投稿者: karib_sotai

  • 操体庵ゆかいや物語(5)

    こんにちは、佐伯惟弘第五日目のブログです。私の修行も1年経とうとしていました。秋穂一雄さん(東京操体フォーラム理事)が入門し、二人で三浦先生の臨床を見学するのが日課になっていました。そんなある日のこと、、、、

    ■睡魔

    息を殺して静かに玄関のドアを開け、丁寧に靴をそろえ、音を立てないように治療室へ。もうすでに、臨床は始まっていました。秋穂さんがベッドの横で正座をしています。治療室はベッド1台置くと、その周りを大人一人がやっと歩けるくらいのスペースです。私の座る場所は秋穂さんの後ろしかありません。

    臨床の静寂な時空を壊さないように、ゆっくりと座り、目線を正面に見すえました。そこで、私の眼に飛びこんできたのは、秋穂さんの肩の左右差。左だったか右だったか、、、とにかくどちらかの肩が角張って膨隆。

    「あらら、、秋穂さんバイト(自転車の宅急便)で随分疲れてるな〜。」と心のなかでつぶやいていました。

    目線を上にすると、ベッドの上では、30才代で中肉中背の男性が腰掛位の状態。そして、目をつむりこちらを向いています。三浦先生は、患者さんの後ろに回り胸郭に左手で渦状波、右手は肩を抱え込むようにされていました。そのまま全く動かない状態。

    しばらくすると、気だるくなるような睡魔が襲ってきました。たまらず眼を見開き、我慢をするのですが、今回の睡魔は強烈。よくよく見ると、患者さんはもう完全にからだが睡眠状態です。先生も静かに頭(こうべ)を垂れ半睡眠状態、秋穂さんまでも、こっくり、こっくり。まるで、放射状の渦巻きとなった睡魔光線が、治療室を包み込んでいくようです。

    私も、夢と現(うつつ)の境を入ったり来たりし始めていました。この状態になると、時間の経過は定かではありません。

    どのくらい経ったでしょう?ふとベッドに眼を向けると、患者さんが、先生の両膝に脱力しきって横たわっています。先生は、患者さんを両手でしっかりと優しく抱きかかえ、ややうつむきかげん。その光景たるや、慈悲に溢れた動く彫刻。あまりの神々しさに

    「、、、、、こりゃあ〜ミケランジェロピエタだ!!」

    と我を忘れて、その静寂きわまりない「ピエタの聖像」に見入りました。

    <中世イタリア・ルネッサンスを代表する芸術家・ミケランジェロ(1475〜1564)が、24才の時、制作したサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」は彼の代表作の一つ。「ピエタ」はイタリア語で慈悲を意味する言葉。この言葉通り、死骸となり横たわったイエスキリストを、聖母マリアが、慈悲の心で抱き上げ見守っている姿が、痛々しくも神々しい。>

    私は、実物の「ピエタ」は見たことがなく、比較するのはナンセンスなのですが、目の前で展開されている「ピエタの聖像」の方が、はるかに神々しいと思ったのです。なぜならば、それは静止と動きの狭間で、微妙な快(生命感覚)が織りなす調和美であり、慈悲にあふれた生命体そのものだったからです。

    その生命体から発する波動は、見る者をふたたび睡魔の世界へと追いやります。記憶のない時空から覚めたとき、生命体は新たな息づかいをしていました。

    ピエタから一転して、若州一滴文庫(水上勉さん主催)で見た竹人形文楽

    <水上さんは、地元福井県大飯町に、竹人形文楽(竹細工師、岸本一定氏制作)が上演できる日本家屋を建て、ご自身の蔵書2万冊を寄贈。水上文学と竹が生み出す見事な生命観を演出しています>

    もの言わぬ能面のような竹人形は、遣い手と黒子により、うねるような生命を吹き込まれ、時には人間以上の喜怒哀楽を表現します。

    竹人形になりきった患者さんは、遣い手である三浦先生にゆっくりと操られ、時に竹人形が遣い手を操り、見ているはずの秋穂さんと私は、黒子としてその空間を演じていまいした。その場の4人が何かに揺り動かされ、一体となって浮遊している。あるいは、何ものかが天から降りてきて、我々を包み込み浄化されているような感覚に陥りました。

    「一体、なんなんだ!これは?」

    などと思いながらも、どこからともなく訪れてくる睡魔に身を委ね、また、こっくり、こっくり。

    いつのまにか、臨床は終わっていました。

    「いや〜、すごいものを見せていただきました。なんだか、からだが随分軽くなったような気がします。」と秋穂さんがニコニコしながら、軽くなった肩を回しています。

    私は、思わず眼を疑ってしまいました。あれほど膨隆していた秋穂さんの肩が、左右差がなく穏やかになっているのです。秋穂さんは、見ながらにして快(生命感覚)が織りなす波動をからだで受け止め、それに委ねていたのでしょう。そして、無意識のうちに竹人形文楽の黒子のように自ら演じ、浄化していったのだと思います。

    「あの、、、秋穂さん、実際、、、あのね、、よくなっているよ、、、うん。」

    ここまで言うのが精一杯。

    本物の芸術を鑑賞・体験したあとは、我を忘れ、ただ呆然とするだけのようです。そして、私はいつしか心の中で叫び続けていました。   

               
    操体は、生命体そのものが織りなす芸術なんだ!」

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(4)

    こんにちは、佐伯惟弘です。本日は、ブログ四日目。三軒茶屋に電車で30分のところ、桜上水に安いアパートを見つけ、いよいよ操体修行のはじまり、はじまり!

    ■眼力

    白髪まじりの長髪をオールバックにし、髭をたくわえた三浦先生は、子供のような美しい瞳をした男前。 様々な帽子とジーンズを大胆に着こなすファッション感覚は図抜けています。

    そんな三浦先生の治療所は、これまた異質な空間です。玄関を入ると操体東洋医学関係の本がずらりと並び、橋本敬三先生の写真があります。

    細い通路をすり抜けると、中国人風の老人が赤ん坊を抱きかかえた絵が左の壁一面に居座っています。ほとんど、壁画状態。その前にソファーがあり、へやの中央には木製の火鉢が、鉄瓶とセットで置いてあります。三浦先生は、つねに老人の絵が見える側に火鉢をはさんで座っておられます。

    と、ここまで書くとよくあるような空間に思えます。しかし、ここからが描写しづらいのです、なにせ、様々な品々と本が足の踏み場もないほど、空間を埋め尽くしているのですから。

    そこには、ある一定の規則性があるような、ないような、、、あるとすれば、すべて三浦先生のお気に入りの品々であること。それを秩序立てて置くことは、困難極まりないので適当な場所に置く。すると、いつしかその品が場になじみ始め、そこに無くてはならない物と化していく、、、、すると、必然的に秩序だった雰囲気を醸し出す、、、と言った感じだと思います。

    そういった品々のなかでも異彩を放つ物が二つあります。一つは、黒っぽい光沢を放つ木製のガイコツ。私の推測ですが、これはアフリカ産。おおらかな笑い顔で実物の2倍はある大きな憎めないヤツです。

    三浦先生は、このガイコツにたばこをくわえさせたり、帽子をかぶせたりと、好きなことをして遊んでおられます。しかもコイツ、三浦先生の横に堂々と鎮座しているのです。三浦先生と真面目な会話をすればするほど、ガイコツのひょうきんさが際だち、思わず吹き出しそうになることがあります。
    これは、多分余裕のない患者さんに外部からの刺激を与える演出だと思います。

    二つ目は、直径15cm高さ160cmくらいの円柱のような円錐形をした黄色っぽい物。
    「佐伯、あれ何かわかるか?」
    「うん、、、、、きっと、植物ですね。細長いひょうたんですか?」
    「ブウ〜、、、、違う!」
    「あっ、、、、違いますか、、、そしたら、へちま!、、、じゃないですよね、、、、」

    「佐伯、あれは、クジラのペニス!ワッハッッハ、、」
    「、、、、、、、、、、、、」
    私は思わず、近づき両手で恐る恐る触れていました。

    「ほらっ、先っぽには、ちゃんと穴があいてるだろう!」
    「たしかに、、、、」

    まああ〜みごとな「もの」です。

    初めて、ここを訪れた患者さんは、一瞬、骨董屋の店内に迷い込んだと錯覚し、三浦先生が骨董屋のオヤジさんに見えるはずです。そこで、冷静になる時間が生まれてくると、置いてある専門書に目をやり、

    「やはり、この方は操体の先生なのだ。」

    と胸をなで下ろすというパターンが殆どです。しかし、ゴクたまに専門書に気がつかず帰ってしまわれる方もいらっしゃいます。

    さて、そんな骨董屋風治療所での一コマです。
    私は、「先生の臨床を邪魔にならないよう、見学する。」という修行の場を戴き、週に2〜3日の割で治療所に通っていました。数週間たち、やっと手関節を外旋位、内旋位に決める介助の方法を教わり、その難しさに四苦八苦しておりました。

    三浦先生の治療用ベッドは、骨董部屋の奥の空間にあり、そこが治療室となっています。当時の先生の臨床は、皮膚に快適感覚をききわけさせる渦状波がほとんどでした。薬指を支えにし、軽く中指を硬結の部分に軽く触れ、からだの無意識がつけてくる快適感覚に委ねる操法。この操体による臨床の効果は目を見張るものがありました。

    先生は、渦状波の操法に入ると、一カ所で15分位の時間をかけ同じ体勢をとられます。ただ、操体駆け出しの身である私には、何をやっているのかさっぱり分かりません。

     
    ちょぅどあの日は、先生が私に背を向けてイスに座り、渦状波の体勢に入られました。敏感な左手での操法。左大腿部に硬いマクラを置き、その上に左肘を乗せ、かるく左手中指と薬指を患者さんのからだのどこかに触れておられます。ただ、私は正座位で目線を正面の一点にすえると先生の腰背部。まったく見えません。

     
    見えるのは、先生の背中と、マクラだけ。10分は時間がたったでしょうか?
    私は、ふと先日習った「手関節を外旋位、内旋位に決める介助の方法」を思い出していました。
    「そうだ、先生も見てないことだし、介助の練習をしよう!」
    先生に気付かれないよう、ゆっくりと右手で左手関節を外旋位、内旋位に取り始めました、息を殺して。
    2,3分程たった頃でした。突然、何かが私のオデコ目がけてぶつかって来ました。
    「あれ?どうしたの?何なの?前を向くと、相変わらず先生が同じ姿勢で渦状波の臨床をされています。何かの間違いかもしれない、そうだ、私の錯覚に違いない、、、、きっと、、、でも、そんなことってあるの?
    夢うつつの中、まじまじと先生の背中を見ると、何か足りません、、、目線を床に下ろすと、硬いマクラがころがっていまいた。

    「そうか、マクラが移動したのか。」やはり、私は脳天気。

    いつものように、臨床を終えた先生は、外でたばこを一服。患者さんは、その間、ゆっくりとベッドで休まれています。私はというと、骨董品の一つになったように、部屋のすみで正座。

    起きあがって来られた患者さんを、先生と私が玄関までお送りします。そして、患者さんが角を回って見えなくなるまで、その足取りを確かめるお見送りをします。これは、先生の玄関先での臨床最終チェックなのです。

    いつものパターンで臨床を終えた先生が、おもむろに、、、、

    「佐伯、お前、マクラが飛んできた理由がわかるか?」と、鋭い眼光で問いかけてこられました。

    脳天気の私にも、この一言で全てが分かりました。

    「お前なあ〜、オレの後ろで、手をこうやって、動かしていただろう。うるさくて、仕方がなかった。」
    と、私がしていた右手で左手関節を外旋位、内旋位に取る練習をそのまま再現されました。

    「お前は、患者さんのことを思ったことがあったのか?あの時間と空間は患者さんのためのものだ。それなのに、お前は、自分のことしか考えてなかっただろう!」

    響きわたるその声が、落雷のように聞こえ血の気が引いて行きました。先生には、全てがお見通しだったのです。
    顔面蒼白で、引きつっている私の顔が、面白かったのか、、、、、先生は、

    「もっとも、オレが橋本先生のところにいた時も、先生の後ろにいるのに、先生にはオレの行動が見えていて、オッカナカッタけどな、、、、、」と吹き出し笑いをしながらのやさしいお言葉。卒倒しそうになる私もなんとかこの一言で踏ん張ることができました。

    後日、操体の先輩女性にこの話しをすると、「そうなのよ、先生には特別な眼力があるの。こんなことがあったのよ。ある女性の患者さんが、自分で描いた絵を先生にお見せしたの。その絵は女性が赤ん坊を抱いている絵なの。ところが、先生はその絵の女性のお腹を指さして、『ここにも、子供がいる。』って言ったのよ。」
    と矢継ぎ早にはなしてくれました。

    「実際には、子供なんて描いてないわよ。そうしたら、その女性は突然泣き始めたのよ。どうしてか分かる?、、、、その女性、流産したことがあったの、、、」

    我が師匠、三浦先生は、他人には決して見えないものでも見えてしまう特別の眼力をお持ちなのです。
    触診に関して、「眼で触れろ」と先生はおっしゃいます。このことは、網膜のような感覚の指先、皮膚になることの勧めだと思います。このような意識の連続が長年にわたり積み重なることで、先生のような眼力が生まれくるのだと思います。しかもそれは、臨床を通してしか学び取れないものなのでしょう。
    精進、精進。

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(3)

    こんにちは、佐伯惟弘三日目のブログです。アメリカを離れ、操体を学びに東京・三軒茶屋へと旅だった私。そこに待ち受けていたものは、、、、、、

    ■粋な演出

    突然ですが、私はNHK朝の連続小説「ちりとてちん」(福井・小浜の女子高生が上方落語に出会い、落語家になって行く泣き笑い人生)の大ファンです。

    いずれ「ちりとてちん」のことも書いてみたいのですが、それはさておき、
    このドラマの主人公・和田喜代美は、徒然亭草若の二番弟子・草々という強烈な個性の持ち主と出会い、結婚します。その草々とは、長身でもじゃもじゃ頭の、恐竜のような目をもつド迫力男。

    私の友人に、この草々以上のド迫力男がいるのです。名を堂迫隆久といい、大学卒業後、草刈り十字軍という過酷な山仕事を行う集団に所属。京都の山奥のそのまた山奥の手作りログハウス・八角堂に住んでいました。結局私もこの集団に入り、彼とリーダーと私の三人共同生活が1年ほど続くのですが、、、、

    彼は、ラグビーで鍛えた体力と明晰な頭脳の持ち主。酒を飲むとギョロとした大きな目がすわり、睨みつけたその姿は怒りに満ちた大魔神。その迫力たるや山をも動かす、、、、、と感じる程でした。

    そんな彼も、3年間の山生活を終え、大阪で花博の駐車場で働き、その後、東京のコンピューター関連の会社に就職。今は、三児のパパとなり幸せな家庭を築いています。

    随分、前置きが長くなりましたが、私は彼の家にアメリカから転がり込むことになりました。部屋を走り回る子ども達に、我が子を重ね合わせて見る私の目が、寂しそうに見えたのでしょう。彼は、三軒茶屋近辺の安いアパート情報を、コンピューターから検索し私に渡してくれました。有難いことです。ところが、なかなか簡単には見つかりません。

    そして遂に、まだ住むところが決まらないまま、師匠となる三浦寛先生に会うこととなりました。

    高鳴る胸を押さえながら、慣れない三軒茶屋を彷徨。
    「そういえば、昔の彼女は三軒茶屋にすんでいたなあ〜。」
    方向音痴の私は、相変わらずの脳天気。昔の彼女の家さえ記憶していません。

    そんな私ですが、なぜかフラフラと引き寄せられるように白い建物に近づいていきました。漠然とした確信をもって。
    「あっ〜、、、絶対ここだ!」
    生まれて初めて、たった一度で目的の場所を探し当てることができました。いまだにあの時の不思議な感覚は、よく覚えています。20mほどの通路をコツコツと歩き、一番どんつきに#105の焦げ茶色をしたドア。

    ドアの前には、杉の木の輪切りが置いてあり、黒いマジックで「生命あるものは、、、、、、」と書かれていました。その内容は忘れましたが、木にマジックで文字を書き、しかも玄関の前に堂々と置く事自体、普通ではありません。人の心に何らかの響きを与える芸術の領域です。

    もっと感心したのは、目線よりやや低いドアの中央に、よれよれの名刺が、透明のテープで貼られていることでした。そこには、人体構造運動力学研究所 三浦寛
    これを見た瞬間、何とも言えない安心感と、本物が醸し出す絶対的な自信をうけとることが出来ました。
    「間違いない、この先生は!!」
    アメリカにいるとき、三浦先生からお手紙を戴き、その文面と穏やかで才能のある文字を拝見したとき、100%の確信を得てはいたのですが、この「よれよれ名刺」で120%本物に出会えたことを確認したのでした。

    広大なアメリカの田舎都市からやっとの思いで大都会・東京へ舞い戻り、たどり着いたのが、この小さな「よれよれ名刺」。
    何という演出!
    私は、温かく震えるような満足感に浸っていました。

    ところが、先生はお留守のようで出てこられません。もうこうなったら、1時間でも2時間でも待つという覚悟が出来ていました。しばらくすると、お弟子さんらしき男性を携えた方が、突然私の目の前にあらわれ、ちらっと一瞥。その眼光の鋭いこと。
    「あっ、、、この方だ、三浦先生は!」
    それからは、ヘビににらまれたカエル状態で、ほとんど記憶がありません。たしか、近くのフレンチレストランに行ったような気がしますが、定かではありません。

    次回、お会いできる日を決め、私は三軒茶屋をフラフラ歩き回っていたように思います。突然、尿意をもよおした為、近くにあったキャロットタワーに入り、トイレを探し始めました。3階か4階にエスカレーターで上っていった時、
    「ああっ、佐伯さん!岩下さんは控え室にいるよ。」
    大学時代の友人で、NHK地球大紀行のテーマ曲を作った吉川洋一郎氏が、受付係。てっきり私が、友人の舞踏家・岩下徹氏に会いに来たと思ったらしいのです。私は、ただトイレを探しに来ただけなのに、、、、

    「おおっ〜、吉川君!トイレどこ?」

    何とも、バツの悪い会話。
    私の友人岩下徹は、山海塾という舞踏集団のメンバーで、たまたまキャロットタワーで公演があったらしいのです。彼とも、大学時代は生活を共にし、数多くパフォーマンスをやって来た間柄でした。そんな彼の公演を、東京に来て草々見ることが出来るなんて、、、しかも、全くの偶然に!

    神様は、なかなか粋な演出がお好きなようです。
    何か面白いことが、起こりそうな予感!?

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(2)

    こんにちは、佐伯惟弘二日目のブログです。私がアメリカ、ペンシルベニアから三浦寛先生に電話をしたところから始まります、、、さてどうなることやら?

    ■いざ出陣

    「ブル、ブル、ブル、、、はい。」
    「あっっ、、、、私、佐伯と申しますが、三浦先生は、いらっしゃいますでしょうか?」
    「私が、三浦ですが。」

    受付嬢が電話の窓口にいると思っていた私は、三浦先生が直接電話を取られるとは、思ってもおらず、、、、、頭が真っ白、、、、なにを喋ったかあまり覚えておりません。

    ただ、三浦先生がおっしゃった「君は、そんなに操体を勉強したいのか?ならば、私のところへ、来なさい!」
    という嬉しいような、怖いようなお言葉だけはしっかりと覚えています。

    「あのう、、、私は、今、アメリカに住んでいるのですが、、、、、」
    と即答を避ける返事をすると、
    「そんなことは、どうでもいい、学びたいなら来なさい。」
    あまりにも強引で、ドスのきいた声に圧倒されっぱなしの私は、漫画作家の梶原一騎と三浦先生をダブらせたイメージで思い浮かべていました。

    「、、、そうしましたら、、、私のアメリカでの荷物を先生の研究所に送ってもよろしいでしょうか?」と、ぶしつけな質問をしてみました。
    「いいよ、今から私の住所をいうから、、、、、、、、東京都世田谷区、、、」
    太子堂ですよね。」

    操体法写真解説集の212ページに記載されている住所を私が読み上げると、
    「君、人の話を良く聞きなさい。」
    と一喝。私のがさつな性格をその一言で見抜かれてしまいました。
    「いいかい?三軒茶屋1−36−3 ルミネ三軒茶屋105。」

    操体法写真解説集が発行された1979年、三浦先生は太子堂黒柳徹子さんが住んでおられた家を治療所にされておられたそうです。そのため、写真解説集には、以前の住所が記載されていたのです。しかし、電話番号だけは、当時の電電公社と何度も交渉し、変更しなかったのだそうです。

    もしあの時、三浦先生が電話番号を変更されていたなら、、、、、きっと、別の人生を歩んでいたことでしょう。
    「電話番号だけは、変えるな!」
    と事あるごとに、三浦先生がおっしゃるその意味を、しみじみ実感しています。

    今でも、操体法写真解説集の212ページには、アメリカのボールペンで書いた「三軒茶屋1−36−3 ルミネ三軒茶屋105」の文字が残っています。

    私の、操体人生はここからスタートしたといっていいでしょう。

    とはいうもの、このドスのきいた声の持ち主の言うことをそのまま信じていいのか?という一抹の不安が頭をよぎったのも事実です。あれだけ自信に満ちた声の持ち主は、本物か、ペテン師のどちらかに違いない、、、

    勝負事に弱い私は、一人では決心できず、フジコさんという女性に相談を持ちかけました。彼女は、クリスチャンサイエンスという心霊主義を取り入れた新興宗教の熱心な信者で、霊能力の持ち主です。橋本敬三先生も「クリスチャンサイエンス」と「生長の家」の教義の素晴らしさは認められています。
    彼女は、祈りで病を癒すことが出来る方で、海外にも呼ばれてお祈りをされていました。

    そんな彼女が、
    「ヒロムさん(私のこと)、飛びこんでみたら?操体は素晴らしい治療法だと思うし、大丈夫よ!」
    と、笑顔で勧めて下さりました。その一言で、心のなかの霧が一気に晴れわたり、東京の三軒茶屋に旅立つ決心ができたのです。

    翌日から荷物を整理し始め、部屋は段ボール箱の山。しかし、やっかいなことが、、、

    1995年、アンダーソンギャラリーで個展を行った時の作品(といっても、原木の輪切り数トン、巨大な流木、錆び付いた鉄のかたまり等)が、元妻の実家に残ったまま、、、、、
    敷地にある小高い丘に、羊の餌であるヘイ(干し草)を貯蔵する納屋があります。その一角を私のアトリエにし、原木の輪切り数トン等を置いていたのです。

    困っていた私に手を差しのばして下さったのが、日本から、家族3人で私の住む街に引っ越してきたマークさん。彼の奥さんは、日本人で男の子が一人います。

    彼の曾じいさん、じいさん、お父さんはプロ野球選手。そのお父さんからは、様々なエピソードを伺いました。彼は、キャッチャーの持病膝痛のため、若くして引退したのですが、高校生に野球を教えました。そのなかに、ニューヨーク・ヤンキーズのスーパースター、レジー・ジャクソンがいたのです!

    27年前の私は、ニューヨークの安アパート住まい。拾ってきた白黒テレビでレジー・ジャクソンの雄姿を見るのが最大の楽しみでありました。彼はミスター・アクトーバー(10月)と呼ばれ、10月に催されるワールドシリーズでは、常に大活躍するのです。彼の力強く美しいスイングを見るだけで心が躍り、幼い頃みた長嶋茂雄とイメージが重なり、、、私はもう夢心地。

    そんなレジー・ジャクソンを教えていた!!全身、、、鳥肌。

    その上、曾じいさんは、第一回のワールドシリーズで3勝投手。にもかかわらず、チームは優勝できなかったことで有名な選手でした。

    インターネットで検索。

    出て来ました!1903年、ピッツバーグ・パイレーツボストン・レッドソックス。3勝5敗でピッツバーグ・パイレーツは世界一逸す。3勝はデイコーン・フィリッペ(Deacon Phillippe)。よくよく調べてみると、祈念すべき第一試合は、あのサイ・ヤングと投げ合い、勝利しているのです!!

    うう〜ん、随分と横道にそれてしまったようです、、、、そう、、そのマークさん。

    彼のトラックで私の作品を運んでくれることになりました。幸い、原木の輪切りはストーブの薪として活用して戴けます。私の気に入った三枚の絵は、それぞれ子ども達に渡すよう元妻に伝え、残りの絵は捨てるつもりでいました。

    ところが、マークさんが買って下さったのです!

    何という優しさでしょう。私は思わずこの国を離れることに躊躇さえ覚えました。このような素晴らしい方々に支えられ、徐々に私の人生をピンチからチャンスに変える事が出来ていったように思います。そして、このような方々のためにも、操体を修得しアメリカに再び戻ることを心に誓ったのでした。

    さあ〜、東京・三軒茶屋にいざ出陣!

    (つづく)
    佐伯 惟弘

  • 操体庵ゆかいや物語(1)

    ブログをご覧になっておられる方、はじめまして。今週から1週間の担当を仰せつかった佐伯惟弘です。どうぞ宜しくお願い致します。

    まずは、簡単な自己紹介から。
    1954年(昭和29年)愛媛県生まれ、血液型A。独身(ばつ1)京都府美山町の茅葺き家を「操体庵ゆかいや」と称し生活している。

    などと、書き始めると少々かたっくるしくなるのでこれくらいにして、、、
    私が三浦寛先生と巡り会い、修行を始めたころの様子を中心に紹介いたします。

    ■アメリカで操体

    時は、2000年の7月4日アメリカ独立記念日。私は妻、子供3人、猫2匹とアメリカへ移住いたしました。妻は日本語ペラペラのアメリカ人。彼女の実家は、ペンシルベニアのステートカレッジという学園都市にありました。彼女の母親は、1万坪もある敷地で小さな二階建ての家に羊、山羊、ニワトリ、犬、猫、セキセイインコたちと悠々自適の一人暮らし。そこへ我々が突然押し掛け、一緒に住むことになったのです。

    妻は、私の弟夫婦と母親が、孫を囲んで三世代楽しく過ごしている愛媛の生活に強い憧れを抱いたようでした。また、半年前に妻の父親が亡くなったこともあり、母親を慰めるためにも一緒に暮らしたいと思ったのでしょう。

    しかし、日本のようなある程度の妥協と、おおいなる思いやりの三世代同居は、アメリカの徹底した個人主義の元では生まれにくいようです。
    母親は、forever toys (www.charleenkinserdesigns.com/)という会社を持つデザイナーで、数々の賞を受賞している芸術家のため、わがまま。
    亡くなった父親は、31アイスクリーム(ピンクと茶色)等のデザインをしたデザイナーでやはり若くして国際的な賞をもらっています。そんな両親をもつ妻は、才能あるフリーライター

    こんな二人が同じ屋根の下で生活するのは、どう考えても無理。二大勢力が火花を散らして行くにしたがい、私の居場所がだんだん無くなっていきました。日本にいる時でさえ、彼女の大きなお尻に敷かれて身動きができない状態(日本語の口ゲンカでさえいつも負けていました)であったのに、水を得た魚のように、活動を始めた彼女はもう怖いもの無し。私はいつしか家を追い出され、気が付けば、モーテルを改築した安アパートに転がり込んでいました。

    皿洗いのバイトをしながら、指圧で生計を立てようと思い、近くの健康センター(center for well-being)で指圧のまねごとを始めました。アメリカでは州ごとに法律が違うため、指圧資格の有無は州政府に任されています。私の住んでいたペンシルベニアでは、必要ありません。そのため、簡単な面接と指圧の施術を面接員にしただけで、即、採用されました。

    なんともまあ、いい加減なものです。採用した健康センターもそうですが、指圧のまねごとで生活しようとした私が、、、

    ただ、身寄りもなくアメリカの広大な土地に放り出された私には、手っ取り早く現金を手にするには、この方法しかなかったのです。

    私はなぜかしら指圧には自信がありました。
    幼い頃から神経性胃炎を患い、夕方になると腹痛を訴えることがしょっちゅう。それを父親が指圧で治してくれました。我が家の生活には、指圧が欠かせないものだったのです。

    父親は、月に1度は「おおとや」という指圧師の施術を受けていました。この「おおとや」さんは、野口整体を修得している達人で、野口晴哉先生とも常に連絡を取られるような間柄だったと聞いています。

    達人の施術を受けていた父親の指圧はなかなかのものでした。うつ伏せになった私の腰背部(腎喩辺り?)に拇指を軽く押すだけで、気持ちよさが頭頂部にまで伝わり、腹痛が治っていきました。どうもそのころから、「気持ちよさでからだが良くなる」ということを体感していたようです。いつの間にか、その感覚をたよりに、父親へ指圧をするのが私の日課になっていました。

    今思うと、アメリカの地で指圧師として生きようとする事は自然な流れだったのかもしれません。しかし、現実は厳しく、全くクライアントが付きません。結局、皿洗いのバイトを続けるしかありませでした。

    私の勤めていたイタリアンレストランは、街でも評判のお店。土日ともなると、お客で溢れかえり、調理場は戦場と化していきます。午後5時から真夜中の2時まで勤務の私は、最も過酷な戦士。「どうせなら、世界一の皿洗いになろう!」と心に決め、効率の良い洗い方、皿の置き方を考えました。

    洗い場は、白いタイル張りの床。真ん中には大きなステンレスの棚があり、洗浄機から取り出した皿を重ね置きます。
    この時、スニーカーを履いて動くとすべって効率が悪く、足にも負担がかかります。そこで、地下足袋を履いてみることにしました。すると、地下足袋のゴムが床にフィットし、滑りません。

    しかも、拇指の付け根を支点にして、まるでフィギャースケートの選手のようにくるっと回転でき、効率よく楽しく、気持ちよく仕事ができます。この動きを修得してからは、自分自身を「忍者」と呼び、また他の従業員からも絶大な信頼を得たのは言うまでもありませんでした。「ヒロ(私の呼び名)は、マイヒーロー」と呼ばれたものです(自惚れ過ぎですネ!)。

    実はこの動き、操体における身体運動の法則(重心安定、重心移動の法則)に則したものです。
    重心を安定させる場合のポイント1つに、足は親指、手は小指という大原則があります。
    また、からだを捻転する場合は、捻転する側の足の拇指の付け根に重心がかかるのが自然の動きです。 

    足の拇指の付け根を支えにして、くるっと回転するのは身体運動の法則(重心安定、重心移動の法則)に則しているばかりでなく、足の拇指の付け根から頭頂部までが回転するコマの中心軸のようになるため、力みのない、バランスのとれた動きが生まれることになります。

    拇指と第二指の間に切れ目を入れた地下足袋は日本人の叡智です。この切れ目により、拇指の動きが自由になり微妙なバランス感覚を感じ取りやすくなります。その結果、身体運動の法則(重心安定、重心移動の法則)を日常生活の中で、実践することが可能になるのです。

    恐るべきは、自然の法則、そして、それを理解していた我々日本人の祖先です。

    しかし、もっと恐ろしいのは、、、、、私。全く操体を勉強してもないのに、柏樹社の写真集(操体法写真解説集)を頼りに、操体施術を数人にやってしまったということ!!元々、脳天気なうえに無神経。操体いや自然法則に対しての冒涜!!

    今、考えただけでも背筋がゾーッとします。そして、施術を受けた人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

    ただ、凄いと思ったのは私のいい加減な操体でも、クライアントにからだの変化が見られ、施術前より少しは良くなったということです。
    そこに、操体の底知れない魅力を感じました。操体を勉強しようと確信したのは、やはりこの事実があったからです。
    早速、操体法写真解説集の212ページに記載されている3カ所の連絡先に、電話をしました。

    まず、宮城教育大学川上研究所、、、、、、つながらない。
    続いて、温古堂診療所今村時雄、、、、、、つながらない。

    えええっ、、、、、、人体構造運動力学研究所三浦寛、、、、一番連絡したくなかったところ。取っつき難くそう!と思いつつも電話をしていました。

    「ブル、ブル、ブル、、、はい。」

    (つづく)

    佐伯 惟弘

  • あなたがすごい

    ときどき患者さんに「操体ってすごいですねー」と
    言われます。
    私は「あなたがすごいんでしょう」といつも答えます。
    これがまた心地いいんです。

    おかげさまで一週間、みなさんお世話さまでした。
    楽しく書かせていただきました。
    書いていて、読者さんのコメントなんかも読めると
    おもしろいなーと思いました。
    でも管理が大変ですよね。

    来週は佐伯さんです。
    楽しみです。

    今昭宏

  • 「プチ鬱の宏ちゃんと首痛の恒さん」6最終回

    なんだか何をやったのか記憶が薄くなってきました。

    確か、宏ちゃんが恒さんに前腕の皮膚の操法をやりました。

    「ふわっと包むように持つんですよ」と私。

    恒さんは前腕をねじってもらって、「気持ちいいですー」とすぐにいいました。
    宏ちゃんは前腕を引っ張ったり押したりひねったりして実験しているようでした。

    「うまいもんだなー、やっぱり天才だなー」と私が笑って言いました。

    「エヘへッ」宏ちゃんが嬉しそうに微笑みました。

    というのはお茶タイムの時に天才の話になっていたのでした。
    人は自分の勇気ある意志で生まれ、何億という精子の中の最強者なんだから天才に決まっているなどという話をしたのでした。天才の原理(これまた私が命名)

    そんなこともあってか宏ちゃんはなかなか上手そうに見えます。

    私は、「どれどれ私にもやってみてー」と、やってみてもらうことにしました。
    はじめてにしては触れかたや動かし方がかなり上手でした。

    後で聞いたら、「家で自己流でよくマッサージなどをやってくれるんですよー」と恒さん。

    やっぱりなー。と思いました。

    そして今度は足からのゆらし操法です。

    宏ちゃんはすごく上手にやってのけます。
    私が教えたことは、頭の方までゆれが伝わるようにすることと、自分も心地よくやること位で、やってもらっていたら眠ってしまいそうでした。

    さて、そして今度は横に寝てもらって背中のコリを押さえる
    練習です。
    三人で交代しながらやりました。
    「押したりずらしたりして寝ている人に聞きながらやるんです。この辺でいいですかー、強さはいいですかー、イイ気持ちがあったら教えてくださいー、イイ感じがなくなってきたら教えてください。と教えてもらうのが天才なんです」

    「はい」

    おしまい

    今昭宏

  • 「プチ鬱の宏ちゃんと首痛の恒さん」5

    ここからお茶タイムです。
    お茶を飲みながらお話をしました。

    「それにしても、二人ともいいからだですよー」
    「少しは凝ったりはしているけども、股関節とか骨盤なんかバッチリいい感じですよ」

    「そうですかー、よかったー!」ニコニコの宏ちゃん。

    「さっきの恒さんの首の動き、覚えていますかー」
    「はい」
    「あれはですねー、こういうことなんです」と
    三軸操体のことを説明する私。

    「この本には前後バランスの図だけしか描いていませんけど、あと二つあるんです。ねじりと側屈の図が。
    ホームページに載せているので、それを読むとわかると思います」

    「簡単に言ってしまうと、動きを前後の組と左右屈の組と左右ねじりの組の3組に分けて、各組から楽な方の動きを合成するんです」

    「楽がひとつで楽。二つで楽々。三つで楽楽楽です。楽楽楽が快ってことです」

    「まぁ、これは気持ちのいい動きにたどりつくための地図みたいなものだと思ってもいいです。地図があると便利ですからねぇ」

    「どうして三軸操体ができたのかというと、三軸修正法という池上六朗さんという人が考案したものがあって、それをヒントにして操体の動きを捉え直してみたんです」

    「私が勝手に三軸操体などと名づけて遊んでいるだけなんですけどね。でもやってみるとおもしろいですよ」

    そして、また少し心のお話です。
    (用紙に丸を描いて心のつもり)
    「いろんなショックな体験をすると、きれいな心に雲がかかってからだにコリができるんす」

    「コリが多いと不快なことに意識が向きやすくなって、こんな風に粗い波を発信することになるんです」
    (曇りからギザギザの線を書く私)

    「するとこの波に見合う不快な現象がなぜか自分に返ってくる(受信する)んですね。だから過去のいろんな出来事は、誰かのせいではなくて原因は自分にあるってことなんです」こだまの原理(また私が命名)

    「自分は何もしていないのに・・・と思うこともあるかも知れないけれども、前世とかそういう長いスパンでみると覚えていないこともあるんです」

    「だから自分を許すとかありがたいなーとか幸せだーと言ってみるように言ったんです」

    「ま、信じる信じないは別にして、死ぬまで誰かを恨んだり憎んだりして生きてゆくより、こんな風に考え直して生きてゆくほうがなんとなく心地いいんじゃないかなーと思うんですよ。簡単だしねぇ」

    「コリをとって考え方と言葉を変えるってことですね」

    「さあ、ほんじゃ少し操法の練習でもしてみますか」

    つづく

    今昭宏

  • 「プチ鬱の宏ちゃんと首痛の恒さん」4

    さて今度は宏ちゃんの番です。
    恒さんと同じように仰向けになりました。

    膝裏は左にコリがあります。
    このあと何をしたのか又少し忘れました。

    確か頭の方に行って肩を触診しました。
    私が両手の親指で左右の肩のコリを調べようとしてスッと押したら、「きもちがいい〜!」と宏ちゃん。

    「これで気持ちがいいですか?」
    「はい」
    「ツボに当ってイタ気持ちいいような感じですか?」
    「はい、とてもイイ感じです」
    「味わっていたいですか」
    「はい」
    「ではイイ気持ちがなくなるまで味わって、なくなったら教えてくださいねー」
    「どこか動かしたいときは動いてもいいですよー」

    じっとしていて動く気配のない宏ちゃん。

    「あまり動きたくはないみたいですねー」
    「では、こうして皮膚をずらしてもらうのはどんな感じですか?」
    もっと良くなればいいなと思い欲張る私。
    「うえー、したー、そとー、うちー」と皮膚をずらしてみました。

    「んんー、じっとしているほうがいい感じですねー」
    「はい、ではここの場所でー、これくらいの強さでいいですか?」
    「はい、とても気持ちがいいです」

    「だんだん気持ちよさはうすれてきてなくなってくると思うので、なくなったら教えてくださいよー、なくならないかもしれないですけど」

    「あと押さえている場所を変えてほしいとか強さを弱くしてほしいとかあったらすぐに教えてくださいねー」
    「はい」

    私は押さえたままからだをもぞもぞ心地よく動かしました。

    2〜3分位経ったでしょうか。
    硬かったコリが一瞬にしてふにゃっと柔らかく感じてきました。
    なので、
    「そろそろ気持ちよさも少なくなってきたんじゃないですか?」
    と聞いてみました。

    「はい、なくなってきましたー」
    やっぱりなー、と思いながら私は静かに手を離しました。

    「どんな感じでした?」

    「いやーすごく気持ちがよかったですー!」

    もう一度さらっと触診してみると、さっきより3センチ程上の所のコリに手が止まりました。
    「ここはどうですか?」

    「そこも気持ちがいいです!」

    ということで、同じようにただ押さえていました。

    「ただ押さえていた」とは言っても機械的に一定の力で押しつづけてコリをほぐそうなどと考えているのではなく、なんとなく手とコリが何かお話をして楽しく遊んでいるみたいな、そんな不思議な感覚の世界が味わえてくるのでおもしろいです。

    手とコリはいったいどんなお話をしているのでしょうね。

    さて、気持ちよさがなくなり、肩をもぞもぞ動かしていた宏ちゃんが急に何を思ったか、ひゅひゅーー、ひゅひゅーーとバンザイを始めました。

    「あれっ、手が挙がるよー、ほら!」
    宏ちゃんが寝て万歳をして大喜びです。

    「ええっ、手、挙がらなかったんですかー?」実は知らなかった私。

    「はい、肩が痛くてこれくらいまでしか上げられなかったんですー」

    「へぇーっ、そうだったんだー、よかったですねぇ」

    「ほら、痛くない!」何度もニコニコバンザイを繰り返して見せるびっくり宏ちゃん。

    こうなったらもう次の操法なんかいらないのだ。

    起きて歩いたり肩を動かしたりしてもらうと、姿勢もスッと良くなっていて、恒さんも嬉しそうでした。

    つづく

    今昭宏

  • 「プチ鬱の宏ちゃんと首痛の恒さん」3

    恒さんの次の操法は前腕の皮膚の操法です。
    仕事でバソコンを長時間使うらしいので、なんとなく手から
    やってみようと思ったのでした。
    前腕をふんわりと持って内側と外側にねじるように皮膚をずらし
    てみたのですが、どっちも気持ちよくないというので、恒さん
    自身に腕をねじってみてもらいました。
    「外から内にー、内から外へー、真ん中から外へー、真ん中から内にー」
    しかし、どれも気持ちよくなくてねじりにくいとのことでした。

    「肩を下げられるのはどうかな?」私はなにげなく前腕を引いて肩を下げてみました。

    「あっ、これ気持ちがいいです」と恒さん。
    「おお、ではここから内と外に動かしてもらうとどっちがイイ感じですか?」私は前腕を引いてからねじってみました。

    「内側にしてもらうとイイですねー」
    「肩とか背中とか動かしたくなったら自由に動かしてもいいですよー」
    恒さんは肩を浮かしたり背中を反らしたりしてみているようでしたが、
    「動かさないでじっとしているのが気持ちがいいですねー」と言いました。

    「しっかり味わってー、気持ちよさがなくなったら教えてください」

    しばらくして「はいなくなりました」恒さんがイイ顔で言いました。
    「はい、一息入れてー」
    私はゆっくりと腕を元に戻し、一息いれました。
    これを二回やりました。

    このあと何をしたのか忘れた〜。
    ま、いいか。

    立って歩いてみてもらうと、肩や首をいろいろと動かして、
    なかなかイイ感じになったとのことでした。

    ここまでの恒さんの操法で、操法の順番をちょっと変えただけで
    気持ちよさが味わえたのが実におもしろかったです。

    さて次回はいよいよ宏ちゃんの操法です。

    つづく

    今昭宏