリン?いやいやそうではなくて・・・、春のフォーラムが待ち遠しいじゃア〜リマセンか?(強引か!)伝説を紐解くチャンス、歴史がそこにあります。さあ!ゴールデンウイークの予定は決まったね。(強引か!)
お付き合い頂きました、今週担当の茅ヶ崎のヒヨッコ龍こと岡村郁生のボツ作!ショクの「職」でお別れしたいと思います。
<臨床家として立つ〜職〜>
早いもので治療することの出来る人間になりたいとサラリーマンを辞めてから十六年になります。
鍼灸マッサージの学校で学びながら、年に二日しか休みのない治療院で按摩を習いつつ働いている時に「万病を治す妙療法」を読み、当時の自分には良くわからないけれどこの考え方には共感できる!とすぐにピンと来たのです。
何にピンと来たのか?思い出してみると、生きている存在を診る、そこに命あるからこそヒトのからだなのだから、自然の一部として診る。橋本敬三先生が、腰が痛いという患者さんに「腰だけが悪いのなら、腰だけ置いてけ!」とおっしゃっていた話とか、全体として診る。というところが、当時習っていた易経・陰陽論・五行論からなる疾患にとらわれず、全体を整えればおのずと回復するという鍼灸の世界観、東洋哲学と合致したのでしょう。
三浦寛先生が柔道整復学生時代に、鍼灸側の授業をする先生なのに橋本敬三先生にお会いして、「なんだか面白い先生だなァ」と思って、許可を取った上で授業を聞かせていただいて、ご縁が出来たというエピソードがあります。
このお話を聞いたときに、「なぜ自分は生まれてきたのか?」という問いが隠れているような気がするのです。
その疑問には、どういった理由でこの親のもと生まれてきたのか?それは「生まれる前に自分自身の意思でしっかりと考え選ばせて頂いて生まれてくるのだよ。」と教えてもらいました。でもこの真実に気付くのは先のお話。
私は鍼灸マッサージ学校を卒業後、柔道整復の学校に通いながら整形外科、中国漢方鍼灸内科、治療院と研修を積み、満を持して開業したのです。
それがどうだったかと言えば、精一杯自分自身を信じてやり通すという私の信念のあまり、患者さんには好評なものの一日が終わった後にグッタリクタクタ・・・。腰は慢性的にズンズン、肘は鈍痛でジンジン、足はパンパン、オシッコチョロチョロ(これは冗談ですゥ)神経痛の為、休日は日課のように治療院通い。
亀の様に歩みの遅い私でも、さすがに気付きました。私は臨床家として生きて行きたい!でも患者さんの満足と引き換えにこの生活をしていたら、死んでしまうかもしれない・・と。
その時ふと、医道の日本誌をパラパラと見ている時に三浦寛先生の操体講習会を見つけることになるのです。
操体講習会では、私の学んできた事と、臨床で築いてきたこと、考えて悩んでいたことに対して、正しかったことや誤っていたことに、一つ一つ気付くことが出来ました。”生きていくこと”に、納得することが出来るのです。「ありがたく生かされているんだ」と。
自己管理できること。自分に責任を持つこと。知るべきことを知ること。生きていくための最低限の義務を果たすこと。(息・食・動・想・環境という操体の哲学)
それを伝えていくこと。患者さんにも知っていただくこと。一緒に学んでいくことが出来れば・・・と。
ちなみにそれ以来、忙しかろうと、体のどこかが痛かろうと焦らなくて済むようになったのです。
これは臨床家として必要不可欠だと思うんですネ。その方法は、操体の中にしっかりと流れている橋本敬三先生の哲学思想を汲み取り、その範囲内で遊ばせていただける自由。
「百点満点でなくても良い、六十点取れていれば良いのだヨ」
「操体法がエラいんじゃない、自然の法則が大事なんだ」
というところに救われているんですね。
いや〜こんな長文ブログに書くなァ〜!!(でもお付き合い頂きまして、ありがとうございますゥ〜)というお叱りの、声が〜聞こえてくるよ〜。(グワッ・ゲゲゲゲ・グワッ?蛙の声)
では来週担当の博多の秋穂さん!バト〜ンタッチ!!
岡村 郁生
思い出して!十年前を。(人によってはウン十年かも?)あなただって輝く瞳の奥で、燃え盛るような眼で誰かを熱く見つめていたじゃない!思い出してほしいの!あの頃を。(きみまろさん風)
というわけで、ヒヨッコ龍(が如く)岡村郁生です。続きがありましたので・・・ジャジャ〜ン!ショクの「色」でパート?です、どうぞお付き合いのほどを。
<見る!その瞳の奥に宿るもの>
私は臨床でよっぽどの事がない限り、その方、つまり患者さん(注:からだの意思・心)を尊敬したいと考えます。
それはなぜかといえば、自分が嫌な人間を診るということに対して、例えお金を頂くのだから・・・という理由を付けるにしても、何か割り切ることが難しいのです。
私と患者さんとの話中やり取りで、よくあることなんですが
「そんなこと誰も言ってくれないわよ」という言葉が聞かれます。
物事を否定することは簡単なことであっても、肯定してあげた上で何かを伝えていく事は意外と難しい事のように思えます。
三浦寛先生の言葉に、「ふと思うことであるけれど、なぜ私達は”自分に感謝する言葉”を口にしないのだろうか、もっと自分自身に、ねぎらいや感謝の言葉をかけるべきでは?」という問いかけがありました。本人の考えていることが全てではないように、自分の意思とは別の段階で、「からだの意思」というものがあるようです。
心裏腹と言いますが、あまり自分の思いを押さえつけたり、からだの意思を無視してしまうのは失礼なのかもしれません。何かがきっかけになり、そんなことに気付いてもらえたりして、
診せて頂いた患者さんと私の、魂の交流が出来れば気分がいいし、とても気持ちが良いのです。
眼に輝きを取り戻してもらうことも、その方の色気につながるのですから、生きていく力としての色気を持って頂きたい!とそう願っています。「愛は、お互いを見つめあうことではなく、ときに同じ方向を見つめることである。」<サンテグジュペリ>
まあその〜時と場合にもよりますがねぇ〜(余計な事を!クッ)
岡村 郁生
御閲覧中の皆様、最近、笑っていますか?
不肖私、綾小路きみまろさんのCDを親から借りて、更に中高年の皆様に愛を与えようとしている?茅ヶ崎の龍(ゲームかぶれ)こと岡村郁生です。
こんな私でもお陰様で開業して十年になりました。(まだまだヒヨッコ龍?)
開業当初も、「人を治療をする」という事に対しての答えが見つからず、治療の芯となるべき何かも見つけられず、ウロウロとさ迷い歩いていた頃に三浦先生に操体を指導していただく機会に恵まれました。
現象として一時的に変化を持たせるだけならば、叩いたって何だって構わないのですが、ただ現象を変化させただけでは自分自身が空しいんですね。その点、操体はただ治療に使うのみならず、何にでも応用が利き、また活かす・生かせるというのが・・・イイのです。その根っこには、橋本敬三先生の哲学思想があり、自然法則の応用貢献によって成り立っているからなのです。そしてヨチヨチ這い回っていた私も立てたのです(本当か?)
「操体は何でも入れることの出来る大きな器のようなものだ」と三浦先生は教えてくれます。(様々な活かし方がある)
私は何か学んでいくと、すぐに天狗さんになってしまうようなタイプなので、学べば学ぶほどに謙虚な気持ちにさせてもらえる。そして柔軟性があって優しい(易しいではない)本当にそれだけでも十分に価値があります。
臨床をしている方は勿論、悩み苦しみを持っている方も、楽しく面白く暮らしている方も、とんがっている方も、丸い方も?とにかく!操体を学んでみてはいかがでしょう?
その入り口は?・・そうです!5月春のフォーラムでお待ちしています。(宣伝じみてしまいましたが、知らないのは勿体ない)
岡村 郁生
ブログがとうとうスタート致しました!
私は今週担当で、実行委員の岡村郁生と申します
操体との出会いは、15年ほど前に「万病を治す妙療法」という本で自己流に学んだのが初めてです。現在は、三浦寛先生の御指導を受けてパワーアップ!ますますお盛んな?37歳3人の子持ち自営業です。東京操体フォーラムのメンバーとして恥ずかしくない様張り切りまっす。(すでに恥ずかしい・・・)
さて今回のお話ですが、実は前回のフォーラムテーマ「ショク」で”色”というとらえ方をした場合、どういった切り口にしたら良いのか?と考え(結局ボツにしましたが・・・)こうして発表させて頂く機会をありがとうございます〜!どうかお付き合いの程、宜しくお願いいたします。
では、始まり始まり〜。
<涙が湧いてきたり、ありのままの自分を写す器官>
当たり前ですが、目に見えるものは自分で見ているわけです。そして正確に言えば、脳で見ているのです。
「見る」ということは、誰でも同じように見ているとつい思いがちですが、感覚器である以上、他人の脳の持っている能力や経験等が「見る」ということを変化させてしまうのです。
ですから視力が良くてモノがよく見えるという事と、モノを見る眼が育っているということは全く意味が違うと思うのです。
話は変わりますが、涙ですね。
涙というのは本当に重要です。
「血も涙もない」という言葉がありますが、「血も唾液もない」「血も鼻水もない」とは言いません、どうしてでしょう?涙というものは、組織つまり眼瞼結膜と眼球結膜を潤すという役目だけにとらわれないのですね。ストレスを抜くとか溜まるという言い方がありますけど、ストレスを抜くのに笑うのも結構ですが、涙を流すことでストレスが抜けるだけでなく、心つまり精神のバランスを保っていける様な気がするのです。
一つに私の場合は、操法を味わう最中にアクビや涙が溢れてきます。気持ちよさがあればあるほど流れてきます。そして、気持ちよさがあっても涙が出てこない時もあります。それは何かが異なっているからでしょう。
何か急に感動してしまい涙が溢れる時もあれば、感情がないのに涙が溢れる時もあります。
からだが何かを捉えたのかもしれません。
以前何かで、涙と一緒にストレスも抜けていきますから、男の人でも泣くのではなく、涙を流すのは良いことなんですよ!と聞いたことがあります。
そんな話をしていたら、何人かの患者さんも「不思議ですね!涙って感情を伴わずに急に流れることもあるんですね」って、結構?体験された方もいらっしゃいました。
そんなことって私もあったワ!という方は私に教えてくださいね。
岡村 郁生
◇社団法人日本操体指導者協会
http://www.sotai.jp/
◇東京操体フォーラム
・東京操体フォーラム
・東京操体フォーラム実行委員ブログ
◇秋穂一雄(あきほ かずお) 福岡県福岡市
・あきほ整骨院/ソラシ堂
・ソラシ堂だより
◇鵜原増満(うはら ますみ) 東京都
東京操体フォーラム実行委員
◇岡村郁生(おかむら いくお) 神奈川県藤沢市
・操体法治療院 操快堂
・60点まであと少し
◇草階文恵(くさかい ふみえ) 神奈川県横浜市
・草階妙健操体研究所
◇小代田綾(こよた あや) 静岡県
東京操体フォーラム実行委員
◇小松広明(こまつ ひろあき) 京都府京都市
・操体法研究所 松濤院
◇今昭宏(こん あきひろ) 宮城県黒川郡
・操体法の今治療室
◇佐伯惟弘(さいき これひろ) 東京都世田谷区 京都府
・操体庵ゆかいや
◇平直行(たいら なおゆき) 千葉県船橋市
・TAIRA Naoyuki & STRAPPLE Official Web Site(大操体法研究所)
・平ブログ 柔術 武術 操体
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・快妙道 いずみ操体研究所
・いずみ操体研究所 * SOTAI INSTITUTE
・いずみ操体研究所
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・からだバランス調整院
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・操体法治療院 愉楽堂
◇西田尚史(にしだ たかし) 神奈川県横浜市
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・TEI-ZAN操体医科学研究所(別院)
・操体法大辞典
・操体法大辞典(第二版)
・操体医科学研究所@書庫
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操体法 導軆力学研究所
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・人体構造運動力学研究所
◇森田珠水(もりた たまみ) 東京都大田区
・操体健康医療研究所/森田珠水鍼灸治療院
・操体生活
◇山野真二(やまの しんじ) 埼玉県
東京操体フォーラム実行委員
◇山本明(やまもと あきら) 大阪府
東京操体フォーラム実行委員
◇巻上公一(まきがみ こういち) 神奈川県
・makigami vocal world