投稿者: karib_sotai

  • 夢は大きく太平洋ぜよ!

    正月も二日目ともなるとおせち料理にも飽きてきて、そろそろカレーが食べたくなってきた福岡の秋穂です。今回は年末年始をまたぐという大役を仰せつかって1週間ブログを書かせていただきました。毎回ブログを書き終わった後に、「もっとOOしておけばよかった・・・」とか、「あんなこと書くんじゃなかった・・・」とかとにかく思い返すと恥ずかしいことばかりですが、それも私の人間性と割り切って本日7日目もバシバシ書かせていただきます。

    ついに始まりますNHK大河ドラマ龍馬伝』竜馬役を福山雅治が演じるとあって、「男前過ぎる。」とか「年をとりすぎている。」とか賛否両論ありますが、個人的には待ちに待ってた『龍馬伝』ということでものすごく楽しみにしております。坂本竜馬の配役に関しては、つい先日最終回を迎えた『JIN』では内野聖陽が実に男臭い竜馬を演じ、その少し前の大河ドラマ篤姫』では、玉木宏が少々優男風な竜馬を演じておりました。また遡れば江口洋介市川染五郎ダウンタウンの浜田など数々の竜馬像が生まれました。坂本竜馬という人間はあまりにも魅力的で、中々こと人こそ坂本竜馬というベストなキャスティングは難しいのではないでしょうか。ちなみに私のいちおしの坂本竜馬は(必ずブーイングを受けるのですが)福岡が生んだ迷俳優、海援隊武田鉄矢さんその人です。ちなみに今放送中の某携帯電話会社のコマーシャルでも龍馬好きのおじさん役で出演していますし今回の『龍馬伝』でも勝海舟役で思いっきり出演しているあたりはお見事としか言いようがありません。自他共に求める龍馬フリークで、あまりにも好き過ぎて、自ら原作を書き漫画家小山ゆうさんに漫画を書いていただいて『お〜い、竜馬』という漫画も作っているし、自ら原案、脚本、主演として『幕末青春グラフティー坂本竜馬』というテレビドラマまでやってしまっているのであるから、竜馬ファンとしては超一流です。坂本竜馬好きについてはエッセイ集『母に捧げるバラード』の中にこんなエピソードが記されてある。まだ、超無名のフォークグループ『海援隊』の一員でしかなかった武田鉄矢が、博多の屋台で音楽仲間たちとの飲んでいる席でこんな話をします。将来音楽で売れて有名になったなら、坂本竜馬の映画を作る、大勢の音楽仲間が出演して、BGMにビートルズが流れるような映画を作る。その夢を実現したのが『幕末青春グラフティー坂本竜馬』だったのです。「思いは現実化する」といいますか、「好きこそ物の上手なれ」といいますか、本当に言葉は運命のハンドルを握っているのだな〜と思うエピソードです。そんな私も武田鉄矢さんの演じる坂本龍馬を観ながら、坂本龍馬という人間に興味を持ち、いつの間にやら坂本龍馬をこよなく愛する人間の一員になりました。鳥のヒナが最初に見たものを親と思いこむように、本物の坂本龍馬像以前に武田鉄矢の竜馬像がすり込まれてしまっているので、これはこの先も消えることのないイメージなのでしょう。でも今回は福山雅治の作り出す新しい坂本龍馬像に期待して一年間楽しみたいと思います。今年は東京操体フォーラムも分科会や関西地方での開催など、これまでとは異なるまったく新しいプロジェクトを計画しております。坂本龍馬にあやかり世界中に操体の魅力と、快適感覚の持つ無限のエネルギーを発信できるような『世界の東京操体フォーラム』に成長していきたいものです。では今年も一年間よろしくお願い致します。

    今日まで一週間本当にありがとうございました。明日からは鵜原さんが体調不良のため、急遽一週間繰り上がって我等が東京操体フォーラム実行委員長、みんなの憧れの治療家ナンバーワン、茅ヶ崎のファイヤードラゴン岡村郁生実行委員長の登場です。

    秋穂一雄

  • 初詣

    東京操体フォーラム実行委員リレーブログをご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。昨年中は誠にありがとうございました。思い返すと昨年は東京操体フォーラムも千葉県市川市の行徳ゴールドジムでの『臨床家による操体法セミナー』も始まりコレまで以上に充実した一年を送らせて頂きました。本年も昨年以上に質の高い操体の情報を発信していく事が出来るように努力していきますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
    それでは新年最初のブログも引き続き福岡の秋穂が努めさせていただきます。

    我が家の平成22年の元旦はコレまでのお正月とはちょっと変わったお正月となりました。初めて自宅でお正月を迎えようと言う事になったのです。今までは私の実家にて年を越す事が多く、中々自宅でお正月をゆっくり過ごすと云う事がありませんでした。でも今年はおせち料理やお雑煮も自分たちで用意して整骨院の仲間達を自宅に迎え、手作りのお正月を過ごしてみました。初物づくしで中々上手に行かない事も多かったのですが、とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。そして、初詣は今年はETC割引を有効活用させていただき、宮崎県の高千穂に行って来ました。日本神話に神々の国として残されているだけあって、本当に厳かで都市近郊の「何万人参拝しました。」というお宮参りとは違ったゆったりとした初詣となりました。

    写真は高千穂の少し熊本よりにある日の本弊社立神社です。天孫降臨に縁のある神社で、最近では世界一新しいパワースポットとしても注目されているみたいです。

    秋穂一雄

  • 捨てること

    福岡は雪の大晦日お迎えております。私の整骨院の近くにある博多の台所『柳橋連合市場』でもお正月準備の買い物客でにぎわっていました。秋穂家もいとりでも多く福の神を呼び込もうと今日は大掃除をしました。朝から家中を引っ掻き回しながらの大騒動こんな事なら早くからやっておけば良かったと思いながら、来年も大晦日の大掃除わ繰り返されるのかもしれません。大掃除と言えば、毎年のように、「いつの間にこんなにものが増えたのだろう?」と思う程、収納しきれなくなった洋服やらおもちゃやらの行き場を探して家の中をさまよい歩いています。掃除好きの知人に上手な掃除の仕方を訪ねてみると必ず返ってくる答えが「掃除はまず入らないものを捨てる事でしょう。」です。しかし、良く言えばものを大切にする。普通に言うとどケチなな私に取ってはかなり難位度の高いテクニックです。

    前回、三浦寛理事長の元で操体法を学ぶ事になった秋穂くんは初めての講習会に出席しました。その受講者には現在もフォーラムの同志として共に学び続けている佐伯さんや鵜原さんも参加されていました。この操体法東京研究会に参加されている受講生の皆さんの経歴は本当に様々で、ご存知佐伯さんは海外でも活躍されていたアーティストだし、鵜原さんのように主婦の方もおられれば、この間まで会社勤めだった方もいる。本当に面白い人たちの集まりでした。その講習の中で、三浦先生が言われた言葉がある。「何かを学ぼうとする人間は、過去を捨てる事によって新しいものを得るのです。」どうしても私のようなケチンボな人間は今まで築き上げたものを失うのが怖くて、新しいものを受け入れられなくなってしまっています。でも三浦先生はこうも言われました。「そこで手放したものは、未来永劫失ってしまうのでは無く、新しいものを受け入れた上で、より一層の輝きを持って返って来るんだよ。」この話に感動した私は、間もなく勤務していた整骨院を退職し、本格的に操体法を学ぶ事になったのでした。

    しかし、今になって思うのですがこの話は、少なくても私に取っては真実だったように思えます。それから3年半は治療院の仕事を一切辞めアルバイトと操体法の勉強という限り無く現場から遠い生活を営んでいたのですが、その生活から一転整骨院を開業してみて驚きました。3年半のブランクどころか以前勤務していた時とは比べ物にならないくらいに、仕事が面白くなっていたのです。診断の見立てが変わったと云う事もあるでしょうが、患者さんとの向きあいかた、患者さんのからだとのつきあい方が格段に変化していたようにも思えます。古きを捨てて新しきを知る。橋本敬三先生の温古堂の名付け親になったという「温故知新」も「過去を捨てて、新しいものを得る」のも結果的には同じことなのかな?大掃除しながらそんな事を考えていました。

    でも、古くなったものでも、また何かの時に使うんじゃないかと思うとなかなか捨てられないんですよね〜コレが・・・

    では今から除夜の鐘を突きにいってきます。

    秋穂一雄

  • 五里霧中

    冬将軍が猛威をふるっている福岡の秋穂です。3日目のブログもお付き合いをお願いいたします。年末も押し迫ったこの時期になると年賀状づくりや大掃除、お正月準備など身辺が俄然慌ただしくなってきます。南国福岡でもこの時期にはお決まりのように初雪が舞い、本格的な冬の到来を知らせてくれます。(今年は確か12月中旬に2日間ほど降っていました。)時期になると思い出す童話があります。『かさじぞう』です。日本昔話でもよく知られているお話なので、皆さんご存じだと思いますので内容については触れませんが、この物語の中で、貧しいおじいさんが売れ残った笠を6体のお地蔵さんにかぶせてあげるのですが、売れ残った笠は5つしかなく、最後の一体には自分がかぶっていた手拭いをかぶせてあげるという場面があります。私的にこの手拭いをかぶせてあげるというおじいさんの行為って何とも操体的なアプローチなのではないかと思えてこころがじわ~んと温まってきます。まさに渦状波を受けている時のような身もこころもとろける温かさを感じます。おじいさんが他の5体のお地蔵さんにかぶせてあげた笠は、どちらかと言えば治療技術や知識、風雪に耐えているお地蔵さんを守ってあげたいという思いは感じますが、それはそこに笠があったからこそ出来た親切です。しかし、このおじいさんが6体目のお地蔵さんにかぶせてあげた手拭いはそのおじいさんの人格そのものなのではないでしょうか、本当に何も無いおじいさんがやむにやまれずかぶせてあげた手拭い、このお地蔵さんはおじいさんのかぶせてくれた手拭いのぬくもりを通じてこのおじいさんの熱い生命の持つぬくもりに包まれ癒されたに違いありません。おじいさんに贈り物をしようといった主導者は絶対手拭いのお地蔵さんに間違いありません。私もこのおじいさんのような治療家になりたいと思います。

    では、前置きが長くなってしまいましたが昨日のブログで3日目に続くと書いてしまいましたので今回も若き秋穂の操体との自伝的恋愛小説を見てやってください。秋穂自身書きながら改めて操体への想いを再発見して新鮮な感覚を味わっています。なんだかカウンセリングを受けているみたいな妙な感じです。

    最初の操体の講習会が終わてしばらく経っても、私はまだ何をすれば良いのかわからないまま、ただ一日一日を坦々と過ごしていました。地元福岡に帰るのでもなく、東京で新たな行動を起こすのでもなく、勤務していた整骨院の業務に追われながら日々が過ぎてました。そんなある日のこと私の部屋に最新の家電がやってきました。当時発売したてのApple社のI−bookです。初めて手にしたパソコンで早速インターネットを使って『操体法』と検索してみました。確か操体法公式ホームページに辿り着いたように記憶しています。そして操体法実施施設の中からホームページのある治療院を覗いてみた。良く作り込まれたホームページで、作成者の操体にかける想いがひしと伝わってくる。ここの先生なら何か私の迷いを取り去るヒントをくれるかも知れない。私は早速、ホームページ上から操体法の申込をして、約束の日時に西葛西行きの東西線の電車に飛び乗った。嬉し恥ずかしの初操体体験なのである。無意識のうちに鼻歌唄うやらスキップ踏むやら、どこからみても悩みなどなさそうな能天気さ加減で西葛西の駅に降り立った。そこから歩いて数分のマンションの一室にその療術院はあった。『貞山療術院』現在の操体医科学研究所TEI-ZANそうその時に開いたホームページは東京操体フォーラム常任理事の畠山先生の治療院だったのだ。操体界のゴット姉ちゃんとの御縁であった。私は施療室に通され、カウンセリングシートに名前やらなんやらを記入し、カウンセリングが始まった。今も昔も変わらず年齢不詳の美人治療家(お世辞)畠山裕美先生は非常に淡々と私のからだの様子を聞いたあと「ではまず足の操法」から入っていきますね。」と私を施療ベッドに横になるように促すと、私の足の指一本一本を丁寧に揉み始めた。愛想は恐ろしく悪いのに、とても暖かく柔らかい手であった(様な気がする)。講習を受けてはみても全く操体の治療を受けたことのなかった私にとっては全てが新鮮で全てが鮮烈なインパクトとして私のからだを突きぬけて行った。実際に初めて足関節の背屈の操法を受けた時などは、脱力した際に激しい雷が脊柱を頭の方に駆け上っていくような感覚を覚えた。とにかく驚きの連続の内に1時間ほどの施術は終わった。しかし、その後にさらに驚くべき光景が広がっていた。施術時間より長い操体談義、丁度この直前に伝説の全国バランス研究会東京大会が開催されていて、畠山先生がバラ研に参加した感想や東京近郊の操体の指導者の現状、そしてバラ研東京大会の実行委員長であった三浦寛先生の偉大さ、とにかくもう私は施術を受けに来たのではなくて、講習を受けに来ていたのだと錯覚されるほどの内容で僕の知的好奇心をくすぐってくれた。私はすこぶる爽快な面持ちで来る時の2倍の声で鼻歌を唄い、2倍の歩幅でスキップして帰った。この時畠山先生の熱き操体に活を入れられた私の操体は少しづつ熱を持ち始めていました。この操体の話をし始めたら熱くなりすぎる畠山常任理事の性格は今も健在で、たまには聞いている周囲がハラハラする位に白熱することも少なくないのですが、この操体を愛する熱き心には本当に頭が下がります。丁度この頃から僕の周りの操体環境が変化してきました。それでは次回4日目は、運命の出会い?その時歴史は動いた!をお送りします。

    秋穂一雄

    かさじぞう(こどものとも絵本)

    かさじぞう(こどものとも絵本)

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  • 操体夜明け前

    何となく気ぜわしい師走の福岡の街でひとりぼや〜っとしている秋穂です。

    「あ〜今年も一年が終わるな~。」などと悠長に構えていたら、あることに気が付きました。「あっ!そう言えば来年は年男だ・・・」お酒のめっぽう弱い寅年の私は来年0歳から数えると4回目の年男を迎えるのでした。何故か年男というだけで年が明けるのが少し待ち遠しい気がするのは私だけでしょうか。そう言えばいまから12年前の年男の前の年は現在につながる変革のとしでした。当時の私は23歳のピッチピチのヤングガイでした。21歳の頃から勤務していた地元福岡の整形外科で操体法と知り合い橋本敬三先生の論想集「生体の歪みを正す」を手掛かりに見よう見まねで操体の臨床を行っていた私が、操体法の本質を見てみたいと現実に向かい合うべく整形外科を半ば強引に辞職して(若いからこそ出来た暴挙)東京に居を移し、操体法の講習会に通い始めたのが23歳の年でした。この学んだ指導者は残念ながら今現在につながる師匠ではなく、他の先生だったのですが、その時初めて、その先生の操体法指導者として、現在の東京操体フォーラム理事長の三浦寛先生の名前を知りました。その講習は確か月2回で半年間位の期間だったように記憶しています。操体法の本質とは何かを模索していた私にとってその講習会で得た感想は、この指導者の操体法は橋本先生の操体法とは違っていた。という決して納得できるもの出来るものではありませんでした。これは何も、その指導者の方のやり方が間違っていると言っているのではありません。その指導者の方は、独自の考えに基づいて操体法を整理し独自の操法を構築されておられますし、その指導者の方や、その門下生の方々でその操体法で臨床を行われてある方も決して少なくはないでしょう。ただ私が、橋本敬三先生の著書から感じていた操体の空気感とは明らかに違っていたというだけです。最後の講習会が終わった師走の東京の街を悶々としながら歩きながら、「まだまだこの街でやらなきゃいけないことがあるに違いない。」と心に決めた当時の自分に「よっしゃ、よっしゃそれで良いよ。この先に君の探している人は必ず現れるからね〜。」と言葉をかけてあげたくなります。その時は本当にこの先のヴィジョンなんて何も無かったのですから、東京に見切りを付けて住み慣れた福岡の街に帰ってしまってても何の不思議もないような状況でした。ただあるのは田舎者特有の「東京に行けば何かがあるはず。」という何の根拠もない自信だけだったように思います。この先、現在の御縁につながる出会いが訪れるのですが、それはまだ1年以上も先のお話です。続きは3日目で・・・

    今考えてみると実際にあの講習の後に「俺は操体法を極めた!」なんて勘違いして地元に帰ってしまっていたら、それこそ今の自分の環境にあるものは何も無くなっていたのですから、人間謙虚で居ることって大切なことだと改めて思えます。ちなみにその頃私が抱いていた操体像、橋本敬三像というのは、今もあまり変わらないのですが、真っ直ぐに人間と向かい合う純粋な心と、既成の概念に捕らわれない遊び心と、青空に浮かぶ雲の様な空気感を持った人物であり治療法であると、勝手に解釈しておりました。そんなこともあって当時から僕が名乗っていた屋号を、大空の様に広く自由な視点で物事が感じられるようにという意味とただの音楽好きの言葉遊びで空視堂(ソ・ラ・シ・ド)(ソラシ堂)と名付けていました。この屋号とも地味に長い付き合いです。

    写真は今も昔も変わらず私の中での東京のシンボル『東京タワー』です。初めて羽田空港からのモノレールが浜松町についた時に目の前にそびえたつ東京タワーを見て、わくわくドキドキと興奮したことを今でも新鮮に覚えています。ちなみに2〜3年前に『東京タワー』という小説を書いて売れまくったリリーフランキー氏も私と同じ、福岡県のど田舎筑豊地方の出身です。

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    秋穂一雄