投稿者: karib_sotai

  • 立つ

    みなさんは立つというとどんなイメージをお持ちですか?

    辻は立つことが好きである。
    電車に乗るときなども、どんなにすいていても座席に座ることは殆ど無い。
    同行者には、「変わってるね」と言われたりするが、性分である。

    最近は若い人でも平気で座る人が多いし、立っている人でも吊革に頼って足下が不安定なのをよく見掛ける。
    自分の足で立つということができていないように思われる。

    立ち姿というのは大切な文化だと思うのだが。

    今でも学校などで廊下に立たされるというのはあるだろうか。(初めて立たされたのは幼稚園の頃だったな…)
    本屋なども基本的に立ち読みである。
    おかげさまで、立つ事には慣れっこである。
    長時間立ち続ける為には無理の無い姿勢でなければいけない。

    操体ではまず、理に適ったからだの使い方を学ぶ。
    般若身経と呼ばれ、次回のフォーラムのテーマでもある。
    これは、誤解されがちな、単なる健康体操や施術後の運動指導のようなものではなく、操体を学ぶ者にとっては必要不可欠であり、これの理解無しには先へ進めないものである。

    その中の一つ、重心安定の法則をご紹介したいと思う。

    1、両足を腰幅に開く

    2、つま先と踵を平行させる

    3、軽く背筋を伸ばす

    4、正面の一点に目線をすえる

    5、両膝の力を抜いて緩める

    この時大事なのは、手は小指(尺骨側)、足は親趾(脛骨側)を効かせるということである。
    からだの正中に力が集約され、腰を要としたからだの使い方ができるようになる。

    立つというのは止まった状態ではないと思う。
    動きを前提としての働きを持つ基本姿勢である。
    そこに無駄な力みがあってはいけない。
    この力みを抜いてくれるのが親趾であり、腰(の中心)である。
    体重を乗せるのは親趾の付け根(足心)だが、趾自体が使えるともっと活きてくる。

    この秋のフォーラムでは、テーマにある通り、般若身経三昧です。
    臨床の中での般若身経、般若身経から操法へなど、様々な角度から味わえると思います。

    お楽しみに!

    辻知喜

    <補足 2008.08.25>
    重心安定の法則について簡単な説明を。
    理解の進みにより、随時更新します。

    1、両足を腰幅に開く

    まず一つ目、腰を要としたからだの使い方という点で、狭すぎず、広すぎず、腰を基準に真っ直ぐ下ろした位置がこれに当たる。
    足の幅は、重心の位置に関わる大事な要素である。

    2、つま先と踵を平行させる

    つま先の向きは膝の納まりの角度となる。
    ということは、からだの進行方向につま先を向ける必要がある。
    学校などで教わる気をつけの姿勢のような踵をつけた立ち方だと、体重が後ろに掛かり、背中が必要以上に反りやすくなる。
    膝の柔軟性も保ちにくい。
    つま先が平行だと、膝を緩めたときに正中を向いてくるので安定した姿勢となる。

    3、軽く背筋を伸ばす

    背筋が伸びていると、姿勢がいいと思われがちだが、行き過ぎると窮屈になる。
    ゆったりと脊柱の弯曲を保ち頭の重さを支えるようにする。

    4、正面の一点に目線をすえる

    この目線というのは、連動において重要な役割を果たしている。
    からだの外側の動きと内側の動きを繋ぐものである。
    より質の高い動きを求めると内側からの動きが必要となってくるのだが、この時、目線が助けてくれる。

    5、両膝の力を抜いて緩める

    膝を伸ばした状態は不安定である。
    呼吸の際、重心は前後に揺れが生じるが、膝が伸びていると影響を強く受けてしまう。
    親趾の付け根(足心)に体重をのせる為には、この膝の緩みが必要となってくる。

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  • 大地に立つ

    今週担当の辻です。
    二周目行きます。

    さて、高校を卒業して上京して来ましたが、直接この世界に入った訳ではありませんでした。

    高校はHRの前にも授業があり、夏休みなんかも返上で通うとこでした。
    大学に行かないことに決めた辻は異端というか問題児であり、「人生真面目に考えんか」と言われたもんです。(懐かしい…)

    そして、音楽学校に通う訳ですが、そこでもう一人の”師匠”に出会うことになります。

    初めての授業でおそわったのは歩くこと。

    音楽と歩く (インタビュー)

    音楽において、歩くということがいかに大事なことか。
    音楽の基本は歩くこと。きちんと歩けないということはからだに歪みが存在する。
    からだの歪みはリズムの歪みであり、音の歪みにつながる。
    歩けるようになるにはどうしたらいいか。
    からだのバランスを整える必要がある。

    その日から、歩くことを意識する日々が始まった。
    しかし、意識すればするほど歩くことの難しさを実感させられる。
    ひとのからだとはままならないものなのだなと。
    リズムと音に関してはそれなりに評価をして貰っていたようなので、そこそこ歩けていたのだろうが、自分自身では全然しっくりこないのだ。

    からだをつかうということに興味を持ったのは、この時からだったのかも知れない。

    いや、10年経った今でもさっぱりわからないのだが。

    からだをつかうということを極限まで追求しているのではなかろうかと思えるものが操体であり、あるいは武術であったりするのかなと。

    そういえば、操体と武術が似ている?と言われることがあるらしいがどうなのだろう。
    個人的な印象は半々かな。
    似ているような似ていないような。

    現在のイメージでは、
    操体は円の動き(曲線?の動き)
    武術は円に見える直線の動き
    かな?と思ったりする。
    共通するのは、それが柔らかいものであるということ。

    未熟なのでわかってないだけかもしれないが…
    あるいは、本来近いものなのか。

    まあ、あと40年後くらいに少しはわかればいいかなと思っている。

    そうそう、立つということでした。
    なかなか本題に入りそうにないので気を取り直してまた明日、ということで。

    一週間よろしくお願いします。

    辻知喜

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  • お盆の終わりに。

    幼稚園に入った頃。
    自分の名前を書く時間があった。

    僕は、のんびりお婆ちゃんと一緒に過ごした子供時代だったから。
    なんと、この世の中に文字があると言う事を知らなかったのです。

    それで、未開人からの脱却を図った僕(幼稚園入園3日目位)
    は家に帰るとお婆ちゃんにその事を話した。

    その日、幼稚園で自分の名前が書けなかった子供は5人位いたのかな。

    その日のうちに僕は名前をカタカナ、ひらがな、漢字で書けるようになった。

    次の日幼稚園で名前を書く。
    今度は漢字で書いた。

    前の日、名前を書けなかった子供は5人位。
    翌日、漢字で名前を書ける子も5人位。

    僕はいっきにごぼう抜きでランクを上げた、子供の早期教育って
    多分この程度かもなんて事も思うな。

    早く始めて苦労させても。
    抜かれる時期にはきちんと抜かれる。

    それは苦労してるから。
    そこに苦しい教え方や変な義務感があったらその程度。

    僕はお婆ちゃんが大好きだったから。
    お婆ちゃんと楽しく自分の名前を覚えた。

    それは決して辛い勉強の時間じゃなかったな。

    お婆ちゃんがニコニコしながら
    僕に字というものが世の中にある事を教えてくれて。

    一緒に書いてたニコニコ時間。

    だから僕はもっと楽しい時間を過ごしたくて。

    ひらがなから始まってカタカナと漢字も
    その日に覚えたんだろうな。

    賢く学ぶって事は、楽しく学ぶって事でもあるのかな。

    そこにはきっと楽もあるぞって僕は思う。
    楽しく楽に僕は生まれて始めて字をマスターした。

    楽に楽しく学ぶそうすれば同じ事を面白く、早く沢山学んじゃうんだろうな。

    お婆ちゃんと一緒の時間は安心して、凄く楽で楽しい時間だったから。

    今週は調度お盆でした、お婆ちゃん、そしてお母さん、郁ちゃん、そしてご先祖の皆様方。

    お陰さまで、僕は楽しく、面白く、毎日過ごしてます。

    お陰さまで、感謝の気持ちと一緒に少しだけだけど、
    ご先祖様の事を考える時間が出来たりしてます。

    ありがとうを感謝の気持ちをようやく感じる事が
    出来るようになって来ました。

    自分の楽しい事をもっと広げるのに忙しいからお墓参りには行けなかったけど。

    いつの間にか僕は感謝の気持ちを、師匠や仲間の皆さん達から教えていただいてます。

    仏壇はないけど、お萩とビールとクッキーをお供えして手を合わせておきました。

    これでも大分、大人になったんですよ、昔から比べると。

    少しずつが良いんですよね、急に変わるのはすぐに終わってつまらない。

    じっくりと味わいながら楽しく行こうって思います。
    そんな事を、操体っていうのを学びながら一緒に学んでいます。

    今週ブログを担当させて頂いたから、きっとこんな風な想いが出てきたんです。

    このご縁に感謝です。

    楽しく、僕は操体を学ばせて頂いてます。

    来週は期待の若手 辻君です。

    平 直行

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  • スイッチ

    スイッチを入れると電源が入って機械は動く。
    テレビのスイッチを入れてチャンネルを合わせると画面の中に画像が現れる。

    それまではただの箱。

    スイッチを入れなければただの箱。
    テレビの電波はいつでも流れてる。

    テレビのスイッチを押した瞬間に出来る訳じゃない。

    テレビのスイッチが入ってない時にも
    いつでもテレビの電波は流れてる。

    だからテレビを見るって事はテレビのスイッチを入れるって事。

    スイッチに関係なく電波はいつでもどこでもある。

    身体にもスイッチがある。

    気持ちが良いスイッチを押せば
    そのスイッチの電波みたいなのが入ってくるのかな。

    みんな同じ器で身体の造りも同じなのに
    入ってくる電波が違うのはスイッチが違うのかな。

    気持ちが良いスイッチが良いな。

    気持ちが良くないスイッチは身体に良くないんだろうな。

    そのスイッチは息、食、動、想で管理できる。

    全部自分自身でコントロール出来る。
    面白いな。

    最近変な事件が多い。
    武術の師匠がこんな事を教えてくださった。

    「相手がナイフを持ってる犯罪者。」
    「護身術が出来る、技が出来ても危ないですよ。」

    「相手は犯罪者だからスイッチいつでも入ってるんですよ。」
    「技の事考えるだけでスイッチが入ってないと。」

    「相手を目の前にして考えてるとそれで下がったら。」
    「刺されてしまいますよ。」

    「技だけだとかえって危ない事もある。」

    「ゴングで始まる試合と違ったものがあるんですよ。」
    「試合が全部だと考えると危ない目に合う。」

    「本当の危ない目は試合の比じゃないんですよ。」

    「だからスイッチをいつでもすぐに入れる練習をしないと。」
    「武術ってそんなもんなんですよ。」

    全部が、きっと同じ。

    身体にはスイッチがある、健康になるスイッチが入ってると。
    同じ場所にいて風邪をひく人ひかない人。
    身体が強い弱いもあるけど、身体が弱くてもひかない人もきっといる。

    身体にはきっとスイッチがある。

    そのスイッチを押すボタンの一つに
    気持ち良く過ごすっていうのがきっとある。

    操体を学んで僕はそんな事を思う。
    身体のスイッチを押してあげるお手伝いをするのが操体なのかな。
    僕はそんな事を思ったりもする。

    平直行

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  • 所変われば(夏休みの疑問。)

    子供の頃夏休みにはカブトムシとかクワガタとか飼っていた。
    小学生男子の憧れは昆虫なのかな。
    あの黒く光る硬い感じが良いな。

    彼らを手に入れる為には、家から相当遠くまで行く。
    自転車で3時間位かけていくと
    カブトムシやクワガタが取れる場所があった。

    子供の頃の大冒険だ。

    そうやって大冒険の末に手にしたカブトムシとクワガタは同じ場所で飼われたりしてた。

    ある朝見てみるとカブトムシがクワガタにやられてた。

    友達の家でも同じような事件があった。

    昆虫の王様であるカブトムシがクワガタに負ける。

    子供にとっては大事件。

    子供達はクワガタの方が凄いんだ。
    そう思ってなんでカブトムシが王様なのか考え抜く。

    「やっぱり名前がカブトだから兜と同じだから。」
    「王様なんだよ。」
    「形が良いよね、だから王様なんだよ。」

    全く意味不明の解釈は40歳を過ぎてもそのまま。
    ある日の事テレビを見てたら疑問解消。

    カブトムシは森の王様。

    だから広い樹の上ではカブトムシのツノが森の昆虫の中で最強の武器になる。

    さっと近ずいてツノでパッと押せばどんな昆虫も樹の枝からまっさかさま。

    優しい力の示し方で森の最強を維持するカブトムシはやっぱり森の王様だったんだな。

    ところが、これが虫かごの中だと話が変わってくる。

    別に押しても遠くまで行かないから。

    やがて、クワガタの鋏が強力な威力を出してくる。

    森だったら一撃で吹っ飛んでるのに。
    狭い場所では鋏は最強の武器になる。

    何でもそうなのかな、生き物って自分の生きる場所に
    一番良い状態で出来て生まれて来るのかな。

    それが生まれてくるって言う意味なのかな。

    生かされし命。
    それは生まれた場所でありがたく生きる事でもあるのかな。

    便利な物をありがたく受け入れつつも。
    あまり限度を超えない方が良いんだろうな。

    ありがたいっていう気持ちがその時のコツなのかな。

    何でもありがたく出来てる、空気、水、太陽。

    勝手に変えないでも十分ありがたい大切な物。

    そこを大切にありがたく使うのか、自分勝手に散らかすのか。

    身体だって同じように向き合うと間違いないんだろうな。

    多分その他の事も同じなんだろうな。

    平直行

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  • 夏休みその2(自分が小2だった頃のお話。)

    下の子供は小2。
    自分の小2くらいの記憶って飛び飛びだけど結構鮮明にある。
    それで、こんな事を思い出した。

    小学校の夏休みは毎日小学校のプールに行ってたな。
    小2の頃に僕は泳げなかった。

    小2の夏休みは
    プールでばちゃばちゃして遊んでた。
    そろそろ泳げる子とか出てくる時期。

    僕はのんびりとばちゃばちゃして遊んでた。
    もう夏休みも終わりになる頃に、ふと浮かんだ。

    何となく、頭に浮かんできた。

    小学校のプールの浅い部分だったら小2でも楽に頭が出る。

    だから別に怖くもなく、楽しくばちゃばちゃ遊べる。
    あっだったら息が出来る間に立てば、怖くないな。

    小2の僕の頭に、ふと浮かんだアイディア。

    とにかく浮かんでみよう。
    だめでも息が続く間に立てば大丈夫。

    それで、身体をプールで丸めてみる。
    そのまま浮かんでくる。
    おっ良いなって感じる小2。

    簡単に浮かんだのでビックリ。
    それまで恐々と泳ごうとしても。
    ぜんぜんダメだったからビックリ。

    一度浮かべば身体が覚えてくれる。
    怖さもないから、何度でも出来る。

    1回浮いたら楽しくなるから。

    今度は丸まった状態で浮いて、そのまま身体を伸ばしてみる。
    ばっちり成功、そのまま手と足をばちゃばちゃしたら前に進んだ。

    どんどん面白くなって、気がついてから約5分で僕は息が続く間、泳げるようになった。

    まったくの泳げない小2は一応泳げるようになって。

    残りの夏休みで少し息継ぎが出来るようになって僕は泳げるようになった。

    何でもホンの少しのきっかけで全部変わる。

    大概の事はホンの少しだけで全部変わる。
    大概の事を邪魔するのは恐れなのかな。

    僕は小2の次男がいる年齢になって、僕はそんな事を思う。

    余計な力を入れるから溺れてしまう。

    何もしないで良い、力を抜けば勝手に身体は浮くようになってるから。

    まずは、それを理解して身体に覚えこませる。

    そうすればそこから自分で楽しみながら進む事を覚えていけば良い。

    何でも同じなのかな。
    怖さって、凄く何かを押さえつけるのかな。

    楽しくやって構わないって気がつくと面白いように変わるのかな。

    何か面白い事に気がついたような感じ。

    平直行

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  • 夏休み

    夏休みって言う言葉には何か惹かれるものを感じる。

    大人になったいまは、別にそれ程夏休みが沢山ある訳じゃないけど。

    世の中が夏休み気分だと自分も何となく嬉しい。

    不思議だけど、みんなが嬉しい気分だと自分も何となく嬉しい気分を
    おすそ分けしてもらってる気分になる。

    子供の頃の夏休みは今でも覚えてる。
    夏休みは暑くて楽しい、スイカとかカルピスとかの美味しい思い出。

    ラジオ体操に毎日行って、朝に友達とその日の約束をする。
    小学校のプールに行って泳いで。
    友達と遊んで日が暮れたら家でテレビ見てずーっと楽しく過ごす。

    楽しい事がイーッパイの子供の頃の夏休み。
    宿題が溜まっても友達同士で助け合ってやってた夏休み。

    助け合いって良いな。
    5人でやったら5分の1だけやれば、残りは写すだけ。
    僕は勉強よりもこんな事から色んな事を学んだ。

    一緒に目一杯、遊んで、それで夏休みの〆は共犯者気分を味わって。
    僕は勉強や部活では学べない面白い交流タイムを味わった。

    小学生の頃の楽しかった思い出って良いな。

    いつの間にか僕にも小学生の子供が2人。
    子供の夏休みはタイムマシーンに乗れる日。
    一緒に遊ぶ時間は昔と同じ気分で遊んじゃう。

    それは昔に戻るんじゃなく今も楽しめる時間。
    だから、2倍楽しめる時間。

    時間の流れは大切に積み重ねてくと。
    本当に重なるのかな。

    操体とは関係ない話。

    でも僕は時間が積み重なって楽しい気持ちを味わってる時にも

    操体で感じる心地良さを感じる事がある。

    そんな時に操体って良いな、生まれてきて嬉しいな。

    そんな事を思ったりする。

    操体を学んでから僕は色んな嬉しい事に敏感になったような気がする。

    それは、きっと嬉しい事がいっぱいに増えたのと同じ事。

    僕は嬉しい気分の夏を過ごしてます。

    平直行

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  • お気楽なお話 その2

    ずーっと前の事です。
    まだ僕が20代でプロの格闘家として試合を始めて
    まだ僕が若手だった頃の話です。

    プロの練習はミットという練習をします。

    皮の中に布切れを小さく切ったものやスポンジを小さく切ったものを沢山パンパンになるまで詰め込んだ物を
    トレーナーが持って。

    選手がそこにパンチやキックを叩き込む。

    時間は僕のジムは5分1ラウンド。
    それを試合の前には5ラウンド以上やる。

    その他にサンドバックやスパーリング色んな練習をするんです。

    5分と言えば短そうです。

    朝もう少し寝ていたい時の5分なんかあっという間に過ぎてしまいます。

    でもミットの5分は朝の1時間に匹敵するんじゃないのかな。

    真剣に僕は思ったことがあるくらい、ミットの5分は大変な時間です。

    20代の頃のある日僕は気がついた事があるんです。

    その日はたまたまあんまり調子が良くなくて、試合もすぐにはないしジムを休もうかな。

    何て思いながらもジムに行った、そんな日でした。

    ミットを蹴る時に、僕はこんな事を考えたんです。

    悪魔が降りてきたのかな。
    どうせ試合もないし、適当に軽く蹴っちゃおう。

    いつもよりも遥かに力の抜けた蹴りでミットを蹴る僕。
    パスーンって間の抜けた音でもするんだろうな。

    いい加減に蹴った僕の足は。
    スパーンと良い音でミットから離れたんです。

    力が抜けてもやっぱりミットを持ってくれてる人がいるからそれなりには蹴る。

    そうすると面白いんですよね。
    力が抜けた分、身体がバランス良く上手に動いてくれるんですね。
    力が抜けてるから押す力と引く力がバランス良くなってる。

    蹴る時でも何でも力が入り過ぎてると押す力だけで良いのに引く力も一緒に出しちゃう。

    そうすると結局意味が無いんですよね。

    自分で自分にブレーキをかけてるだけ。
    アクセルを踏み込んでブレーキをかけてる。
    それじゃあんまりスピードが出ない。

    そんな蹴り方をしてたんでしょうね、若かった頃には。
    頑張って無駄な力をいっぱい出す。

    その時でも下手な人は頑張って力を出してる感覚しかない。
    だから苦労して無駄なエネルギーを消費してるだけ。

    それではミットに力は行かない。
    行かない力は何処かに消える事は決してない。

    その無駄な力は自分の力んで歪んだ身体のバランスを保つ為に消える。

    そして自分の身体に負担をかけてるだけ。

    汚いフォームは力がない。
    余計な努力してるから反応も鈍い。

    何よりも毎日そんな無駄な事してたら無駄な力がいずれ自分に帰ってくる。

    何度も何度も繰り返した無駄な力は自分の腰や肩やなんかをいずれ痛めてしまう。

    楽に蹴って良いんです、同じ力が蹴りにあれば
    楽に蹴ったほうが良い。

    楽に同じ事が出来れば相手に対して余裕が生まれるから。
    スパーリングなんかも楽しくなる。

    楽だと楽しいんです。
    間違って頑張りすぎて余計な事をしても強くはなれない。

    そんな事に気がついた日でした。
    だから降りてきたのは本当は格闘技の神様なんです。

    ありがとうございます、本当は感謝の日だったんです。

    調子が悪くてもジムに行ったからプレゼントが貰えたんでしょうね。

    格闘技って頑張るのが美学的な部分があるから。
    間違って頑張るのはよくないって思うんです。

    間違ってるのって、勘違いしやすい。
    身体に負担をかけてるのを、ただの辛さを頑張ってるって勘違いしやすい。

    そんな事に少しだけ気がついたのが。
    20代前半の頃で

    ようやく最近少しだけ
    なんであれだけ違ったのか分かるようになってきました。

    だから僕は道場で楽を教える。
    サボるんじゃない楽を、工夫して楽しさに繋がる楽を教える。

    それは気持ちが良いって事と同じ。
    僕はそう思う、人はサボりたいものだから。

    そのくせ楽して良いってあんまり良いって感じないみたい。

    質の高い良い楽は無駄な努力よりずーっと良い。
    無駄な努力の方が多分楽をしてる。

    ただ適当に身体を動かせば良いんだからサボってる事になる。

    変な楽をしてるのが変な頑張り。
    間違った動きで欲張っても力は無駄になるだけ。

    そんな風に僕は最近思う。

    楽って言葉は楽しいと同じだから。
    サボるんじゃない楽があるように感じる。

    楽にして良いよっていうとみんな変な顔になる。
    それで説明すると面白がってくれたりする。

    そんな変化が僕には面白い時間。
    若輩者だからお気楽に楽しみながら、色々と遊びながら考えてます。

    まだ間違っても良い時間は凄い楽しい時間。

    若手だった頃に格上の選手との試合は楽しかったな。
    負けて当たり前の試合の出来る時間はいつまでも続かない。

    やがて試合に勝って上のランクになると。
    取りこぼしは許されなくなってくる。

    大物を食うのは若手の特権。

    そんな時間が懐かしかったりしたな。
    プロでメーンとか張ってた頃僕はそんな事を感じてた。

    取りこぼしの出来ない時間はあんまり僕は好きじゃないな。

    またそんな時間がやって来て嬉しさを感じてる。
    (まあ年齢は若手じゃ全然無いただの若輩者なのですが。)

    失敗できる時間に色んな事を試せる時間って素敵な時間。
    あとでアチャーって思い出すような事はいつまでも出来ない。

    そんな時間は凄く大切な面白い時間。
    その時間は面白い時間。

    僕はそんな素敵な時間を40代になってまた感じてます。
    ありがたい楽しい時間を過ごしてます。

    許される範囲で暴れたいな。

    もちろん本当に暴れるんじゃなく、どんどん無鉄砲に学びたいなですよ。(笑)

    平直行

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  • お気楽なお話

    佐伯さんから続きまして今週ブログ担当の平 直行(たいら なおゆき)です。
    ブログは2順目になります。

    操体との関わりは、三浦先生の元で学ばせて頂いて3年半ほどになります。

    このメンバーの中ではまだまだ若輩者です。
    佐伯さんヒーローじゃなくて、若輩者なんですよ、実は。

    いつも皆さんのブログや、学びの場では、関心しきりで、少し焦りを感じたりもします。

    僕は操体は専業ではなく柔術という格闘技を毎日夜道場で指導しています。
    格闘技イベントのレフェリーをしたり格闘技雑誌に記事を書いたり。
    その合間の空いてる時間に臨床をさせて頂いています。

    この感じでやってると。
    どうしても他の操体専業のメンバーに遅れをとってしまうのかな。
    そんな気分になったりして少し焦る気持ちが偶に顔を出します。

    でもこんな風にも思います。
    お気楽な僕は、すぐにこんな事を思ってにやっとしたりします。

    どうせ、ずーっと操体と向き合うんだから。
    遅れはどうせ取り戻せる。

    どうせ操体だけじゃないなら。
    その時間を他の人が経験出来ない時間にしちゃおー。

    格闘技も同じだな、みんな操体とか知らないんだから上手くミックスすると。

    僕にしか出来ない、良いもの、僕だけのものが出来る。
    その方が面白いな。

    いま他の人が出来ない事をやっておくと面白いな。

    そうやって楽しんで時間が経てば、きっと自分にしかない物が手に入る。
    他の事をやってる時間には、そんな事をお気楽に考えてます。

    お気楽に日々を過ごしています。
    最近お気楽とか、楽が、僕の中で気になる言葉なんです。

    お気楽って気が楽、気が楽しい。
    楽って楽しい、楽を極めれば極楽。

    そんな風に考えてみると、何となく気持ち良さが広がる気がするんです。

    気持ち良さが広がってゆくと、身体が気持ち良さで元に戻っていく。

    お気楽に楽しく日々を過ごしてると、それが広がって僕のところにやって来る。
    そんな事を思いながら、面白き日々を過ごしてます。

    今日はDVDの撮影です。
    お気楽にしてると、良い事がやって来るんです。
    僕はそんな事を操体を通じて学んでます。

    身体だけじゃないんです、気持ち良さを味わって広げてると
    良い事が日常にも来るんだって僕は学んだように思います。

    そんな訳で、若輩者である僕が、操体のDVDを作ります。

    実行委員の先輩方や三浦先生にご迷惑をかけないきちんとしたものを作り。
    若輩者である自分が出来るチャンスに感謝して
    同士の皆様にも感謝して望もうと思ってます。

    発売元は(株)クエストという格闘技専門の会社です。
    多分クエスト初の身体のものになります。
    気楽にお話をしてすぐに決まったお話です。

    お気楽に過ごすと、なんか良い事が、お気楽にやって来るんです。
    ツイテル事がいっぱい、お気楽に、来たりするんです。

    同じような感じで、いま本も書いてます。

    お気楽にDVDと合わせて本を出すと面白いですね。
    こんな感じで言ったらお気楽に話が決まったんです。

    こちらも格闘技、武術関係の出版社。

    お気楽な僕はお気楽に楽しく 良い感じを広げるのが得意技なんです。

    身体を我慢して辛さに耐えて鍛えぬく。
    これが大体の格闘技のイメージ。

    格闘家の大体の常識として
    格闘家で気持ちが良いといった感覚は
    あんまり良いイメージないんです。

    楽をするのは、良くない事。
    これが大体の格闘家の格闘技に対する接し方。

    僕は楽に、楽しくで、良いと思います。
    楽と気持ちが良いは別物じゃないかもしれないな。
    気持ちが良い楽があるように僕は最近思うんです。

    楽と楽しいは同じ字。

    だったら楽しい楽もあるのかな。
    楽を極めると極楽だったら、楽って良い言葉。

    僕はこんな風に考えたりもするんです。

    楽の種類を、間違わなければ大丈夫。

    目的を下げない、レベルを下げない。
    それで楽をするんなら、こんなに良い事はない。

    決してサボるんじゃない楽、作業効率を上げる楽がある。
    楽して同じ事をやれるんなら、その方が良い、そんな風に僕は思うんです。

    試合で勝つには、人と同じ事をやっても勝てない。

    みんな2倍努力しなさいとか言うけど。
    相手が素人じゃないかぎり、相手も真剣にやってるんだったら。
    本当は2倍努力出来る訳がないんです。

    だから楽をして半分で同じようになる事を工夫する。
    それが上手く行きだすと、楽しくなってくる。

    半分で同じだったら、ホンの少し頑張ると相手よりやってる事になる。
    現実にはそんな選手が試合では勝ってるんです。

    同じ事を違った事に、変えることが出来る選手が、勝ってるんです。

    どうしても根性とかの方が見えやすいから、そんなイメージがあるけど。
    実際はあんまり関係ない、楽しんで工夫する選手が勝つんです。

    それは凄く質の高い楽なのかもしれない。
    同じ事を量じゃなく、質を高める事で差を付ける。

    それは工夫すれば出来る事。
    ただ2倍やる事は工夫しても出来ない事。

    だから質を高める、そうやって勝つと、工夫する事が楽しくなってくる。

    身体もそうなのかな、楽にサボるんじゃなく、同じ事を楽にする。

    それが運動効率が高く、身体操作的にも正しい事。

    同じ事を楽にする。
    サボる楽と違った楽、それは言葉を変えると工夫にもなるし
    道をそれないって事にもなる。

    僕はそんな楽を考えて楽しんでます。
    楽しいと楽、楽だと楽しい。
    それを極めれば極楽。

    僕は楽に楽しく進みたいです。

    それでは撮影に行ってきます。

    今週はお気楽な僕の楽で楽しい話を書きたいと思います。

    お気楽に読んでいただければ幸いです。

    平直行

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  • 操体庵ゆかいや物語(14)

                  祇園祭
                                

    「佐伯さん、あのアドバイスはホンマに助かりました。」

    7月14日の祇園さん(集落の祭り)が無事終了し、お宿(舞いの練習をする家)で宴が行われている時のことです。

    私に話しかけてきたのは、Dちゃん。
    Dちゃんのお父さんは、私のようなIターン移住者と地元の方々との共存を積極的に推進した方です。
    その地道な活動のお陰で、今では祇園さんの役者6人の内、4人までは移住者。お囃子の笛吹も半数は移住者、私のような手伝人にも移住者がかなりいます。

    Dちゃんは、今回初めてお多福の役を演じました。

    この祇園さんと呼ばれる祭りは、京都の祇園祭とは関係ありません。300年の歴史がある地域の祭りで、3人の奴(やっこ)とお多福、ひょっとこ、爺(じい)が神社の舞台で大太鼓を叩きながら、舞います。
     

    奴の顔は、白塗りに墨と紅で大胆に描きその他の役者はお面をかぶります。
    笛にあわせて太鼓を叩くため、叩くことより舞うことの方が重要。

    地元の人は、それぞれの舞いにあわせた笛の旋律を幼い頃から憶えているので流れが分かっています。しかし、移住者にとっては一から憶えなくてならないので、祭りの一週間前から特訓が始まります。

    私は、仕事の都合で練習に参加できたのは一日だけでした。
    練習といっても、私は子供達と役者の練習を見るだけです。そこで、操体的視点からじっくりと観察しました。

    役者は、1m位の高さに置かれた直径1m位の太鼓を、30cmくらいのバチを両手に持ち叩きます。

    叩き方は、右足を踏み出しそのあと、右手首を外旋しながら軽く捻るようにしてたたきます。そのあとに左足踏み出し、左手首捻り。いわゆるナンバと呼ばれる動作になります。
    この基本動作を身につけた上で、それぞれの役にあわせたしぐさの舞をするのです。いずれの役も、身体運動の法則に従った動きをすることで、美しく表現されます。

    特に重要だと感じたのは、運動作用点の足心(第一趾、基節骨骨頭)と床との微妙な角度。それに役柄に応じた目線と呼吸でした。
    つまり、足心と床との微妙な角度で重心移動が決まり、それぞれの役に応じた舞になり、それに目線をつけることで表情、動きが豊かになるということでした。

    Dちゃんは、奴の男性的な役から、今年はお多福という女性の役に代わった為、大変そう。

    しかも、お父さんは、お多福の名役者。どうしても、地元の人はお父さんと比較してしまいます。
    父親に教わりながら必死で舞うDちゃん。微笑ましい光景ではありますが、Dちゃんにとっては、相当のプレッシャーです。

    その日は、お父さんの師匠であるYさんと二人でDちゃんの指導。

    「舞うときは、肩を上げたらあかん。こうやって、下げなあかん。」

    と二人は大ちゃんの前で見事に舞います。
    ますますプレッシャーのかかる大ちゃん。意識をすればするほど、肩は上がってしまいます。

    この舞いは、上肢を1/2屈曲位にし、手関節を掌屈位にとった状態でバチを持ちます。
    丁度、幽霊がバチを持った状態です。そして、その場で、右足を軸として、右回旋し元の位置に戻る舞です。この足の動きに準じて同側の上肢を内旋するのです。
    本来、手関節を掌屈位にとると、肘が上がりそれに連れて肩も上がります。これは、からだの正中線から遠ざかる遠心性の動きです。その肘を無理矢理1/2に折り曲げしかも、舞うときは手関節を内旋させるのです。
    内旋の動きもまた遠心性です。

    当たり前にこの動作をとれば、肩は上がります。それを下げろというのですから、、、、Dちゃんも大変です。

    Dちゃんはバチをしっかり小指を使って持っています。これは、『手は小指、足は親趾』という重心安定の法則に一致しています。

    しかし、この舞いにおいては不都合がおきます。たとえば、右手の小指だけで握ろうとすると手関節は外旋していきます。しかし、大ちゃんは手関節を内旋しなくてなりません。大ちゃんがしっかり小指で握ろうとすればするほど窮屈になっていくのです。

    Dちゃんの二人の師匠は、からだを通して実感できているのですが、その方法を指導するまではいってないようです。
    このことを、感じながらも、その日にはアドバイス出来ずじまいでした。

    7月12日(祇園祭の2日前)、東京の操体勉強会出席のため、上京。
    三浦先生に助言を戴くことにしました。
    すると、

    「親指に呼気を通すだけでよい。」

    と明快な解答でした。そこで、早速、携帯電話でDちゃんに助言。

    私は夜行バスで、祇園祭の当日京都まで帰り、朝10時からはじまる式典には参加することができました。

    Dちゃんを見つけ出し、
    「どうだった?」

    「バッチリ!」と笑顔で指OKサイン。

    一安心です。

    そして、宴会の席に戻ります。

    「えっっ、あの電話、東京からやったんですか?
    ホンマ、あの助言で安心してやれました。今度、佐伯さん、それぞれの役の舞やバチさばきのポイントを教えてくれませんか?
    そしたら、憶えやすいし、みんなが色々な役を出来るようになるし、、、、」

    Dちゃんが安心できたのは、私からの助言を通して身体運動の法則を体感できたからです。からだの凄さ不思議さを感じたのだと思います。

    祇園さんの舞を操体の視点から捉え、理にかなった舞を明確に美しく表現するためのアドバイスをおくる。

    まあ〜、そのようなおこがましいこと、私にはまだ早いと思います。
    ただ、操体の視点で、このような伝統芸能を見ることの面白さ、そして操体の広がりとその深さをしみじみと感じることが出来る一日でした。
                                   

    おしまい

    随分、ローカルな話になってしまいましたが、一週間のお付きあいどうも有り難うございました。
    まだまだ、猛暑は続きそうですが、体調には充分気を付けて、無理をなさらないで下さい。

    来週からは、おまたせしました、時代の寵児、われらがヒーロー格闘家の平直行さんの登場です!
                                

    お楽しみに!!

    佐伯 惟弘

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