今週から一週間担当させて頂きます、辻 知喜(つじ ともき)といいます。
最年少の若輩者ゆえ、専門的な事は諸先輩方にお任せして、ゆるく行こうかと思います。
即興で幾つか書いてみようと思いますので、気軽にお付き合い下さい。
さて、本日3月30日は、第五日曜で塾・操体の日。
更に、春のフォーラムの打ち合わせ、草階ねえさんの出版祝いと目白押しです。
何やら楽しい1日になりそうです。
昨日に続いて三浦先生に聞かせて頂いた話をさせて頂きます。
ある日の事、三浦先生は僕にこんな質問をしました。
「子供の頃に一番楽しかった事ってなんだろう。」
「遊びでも何でも良いから。」
「これから先に進む道に、それは大切な事だよ。」
何の意味があるのか、その頃には全然分かりませんでした。
あれから2年ほど過ぎて
少しだけ何かを感じるようになって来ました。
昨日書いたように僕は、人の進む道には道標があるって思います。
良い道も、悪い道もその前に道標が必ずある。
そんな風に、操体を通じて感じるようになってきました。
僕が子供の頃家の周りには山が沢山あってそこを探検するのが
一番好きな遊びで、楽しい時間でした。
何が面白かったんだろう。
小さい頃に行けなかった場所に段々と行けるようになる。
それまで見れなかった景色が見えるようになる。
そんな探検遊びが一番楽しかったんです。
生まれて始めてみる景色、自分の力で手に入れた景色
それは、子供にとっては大きな感動だったのです。
そんな子供の頃の楽しかった事っていまも忘れてない。
子供の頃の楽しさはきっと大人になっても大切なヒントをくれる。
道標になってくれるのでしょう。
考えてみればいまも同じような事を
毎日僕はやってるのかもしれない。
武術と操体を通じて僕は人間の身体を探検している。
勉強のような感じじゃない、まるで探検するような気分で
楽しんでいます。
考えてみれば凄くありがたく楽しい時間を、僕は大人になった
今でも過ごさせて頂いています。
しかもこの探検をすると、武術と操体の宝物が見つかる。
大人になった分小さくなるんじゃなく、大人になった分
子供の頃より大きくなった楽しみを僕は頂いてます。
凄く楽しい日々を僕は過ごしてます。
だから、もっともっと真剣に取り組みたい。
もちろん気楽に楽しみながらです。
僕はそう考えてます。
今週お付き合い頂いた、みなさまありがとうございます。
次回はきっと新しい宝物の話が出来るかな。
お気楽に僕は考えています。
操体は三浦先生から直接マンツーマンで教えて頂きました。
まだまだ、これからも学ぶ事が沢山です。
でもホンの少しだけでも分かって来ると面白いんです。
まだ、いまよりももっと分からなかった時期。
三浦先生に色々とお話を聞かせて頂きました。
マンツーマンで教えて頂くって技術以外にも色んな話を聞かせて頂く機会に恵まれてるって思います。
その頃はあんまり分からなかった事が少しだけでも
理解出来るようになってくると。
あー凄いなって。
三浦先生の凄さを改めて感じたりします。
きっと、ここからが勉強なんでしょうね。
教わって、そこから自分自身で感じて学ぶ。
ここからが学びの始まりなんでしょうね。
まだ何も分からなかった頃に、こんな話をして頂きました。
「話を聞くと、何でも面白いとか楽しいって。」
「いつも言ってるから。」
「まあ大丈夫。」
操体を本当に出来るのか不安な学び始めの時期の事です。
僕は何でもお気楽に楽しむタイプなのです昔から。
その時には全然意味が分からなかったのですが。
最近少しだけ何かを感じます。
まあまだまだもっと深い意味があるのでしょうけど。
気持ちの良さと辛さがあって。
操体は気持ちの良さで身体が元に戻ってゆくと考えます。
気持ちの良さに何かの秘密がある。
これって仕事も人生も同じなのかな。
そんな風に、考えると面白くなってきます。
楽しい事、気持ちの良い事、そこにはきっと成功の道がある。
そんな風に考えると面白いんですよね。
自分が本当に楽しくて、気持ちの良い事を分かってそこに進む。
そんな道に行けば、そこに普通に成功の道があるのかな。
だったら痛みと同じで嫌な事って
そこに行くなって教えてくれてるんだ。
楽しい事も辛い事も道を教えてくれるありがたい道標なんだ。
その道標に沿って行けば良いんだ。
ありがたく道標が示してくれる道、それを進んでいけば良いんだ。
僕はそんな風に思います。
そんな風に思うと何でも面白くて楽しくなって来ました。
操体の道はもっともっとこれから学んで行くレベルですけど。
何となくお気楽に、僕はそう考えて。
そうすると面白いんです。
お陰さまで、毎日楽しく過ごさせて頂いています。
操体は僕に人生で大切な何かを教えてくれてます。
凄く面白いんです。
橋本先生に三浦先生にそして仲間のみんなに感謝です。
操体には、臨床以外の部分で素晴らしい学びがある
それが臨床では、大切なんでしょうね。
技術で何とか出来るなら楽なもんなんでしょう。
技術以外の部分が大切なんでしょうね。
三浦先生の元で学ばせて頂いて僕はそんな事を感じてます。
操体を学ぶと今までと違った感じ方になったりする時がある。
今までよりも、少しだけ敏感になったりする事がある。
普通は通り過ぎるような事を少し感じたりするようになった。
武術も操体も筋肉だけの動きじゃない。
身体の内側の動きを感じないと上手くいかない。
僕はそう感じる。
そうすると手の内と小手先って言葉に何かを感じる。
小手先って一部分しか使わないから力がない。
本当の力だけじゃなくて仕事でも芸事でも
目に見える部分しかやらないって事かな。
そんなんじゃ上手くいかない。
もっと真剣に内側まで見えない部分まで取り組むと
全く別の結果になると思う。
手の内って手を使う時に手の先まで何かの力があるって感じ
僕はそんな風に感じる。
身体全体を上手く使うと手の内が出来る。
目に見える部分以外まで神経を巡らせる事をする。
臨床でも仕事でも芸事でもきっと同じコツがあるのを感じる。
操体でも介助を行う際にただ手で持ってもどうにもならない
自分自身がきちんとした身体の使い方が出来なければ
どうにもならない。
手技を使うのに手だけではどうにもならないって僕は思う。
武術で殴るという事も同じ
ただ手で殴っても痛いだけ、相手を倒すには
手の先にある力も使わなければどうにもならない。
身体の中にある別な力、それは分かってくると当たり前
の事になる。
僕は武術と操体を学んで少しずつ感じて分かりつつある。
患者と一緒に気持ちが良くなる。
それは手の先の力がなければ良く分からないと思う。
次回のフォーラムの実技では介助してる手の先に注目して
ご覧になると面白いと思います。
実行委員はみんな小手先の技術でない手の先の力を持ってますから
手の内に気が付いてから実技を見ると凄く面白いって思います。
身体の中の動きがあるから普通は出来ない事が出来るように
なるような気がします。
それは特別な事でも実はない。
気が付くか付かないかそれだけなんです。
気が付けば当たり前。
気が付かなければ魔法。
それが面白いんです。
武術と操体には魔法のコツがあるんですよ。
それは気が付けば誰にでも出来る魔法なんです。
怪しくない説明出来る魔法。
世の中にはそんなのが実はいっぱいあるんでしょうね。
仕事でもスポーツでも成功してる人はそんな魔法を
使ってるのかな。
そんな風に気が付くと面白いです。
僕は武術でも操体でも、何でも実力はそこそこなのですが。
ツイテルとかご縁に恵まれてるのは自信があるんです。
不思議と良い感じがやってくるんです。
先日とある雑誌で柳生心眼流の先生と対談させて頂きまして。
ツイテル僕は何故かそこの編集者と仲良くなって
不定期に僕の勉強になる先生方と対談させて頂く事になったのです
柳生と言えば伊達藩いまの仙台なんですね。
それで始めから凄く面白く対談させていただきました。
僕は仙台出身で操体も仙台ですから。
対談では面白い話を沢山聞かせていただきました。
昔は手技療法といえば柔術家の事だった。
柳生では人体を家と見る。
だから首がおかしいからといって首は診ない。
家全体の歪みを診る。
首だったら身体全体の歪みを診る。
だから首が悪いのに足を診たりする。
何か操体みたいです。
柳生では整体とは書かないで正体と書く。
これって操体に影響を与えた正体術と関係あるのかな。
凄く面白い共通点があって。
考えてみれば橋本先生は民間から学んだという記録があるから
仙台で昔治療と言えば柳生だったとの事。
きっとどこかに接点があってもおかしくはない。
そう考えると面白いんですね。
凄く面白い話でした。
柳生は武術ですので、身体を治すだけでは足りない
相手に勝つために治療以外の知恵が沢山在るんです。
操体では手は小指、足は親指といった原則があります。
柳生では手と足5本の指それぞれに意味があります。
命を賭けた闘いの知恵は5本の指全てを大切にする必要が
あったのでしょう。
ツイテル僕は対談の後日に行なわれた。
柳生の先生のセミナーに学びに行って
休憩時間に何故か付きっ切りで教えていただきました。
次回のフォーラムではショートプログラムで
武術としての指の考え方
そして操体の現在、過去、未来といったテーマ
に沿ってというか少し飛んで、操体以前武術の時代
をお話させて頂こうかと思っています。
ご興味のある方にご参加頂ければ幸いです。
色んなご縁に恵まれる、僕は近所で子供達に空手を教えています
何となく始まった子供空手教室は沢山の楽しい時間嬉しい時間を
僕にくれます。
もともと普通に自分の練習で通っていたジムが近所にあって
子供の友達やご両親とも仲良くさせていただいてるので。
子供達が一緒に空手をやりたいと言い出しました。
それで、始めは教室でなくジムの空いてる時間に場所を借りて
みんなで遊ぼうかな、そんな感じでした。
ジムの人に尋ねてみると。
調度空手教室を開く為に、先生を探していたそうなのです。
あっという間に僕はそこで空手教室を始める事になり。
いまではお陰さまで沢山の子供達が通ってくれています。
何となく上手くいくのが僕の得意技なのです。
最近の子供達は習い事とかあって結構大変。
月曜日の空手教室でもお疲れの子供もいるのです。
おいまだ週の初めだぞとか思うわけです僕は。
ある日の事、何となくいっぱい疲れた子供が目に付いたので。
思いつきでこんな事をやってみました。
「みんな、何か今日疲れてる子多いな。」
「練習の前に面白い事やろうか。」
こんな言葉に子供って反応するんです。
次に何をやるのか興味津々になってます、
「いいか、練習の前に寝てごらん。」
「疲れたまま練習してもつまんないから。」
「ごろって気持ち良く寝てごらん。」
見学のお母さん達、普通は何をやってるんだろうこの先生は
そう思うのですが、うちはいつもこんな感じなので普通に見てます。
あーまた何か始めるな。
そんな軽いのりで僕のする事を見てます。
「寝るって言っても本当に寝ちゃダメだよ。」
「ごろんって気持ち良く床に寝てね。」
「それで、身体を自由にゆっくり動かしてごらん。」
「きっと気持ちが良い時があるんだ。」
「自由にゆっくりやってごらん。」
「あっ目はつぶろうか。」
「人の真似をしないでね。」
「自分の身体だから自分が一番気持ち良いように。」
「自分で自由にやって良いよ。」
「凄い形になってもいいぞ。」
子供達何となく真剣にやりだすんですよ。
こんな遊びを。
「手はどんな形が気持ち良いかな。」
「足はどうかな、自分でゆっくり動かしてごらん。」
疲れていた空気が段々動き出します。
何となくまったりゆっくりの空気に全体が変わっていきます。
子供達は自由が好きだから自由にさせときます。
2分もするといびきとか聞こえてきました。
(これ本当なんです。)
気持ちの良い場の空気が感じられます。
「みんなじゃあ目を開けてごらん。」
「気持ちが良かった人は手を上げて。」
みんな手を上げてくれます。
子供ってこういう感覚に敏感なんです。
それを妨げる事を大人たちは本当はやってはいけない。
僕は子供達に接してそう感じます。
「良かったな。」
「じゃあ隣の人、周りの人見てごらん。」
「みんな形が違うでしょ。」
「でもみんな気持ち良かったよね。」
「面白いんだよ。」
「みんなが気持ちが良いってみんなが自由にやって良い事。」
「みんなが違ってるんだよ。」
「でもみんな同じなんだ。」
こんな事を僕は小学校の低学年や幼稚園児に言ったりします。
分かったのか分からないのか、見学のお母さん達も
どう感じたのかは関係ないんです。
子供達は言葉じゃ分からないけど何となく
言葉の奥の何かを感じてるのを感じるんです。
僕は言葉で説明はそんなにしないんです。
子供に分かりやすい言葉はあえて使わない時があるんです。
そうやって言葉で説明出来ない何かを感じてもらうんです。
大人よりも敏感な時期に何かを伝えたい。
学校じゃないんですから空手を学ぶって事は
だから学校ではやらない事しか僕は教えないんです。
操体を学ぶとこんな事が面白いなってなってくるんです。
自分が一番楽しんでるかもしれないのです。
僕は人に教えながら凄く色んな事を学ばせていただいてます。
今日はこちらは朝からシトシト雨が降っています。
良い感じの朝です。
昔は雨とか面倒臭いなとか思う人だったのですが。
操体を学んで少し変わってきました。
雨の日も良いなです。
シトシトした感じが良いんですよね。
今くらいの雨は少しだけ残ってる冬に
そろそろお仕舞いだよご苦労さんでした。
何となくそう伝えてるような感じを今朝感じたんです。
そんな日々の変化が面白いんですよね。
面白さや楽しさ気持ち良さって探すんじゃないんですよね。
多分ある事に気が付けば良い。
僕はそんな風に楽しい日々を過ごしてます。
僕は道場で教える事も面白く変わってきてます。
自分が選手だった頃って、痛みや辛さに耐える日々。
耐えるよりも自分から進んでそんな道に行く。
それが練習だったんです。
それも大事な時間、プロだったからそんな事も必要だったのかな。
僕はよくこんな事を話します。
入門してきた人には大体こんな話をするんです。
「朝元気に目が覚めて一日元気に過ごして。」
「夜寝たら一日の疲れがちゃんと取れる。」
「そんな毎日の中に道場がある。」
「そうしたら自然に強くなってるよ。」
「毎日疲れて辛かったら強くならない。」
「そう思わない。」
「だからここでは技も教えてるけど。」
「昔の人の知恵を学ぶんだよ。」
「何千年もかけて創りあげたものを。」
「命がけで創ったものを学ぶ。」
「これが武術だから。」
「しかもいまは命賭けなくても良いんだから。」
「楽しい時代に武術を学べるんだから。」
「楽しさやありがたさをいっぱい感じると面白いよ。」
「武術をきちんとやれば健康になっていくんですよ。」
「その為の知恵が武術にはいっぱいあるから。」
「ただ技だけやってもそれは中途半端。」
「中途半端じゃ強くも健康にもならないから。」
「だから健康になる事もここでは学ぶんですよ。」
「そうすれば毎日面白くなる。」
「その方が楽しいでしょ。」
「強さは健康の上に載るものなんですよ。」
こんな話をしながら僕は武術をそして操体を混ぜながら
生徒達に教えてます。
しかめっ面をして痛みに辛さに耐える。
それも大事、でもそれはホンの一部分だけなんです。
それは、沢山じゃない。
それは、なくても実は大丈夫。
それに僕は気が付き始めたんです。
操体は色んな事を教えてくれるんです。
知ってますか、プロ選手の控え室って笑い声が結構ある。
試合前に笑顔が多い選手って大概勝つんです。
控え室からリングに向かう花道に移る瞬間に
選手の顔つきは変わるんです。
控え室で顔が変わったら早すぎる。
そんな選手は大概勝てない。
みんなはリングの上しか知らない。
だから練習も日常もリングの上を真似する。
それじゃ勝てないし毎日辛い。
だから、僕は道場でこんな話を良くするんです。
面白い日々を、面白き変化を僕は日々味わっています。
今週担当の平 直行(たいら なおゆき)です。
3年程前に三浦先生の元に弟子入りしまして。
1年程マンツーマンで指導して頂きました。
その後も少しずつですが指導を受けて
現在は大操体法研究所として開業しています。
僕は格闘技の道を30年、プロとしては16年のキャリアで
引退、それから不思議なご縁で操体と出会い現在に至っています。
仙台出身の僕は何の根拠もなく、絶対に橋本先生と仙台の町で
すれ違った事があると信じています。
操体の施術をさせて頂きながら
毎日柔術と空手を教えて日々を楽しく過ごさせていただいています。
まだまだ人間を壊す方が得意というフォーラムメンバーの中で
変わったキャラです。
今週は武術と操体を学んでこんな教え方をしてる。
僕の日常を書きたいと思っています。
僕はこんな事を感じてます。
橋本先生の施術をしていた時代の日本人と
平成の日本人では全く別物と考えなければいけない部分
もあるのではないか。
当時の日本人の体格と体力と平成の日本人は別物である。
朝礼で立っていられない小学生とかは昭和の時代は
それだけで病的な小学生でした。
でも平成の時代では普通になりつつあります。
患者さんでも治すのではなく、普通に運動をした方が
良い人もいます。
どこに行っても治らない人が
少し運動をさせたら治った。
僕は結構経験してます。
操法ではなく運動で治る。
昭和の時代ではおかしな事でも平成では普通にあります。
使いすぎでおかしいのではなく
使わない事で症状疾患が起きている。
この時代に僕が武術と操体を一緒にやっている意義が
もしかしたらそこにあるかも。
僕は勝手にそんな風に考えて。
勝手に橋本先生に天から面白い奴がいるなって
思って頂けたらそう考えて
真剣に武術と操体に取り組んでます。
それでは次回は入門した人に僕が良く言う言葉を
書きたいと思います。
今週飽きずにお付き合いいただければ幸いです。
こんにちは、佐伯惟弘です。今日は、私が担当するブログ週間の最終日です。昨日は、10数ページの長編になってしまいましたので、今回は先日の臨床体験を、短めにまとめてみようと思います。
<渦状波>
クライアントは、52才の女性Aさん。昼間は西陣の帯を紡ぎ、夜は皿洗いのアルバイトをしています。小柄でやや小太り。肩胛骨から腰背部にかけてヨロイを付けたように、後彎曲しています。Aさんが、操体を受けるのは今回初めて、指圧等の民間療法も全く受けたことが無いそうです。
過労のための腰痛。左体側を下の側臥位から、仰臥位になるとき、右腰に痛みが走るそうです。仰臥位になると、右胸郭がかなり膨隆し、下肢の左右差は1cm(左の方が長い)。
下肢全体が張り、どこを触っても圧痛点がありそうな様子。案の定、膝裏屈曲部には、数カ所、米粒半分くらいの硬結が横断して点在。腓腹筋を上から下へ触診すると、触れる指すべてに圧痛点を感じるくらいに張りがあります。そのため、逃避反応は極めて顕著。アゴを反らし、右に左に腰を捻転。左足は指を底屈位。
これだけの逃避反応があると、動診から動きの操法へと導くのが、常道だと思うのですが、何故か頚椎の左右圧痛点の渦状波から入りました。
仰臥位のまま、しばらく経過。
「あっ、、光が見える。ブルーとむらさきの、、、、」
「う〜ん、そうですか〜、、、、、、、、また、、、色が見えたら教えて下さい。」
「あっ、明るいみどり、、、赤も、、、横から流れています。今度は、からだの中心から広がっています。」
「ほっ〜、、、いいですねえ〜、、、」
「今度は、からだの中心に向かって流れています。」
しばらく経って、
「今は、黄色から少しずつ白っぽくなってきました。」
「なるほど〜、、、また、、変化があったら教えて下さい。」
「灰色っぽい白になって、真ん中で止まったまんまになりました。」
ある程度、光が見える現象がおさまってきたようです。
Aさんの頚椎から、触れている両手をゆっくりと離しました。今度は、頚椎から最も離れた足元に回り、約10分間、足趾の操法(足指のマッサージ)。
悲鳴を上げている腰からはなるべく遠回しに操法を行うのが原則です。そして、この操法の間に、クライアントのからだのメッセージを感じとることが肝心。
Aさんの左足第4、5指間に圧痛点がありました。
そこで、その圧痛点に再び、渦状波をすることにしました。すると、頚椎の渦状波と同様、Aさんの網膜には鮮やかな色の光が広がり、やがて白っぽくなり穏やかに治まってきました。その間、おおよそ10分。
今度は、渦状波を当てている私の右手の第3,4指はそのままにして、Aさんの右膝に私の左手をあてがい、皮膚の走行感覚のききわけをおこないました。
皮膚を上下、左右にゆっくり動かし、4方向の中で一番感じのよい動きを操法としておこないます。
これは、右手による点の渦状波と左手による面の渦状波を同時におこなう操法を試みたことになります。
すると今度は、光を感ずることはなく、ボ〜〜とするような気持ちの良さを感じるだけとの事でした。
ある程度落ち着いてきたので、再び膝裏屈曲部の触診をしてみました。随分硬結がとれ、下肢全体が軟らかくなっています。ただ左膝裏屈曲部外側に逃避反応をしめす硬結があるため、そこに渦状波をすることにしました。
今度は、黄色と白の光が飛び交い、次第に白っぽい光だけとなりやがて動かなくなっていったそうです。落ち着いたところで、施術終了。
しばらく休み、ゆっくり起きあがって戴こうとすると、Aさんがかつて体験したことのない「立ちくらみ」があるそうです。
もうしばらく休んでもらい、徐々に起きあがって戴きました。
今度は大丈夫です。下肢の左右差もなくなり、随分足が軽くなったとニコニコ顔。
このまま家に帰り、ゆっくりしていただければ良かったのですが、この日は、皿洗いのアルバイトがあるとのことで、急いで帰られました。
ところが、、、、、
翌日、座った状態から立ち上がると、ひどい立ちくらみ。
「クラクラして、びっくりしたわ!」
その翌日、
「ちょっと、良くなったけどまだある〜!」
そのまた翌日、
「だいぶよくなったけど、まだある〜!」
そこで、初診から4日後に再び施術をすることにしました。
整ったはずの下肢の左右差が再び1cmありました。膝裏屈曲部、腓腹筋を触診すると、「前回ほどじゃないけど、痛い!(本人の弁)」という程度の圧痛点が点在しています。
前回と同じ逃避反応も見られます。また、左体側を下の側臥位から、仰臥位になるとき、右腰にまだ少し痛みが走るそうです。
今回は、動診から入り動きの操法をおこなうつもりでしたが、どうしても右胸郭の膨隆が気になり、そこの最大圧痛点に渦状波、右肘内側に面の渦状波をおこなっていました。
「今は、どんな感じですか?」
「なんともありません、、、、」
渦状波の施術から7,8分後にこの返事。
色の光を、多少期待していたのですが、、、全く予想がはずれました。
ただ、圧痛点は消失し、右胸郭の膨隆もかなり治まっていました。
そこで、動診を通すことにしました。
仰臥位両膝1/2屈曲位で両足関節の背屈。
仰臥位両膝1/2屈曲位で両手、両足関節の背屈
仰臥位両膝1/2屈曲位で両足を操者の膝に乗せ、両膝傾倒
仰臥位両膝1/2屈曲位で両膝右傾倒の状態から、つま先を支点にして踵挙上
仰臥位両膝1/2屈曲位で両足先を操者両手で支え、宙に浮いた体勢から傾倒
仰臥位右膝1/2屈曲位で左足関節の底屈および、右膝面の渦状波
Aさんは動きの操法は、初めて。
しかし、力みもなく自然にやれ、快適感覚もききわけられました。納得するまで気持ちよさを味わい、脱力も自然にできました。
その後は、足趾の操法(足指のマッサージ)約10分間。
前回と同じ、左足第4、5指間に渦状波を。
「今は、どんな感じですか?」
「なんともありません、、、、」
最後に頚椎に渦状波。
「今度は、どうでしたか?」
「なんにもありません、、、私、光が見えると思ってたのに、、、、、一回だけ、青っぽい光が見えただけ。
それから、前のときは、最後には、光の中に黒い点が数個飛び回って、、、、こんなこと言ったら、変と思われるから黙っていたけど、、、、」
と前回は良かったのに、今回は全く面白くなかった、と言いたげでした。
そこで、
「あのね〜、Aさん。あまり反応がなくて光が見えなかったのは、かなり、からだのね、、、、バランスがよくなっている証拠なのよ。
そして、初めての施術のあと、ふらついたでしょ?あれはね〜、、、からだが経験したことない施術を受けたわけでしょう〜、、、、驚いて、過剰な反応をしたんだと思うよ。」
と告げました。ただ、あのふらつきは、施術後のアルバイトで、からだを動かし過ぎたのが原因かもしれません。
その後、膝裏屈曲部の硬結をチェック。かなりゆるみ、逃避反応はありません。下肢の左右差もなくなり、腰痛もありません。
この2回で施術は終了。後日、電話で様子を聞いてみましたが、ふらつきも腰痛もないとのことでした。
Aさんのケースは、典型的な渦状波による臨床だと思い記載しました。
(完)
一週間のお付き合いどうも有り難うございました。
来週は、何と!!超人気漫画「グラップラー・バキ」のモデルにもなった、格闘家・平直行さんの登場です。 お楽しみに!!
佐伯 惟弘
こんにちは、佐伯惟弘第六日目のブログです。東京での修行中、一本の電話が、掛かってきました。それは、、、、、、
■出会いは「蔵」
「もしもし、、、河鹿荘の中井です。」
以前、京都・美山町(私の家があるところ)で働いていた宿泊施設の館長から電話。改装した大浴槽の横に、六畳の畳部屋があり、そこで、操体をしないか?というお誘いでした。
有難いお話ですが、お断りしました。操体を勉強していくうちに、私の計画が大幅に変わっていったのです。当初は、一年間で修得し、アメリカで開業するつもりでした。ところが、操体の奥の深さと私の能力を考え会わせたならば、三浦先生のおられる東京で開業するのが一番良い、と思うようになっていました。
それでも、報告がてら「美山での開業」の話を三浦先生にしてみました。すると、「やってみろ。」という意外な返事が戻ってきました。
話は、トントン進んでしまい。いつしか、美山に帰ってしまいました。
ただ、私の家はある家族に貸しているため、転がり込むことはできません。友人の梅棹マヤオさんの蔵(陶芸工房)二階にある物置が生活の場となりました。そこで、たまたま出会ったのがジョアン・ミロの画集でした。
私が、操体を学ぶようになったのは、「ジョアン・ミロの啓示」を受けたからなのですが、この話は長くなるので省略します。とにかく、気になる人の画集が眼の前に、、、、
画集を眺め、読んでいくうちに、文章を書いてみたくなったのです。こんなことは、滅多にありません。私は、もともと文章が苦手で、一日掛けて2〜3枚の手紙しか書けず、元妻からバカにされていました。
そんな折り、東京操体フォーラムから文章依頼がありました。もうこうなったら「渡りに舟」とばかりに、コンピューターの前に座りこんだのです。
その結果できたのが「ジョアン・ミロの記憶」。幸いなことに、この文章がきっかけで、スペイン・マジョルカ島のジョアン・ミロ美術館で二ヶ月のワークショップをすることになったのです。
今回は、第一回東京操体フォーラムの文集に掲載した「ジョアン・ミロの記憶」を手直ししたものを紹介いたします。ただし、かなり長い文章(約10ページ)です。お急ぎの方は、次の機会にどうぞ、、、
「ジョアン・ミロの記憶」
私は20年間美術の仕事に携わりましたが、自立不可能であることをやっと悟り、操体の道を歩み始めました。2年半ほど前のことです。操体を始めて間もない私が操体を語っても数行で文章が終わってしまいます。
そこで、私の敬愛する美術家ジョアン・ミロを知識不足、経験不足、感覚不足にも拘わらず操体的観点から描きだそうという無謀な試みを企ててみようと思います。(橋本敬三先生、ジョアン・ミロ様、私の傲慢さをお許し下さい)
ここで、ジョアン・ミロをご存じない方に、簡単な紹介を致します。
1893年スペインのバルセロナに生まれ、ピカソ、ガウデイ(建築家)と共にスペインを代表する現代美術の巨匠。抽象美術、シュールレアリズムなどの潮流に身を置きながら、ユーモアと生命感溢れる作品をつくり続ける。彼独自の芸術活動を生命形態的形式と称される。1983年没
<はじめに ― ミロとの出会い>
私は、愛媛の片田舎にある神社生まれ。父親が中学校の美術教師であったことから、本棚には画集が数多くある環境で育ちました。小学校6年生になっても、神社の境内が最高の遊び場。日が暮れるまで、近所の友だちと過ごしました。
そこは、鎮守の杜を背にし、境内を小川が流れ様々な小動物が生活する楽園でした。沢ガニ、エビ、ヤゴ、ハンミョウ、石垣からはコケの群生。それらをなめるように見つめるたびに、何ともいえない高揚感が、からだに溢れてきたのを覚えています。
そんな私にとって、雨の日は少々憂鬱でした。仕方なく弟と相撲を取ったり、マンガを描いてみたり、、、、そんな時に、ミロとの出会いがありました。
「大人になっても、こんな子供みたいな絵を描いてええんか、、、楽しそうじゃのう、、、、、」
大人とは、祖父のように難しい祝詞や俳句を読み書きできる人。そう思いこんでいた私にとって、心をすっかり解放し、からだをゆるませてくれる出会いでした。ゆるみっぱなしのからだで、画集をボッーと眺めていたことを覚えています。
幸いにも、ミロが知識人で思想家であることを、少年の眼からは見抜くことが出来なかったようです。ところで、ゆるみっぱなしのからだに一体なにが起こっていたのでしょうか?ミロの画集をめくりながら、当時の私を追体験してゆきたいと思います。
<ミロと動きの操法>
1910年代のミロの絵は、様々な芸術家や絵画運動の影響を受け変貌をとげましたが、全ての絵は風景画、静物画、人物画という具象画の範疇に収まっています。
3次元のものを具象的に2次元の画面に描く場合、自然の摂理を理解しなければ描けません。
具体的にいうと、草原に一本の立ち枯れの樹があるとします。その樹は、空洞化が進み所々に穴が空いています。ところが、根本から新芽が顔をだし、勢いよく伸びておりその生と死の対比に感動。これを2次元の画面に表現しようとします。
その時、描き手は自分の眼の位置を定め、太陽の位置を確認します。太陽と樹と眼の位置を把握した上で、樹とその周りの空間・位置関係を認識していきます。
また、樹があるところまで行き、手で触れその材質感や構造を認識することは、重要なことです。
そして、描き始めますが、太陽の位置は刻々と変化するため、見えた通りに描こうとすると収まりがつきません。そこで、太陽の位置を想定したイメージに従いながら空間を創造する力が必要になるのです。この時、自然の摂理を理解していなければ、空間が出来上がりません。
この時の自然と向き合う姿勢は、操体における、問診、視診、触診そして動診に当たります。自然や人体をあらゆる角度から観察し理解する重要な過程です。
そして、2次元に描く行為が、自然の摂理である連動を基本とする「動きの操法(第一分析、第二分析)」になります。1910年代のミロは、はっぱの葉脈までも克明に描くほど、自然の摂理を理解しようとしました。丁度その頃のミロは、「動きの操法」の真っ只中にいたわけです。
1923年以降のミロは、対象物にこだわらず、生命そのものと向かい合い、描くようになります。いわば、「皮膚に生命感覚を問いかける操法(第三分析=渦状波)」へと移行していったのです。
<ミロと渦状波 1>
「デッサン・コラージュ」(1933)という作品。これは、すすけた黄土色を基調に、女性ともカタツムリともつかない黒い線のドローイングです。
その上に風景画と静物画の絵葉書、幼い二人の女の子の写真、あとは機械の部品のようなものの写真が貼ってあります。
一瞬「何これ?こんなのあり?」既成概念の打破による不安と解放、そして、全く異質な物のぶつかり合いから生まれるめまいのような状態。
この感覚は、私が小学校6年のころ流行っていたテレビ番組・シャボン玉ホリデーで覚えがあります。植木等が番組の進行とは全く関係ない格好で登場した瞬間のユーモアと開放感、これに通じます。(番組では植木が場違いに気付かずしばらく演じ、気付くと絶妙の間合いで、「およびでない?これまた失礼いたしました!」という定番のコント)
これは、渦状波(皮膚に問いかける操体法)における意識飛びの現象に通じると思うのです。意識飛びの現象は、癒されたいというからだの要求が瞬間的な眠り、しびれ感、浮遊感等をつけてきます。
二つの物質(ドローイングと写真)の途轍もない距離を一瞬にしてうめようとする時に生ずる浮遊感。これは、アコヤガイが真珠生成する時、異質(核)を同化しようとする生命力そのもの。その違和感ゆえに生じる「生命力の美」を、ミロはコラージュで表現しようとしたのではないでしょうか?つまり、癒されたいというからだが瞬間的につけてくる快を「生命力の美」として視覚的に表現したのではないかと思うのです。
<ミロと渦状波 2>
「夜と朝の雨に歌うナイチンゲール」(1940)この作品は、灰色のザラザラとした画面に黒、赤、白、青の原色を使った記号のような形が踊るように散りばめられ、楽しくユーモアに溢れています。
第二次世界大戦勃発、ドイツ軍のフランス侵入にともないミロ一家は、戦火をまぬがれるためフランス、スペインを転々としました。ミロがそんな時、ランプの炎の下で夜空を思いめぐらせながら描いた「星座」シリーズのうちの一点です。
ミロはこの作品に関して次のように語っています。
「、、、ランプの油が、尽きようとしているのが眼に見えているのに、なお炎を聖化しようとするものがあるとすれば、それは何なのか、、、、これらの「響き」、、、最上、そして唯一の真の意味における、運命に対抗しうる力をもつように見えた、ひとつの神秘的な要求が生まれたのである。」
ミロは、最も自己を追いやられている時、ある「響き」に導かれ生命力溢れる作品を生みだしたのです。戦場を暗示する灰色を基調に、黒で生命を記号化し描き込み、赤、白、青の原色を彩色することで生命そのものを吹き込んだように感じられます。また。赤を中心としたこれらに原色は黒と必ず隣接して彩色されています。
このことに気付いた時、三浦先生著の「快からのメッセージ」裏表紙に描かれている絵を連想しました。その絵は黒の画用紙に、赤、白、緑のクレヨンで夜空に浮かび上がる魂(もし魂に色と形があるとすれば)のように円形に塗り込まれています。
ある患者さんが渦状波時の「色をみせられる現象」を再現したものです。この現象により歪体化したからだが、快適感覚(快感度が強ければ、より鮮明な色が見えます)を得、からだの正体化を促し疾病が改善されていきます。
ミロは、ランプの炎が消え入りそうな暗闇で、鮮やかな原色をイメージし、運命(戦争)に対抗しうる力を感じ、追い込まれていた自己を癒したのだと思います。実のところ、ランプを前に神秘的な要求として見いだした「響き」は、渦状波における「色をみせられる現象」だったのではないでしょうか。
<ミロと渦状波 3>
「花火3部作 2」(1974)この作品は、オートマチスムという偶発的、無意識的に線や色を描き潜在意識の世界を探る手法。立てかけた画布に、灰色と黒の薄めたペンキを柄杓(ひしゃく)でまき散らし、赤と黄の彩色を二カ所もうしわけ程度にしている作品。ただ偶発的にできた形を楽しんでいるだけに思えます。
「絵画1/5」(1960)これは、霞がかったくもり空のような画布に、黒いシミと色鉛筆によるなぐり描きをしただけの作品。この2点は、ミロの強烈な個性を感じさせる多くの作品とは対照的。ミロの絵画を良く知っている人でも、この2点を見ただけでミロの作品であることを言い当てるのが難しいほど、没個性的です。しかし、肩肘を張っていない分、広がりと生命力が感じられます。
これらの偶発的、無意識的に描かれた作品は、渦状波の「からだが無意識に動く現象」に相当するように思います。この現象は、からだが治癒に向けてつけてくる無意識の動きで、気持ちのよさを満たすことにより、生体のバランス制御、心の調和を促します。
ミロの個性豊かな作品が整然と並んでいるアトリエを想像してみて下さい。几帳面なミロは「たまには、息抜きをした絵を描きたい」と、思ったかもしれません。そんな時、無意識のうちにこのような作品を生みだしていった、と考えても決して不思議ではありません。
<ミロの芸術は生命形態的形式>
1921〜22年に描かれた初期の代表作「農場」について述べてみたいと思います。これは、モントロイグというミロの父親の別荘があるところの農場を描いたものです。
青い空と赤茶けた大地が画面の上下を二つに割り、左にはロバのいる納屋、右にはウサギやニワトリのいる小屋、中央には大きなユーカリの樹。壁のヒビ、トカゲ等の小動物、バケツやジョウロなどの日用品なども全て対等に精緻に描かれています。
この作品はしばらくの間、ある画商の手元にありましたが、全く売れないため画商が小さく分割してばら売りにする事をすすめました。それを聞いたアーネスト・ヘミングウェイが、なけなしの金をはたいて買ったという逸話のある作品です。ミロは次のように言っています。
「ひとつの風景を前にして仕事をするとき、私はまず、その風景に愛情を抱くことから始めます。そうしていると、ゆるやかな理解が芽生えるのです。それは太陽の恵みをうけた大きな色調の豊かさー濃厚な豊かさーへのゆるやかな理解です。風景のなかで、ひとつの葉脈への理解を願うこと、なぜ木や山と同じように美しい葉脈をさげすむことがありましょうか。原始人や日本人を例外として、何人もこれらの素晴らしい事物に興味を示さないのです。人は大きな樹海とか、山塊を探し求めて描いても、小さな花、葉脈、激流の小石がかもし出す妙なる響きを聞きもらしています。」
これらの言葉に秘められたミロの思いを、私なりに描いてみようと思います。このなかで、ミロは原始人と日本人以外は、小さな花、葉脈、激流の小石がかもし出す妙なる響きを聞きもらしていると述べています。
それでは、原始人と百年ほど前の日本人(残念ながら現代日本人とは、言えません)とが聞いていた妙なる響きとは一体何なのでしょう?
それは、原始人におけるアニミズムや八百万の神を信じる神道における自然崇拝や感謝の念を通して感じることのできる「波動」ではないでしょうか。
ミロは日本人の感性で風景を構成している全てのものに思いを馳せ、愛情を抱き、太陽の恵みに感謝したのだと思います。事実、ミロは「モントロイグというところは、私にとって宗教のようなものです。」とまで言い切っています。
そして、1920年以降、冬はパリで夏はモントロイグで過ごすようになります。パリでは最先端の流行を感じとり、モントロイグの自然のなかでは、自己を含むあらゆる生命と向き合う生活を送ったのです。このことは、ミロを理解する上で非常に大切なことだと思います。つまり、モントロイグという宗教のおかげで、大きな美術潮流の真っ只中に身を置いても、ミロの芸術は、揺るぎない変貌をとげることが出来たのです。
モントロイグの自然から受ける波動を自己のからだ(ミロは、手であると言っています)を介して形にしていったのです。そして、「私は自分が植物であるかのように感じます」とまで言っています。
植物は人類発生以前から存在し、人類滅亡後も存在してゆく生命の源ともいえます。つまり、太陽エネルギー、二酸化炭素、水を元に葉緑素で糖と酸素を生成する植物は、地球上唯一の生産者であり、物をとめどなく生産していると勘違いしている人類はじめ、その他の生物は、じつは消費者であるという事実を、ミロは感じとっていたのです。
それゆえ、少々傲慢に聞こえる「自己の植物化」を敢えて宣言し、ミロの芸術は「生命形態的形式」であるという評価を得ることになったのです。
<二人の巨人の共通点>
ここで、話を操体に戻します。橋本敬三先生の思想はあまりにも深遠で私の頭では消化しきれません。そこで先生の著書「生体の歪みを正す(創元社)」の306,307ページより引用いたします。
「波動は(+)(-)という二つの異質なものが存在する事によって、その引き合いや跳ね返しにより、そこに動きの波ができる、これがエネルギーとなるわけです。科学の最高の指導原理と言われる唯物弁証法は、(+)(-)の存在までは認めるが、(+)(-)は誰が決めたかということは言いません。
ところが日本の古事記には、原初に成りませる神の御名は(アメノミナカヌシノカミ)とあります。次に成りませる神の御名は(タカムスビノカミ)(カミムスビノカミ)。
この三柱の神は、御身をかくし給いき。在るというのはわかるのだが、お姿は見えないというのです。あとのお二方の神は別名(アメノヤノボリノカミ)(アメノヤクダリノカミ)とも言い、(+)(-)の神様というわけです。
世界中の神話で、こんなすばらしい神話は比類がありません。、、、、、、、、、、
(アメノミナカヌシノカミ)とは宇宙現象創生の中心理念であって、(+)(-)を設定して、そのムスビーすなわち愛とその法則によって万象を具現したものだと、われわれの祖先はさとったのだと思います。、、、、、、、、、、陰陽波動から生命ある生物まで、どの世界にも神の理念が貫通しておりますから、私どものなかにはもちろん神(自然理念)が生きて働いておるわけであります。理念などというものは脳随細胞の産物だ、物質がすべてのもとだ、と頑張る唯物論者は、一ケタ足りないものだと思うのです。」
学生時代キリスト教によって救われた橋本先生も、どの世界にも神の理念が貫通していることを悟った日本の神道のほうが一ケタ上だとおっしゃっています。丁度これは、ミロが「原始人と日本人だけが小さな花、葉脈。激流の小石がかもし出す妙なる響きをきいている」という件(くだり)にあたるところです。
つまりミロは、からだの中に宿っている神(自然理念)をモントロイグの自然から感じとり、愛をもって、自ら同化しようとしたのです。
スペインのモントロイグと日本の仙台を同時代に生きた二人の巨人。全く交流もなく美術と医学という畑ちがいの世界に身を置きながら、同じ方向を見つめそれぞれの世界で警鐘を鳴らし、今なお人々に影響を与え続けています。
実のところ二人の巨人の影響を間接的ではありますが、まともに食らっているのが私です。この文章を手がけるまでは、ミロが神道的な思想の持ち主だとは知りませんでした。また、橋本先生とミロ(操体とミロの芸術)にこれほど共通点があるとは思ってもいませんでした。
これも小学校六年、ミロ画集との出会いからはじまり、3年前、ニューヨークの画廊で出会ったミロの作品からの啓示で運命を標されたのです。あの瞬間から、私は操体の世界へ身を投じることに決めました。
しかし、これも誰かに導かれた必然性を感じます。そして、慣れない文章と格闘する時間を通してミロ、神道、橋本先生との結びつきを学ぶことができました。これも、実行委員の方々の導き(文章依頼がなければ、決して気付きませんでした)のなかから生まれてきたものです。本当に感謝いたします。
(そして、今回はブログ一週間担当ということで、この文章の手直しをしていますが、この「5年ぶりの再会」にも新たな導きを感じています)
<最高のバランスが快の極地>
ここでもう一度、少年の頃の私がミロの画集を見て、からだがゆるみ心が解放されるような体験をしたことに戻りたいと思います。
これまでは、ミロ個々の作品について解釈をしてきましたが、総合的にミロの絵画を語ると、抽象と具象、必然と偶然、意識と無意識を同一画面に混在させバランス制御を原始感覚にしたがって行い、その結果が作品となると考えられます。
その制作過程で、ミロは原始感覚を研ぎすまし、色と線が発する微妙な波動を感じながらミロ自身が波動を出していきます。植物が太陽に向かって生命を謳歌するように神(自然理念)の導きにゆだねいったのです。その最高のバランスが快の極地でありミロの求めるところだったと思うのです。
また、快という感覚だからこそ少年にも伝わり、50才を間もなく迎えようとしている私(もう53才になりました)のからだにもその記憶が残っていたのでしょう。
最後にポルセールという皮肉屋のインタビューを受けたミロの言葉を紹介して終わることにします。
ポルセール:そうすると、絵を描く際、圧倒的な重要性をもってくるのは、
一つの目的。必然性、、、、、
ミロ:均衡というね。
ポルセール:では、形式対中身、すべて。
ミロ:然り、均衡です。
(つづく)
佐伯 惟弘