投稿者: karib_sotai

  • イナズマ

    イナズマを見て美しいと思うのは私だけだろうか?
    もちろん、あの轟きは恐ろしいし、あまり気持ちの良い音ではない。しかし、あの電光は好きだ。
    イナズマは、帯電の状態、大気の抵抗、湿度、等によって実に個性的な様相を呈する。
    その瞬間、一回限り、そこしか通り道は無い。
    イナズマに意志は無いのだろうが、その様にしか走れないのだ。やむにやまれずそういう形になるのだ。漢字で書くと「悲」
    やむをやまれぬものは悲しくも美しい。
    イナズマを見る度に、誰かの生き様を思い出す。

    山野真二

  • 師弟

    昔聞いた話ですが、自分のものだけにしておくのはもったいないと思ったので公開します。

    E.1

    『儂は、S先生の懐で死ねたら本望じゃ。
     死ぬ時は、S先生の胸に抱かれて死にたい。
     師匠というものは、そういう有難いものなんじゃよ。』
    (この時点で、S師は既に故人)

    E.2

    『師を越えてはじめて同格。
     師と同じ事をしたのでは半徳じゃ。
     皆は、私を蹴とばしていってくれよ。』

    E.3

    『先生は光の中に居る。ライトに照らされてステージの上に立っている。ステージの上からは会場は暗くて見えない。会場からは、ステージの 上は明るくてよく見える。
     人からは、”先生”と呼ばれてはじめて人の師となれるんだ。弟子に師匠を選ぶ権利があるんだよ。よく来てくれたなあ。』

    山野真二

  • 加速する時間

     

    こんばんは森田です。
    ブログも最終日になりました。

    今回のブログを担当する2週間前程から、フォーラム開催、指の怪我、
    カッコいい女性達とのご縁(田中稲翠先生の他にも4、5人おりまして)などが重なり、発見、驚き、感謝に満ちた日々をすごしました。

    その全てはブログでは表しきれませんでしたが、「何故こんなところでこの人に再会するの?」ということがあったり、急な予定変更が危険の回避につながったり、偶然のような必然のような体験が立て続け起こっていました。
    なにか誰かが書いた筋書きがあるのじゃないか、という気さえしてくるほどです。

    そういった体験をすると、まず時間の感覚が以前とちがって感じられます。

    例えば、ぼーっと過ごしている1日と、密度の濃い体験を味わった1日。
    これは時計では24時間であっても私の中では24時間ではありません。
    私の中が何かが変化するのですが、右肩上がりに成長するというよりも、私という核を残しながら書き換えがおこなわれ、別人になったといったらよいでしょうか。
    しかも「それまでの自分から変化するのだが、より自分自身になっていく」感じでもあります。

     更にこれからは自分が願ったことが実現しやすくなったり、また反対に何かの力で思わぬ方向に進まされるようにもなるのでしょう。
    展開がトントン拍子に開けるような経験が当たり前になるにつれ、自分の中にはないと思っていた自信と信頼感がでてくるようなのです。
    そして「何がおこるかわからないけど大丈夫さ。なんとかなる」という、未来に対する根拠のない安心感も徐々に身についてくるのではないかと予想しています。
    今までよりも、どっしり?構えられること間違いなし。です。

     東京操体フォーラムには、すでに自分自身への信頼感と「何が起きてもなんとかなる」が当たり前!な役員、実行委員がおります。
    私はそれを他人事としてうらやましがって見ていたのですが、最近はその側にいると魂の波動が共鳴して自分もそうなれる、と思い「このすごい人たちの側にいよう」と決めました(かなりのちゃっかりさんです)。

    フォーラムの仲間には、人の足をひっぱるような人間はいません(いないというかいられない)。
    ここは皆個性的でその人らしくのびのびしていられる空間なのです。
    メンバーは日本中に散らばっていますが、月に一度の勉強会で顔を合わせ、同じ空気を吸って、共鳴、共振しています。
    操体の臨床を見ているとからだで共鳴を体感するからわかるのです。

    もちろん、ただ側にいればいいってものじゃありません。目に見える宿題と目に見えない宿題をやらなければならなりません。
    その宿題(自由研究?)をやり、橋本先生が成そうとしていたものを追究してこそ、東京操体フォーラムの大きな流れにのる事ができるのです。

    ここで、改めて11/26の三浦先生のブログ「人間関係について」部分を読み返してみます。

    人間関係を良くするためには、その前に自分自己との信頼関係をもたねばならない。それは自分自身と対話し、自身を知ることから始まる。
    そんなことが書かれていました。

    まさに今、自分自身と向き合って、いろいろな答えを見いだしています。自分と向き合う時間は本当にありがたいです。
    そしてこれからも自分自身を見つめることで世界と向き合って行くのでしょう。
    これからもこの加速度に変化する波に、楽しくのっていこうと思います。

    最終日にして、とりとめのない、分かりにくい文章になってしまいました。すみません。

    一週間、楽しく書かせていただきました。
    読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

    山野さんにバトンを渡します。明日からよろしくお願いします。

    ここにいることを感謝して。

    森田珠水

  • 臨床体験実習

    今日は昨日とうってかわって清々しい晴天に恵まれました。

    本門寺の五重の塔も空に映えてます。
    写真は見晴し台下にある藤原吉志子作「馬込文士村」。

    ところで、昨日は冷たい雨の中、卒業校の学生さんが2人、臨床体験実習にいらっしゃいました。
    MさんとSさん。20代前半の今時の美人さん達です。フレッシュです。

    臨床体験実習というのは、決まった施術所から3カ所選び、患者になって臨床を受けレポート提出する、というもの。
    http://www.teg.ac.jp/course/toyo06.html

    さて、21箇所ある実習施設から何故操体を選んだのかを聞いてみたのですが、
    操体を知らなかったので逆になんだろう?と興味をもったから」との事でした。
    他の施設は鍼灸か按摩指圧、マッサージで想像できるため、操体は珍しく、是非体験したいからと選んだ方もおりました。

    私の所は、実習施設となって今年で3年目ですが、ほとんどの学生方が操体を知りません。
    東京で医療系の業界なのに、です。

    操体体験者は2年半で3名ほどしかいません。経験者も「楽かつらいか」の二者択一の操体しか知らなかったですね。
    なので、第2、3分析を体験されると、目を丸くされます。
    そういえば、体験実習施設を進めてくれた学校の先生も、「操体って膝の裏をぐりぐりってやって痛いがらせるヤツでしょ?」みたいな事を言われたような気が…。操体のイメージはそんなものですかね。トホホ。

    操体はそうじゃないですよ(声を大にしていいます)。常に進化&深化しているのです。
    膝裏谷(ひかがみ)を診なくても臨床はできます(もちろん、ひかがみも大事ですが)。
    二者択一の操体しか行われていなかった頃のではない、今の操体を知って欲しいなと切に思います。
    我々が年に2回のフォーラムをやっていても、まだまだ知られていないのですね。

    フォーラムも、もっと世に知られるような試みをしていかなくてはなりません。

    だから、体験実習といえど一つのご縁。
    just nowな操体を伝えたい。
    そういう気持ちでこの実習を受け持たせていただいています。

    とにもかくにも昨日は、

    感覚の聞き分けが一番大事であること
    気持ちの良さで治ると言う体験
    操体は単なる治療法ではなく自然法則の応用貢献であるということ
    操体の可能性(どんな場所、ポジションでも原理原則がわかれば臨床を通せる。
    治療だけでなく、息食動想、生き方に生かせる、等)
    操体をする上での女性ならでの特性

    などを、まずは体験を通して伝えてみました。

    お二方とも、操体を知らないとおっしゃていましたが、大変真摯に聞いて下さいまして、
    その場に浮かんだ疑問もどんどんくださって、いい流れで3時間ほどがあっという間にすぎました。
    しかも、会話をしながらもアタマのスイッチを切って、感覚のききわけや皮膚への問いかけにも、
    なにがしかの感覚をつかみ、それによってからだが変わるところまで体感してくださいました。
    からだの不思議体験状態だったようです。

    からだで「不思議!」や「なんだかわからないけど面白い!」って感じてくれたらそれでいいかなと
    (質問、感想はいつでもメールで下さいと伝えておきました)。

    鍼灸学校に入学してこれから他力の治療を学ぶ学生に、
    「施術者は治療にまで関与するな」という操体を感じてもらうのは混乱を与える事になるかもしれません。
    私もずっと他力の治療をしてから操体の道に入ったので、
    「私が治療する」「局所疾患に対する治療」から抜けることが難しかったですし。
    しかし、この他力から自力自療へのルートをたどるのも一つのプロセスでしょう。
    今後彼女達が操体の道に興味をもってくださるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
    今はそれはどちらでもいいと思います。

    でも、操体って、無視できない何かがありますよね。
    今回は大学で臨床心理専攻だったという学生さんから「下手な心理療法より効果があるような気がします」というような感想をいただきました。
    昔は私もカウンセラーになろうと思っていたので、私と同じ道を辿られているMさん。
    もちろんこころへの働きかけもできる操体ですから、からだからどんなアプローチができるのか、話が盛り上がりました♪

    Sさんはこの時、操体初体験とは思えない程、第3分析によるからだの感覚を味わっていらっしゃいました。

    操体を体験してくださった方には、アタマではなく、
    何年後かにでも、この日の体験がぽかっと浮かぶような、からだの記憶が刻まれる思います。

    自分のからだを壊さないようなからだの使い方のルールや、自力自動のからだのケアができること、
    妊娠出産中にできる事、こころのケアにもいかせること、昨日はなんだかいっぱい話してしまいました。
    話を沢山しすぎて、消化不良になっていたらごめんなさい。

    特に女子の実習生には、同性として「どうやって好きなことを追究していくか」
    という気持ちが湧いてしまい、熱がこもりすぎたかも(爆)。

    橋本先生は操体を通して何を伝えたかったのでしょうか。

    そして、後に続く学士達に、どのように操体を進化、発展をして欲しかったのか。
    操体とからだを耕し、自然の原理原則を追究するとはどういうことか。
    何が大事なのか、常に考えさせられて私たちは日々学んでおります。

    それは「つらそうに」「努力して」「がんばって」ではなく、
    豆腐の角にアタマをぶつけて、わくわくしながら、謎を解き明かしていけたらいいな、と思っています。

    臨床体験実習は学生さんと一緒に勉強させていただき、
    いい機会をいただけた学校の先生方に感謝しております。
    きょうもありがとう、をいっていい気分でねられそうです。

    おやすみなさい。

    森田珠水

  •  臨床家の条件?

    おはようございます。
    森田です。

    また怪我と病院の話に戻ります。
    初診時の縫合、次の日の包交、受傷6日目の包交、10日目の抜糸とそれぞれちがう先生4人に診ていただきました。
    そのうち、縫合と抜糸をしてくださった先生を通して感じた事があります。

    縫合してくださったのは一見神経質そうな50才前後のドクター。疲れているようにも見えるが、こちらの質問にはちゃんと答えてくださるし、不機嫌というよりクールな感じの方でした。

    この時残念だったのは、側にいた女性看護師の対応。

    ドクター「止血するからネラトン持ってきて」
    看護士「はい」  と、チューブ状のものを手渡す。
    ドクター「これじゃ太いよ。ネラトン(泌尿器用の細いチューブ)持ってきて」
    看護士「ここにはこれしかありません」の一点張り。
    ドクターはさらに「それがないと縫えないよ。持ってきて」というも、「だからここにありませんって」と、しばし膠着状態。処置が始まらない。

    えーっと、患者は指を押さえて痛がってるんですけど?何されるかわからなくて不安気に待っているんですが(汗)。心の中で訴える私。

    動こうとしない看護師に業を煮やしてドクターは「手術室開けて、って守衛室に連絡して」と言い残し、ネラトンを取りに退出。
    残された看護師は、通りがかった同僚に「先生自分でとりにいっちゃったよ」と苦笑い(爆)。苦笑いしている場合じゃない。看護師、自分が止血されずに縫合されてみろ〜!!こころで悪態をつく私。

    先生、戻ってきて少々機嫌悪そうに開始。
    それでもこの先生のちがうなと思ったのは、黙々と麻酔、縫合を進める姿である。
    感情には振り回されず、淡々と処置終了された。
    インフォームコンセントも後日振り返っても納得のいくものでした。

    大病院の医者と看護師の関係ってそんなものでしょうか。これではドクターも仕事しづらいだろうな、と思いました。

    抜糸は30代後半のノリと調子のいいしゃべりのドクター。
    「は〜い、じゃ、抜糸しますよ〜」びしびしびしっと作業開始。私が痛がっている様子はみていないようだ。私が思わず唸ってからだをよじると、
    「痛いかな〜?」。といいつつ、ぐいっと糸を引いている。

    うーん、ノリはいいけど、私のからだがほっておかれているような感じで気になります。腕は悪いわけではないのでしょうが、なんでしょう。この心地の悪さは。私のアタマは理由がわからないけれど、からだが「イヤイヤ」して痛がっている。
    ああ、気が浮いていて臨床をすると、患者のからだにはこういった影響があるのか。

    確かに、大病院で早朝から次から次へ大勢の患者さんを診なければならないのだから、機嫌良く処置してくださるのはそれはそれでありがたいことなのですけどね。しかし、こうして2人のドクターに施術していただいて感じたのは、からだは目の前の人の波動をキャッチして反応しているということ。落ち着いて淡々と処置してくださったドクター(看護師の残念な対応にも影響されない精神力?!)には、痛い事をされても落ち着いて受け入れることができた。からだも納得していたということだ。
    大した痛みでなくとも、気が浮いている人にからだを扱われると「からだが分散する感じ」と言ったら良いのか、こちらのからだも状況を受け入れにくい。必要以上に痛みを感じてしまう。
    自然治癒力のスイッチがオンにならない。

    縫合してくださった先生は、取っ付きにくくて、話しかけにくい印象。反対に抜糸の先生はノリが良くて話しやすそう。
    街で出会ったら私はどちらと仲良くなろうと思うだろうか。
    アタマはだまされるかもしれないが、からだはだまされない。

    操体はこういった微妙な所を意識しないでは臨床ができない。

    気を落とした状態で臨床ってどうすればいいのか。
    それは般若身経をはじめ、気を耕すことなど、今まで勉強してきた中に答えはあります。

    自らを振り返ってみて、改善すべき点が見えてきました。
    プライベートではのびのびした自分でもいいかもしれないが、臨床スイッチはしっかりいれておけなければならないのですね。

    森田珠水

  • カッコいい女

    皆さんはカッコいい女の条件は?と聞かれたら何をと答えるだろうか。

    パソコンで「カッコいい女性」「上司にしたい女性有名人」というようなキーワードで検索すると、黒木瞳天海祐希篠原涼子など年齢層が以前より高く、美人だが気取らずサバサバしている、凛として、自分の意見をはっきり言うといった女性が選ばれていた。このランキングには「如何に風に年齢を重ねるか」という思いが反映されているのではないだろうか。

    私にとってのカッコいい女とは、いくつになっても自分のやりたい事をイキイキと楽しんでいる人である。キツい言い方だが、「誰々のせいでやりたい事をしないできた」というようないいわけは聞きたくないし、言いたくもない。

     現実の生活は大変である。最近は結婚しても共働き夫婦が多い。家事はまだまだ男性より女性が多くを担っている風潮であろう。仕事をする女性は社会との付き合い、家族のケア、自分の健康も管理しなくてはならず、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)をとる事が重要課題である。
    「今やりたい事をやる」ために生きている人は、一瞬一瞬の決断に責任を持ち、大変なことがあっても毎日を人のせいにしない。その時その時に責任を持っている。
    そしてそういう生き方をしている女性の笑顔はチャーミングである。メイクでは出せないはじけたものを内側からぴかーっと放出している。性格がさっぱりしているのは自分の決断で生きているので、その結果としての現実の世界を受け入れられるからかもしれない。
    ある年齢から年を取らなくなるような女性、増えてきましたよね。

     ところで、最近、カッコいい女とのご縁が増えている。
    その筆頭にあげたいのが先日のフォーラムでゲストとして講演いただいた田中稲翠先生である。

    (先生のプロフィールはこちら)
    http://www.tokyo-sotai.com/09Novkoushiprofile.html

     写真は稲翠先生の講演中のもの。私は年齢を聞かせていただいたが、軽く10才は下に見えます!私が言うのも失礼なのですが(すみません)キュートです。

    そしてこの直後のきりっとした表情への変化がまたカッコいい。

    フォーラムにはご家族もいらっしゃっていたのだが、いわくプライベートでも「急にスイッチが入る」という。普通に会話していても「語らねばならない」瞬間が訪れると、目が、表情が、パッと変わる。小柄―しかも幼少時から病弱だったそうだ―な先生がこれぞという話をされると、波動というのか、ものすごいエネルギーが出て、聞いている側は吸い込まれてしまう。書を書く姿に助手の岡村実行委員長も感動で涙がにじんでいたらしい。私は距離を撮ってカメラ撮影をしていたので、何故近くで波動のシャワーを浴びられないのか悔やんだものだ。

    「楽と快のちがい」について語られていた時のこと。「楽という文字は巫女さんが鈴を持って舞う姿を表したものです」とゼスチャーを交えて説明された。おっしゃる姿はカメラ越しに見ていると、まさに巫女さんのようであった。

    また、22日に島津先生が講演される日も稲翠先生は見学にいらっしゃられていたが、一見武術と芸術では違う世界のようでも、一つの世界を極めている人同士は理解し合えるのである(そういえば懇親会では初対面の平さんと長い事サシで語り合っておられた)。
    「指先の使い方、島津先生に先に言われてしまったの。それも話そうと思っていたのに」と残念そうにおっしゃられていたのが印象的だった。武術もからだ、芸術もからだの表現である。先生が南画の世界に足を踏み入れたきっかけはと八大山人と宮本武蔵の書と出会ったからだそうだが、書や武術の話をされている姿をみていると、武術家のようにも見えてくる。

    フォーラムだけでなくその後の打ち上げでも、稲翠先生のお話を引き続き聞くチャンスを得た。先生にとって初めての質問をされても、とにかくさっと目の前に出されたテーマを自分のからだに落としこみ、瞬時に答えを出される。動きと決断は早くて無駄がない。
    島津先生が見せてくださった武術の演武、治療の時の対応と同じように、真実とは瞬時におりてくる、現れるものなのだ。

    フォーラムに参加された娘さんは、三浦先生に「こんなお母さんをどう思う?」と問われ、「すごくカッコいいです」と即答した。著書である「水墨画イスラエルへ行く―それでも好きさバラガン王国」は34才でイスラエルで個展をしたときの滞在記であるが、この時は幼い娘さんを母に預けていたそうだ。必要な時には子どもと離れる時期があっても、電話や手紙、想いで時空を超えてケアをされていらしたし、一緒にいる時にはしっかり目を見て大事な事を伝える育て方をされていたそうだ。そういう子育てをしていればまっすぐでピュアな娘さんに育つのだろう。
    父の背中を見て育つ、それもいいが、本気で自分が選んだ道に没頭する母の姿をみて育つのもいい。母になるならそうなりたいなと思う。

     操体の業界は女性は本当に少ない。
    操体だけで食べていける臨床家自体少ないというのに、女性で操体で食べて行こうとするのは、人から見たら難しいと思われるかもしれない。
    しかし、幸いな事に操体は食息動想、という生き方や自然を学ぶものであって、生活の中に学びがあることである。どこにいても学ぼうとすれば学ぶ事ができる。
    そして、操体であれば、私の道の前には畠山先生という「寝ても覚めても操体について考える(そしてビューティへのこだわりも忘れない)」女師匠が存在し、
    芸術の世界では稲翠先生のように、芸術に生き、かつ子育ても家事(料理の天才だそう!)もカッコ良くこなしている方がいらっしゃる。

    こういった方々に囲まれていると、自分の悩みはまだまだ大した事ないなと励まされるし、いいアドバイスもいただいている。

    こうしてカッコいい女達のそばで同じ空気を吸わせていいただけている限り、
    私も毎日へこたれないでやっていける。
    今日は特別にカッコいい女性に向けて、感謝の言葉を述べたい。

    どうもありがとうございます。

    森田珠水

  • 痛みとのおつきあい2

    昨日の続きですが、左拇指の回復経過です。

    11/17 受傷、縫合
    11/18 包交外来 バンドエイドでカバーのみ。
    11/20 仕事再開
    11/21 包交外来 「順調なので抜糸を」と言われるも、職業内容を告げ再出血のリスクを考慮し延期
    11/22、23 フォーラム
    11/26 抜糸 バンドエイドもなし

    抜糸後は手仕事なので防御のためバンドエイドでカバーをしており、再出血はありません。
    もう指先の麻酔注射はごめんです。

    今回行った治療は以下の通りです。

    病院処方の抗生物質、抗炎症剤。
    トラウメール(シュタイナー医学の外傷用軟膏)
    枇杷の葉水
    操体(動的な自力自療、静の操体も)
    フォーラムでの島津兼治先生の治療

    枇杷の葉水は、同僚が作ってくれた枇杷の葉を焼酎に漬けたもの(東城百合子「自然療法」より)。
    バンドエイド交換の際、汚れた部分の消毒と抗炎症の目的でしばらく浸しました。
    作ってくれた同僚曰く、炎症効果が高いということで、確かに熱を持った患部がすうっと引き、心地よく、
    「心地よい=治る」と思い、からだで十分味わいました。味わった後、しばらくいい感じ。

    注意することは、傷口が塞がっていないとアルコールが凍みて痛むことと、皮膚が離れたままになるため、痛みを感じた所で塗布した脱脂綿をはがすようにすること。
    なんでも使い方を間違ってはいけない。効くものも効かなくなります。

    操体は昨日も書きましたが、痛みを感じるたびに左手より遠い末端部分を使って自力自動をメインに試してみました。
    いつもの3倍もぞもぞしている怪しいオンナでしたが、他人の目は気にしません(笑)。

    「痛くなったら心臓より患部を高くしろ」も大変効果的で、左拇指で心臓の位置を確認する、を楽しみつつ、
    「それでもいたかったら鎮痛薬を飲め」の変わりに左手を壁や額、側頭部に当て、手関節の背屈、橈尺屈。
    自然法則を知っていれば、どんな姿勢でも操体ができる事に感謝ですね。

    それと、指越しで操体をしていると、患者さんと私のからだの療法に感覚をつけて治しがなされてもいました。
    これもありがたくちょうだいしました。
    普通だったら悪化させないよう気を遣って仕事をするはずなのに、逆ですね。

    気持ちのよさを味わうたびに「おお。今一瞬、痛み感じかったな〜」でもまたじわじわしてきたな。
    そんなことを繰り返し、初めはU字の切り口に沿って感じていたドクドク、ズキズキ、とうずく痛みが
    日を追うごとにおさまってきます。

    おかげで「それでも痛む時に飲むロキソニン」の出番はありませんでした。

    そして、最後は島津先生の治療。

    22日の懇親会でのこと。
    私ののガーゼでくるまれた指を発見され、「どうしたんだ?ここ」と声をかけてくださいました。
    とはいえ、その前のフォーラムでモデルさんが治療を受けている所を見ていたため、
    (治療開始20〜30秒は飛び上がるほど痛いがその後は驚くほど楽になる)
    「いえ、申し訳ありませんが骨の問題ではないんですよね」なんて事言って腰が引ける私。

    「切ったの?どれどれ、どこ?」
    とおっしゃるや否や、ぎゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
    「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
    私も叫ぶけど、見ている周囲も痛そうな顔。
    傷の真上から1分ほど(30秒かもしれませんが私にはそう感じました)拇指をつままれました!
    どびっくり。 
    そのあと、一番塞がっていない部分をまたもや、ぎゅ〜〜〜〜〜〜〜。
    先生はおだやかな笑顔「どう?痛くないでしょ」

    いや、痛いですよ(泣)!
    …いや痛いんだけど、でも、傷口を机の角でぶつけるような痛さとは違う。
    圧は強いんだけど、安心感がある痛さ。
    こんなの未体験!

    この日は病院でガーゼとテーピングテープでまかれていたので、傷口は外から見えないようになっていたのですが、
    先生は、切り離された真ん中と切り口の中で一番くっつきの悪い部分にぴたっと指をあてられていたのです。
    まったく迷いなしなんです。達人とはそういうものなのかと再び驚きを味わっています。
    そういえばフォーラムで治療のモデルになった方々が
    「島津先生はすっと痛いツボにピタッと触れられる」と話されていたのを思い出しました。

    先生の治療は骨にアプローチする、との事でしたが、戦場では切り傷もあり骨折もあり、どんなことでも治療されていたはずです。「これしかできない」ということはほとんどないのでしょう。

    先生は「もうこれでつくよ。本当は切ったその場で抑えればそれでつくよ」とさらりとおっしゃいました。
    「本当ですか??」と半信半疑で言ってしまいましたが、
    実際その直後からズキズキしていた指がまったく痛みを感じなくなったのです。

    「なんじゃそりゃ〜!」と私が言いたい程で、もちろん10日経った今日まで1度もうずきません。
    もうくっついたのですね。
    ああ、今度切った時にはぎゅーっとおさえよう(というか、切るな!)。

    操体と島津先生の治療、「似て非なるもの」のテーマで行ったフォーラムでしたが、
    くっつけることで、多分からだに「もともとくっついていたものだから」を信じ込ませてくれたのじゃないかと私は思っています。
    あとはからだにお任せする。おまかせすればうまくいく。
    そのからだへの絶対的な信頼感を持っている点で共通しているなと思いました。

    今回は平さんのご縁をたどり(ありがとうございます)、我々フォーラムメンバーは島津先生の真なる活殺に触れさせていただきました。島津先生の話された事は今すぐできることではありませんが、操体に生かせる内容が満載で
    1+1=2ではない学びです。これから操体を学び続けるワクワク感が増すものでした。

    その後ろでは橋本先生が笑って見守ってくださっているような気がします。
    どうもありがとうございます。

    ああ、指を切ってよかったなあ。

    いや、そんな事はないんですけど(爆)。
    これも必然だったのかも、と、考えがちな昨今の私です。

    お酒は28日から復活しました。

    森田珠水

  • 痛みとのおつきあい

    おはようございます。
    フォーラムの6日前に左拇指の腹を包丁でスライスした森田です。

    朝から何を書いとんのじゃい!という感じですが(すみません)。

    状況はと言いますと、ポン酢醤油を作ろう!と鼻息荒く、狭い台所で半分に切ってあったかぼすの断面を薄くスライスしようとして手がすべり、
    自分の指をスライスした、ということです。

    爪にぶつかったおかげで皮1枚でつながっており、指先の肉は分断されなくてすみました。
    本当ならば商売道具である指を怪我するなんて仕事人失格の恥であり、公に曝すのははばかられるのですが、やってしまったものは仕方がない。
    仕事仲間と患者様、家族に迷惑をかけるのは申し訳ないけれど、この状況を生かして何ができるか考えてました。
    まずは、ブログのネタができた!この時期でラッキー。…なんてことを考えた、意外に余裕のある私(おこられますね)。
    「小指側の指じゃなくて良かった。操体はできる」と思ったものの、拇指が使えないと足趾の操法や足底の触診、色々できないんですけどね。

    以下、当日の様子を記します。

    まずは近所の総合病院の緊急外来に電話し歩いて行きました。出血部位から指を離すと大量の血が出るので、ぎゅっと左示指で抑えて待ち合い室で腰掛ける。
    熱く、ズキズキと鼓動のリズムで痛みを感じ、う〜ん、と小声を出してこらえる。
    名前を呼ばれるのを待つ間、自力自動の操体をする。椅子で座位にて右足関節の外転。
    右上半身に心地よさがふわ〜っと感じられる。快適感覚と同時にズキズキはちょっと軽減する。

    相方には膝に手をのせてもらい、面の渦状波をお願いする。

    自力自動の操体とはまた違った快適な流れがからだの中を巡る。夫とからだに感謝しつつ、しばらく味わう。
    痛みも全くなくなるわけではないが、しかし確実に軽く感じる。そして、痛みと心地よさは同居できるものだな〜と感心する。

    10分ほどで呼ばれ、診察室に入る。
    ここからは夫は廊下で待機。

    ネラトン(導尿、体液排出用のゴム製チューブ)で母趾の根元を止血しながら拇指腹に2カ所ほど局所麻酔をする(これが一番痛かった)。
    感覚の麻痺を確認したら縫う、という治療でした。
    この処置の間ベッドで仰向けに寝かされるのですが、目立たないように動診をする。

    膝1/2屈曲位で右足関節の内外転と背屈、右手関節の示指を使っての動きの動診など。寝ている右側に壁があったので、膝の傾倒時には使いました。
    今思えば足関節の内反もありでしたね。

    目線や呼吸も使いましたが、ドクターの動きや看護士とのやり取りに気を取られて集中できず。
    ただ、自分自身が作り出す恐怖心からは気をそらすことができ、「自分の意識が作り出す痛みの増強」から逃れることができました。結構大きいです。

    調子に乗って「さあ、操体でどこまで痛みを軽減できるのか何針でも縫われてみよう!」と思うもつかの間、
    局麻の注射をブッスーとされた時には、立てていた膝はもちあがり、「いって〜っ」と声を上げてしまう。
    廊下の夫もこの声に縮み上がったそうだ。さすがにこういう時は痛みの軽減は無理か。

    この時は思わず、
    「出産時はこれより痛いのだろうか」
    「時代劇で医者が傷口に酒を消毒だといってプーッと吹き付けるシーン」
    「ちょっと古いが24で拷問を受けるシーン」
    等が頭をよぎりました。松田優作の殉死シーンは、さすがにおこがましいな、とか。

    ネラトンで止血をしているので、拇指だけが白く蝋人形の色になっていく。死体ってこんな色になるんだろうか。って、私の指か。
    それにしても麻酔はすごい。ものの2、3分で痛みは薄れてゆく。
    私は初体験なので、「麻酔ってすごいですね」とアホな感想をのべると、
    ドクターは「そうじゃないと処置できませんから」と一言おっしゃってJの字の針で淡々と縫い上げて行く。

    痛みがなくなると同時に余裕がでて縫合の様子を覗き込む。見たくてしょうがない。
    できることなら携帯で撮影したいくらい。不謹慎な私である。
    顔色と機嫌もちょっと悪そうな(←理由があるのです)ドクターの手腕にとにかくふむふむと見入る。
    「すばらしい、見事です!」口に出すのは失礼と思い、心の中で賞賛。

    フォーラムが近く、打ち上げは飲みたいと思い、「お酒飲んでいいですか?」と聞いてみると、
    「飲むのは自由ですが、痛むのは自分です。でも、その前に気を失う程飲めば別ですけど」
    なるほど。普通の表情でおっしゃるドクター。なんかちょっとツボ。

    この日は患部をガーゼで包んで、その上に包帯をして、抗生物質、抗炎症剤を3日分と強めの鎮痛剤(頓服)を処方されて終了。
    「痛くなったら心臓より指を高くあげて、それでもいたかったら鎮痛剤を飲んでください」。判断しやすくていい。

    今は麻酔が効いているが、切れたらどんな痛さなんだろう、不安な気持ちで帰宅。
    禁止されるとやりたくなるもので、一体何日酒を飲まないでいられるのか、それも気になる所。せっかく今日おいしいワインを買ったのに。

    欲深く、飲み意地のはっている私である。

    次の朝、包交外来で見てもらった後は、
    縫ったその上からバンドエイド1枚で帰されました。あんなに大騒ぎしたのにちょっと拍子抜け。


    縫った所も撮影しましたが、さすがに自粛しました…。

    明日は、操体以外には何をしたかを書きます。
    では、お仕事行ってきます。

    森田珠水

  • フォーラム撮影班の立場から

    こんにちは。
    フォーラムも終わって1週間が経ちましたが、まだまだ興奮が冷めない森田が1週間担当させていただきます。

    22、23日と二日間家を空けただけのはずなのに、懇親会や打ち上げという名のナイトセミナーでは
    島津兼治先生、田中稲翠先生の講義が熱く続いたこともあって、その内容の濃さ、深みはとても48時間を過ごしたとは思えません。
    まるで1週間の旅から戻ってきたような、そんな気分です。

    三浦先生がブログ最終日におっしゃったように、実行委員、役員一人一人のハートの中で、新しい気づき、疑問、熟成がなされ、
    その課題を追い続けているという意味では実はフォーラムは終わってないような気がします。
    二日間にあったこと、参加されなかった方にも伝わるように本当は言葉にしたいのですが、
    まだまだ未消化な部分もあり、内容に関しては東洋医学系の雑誌に掲載されると思われるレポートに譲ることにいたします。

    というわけで、今日は動画撮影担当の立場からの感想を書きます。
    フォーラムも18回目になり、会を重ねるごとに発表の中身も発展し、空気の濃さが変わってきまして、
    ぜひともそれを映像におさめておきたいという欲が出て参ります。
    初め私は操体法という「治療」を学ぼうとして三浦先生の所に学びにきたはずなのに、
    今では息食動想の哲学、呼吸法、宗教、脳、神経系をはじめとする生理学…学びの範囲に限りがないことにふと気づきます。
    操体は何でも入る大きな器」という三浦先生の言葉が浮かびます。
    今回も、武術と芸術、参加された方はそれがどのように操体と結びついたのかを感じられたと思います。

    これを、映像班として、ぜひとも画像に残したいのです。
    フォーラムに参加したかったがやむなく欠席した友人や、操体を学ぶ方々に操体の最前線(身内が言うのもなんですが本当です!)を見てもらいたいと強く感じており、
    今回のフォーラムはそのまま学校の授業や操体の勉強会が開催できる内容でしたよ。

    なんだか自画自賛?の嵐ですが(今回発表していない私が言うのも変ですが)、
    本当を言うと、私自身が一番撮影したものを見たかったりします。何度も見て、見落としたモノを拾いたい。

    ところで雀鬼桜井章一さんは、著書で「集団の成熟度をスタッフの動きがきびきびしているかどうかで決まる」という話を書かれていたと記憶しています。
    先月、平さんと成瀬ヨーガグループの成瀬雅春先生の対談の場に参加させていただきました。
    この時、お弟子さん達(20〜40代7,8人)は一つの目標に向かってきびきびと動きに無駄がなく、参加者側は大変気持ちがよかったです。
    参加する側は、ただ発表内容が良いだけではスタッフの動きに無駄があっては全体の流れがぶつ切れになり、
    なんとなく不快に感じられることでしょう。

    今回は島津先生の奥様にお褒めの言葉をいただき、大変ありがたいと感じたものの、
    自分自身の動きは今ひとつだったこと、全体的な改善点はちらほら見えております。
    今日は三軒茶屋にて塾操体と秋季フォーラムの反省会が行われます。

    次回の開催に向けて、実行委員全員で良いものを作れるよう語り合ってきます。

    年末までに、まだゴールドジムでの活動もあります。
    「これからも、東京操体フォーラムの動向は見逃せない!!」

    そういわれるようになりますよ!
    楽しみにしていてください。

    森田珠水

  • ブログ最終日

    一週間のおつき合い、どうも有難うございました。どのような形で、締めくくったらよいのか、思いだけが大きくふくらんで、まとまりのつかない今の心境です。きっとブログ担当の期間に重なったフォーラムの影響でしょう。

    今こうしていても、あの二日間の一コマ一コマがふっとわいてきては、次々に重なり、とりとめもなく思いだされてくるからです。この二日間のできごと、その一コマ一コマの感動はどのような言葉で表現しても語り尽くすことはできないであろうと思います。実行委員、役員一人一人が胸(ハート)におさめておくのが最もふさわしいように思います。なにか、言葉にするとあの感動が消えていくような気もします。なんと表現したらいいのか、私達が企画したこととはいえ、我々も含めて一人一人が名指しで招待状を受け取って参加させてもらった、ディナーショーのような、そんな気分を味わったのです。ただ声をかけられて参加したのではなく、一人一人選ばれて、招待状を受け取った者だけが、参加を許されたような思いがします。それだけに、あの二日間のあのハーモニーのすばらしことといったら、招待状を受け取った参加者のみが味わった、夢のような感動と興奮のひとときをだったと思います。

    僕は君達に、あえて厳しさを求めて接してきました。しかし、君達の姿に接した島津先生、そして奥様が私に直接言われた言葉が印象に残ります。「なんて、すばらしいお弟子さん達なのでしょう。よくここまで行きとどき、育てられましたね。ありがとうございます。」と・・・・・これが人さまの評価なのです。この評価がなくして東京操体フォーラムも成り立っていくことはありません。

    たヾ単に、自分と私達がたのしい、おもしろい、うれしい、それだけの学びだけでは一個人、一集団のみの評価であって、それは人さまがくだす評価とは違います。君達の無心にとり組む、心を一つに励んできたすばらしさの中に、人さまは心を打たれ絶賛して下さるのです。この無心さも、厳しく取り組む学びのなかから育ってくるものです。フォーラムは私達の学びの場でもありますが、人さまに公開し、ご披露しているわけですから、人さまの評価も「すばらしい」といふ言葉として返ってくるように努めることです。その為にも、学ぶことの豊かさ、妥協なき自己への厳しさが求められてくるのです。その自分に求められてくる生ける真心が鏡のごとく人の心(鏡)に写し出されてくるのです。それが品性となって人様の心を打つのではないですか。人に対するやさしさ、いたわり、思いやり、いつくしみに顕現するのです。それが「楽しい」「愉楽しい」の違いです。それは自己に対する誠意であり、隣人に向けたマナーです。愛する心です。私が君達に求めている、学ぶということの厳しさとはそういうことだったのです。人さまの評価を得ていく、ということは、そう簡単なことではないですね。私達は学びのなかで、人さまの心を解(と)かしていくことです。真理であることが学びです。それは一人一人が真理の化身であることに目覚めることです。真理が真理の力で立てる、それが自己の目覚めであって、人さまと共感し、調和してまざりあっていくことだと思います。

    ブログを終えるにあたって、最後の一言

    愛するものの弱さとは
    ひとりきりでは
    生きていけないってことです

    神さまもそうでした

    神は愛なり といいます
    神さまも愛に生きている
    生きる為に
    我が息子が、我が娘が必要だったのです
    神のその存在こそ、共に生きている姿であって
    ひとりっきりでは なかったのです

    実行委員の皆さん、ご苦労もあったでしょうが、君達はスゴすぎる、なんてたまげた存在なんだと思いました。本当に大きく大きく成長して実ってくれましたね。私への招待状、ありがとうございます。心から・・

    理事長

    前列左より
    橋本敬三先生(写真で参加)、三浦寛、島津兼治先生、畠山裕美、森田珠水
    二列目左より 鵜原増満、小代田綾、佐伯惟弘、秋穂一雄、平直行、友松誠
    三列目左より 三浦寛幸、日下和夫、小松広明、辻知喜、岡村郁生、山野真二、山本明、福田勇治
    四列目左より 西田尚史、中谷之美、横森昌裕、甲斐田泰平