投稿者: karib_sotai

  • ターメリック ガンガー

    こんにちは。
    二日目も引き続き宜しくお願い致します。

    充実したヨーガ環境の中、毎日ヨーガやメディテーションをしていたのですが、今思うとその時にからだと心の一体感、及び
    息・食・動・想の同時相関相補性を何となく感じとれるようになってきたんだと思います。
    こうして書いているとアシュラムの屋上でガンガー(ガンジス河)に沈み行くサンセットを眺めながら太陽礼拝をしていた時の光景が
    ありありと脳裡に蘇ってきます。

    ゆったりとした時の流れに身を委ね、
    夕陽のターメリック色にガンガーも野良牛も、猿も人も染まり行き
    少し遠くの方では毎日決まった時間に流れてくるマントラの音楽が響いています。
    その空間との一体感、
    あの感じはもう一度味わってみたいものです。

    何はともあれ、かかる経験が帰国後、東京で操体を学ぶためのよい準備期間だったのかなと思っています。

    それともう一つ、
    リシケシ滞在中にシバナンダアシュラムにある図書館をよく利用していたのですが、そこに某日本のヨーガ団体の機関誌が置いてあり、
    ふとそれを手に取り目を通してみると、橋本先生の書かれた『からだの設計にミスはない』を紹介している文が掲載されてました。

    この時は既に操体を学ぶ事が決まっていたので、何ともおもしろい流れだなぁと感じた記憶があります。
    操体はさりげなくインドにも上陸していたのですね。笑
    ぜひ今度訪れる際は橋本先生と三浦先生の本をアシュラムに寄贈したいなぁと思っています。
    インドのお話はひとまずここまで。
    明日もまたも私ですが、どうぞ宜しくお願いいたします。

    ご清読ありがとうございました。
    ダンニャバード。合掌

    小松広明

  • 小松 デビューなり。

    どうも初めてまして。

    操体の先輩であり、インドの先輩でもある日下さんからバトンを受け取り、この度
    ブログデビューをすることになりました小松と申します。
    どうぞこれから一週間宜しくお願い致します。

    私が三浦先生のもとで操体を学び始めたのは一昨年の5月からで、その直前まではインドに3ヶ月程行っておりました。

    インドという国は良きに付け悪きに付け強烈な国で、いまだにその波動がまとわりついて離れません。
     これはしばらく渡印されていない日下さんもどうやら同じらしく、まだこの先もインドバイブレーションが途切れない事を予感させてくれます。

    さて、私は主に北インドを中心にコルカタ、ブッダガヤ、バナラシ、サールナート、ハリドワール、リシケシ、ダラムサラアムリトサル、アーグラ、マトゥラー、デリーと旅をしてきたのですが、その中でもビートルズ一行が修行しに来ていた事でも有名なヨーガの聖地リシケシという町に一ヶ月半の間ロングステイしておりました。


    ビートルズアシュラム、現在は廃墟になっている。)

    私が滞在していたリシケシという町はなかなか独特な町で、例えば町全体がピュアベジタリアンだったりします。
    (マーケットに行っても肉は勿論、卵も売っていない!!)  

    そこで、食に対して無頓着だった私も郷に入れば郷に従えということで、必然的にベジタリアンになりました。
    また、流石ヨーガの聖地とうたうだけあって、たくさんのヨーガアシュラム(ヨーガ道場)があり、私はシバナンダアシュラムとベドニケタンアシュラムに滞在してました。

    小松広明

  • 原初からの解放(最終日)

    前日のつづき
    血も凍るようなバース・トラウマからの無意識の叫びに導かれて、病める心とからだに巣食う共通の苦痛がある。それは出生時に拒否された原初の記憶である。出生時のあの出来事が、一挙一動が、赤ん坊の心を傷つけ歪め、そしてその傷は一生つきまとって身心を苦しめる。人生の始まりにおいてはじめて受けた傷であり、そのうえに後日、神経症が芽生えてくる。そうした苦痛が、神経症の形態とは関係なく、すべての神経症の人間の生活のあらゆる瞬間にまとわりついている。こうした苦痛は意識されないことが多いのは、それらがからだ全体にひろがっているためである。それらはさまざまな器官、筋肉、それに血液とリンパ組織に影響を及ぼし、人間は歪んだ行動をとるようになる。なぜ、他人の評判が気になるのか、なぜ、わけもなくいらいらするのか、なぜ、今の自分は本当の自分ではないと思ったりするのか。それらは心とからだの不自然な緊張が慢性的になっているのである。正常な緊張は、我々が生きていくうえで必要である。緊張というのは自分の重みであり、そこに緊張がなければ無重力状態になってしまう。出生時に否定された感情と要求が及ぼす圧力が不自然な緊張をつくりだすことになる。この緊張度が高いほど、気分が悪く、神経症にかかっている者が見せる行動は、少しでも気分をよくしたいと望んで行っている。そしてこの不自然な緊張を伴わない神経症はあり得ない。神経症の一部を形成している緊張は、必要を満たしたり、破滅的な感情から人間を守ったりする方向に肉体を動員する、いわば生存のためのメカニズムである。いずれの場合にも、緊張はその人間の継続性と統合性を保ち続けようとする。
    この神経症は呼吸にもっともよく現れてくる。神経症的な呼吸は苦痛を押しとどめることを目的としており、リバーシングによる深くて速い呼吸を強要すると、抑圧のふたをあける助けになる場合がよくある。その結果、爆発的な力が流出する。高血圧、高体温、手の震えといったさまざまな形をとっていたものが一気に噴出され、その途中で記憶の阻止が解除されることになる。深くて速い呼吸は肉体内部の並はずれた苦痛を解き放つのにとても役立っている。神経症患者は呼吸を制止するという特徴があるが、呼吸の制止には感情の制止が伴う。というのも呼吸の制止は肉体的な抑制のメカニズムであり感情の抑圧である。これが神経症の基本的なメカニズムなのである。この神経症に認められる呼吸の障害は腹部の緊張によってもたらされ、この状態が浅い息づかいをもたらし、またひどく驚いたときに、腹部の収縮によって息を殺すのである。
    リバーシングは生命エネルギーの強い流れを促し、長年抱いてきた感情的な収縮のパターンを解放へと導く。時には、このエネルギーの動きが本人をかなり混乱させるようなことも起こる。これは新しいエネルギー的現実が急激に表れたために、からだ、心、感情、魂にさまざまな影響が及ぶ可能性がある。最悪の場合は強迫神経症、神経衰弱、うつ病などの重度の発作を伴う精神病を思わせるような現象が出てくるかも知れない。生命エネルギーの観点から見ると、それらはヒーリングが進行中であることを示している。ただ解決がプロセスの途中であり、終わっていないということを理解しなければならない。危機的状況に瀕していると思われるときは、何よりもまず呼吸を意識し、鼻からゆっくりとした呼吸をするだけで、気持ちが落ち着いてくる。数分も続ければ、心身ともにリラックスしてくるだろう。補助的には操体でおこなう渦状波などのボディワークも肉体的・感情的にリラックスさせる効果をもつものなら、非常に助けになり役に立つ。たとえば、被験者の胸の下のほうを手のひらでおして呼吸の循環を深めると、感情が解放され不自然な緊張が弱められ、それだけ気分がよくなってくる。このような危機的状況にある場合、西洋医学的治療は危険だ。西洋医学は、生命エネルギーやそのエネルギーの影響について無知なため、危機的状態での理解ができない。この危機的状態を病気であるとし、化学の投薬や入院での電気ショックを処方することになる。だが、そんな治療方法で危機的状態が改善されることは決してない。それまで生命エネルギーの進化を遂げつつあった人々が精神科を受診することによって病棟を埋めてしまうことになる。これは悲劇としか言いようがない。危機的緊急状態はヒーリングが進行中である。そんなときこそ、あくまでも呼吸を続け、出てくる感覚を見つめ、操体法の渦状波のような手段を使ってからだをリラックスさせ、このプロセスを絶対的に信頼することによって、完全な解決を促すべきなのである。

    最後に、リバーシングを行う際には、心臓疾患やてんかん、妊娠後期、内出血のある人などは注意と配慮が必要になる。無理をせずに忍耐強く時間をかけ、からだによくききわけて取り組む限り、それらの状況も深い呼吸の恩恵を被ることができる。
    一週間にわたってリバーシングという呼吸法について述べてみた。

    明日から京都の小松さんがリレーブログに登場されます。よろしくおねがいします。

  • 原初からの解放(六日目)

    前日のつづき
    リバーシングによる苦痛の状態は呼吸器官が要求する以上に深く呼吸する結果、血液中の酸素の量が増え、炭酸ガスの量が減るので呼吸高進症候群にすぎないと、片づけたい気持ちにかられる。それゆえ、西洋医学の学者はこれらの変化を観察して、「過換気症候群」あるいは「過呼吸症候群」のレッテルを貼り、過度に速い呼吸や継続した呼吸は二酸化炭素が必要以上に排泄されてしまうことになり、そのために神経や筋肉の興奮性が高まり、ひどければ意識障害が起こったりするのだと説明することになってしまう。そして、この場合における標準的な治療法は、動脈血液中の二酸化炭素分圧を上昇させることであり、その状態が治まるまで患者の口に紙袋をあて、その紙袋中に吐きだしたガスで呼吸させるというものである。すると、自分の吐きだした二酸化炭素を再び吸いこむことになるので、動脈血液中の二酸化炭素が増え、症状が治まるというのだ。他に抗不安薬を投与して沈静したりするのも有効だとしている。西洋医学的には過呼吸が危険とは云わないまでも、健康的な行為ではないという考え方が多分に含まれているのだろう。
    しかし、そのような判断をすると二つの重要な要素を無視することになってしまう。ひとつには苦痛や不快感を感ずると、呼吸のプロセスが深まるという事実。もうひとつは呼吸高進症のほとんどの場合に、めまいや頭がフラフラする症候が伴うことである。ところがこうしたことは、苦痛を経験しているときには生じない。仮にめまいがすると患者が訴えたなら、それはその患者が苦痛を経験しているのではないと判断できる。また、過呼吸症候群が、特に大きなストレスにさらされている者によく見られる、という事実を西洋医学ではまだ説明することができないでいるし、過呼吸の利点もまったく無視されてきた。深い途切れることのない呼吸をある程度の時間続けると、否定的な収縮体験もやがて大いなる喜びに道を譲るということは体感すれば理解できることである。過呼吸は決してネガティブな症候群ではなく、むしろポジティブな解決をもたらす、それは生涯続いてきた低呼吸の治療なのである。
    療法的に行えば、過呼吸は身心を膨大なエネルギーで満たし、収縮したエネルギーを強力に解き放ち、浄化することができる。その単純な働きは十分に実証される。西洋医学が人間の生におけるエネルギーの動きを理解しない限り、呼吸とは何か、深い呼吸がどんな効果をもたらすかということを理解することはできない。
    今の医学界では心身医学の分野に真剣に取り組もうとする人は実際にはごく少数である。研究基金の配分に影響力をもつ学会でもっとも権威のある研究者たちは、研究課題の優先順位を決定し、心身医学の分野に取り組む仲間を低く見ているのが現状である。現代医学は心身医学を医学スクールで教えることはしない。また科学信奉主義の立場をとる生物医学の主流派の中では、心は脳の回路構成と生化学の産物にすぎず、まるで心は常に原因ではなく結果であり、人間の意識も征服するのを目前にして大いに意気を上げているといったところだ。精神はどのように身体に影響しているかというような心とからだの結びつきに関して、治癒における身心の相関的な側面に医学はもっと関心をもつべきである。
    また、リバーシングの感覚については何も不快なことばかりではない、快につながる変化もある。最初にピリピリちくちくとうずくような感覚だったのが、やがてエクスタシーといっていいほどの陶酔感に発展する場合がある。全身を波のように洗う性的な快感、非常に深いリラクセーション、生命のありようへのパワフルな洞察、深遠で神秘的なビジョン、忘れがたい魂の再体験など。このようなとき、人は呼吸と感情とエネルギーとの本質的なつながりを細胞レベルで見いだすかも知れない。このようにリバーシングは苦痛と呼吸の深さの関係を説明してくれている。
    この諸悪の根源ともいうべきバース・トラウマが精神や肉体に抑圧されたネガティブな印象を形成する。そしてそれを一生持ち続けることになるのであるが、それから救われるために寺院や教会に行き、自分は宗教的であり、救われるものと考えている。しかし、そういったものが宗教的な質ではなく、ただ単に恐れているだけなのだ。神や仏が救ってくれると思っている、が、そうではない。自分が自分自身を救わない限り、誰も自分を救うことなどできやしない。キリストやブッダであっても、我々を救えない。しかし、本人だけが自分自身を救うことができる。自分自身を救うことは自分の責任なのである。
    操体でも自分のからだの感覚をききわけるのは自己責任だと言っている。この自己責任というのは、まわりを否定することによる疑似的な安楽・解放ではなく、苦悩の根源を探るような自覚と反省の中で、自分自身に目覚めることによって責任を他に転嫁せずに自分自身で切り抜けていくということである。そして自分自身を救う方法とは再生すること、再び生まれるということである。それがリバーシングの意味することのすべてだ。
    明日につづく

  • 原初からの解放(五日目)

    前日のつづき
    リバーシングというものの内容に触れると、この呼吸を発見し、体系化したレオナード・オルはこのように言っている『リバーシングは人に呼吸の仕方を教えるものではなく、呼吸そのものから自分で呼吸を学ぶ、直観的で繊細な行為である。直観に基づくゆるやかなリズムに沿って吸気と呼気をつないでいくうち、魂であり、呼吸の源である内なる呼吸が、外なる呼吸とひとつに溶け合うのである』と。
    リバーシングとは、なめらかに流れるような呼吸を長時間、休みなく、途切れることなく持続させる呼吸法である。決して息を止めず、間をおかず、吸気がそのまま呼気につながっていき、呼気もまた一瞬も間をおかず、そのまま吸気につなげていく。吸い込んで吐くという呼吸の動きが交互につながって入息と出息がなめらかな波動を描いて続いていく、そこに呼吸とエネルギーが連動してくる。深くて速い呼吸をするとそれだけ吸う酸素の量が増える。体内に酸素が増えれば増えるほど、ますます生き生きとして、それだけ動物的になる。動物たちは生き生きとしているが、人間は生きているのか死んでいるのかわからない、再び動物にならなければならない。そうしたときはじめて我々の中により高次のものが展開してくる可能性が生まれる。血液中に酸素が増せば増すほど、それだけ細胞の中のエネルギーも増大し、からだの細胞はそれだけ生き生きしてくる。このように酸素を得ることは体内に電気を生じさせ、この電気が生体エネルギーとして流れ出すのである。体内に電気が生じると、自分の内側深くに、自分自身を越えて進んでいくことができ、その電気は内部で働く。からだには独自の電源がいくつかあり、呼吸を増やし酸素を増やしてその電源が入れば、生体エネルギーは流れ始める。そして、ますます多くのエネルギーが体内を流れ、自分自身で肉体を感じることが少なくなってくる。するとだんだんエネルギーとしての自分を感じはじめ、物質としては感じなくなってくる。
    このようにリバーシングの呼吸に入っていくと、実にさまざまな変化があらわれてくる。手や顔、足などに温かくうずくような感覚をおぼえ、それが気持ちよく全身にひろがっていき、あるいは、脈うつようなうずきが徐々に強まり、通常はじめは手、次に顔、足そしてほかの箇所でも筋肉がけいれんを起こし、激痛を伴う場合もある。気が遠くなり、頭がクラクラして、集中力を保てなくなるかも知れない。ほとんど呼吸が止まってしまい、息をするのに大きな努力を要する時間が長く続くかも知れない。吐き気、呼吸困難、筋肉の震えが生じ、体温が極端に上下することも起こる。からだのどこか、それ以前に怪我や損傷を受けていたりして調子がよくないと感じていた部分があると、リバーシングによる呼吸をしている間、そこが過敏になり、より感覚的に捉えることができる。
    また自分の出生時のことを驚くべき明瞭さで想い出す人もいれば、胎児として子宮にいた頃を含め、過去の記憶が次々によみがえる人もいる。それは視覚的イメージとしてやってきたり、あるいは現在の肉体が実際にそのように動いて、はっきり表現したりする。そしてどの人も非常に強烈に何かを「感じる」ことは確実である。悲しみ、恥ずかしさ、怒り、不安、コントロールを失った感じ、無防備になった感じ、無力感、純然たる恐怖、そんな感情が波のように押し寄せてきて、今にも圧倒され、のみ込まれてしまいそうになる。つまり、リバーシングを続けていくと、例外なく感情が解き放たれてくる。
    明日につづく

  • 原初からの解放(四日目)

    前日のつづき
    バース・トラウマを再び経験することで、湧きあがってくる恐怖の中で、そこに握るべき手があり、すがって泣ける肩があり、おだやかに力づけてくれる声がある。そういう介助、指南役が必要とされる。介助、指南役はともに呼吸し、ともに感じることが重要であり、安全性とサポートを保証することができるのである。介助、指南役の役割はそこに座っていること。相手のために全存在を提供し、その成長を積極的に見守ること、そしてともに呼吸して、感じることなのである。リバーシングも操体と同じ完全なる自力自療の典型だ。プロセスの単純さを絶対的な信頼関係にしている。リバーシングによってバース・トラウマを通り抜けることができたなら、無意識の内に生まれてきたときに何が起こっていたのかを、今度は意識的に見ることができたならバース・トラウマは一掃されることになる。意識的に経験されたものは一掃される。そして一掃されたなら自分の無意識はバース・トラウマという傷につかまえられてはいない。これが思考の作用過程である。そうなると本当に眼を開くことができる。世界はこの上もなく美しいことを理解する。松はもっと緑で、バラはもっと赤が鮮明だ! 世界はこれほど色あざやかだったのである。子宮の内は快適で良いものだったが、それは到達点ではない、成長の始まりにすぎなかった。子宮は確かに都合のよいものであった。が、依存の生活である。自由については何も知らない。都合がよく安全な生活ではある、が、単なる植物人間にすぎない。バース・トラウマを通り抜けたなら、人生には子宮などが与えてくれることのできない美しいものがあるということを観はじめる。今となっては、子宮は窮屈なものだった。安楽で暖かくて快適であっても独房であったことにはちがいがない。子宮の内の10か月は成長する上で、か弱くて傷つきやすいため、保護が必要であった。10か月も過ぎれば胎児は外に出ることを強くあこがれる。外に出て子宮から自由になりたい。そして、世間の歓びや苦しみを観る用意ができている。
    一度、バース・トラウマを意識的に経験し、苦痛の記憶を消し去ることができたなら、きっと驚くにちがいない。眼を開けば、木々は以前よりもっとあざやかで、世界がまったく違って見える。世界はなんてサイケデリックな色につつまれているのだろうと。極彩色はいつも眼の前に絶え間なくあったということを。リバーシングによってすべての記憶を通過したのなら、その子宮内からの記憶は自分に対して支配力を失い始める。まず、誕生を経験することになり、もし、それができたなら、次は誕生の10か月前に起こった死を経験できる。さらにその死も経験したのなら、過去の生も明らかになるだろう。そして、その全体像がわかったとしても、生きていく上で何の意味ももたないということも・・・・・・。
    明日につづく

  • 原初からの解放(三日目)

    前日のつづき
    リバーシングという呼吸法は、エナジーとは何かを知るのに一番てっとり早い方法である。リバーシングにより身体が浄化されるので、多くの病気の治癒がなされるのも事実である。また、バース・トラウマにより形づくられた、自分の生活のパターンを認識するのに役立つ。胎児は母親の子宮の内ではとても幸せに過ごしていた。我々はその子宮の中にいた記憶をそのまま持続している。記憶というのは脳の内だけではなく、身体のすべての細胞、すべての線維組織の内に存在する。その記憶は身体のすみずみに浸透している。子宮の内での10か月は、はてしない歓び、くつろぎ、まかせきった状態だった。容易に忘れることなどできるものではない。
    バース・トラウマによって意識の表面から断絶させられたとしても、無意識は依然としてそのことに憧れ続けている。その結果、科学は子宮を外側に創る努力をするようになった。エアーコンディショナー、新幹線、ジェット旅客機、快適な衣服とかは科学技術によって子宮を外側に創ったものに他ならない。子宮内で味わった「完全」への欲求のために、その努力全体が子宮と同じものを創ることに向けられている。しかし、科学技術がどれだけ発展しても、決して満足するまでに至らない。完全な状態には決してならない。そこには依然としてギャップがあり続ける。完全への欲求とともに生きることなどできるものではない。これが神経症の一つの原因をつくることになった。
    これにはバース・トラウマをもう一度経験することが役に立つ。バース・トラウマを意識的に通過することができたなら、そのときには誕生全体の意味が変わる。意識的に自分の無意識の内に入って、完全への欲求が湧きあがってくるところまで入り込んでいく。まずは子ども時代へ入っていき、家庭や学校そして社会での教育や条件付けされてきた幾層にも重なった倫理や道徳の皮をはがしていかなければならない。そして最後にバース・トラウマにたどりつく、自分の生まれたその日に・・・・・・。
    バース・トラウマを再び経験すること、それがリバーシングという呼吸法のすべてである。バース・トラウマをもう一度経験することによって一体、何が起こるのか? 全体の景色が変わってしまう。それを意識的に経験することができたなら、そして子宮から出てきたばかりの赤ん坊に後戻りができるとしたら、それは大変な苦痛と苦悩を通り抜けることになる。生まれた時と同じ痛みで苦しむ。呼吸は乱れて激しくなり、呼吸困難を感じ、それどころか呼吸はまったく止まってしまうかも知れない。身体は麻痺し、死につつあると感じるかもしれない。なぜなら、それは子宮から出てきたときに感じたことだった。とても狭くて、暗いトンネルの中を通過しているような息苦しさを感じる。そして大きな恐怖が湧きあがってくる。
    それゆえに誰か助けてくれる人が、介助、指南してくれる人が必要になる。誰か、護ってくれる人が必要だ。誰か力づけてくれる人が必要となる。「怖がらなくてもいい。心配しなくてもいい。それから逃げないで入っていきなさい、大丈夫だ」と言ってくれる人が・・・・・・。
    明日につづく

  • 原初からの解放(二日目)

    前日のつづき
    かわいそうな赤ん坊は、このような西洋医学の産科学に基づいた安心、安全な出産というものに委ねられることになる。それは母子みずからの陣痛を待たないで、薬剤の力を借りて収縮を誘発することにより、多くの赤ん坊が医師や病院のスケジュールに従って取りあげられている。母体や胎児のからだの有機的なタイミングには何の意味もないかのように扱われているのだ。そして胎児はつねにモニターされ、生命活動標準数値が外れようものなら、さらなる介入が行われる。西洋医学にとっては完璧で安全な環境かもしれないけれど、子宮の中で10か月も過ごした胎児を出迎えるやり方としては、ばかばかしいほど非人間的であると、言わねばならない。
    この産科学の最大の遇行は、ヘソの緒を早く切ってしまうことにある。子宮を出て最初に行われる呼吸はもっとも基本的な意味で個の自律的存在として自らを確立することである。自力で呼吸するというのは、本当の意味で自由に生きるための第一歩である。新生児の脳にとっては一定量の酸素がつねに確実に供給されなければならない。母体につながったヘソの緒による呼吸から肺呼吸への移行はスムーズに途切れることなく行われなければ酸素欠乏に陥ってしまう。酸素欠乏はのちに重大な心身への悪影響を及ぼすことになる。もっとよく注意して観察して欲しい、大いなる自然はヘソの緒から肺への呼吸の移行を十分すぎるほど保護してくれている。赤ん坊が生まれたあとも数分間は酸素を送り続けているのだ。新生児自身が肺で呼吸できることを発見し、時間をかけて少しずつ試み、やがて完全な肺呼吸を覚えて確立するまでヘソの緒は脈打ちつづけ、酸素を送り続けるのである。それが必要なくなったとき、はじめて機能を停止する。実を言うと赤ん坊がみずからヘソの緒を切るようなものなのだ。このように準備ができたら、ちゃんと母親から離れていくことができる。
    病院の都合によるスケジュール出産を思い浮かべると涙があふれてくる。無理矢理ヘソの緒を切られて一時呼吸が止まってしまう、酸素の供給が突然ストップするのだ。さし迫る生命の危険、死がすぐそこまで来ているのにどうすることもできない赤ん坊、パニックが起こる! すると突然、赤ん坊は踵をつかまれて乱暴に逆さに吊るされ、背中を思いっきりどやされる。背中をどやされた赤ん坊は、暴力をふるう手から逃れようと本能的にからだを縮めてしまう。恥ずかしさ、怒り、憎しみの入り交じった最悪の気分から逃れようと感情的にも収縮し、さらに、心理面でも退却してできるだけ小さくなり、自分の内部に身を隠す手段として呼吸を抑えることになる。瞬時に自動的に、これだけのことをやっているのだ、ほかに対応のしようがないからである。ああ、もはや首をふって嘆息するしかない、そして産声を上げると、元気な赤ん坊だと言って騒ぎ立てる。誕生は野蛮で不合理な拷問、この世の暴力への入門式となってしまった。肺呼吸の仕方を学んだことが、人生でもっとも深く傷つけられた出来事になるとは・・・・・・。

    幸いなことにフランスの産科医フレデリック・ルボワイエールが開発した分娩法によってこれらの原初的な苦痛を避けることが可能になった。が、我が国においては未だ改善が見られない。F・ルボワイエール著『暴力なき出産』松村博雄訳(KKベストセラーズ、1976年)他にトマス・バーニー著『胎児は見ている―最新医学が証した神秘の胎内生活』小林登訳(祥伝社、1987年)、デーヴィッド・チェンバレン著『誕生を記憶する子どもたち』片山洋子訳(春秋社、1991年)の一読を勧める。
    明日につづく

  • 原初からの解放

    今週の担当は兵庫県三田市から送信しています。
    今回はリバーシングという呼吸法にふれてみたい。
    リバーシングとは再誕生。米国の精神科医レオナード・オルによって発見された呼吸法である。あるとき、彼はバスルームでシャワーを浴びているときに、床に落ちていた石鹸に気づかず、その上に足をのせて転んでしまった。あまりの勢いのせいか、手をつく間もなく仰向けに全身を強打してしまった。一瞬にして呼吸は止まり、意識あるものの身動きとれない状態に陥った。息を吸おうとするも吸うことができない。そして全身の緊張が極限にきたとき、本能的な全身の弛緩とともに息を吐いていた。すると、その後に僅かではあるがこれも本能的に息を吸っている。彼はこれに賭けた、ひたすら息を吐くことに意識を集中した。少しずつではあるが息を吸っているのが肉感として感じられる。生への執着も手伝って、ひたすら呼吸することにだけ集中し全身全霊を傾けている。このとき、意識の変化を感じ始めていた。自分の記憶が遡っていくのだ、表層意識にはない1〜2歳の頃の記憶がはっきりと意識上に現れてきた。彼はまるで何かに導かれているかのように深くて速い呼吸をリズミカルに力強く続けていたのである。そしてその時はやってきた、呼吸困難を感じ、呼吸は乱れて激しくなり、ときとして呼吸はまったく止まってしまう。身体は麻痺し、死につつあると感じていた、それはまさに子宮から出てきたときに感じたことであった。彼は恐怖心から通常の呼吸に戻していった。この強烈な体験が彼を呼吸の研究に向かわせたのであった。その後の彼は精神学科の教授でもあったことから自分の学生らに何度も実験を重ね、療法として体系づけられたものが今日のリバーシングという精神療法としての呼吸法を確立したのである。

    そのリバーシングとは自分の誕生を想い出すことができ、再びその誕生を経験させてくれる。バース・トラウマという出産時に受ける肉体的、精神的ショックから解放されることによって、潜在意識の中にある誕生時の原初的な苦痛を快へと変質させられる。バース・トラウマは出産時に関係した産科医や助産師たちが、赤ん坊が何を必要としているかを知らず、逆に必要でないものを与えたことによってできた傷である。
    出産時における強烈なライトは医師には大変便利であっても、赤ん坊のような敏感な眼にはまぶしすぎるし、まわりでたてる大きな音や声は赤ん坊には騒がしすぎる。また目の粗い布や、荒々しい触り方はデリケートな肌には耐えられない。このようなしうちは赤ん坊にとってひどい苦しみである。それでもまだ肉体的な苦痛は精神的な苦痛と比べると問題にならない。
    また、子宮から出たばかりの赤ん坊はヘソの緒をとおして呼吸しているのだが、それをすぐに切り取ってしまう。かわいそうな赤ん坊は窒息して死んでいくようなパニックに陥るのである。そしてはじめて肺に空気が送り込まれるのであるが、それは熱い空気が肺を焼き尽くすような苦痛であると言われている。このような暴力で迎えられるという恐ろしい出生体験のあと、さらにぎゃあぎゃあ泣きわめく見知らぬ連中とともに新生児室に放置され、にせの食物を与えられることになる。
    明日につづく

  • 遺伝子オン

    以下の文章は、「こころと遺伝子」村上和雄実業之日本社からの抜粋です。

    人間のからだを構成している細胞には、外からのシグナルを受けるレセプターと呼ばれるものがあります。このレセプターを活性化することが、遺伝子情報をオンにすることであると、世界的に有名なアメリカの細胞生物学者であるブルースリプトンは言っています。人間には、このレセプターをオンにするものが絶えず必要とされています。レセプターを活性化するものは、化学的薬品や食品だけでなく、思いや愛、音楽、ことばなどといった非物質的なエナジーシグナルがそれ以上におおきな影響を与えていることが分かりました。

    外部からの多くのシグナルや情報を受けとり、それを処理し、総合して細胞内に伝えるという意味で、細胞膜は細胞の脳の機能を持つと考えるにリプトンは到ります。
    一連の実験の歳月を経て、リプトンは人間の遺伝子をコントロールするものとは、からだの外からのエナジーシグナルがその大部分であることに気がつきます。私たちは、大きな意味で地球の生命と共生している生命共同体であります。その生命とつながりをもたらすものは、まさに目に見えない、量子的なものであり、振動やエネルギーなどであります。音や、波動、磁気、雰囲気、景色や風、人の思いやこころなど、それらが人の個々の細胞にシグナルを発信しています。私たちはそのシグナルを受信して、必要な遺伝子のスイッチをオンにします。リプトンによると、人体の中で、目に見えないエナジーシグナルは、食べ物や化学物質などの、目に見える物質的シグナルと比較すると、なんと100万倍のスピードでからだのコンディションに影響を与えるといいます。

    私たちのからだはなんと、一日に約二%の細胞が入れ替わっているといわれます。神経細胞だけはかわらないといわれていますが、一年もすると、私たちのからだはまったく違う細胞からなる別の人のようになります。

    DNAの二重らせん構造こそ、この複製機能をつかさどる構造だったのです。人の生命とは、絶えず自分の細胞を複製されることでいのちをリレーしているのです。
    細胞の核の中にある一つのゲノムの中には、約三十二億個の化学の文字(塩基)が記されています。なんとその情報の量は、百科事典でいえば、三二00冊分にもおよびます。成人のからだには、その膨大な量の情報を持つ細胞が約六0兆個もあり、整然と生き続けています。
    生命が誕生するということは、この文字の書き込みが、すごい勢いで十 ヶ月の間にコピーされて完成するということになります。また細胞が入れ替わるということは、コピー機能によって、新しい細胞に転写され続けているということなのです。したがって、三十八億年の生命の歴史がすべてからだの中にコピーされて(書き込まれて)生まれてくる人間は、とてつもない貴重な生命体なのです。

    ながながと書き写してしまいました。今年の1月3日に出たばかりの本です。

    感動のあまりこんなに長くなってしまいました。

    子供達にそのうちゆっくり話して聞かせたいと思っています。

    ありがとうございました。

    鵜原増満