投稿者: karib_sotai

  • 性教育

    私は1954年(昭和29年)生まれ。この年には、日本映画を代表する名作が2本生まれています。
    黒澤明監督の「七人の侍本多猪四郎監督の「ゴジラ」。映画通ではない私が選ぶ世界で一番の映画は、「七人の侍」。
    そして、世界で一番のSF映画が、「ゴジラ」。
    この大作を背負って、まあ〜私の人生があるわけです。
    特に、「ゴジラ」は1954年3月1日にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で第五福竜丸が被爆したことをもとに作られたものです。
    ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた生物が、水爆実験の影響で住んでいた環境を破壊され、地上に現れたとも、数々の水爆実験で放射能を浴び巨大生物と化したとも言われています。 
    ゴジラの襲撃に逃げ惑う人々が、今回の東北・関東大地震での津波放射能被害を被っている人々と重なりあい・・・大惨事を予言しているようで・・・・
    あらためて「ゴジラ」の存在意議を考えさせられました。
    さてこの「ゴジラ」名前は、クジラとゴリラの中間。
    得体の知れない生物は、様々な動物の特徴を持ち合わせて表現されることがあります。例えばカッパ。
    カッパは河童と漢字では書きますが、私には、カエルと子供の中間的な存在に思えます。
    ゴジラにしてもクジラのように海から生まれ、ゴリラのようパワフル。言葉からのイメージが不気味な怪物を連想します。
    日本には、縄文から受け継いだ思想の根底に、山や川には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住むといわれ、妖怪、化け物の存在があります。ですから、ゴジラが社会的大事件の起こった後に、出現するのはある意味、当然であるとも考えられます。

    では、獅子舞の獅子(シシ)。シシは元々肉を意味するもの。肉を食べることのできる動物をシシと呼ばれたようです。イノシシはヰのシシ(鳴き声がイ〜というのでヰ)。鹿は元々、カと呼ばれてカノシシと呼ばれ、それがシカになったようです。クジラの脂がのった肉を鹿の子(カノコ)というのは、その模様が鹿の子に似ているためだと思います。
    とにかく、食用の肉をシシと呼び、そのシシを提供する4本アシ(四肢=シシ)の獣を敬い、恐れそれを形にしたのが獅子舞のシシだと思います。
    私の育った愛媛での獅子舞は、2人が1体のシシとなり、緑色の背中に対し腹は赤。まるで龍の様相、ところが、尻尾はイノシシ、頭は狛犬
    よくよく考えると、全く不思議なモノノケであります。
    初日にチの語源をチ(霊)と同源とみなすとありましたが、
    チ(霊)と対立するのがシシ(肉)であれば、シシ(肉)を通してチ(霊)を尊ぶという図式が祭りにはあると思います。

    さて、これまで長々と性に関係ないことを述べてしまいました。
    ただ日本の祭りは五穀豊穣を願うため性を大らかに表現していることが多く、祭りを語っているといつの間にか性を語ることになります。
    たとえば、祝いごとにはつきもの・餅つき。
    餅米一粒一粒がセックスの賜(たまもの)。その結実を火と水で蒸し、石臼と木製の杵でこねる。
    これを、五行思想からみると、木=杵・火=釜戸の火・土=土から生まれた餅米・金=石臼・水=蒸し器の水。
    宇宙の象徴といえる空間。この場で、父親が杵を持ち、母親が餅に水をかける。
    「ヨイショー、ヨイショー」
    家族総出で、声をかけあっての餅つき。
    餅をこねるのは、石臼という女性性器に、杵という男性性器の結合を意味し、杵を持ち上げ石臼の中央部を突くのは、性行為そのものを意味します。掛水をするのは、大前庭腺(バルトリン腺)から粘液。
    このように考えると、餅自体が生命力の象徴となります。これを、神棚にお供えすることは、子々孫々の繁栄祈願であり、
    餅蒔き(もちまき)はその行為であります。
    モチを、茂・血と考えると餅蒔きの意味合いが色濃くなります(もっとも、これは私の偏見に満ちた解釈です・・・)。
    また、きめの細かい白い肌をもち肌というのは、日本人の餅を敬う心が表れています。
    このように、日本古来の風習には先祖を祭り、子孫の繁栄を祈る心が根底に流れています。そのため、性をおおらかに謳(うた)いその行為を形式美として作りあげているのです。
    これらの風習を幼児のころから体験することが、性教育
    日本には性教育が遅れている・・・・といわれていますが、実は脈々と流れていたのです。
    ところが戦後の高度成長を機に、これらのことを葬り去ったのです。
    3月11日の未曾有の大震災をうけた日本。亡くなった方々の魂を思い、今一度日本のこころを一人一人が考える時に来ていると思います。
    今日はここまでといたします。ありがとうございました。

    佐伯惟弘

  • 「キャー!!」

    おはようございます、ブログ5日目。
    昨日は性をテーマに漆から入り、相撲にまで展開してしまいました。
    まだまだ相撲に関しては思いがあるのですが・・・・今日は、全く別のテーマから進めます。
    サッカー・・・
    私は野球小僧だったため、全くサッカーに興味がなかったのですが、W杯での日本チームの活躍ですっかりファンになりました。
    オランダで一躍ヒーローになった18才の宮市亮(フェイノート所属)。ドイツでドルトムント首位の立役者・香川慎二。ガンバ大阪の天才・宇佐美貴史。スペインリーグ・マジョルカ家長昭博等々・・・今後の日本サッカー界は前途洋々。

    その中でも、インテルミラノに電撃移籍した長友佑都の活躍には胸が熱くなります。郷土が同じ愛媛ということもありますが、そこを差し引いても彼の人間的魅力に惹かれます。
    長友選手は、中学校の時から「西条(市)に長友あり」と知られていましたが、あまりにも小柄(当時150センチ以下)なため、愛媛FCの傘下のジュニアユースに所属できず、地元中学のサッカークラブに嫌々入部していたそうです。練習にはいかず、ゲームセンターで遊ぶ日々・・・それをコーチの井上博さんが
    「おまえの履いとるシューズは、お母さんが汗水流して、こおてくてたんじゃろが!おまえのそんな姿をお母さんが見たら泣くぞ!」一喝。
    この一言が片親で育った長友選手を目覚めさせ、練習に励むようになります。
    そして「自分作り」「仲間作り」「感謝の心」この3つの言葉をコーチの井上博さんは教え続けました。その中でも「感謝の心」は徹底的に言い続けたそうです。
    その結果が、インテルミラノ移籍後の発ゴールでの「お辞儀パフォーマンス」となり、ヨーロッパ中に知れ渡るようになりました。
    長友選手のインタビューを聞くと、必ず感謝の言葉と仕種(しぐさ)が出てきます。その言動から多くの人々に愛されているのがよく分かります。

    この「自分作り」「仲間作り」「感謝の心」は少年に対するコーチの教え。
    これを、大人に対する教えに置き換えると、
    「自分作り」「伴侶作り」「感謝の心」となるように思います。これにより核ができ、子供、仲間という社会性が生まれてきます・・・この核つくりに操体が最も良い・・・・

    橋本敬三先生著の「からだの設計にミスはない」の21pより抜粋。

    奥さんとダンナさんがお互いにね、
    ・・・・
    「どうも俺、背中のこの辺が調子悪い。こっちへ動かすといたいから、その時はその反対へ動かせばいいんだな」
    「私、手伝ってあげるから、うつ伏せになったごらんなさいよ」
    「じゃ、お願いするかな」
    「どの辺が痛いのよ、この辺?」
    「ああ、そこだそこだ」
    「それじゃ、私がここにてを当ててるから、あなた、息を呼
    (は)きながら、痛いのが痛くなくなるようにからだを動かして逃げてみてよ」
    ・・・・・・・
    「ああ、痛いのがとれてきた、とれてきた」
    というふうに、夫と妻が、親と子が、彼と彼女が、友だち同士が、お互いに心を通わせて相睦み合ってやり合えば、世の中も平和になるんじゃないかな。(以上、抜粋)

    橋本先生がおっしゃるように、夫婦仲良く感謝の気持ちで操体をすることが、お互いの結びつきを強くし、強いては、充実した性生活へと結びついていくことになると思います。

    さて、話をサッカーに戻します。You tubeなどで、サッカーゴールシーンをよく見るのですが、その時の熱狂ぶりたるやもの凄いものがあります。特に、歴史の古いヨーロッパのスタジアムで繰り広げられているのはまさにお祭り。
    敬虔なキリスト教徒がはめを外すことができる身近なお祭りなのでしょう。
    日本におけるお祭りは、五穀豊穣をお祭りするため、セックスとの関わりが強いのですが、西洋のお祭りは五穀豊穣のお祭りであっても、セックスとの関わりは少ないように思います。
    そのかわり、スポーツ(日本では、明治までスポーツはなく、お祭りが全て!!)というお祭りにセックスを感じていたのでしょう。
    サッカーなど、その典型。
    相手ゴール(相手のねーちゃんの子宮)にどちらのチームが精子を多くぶち込めるか!!
    まあ〜ちょっと下品ですが、こんな感じに思えます。イギリスが発祥の地といわれていますが、貴族の乗馬などとは、違い庶民のスポーツであったことが伺えます。
    スポーツは肉体を使った競い合いのため、どうしても種の優劣を決めます。それが、卵子までの精子の争いと相似形になるのは、明らかです。
    スポーツの存在しなかった日本では、もちろん祭。
    長友選手のふるさと・西条市の大太鼓祭りは有名。そのお隣の新居浜市・大太鼓祭りは日本三大けんか祭りの1つ。
    大太鼓の乗った山車の前面には長さ5mはある梁のような丸太ん棒が4本。これを武器に2台の山車がぶつけ合いのケンカをするのです。
    死を覚悟の大ゲンカ!!
    4本男根と男根が衝突、「キャー!!」女性の叫び声。
    これを聞いて男達は、益々闘志が沸き立ち再び、男根衝突!
    「キャー!!」
    延々と続くわけです・・・悲しい性・・・
    今日は、まとまりのないところで、おわりといたします。
    「キャー!!」・・・

    佐伯惟弘

  • おはようございます、ブログ4日目。
    今日は、漆(うるし)から性を考えてみたいと思います。

    私が、初めて漆に興味をもったのは福井県三方町縄文博物館での土器にデザインされた漆との出会いからです。
    生き生きとした黒と赤の大胆なデザインに絶句!!
    「これって、ホントに5千年前のもの????」
    その洗練された形に高度な精神文化を感じとりました。精神文化においては、現代よりはるかに優れていたであろうと推測できます。
    ここで、どのようにして漆を発見し器に塗るようになったのか・・・・勝手な憶測を文章にしてみます。

    長寿で一番大きい生き物といえば・・・樹木。
    樹木は生命のシンボルとされ、世界中に樹木信仰はあります。
    日本では神社のご神木はよく知られています。この樹木の中に、皮を傷つけると樹液がでる種類があります。漆がそうです。
    この粘着性のある液は、最初接着剤として使用され、その内、
    ベンガラを入れ赤色漆、鉄分を加え黒漆へと変遷していき、日用品・装飾品としてまた、祭事にも使用されていったと思います。
    事実、三方町縄文博物館では、破損した木の器の破片部に1センチ5ミリの間隔で補修孔(直径5ミリ)9個が残りの器の補修孔9個と呼応するようにあり、漆が塗られていたのです。これは、補修孔に糸を通すことにより固定し、その上から漆を塗ったと考えられます(残念ながら、糸は見つかっていません)。

    ご存じの通りJapanの英訳は漆。そして漆(うるし)の語源は麗(うるわし)、潤(うるおう)。これは、樹液や漆の表面の光沢から生まれた言葉であると思います。
    つまり、漆は凸と凹を結びつける樹木の粘液であり、うるおいを与える器の表皮でもありました。
    このうるし・うるわし・うるおうを最も端的な形にしたものが、結婚式で新郎新婦が酌み交わす杯。
    この真っ赤な赤色漆の杯こそセックスのシンボルだと思います。
    結婚式での三献の儀(三三九度)では、三段重ねの赤色漆の杯を使います。神酒(呑めば、血流がよくなる神の酒=おみき)を銚子で注ぐのですが、最初は一番小さい杯。注ぎ方は、入れるふり・入れるふり・入れる(前戯・前戯・射精)そして、呑むふり・呑むふり・一気呑み(前戯・前戯・エクスタシー)。続いて、二番目の杯、三番目の一番大きな杯・・・これを交互に新郎新婦が酌み交わすことで、数多くのセックスによる子宝を祈願しているのです。

    ここで、赤色漆の杯は女性性器、銚子の注ぎ口が男性性器であることは容易に理解出来ます。
    また、赤色漆塗りを施すことは、うるおう粘膜を示唆します。角隠しで伏し目がちにした新婦で一番目につくのは、唇。

    唇は、粘膜であり外胚葉由来の上皮層。外部環境と内部臓腑を繋ぐ非常にデリケートな部位。もっとも目立つ顔の正中線上に露出した粘膜がこの唇。
    角隠しで伏し目がちにした唇は、膣口。白く化粧された顔全体が小陰唇を輪郭とした女性性器を意味するのではないかと思うのです。
    そして、杯に注がれた御神酒を呑むことで、膣口の準備は出来ています。つまり、大前庭腺(バルトリン腺)から粘液を出し、うるおっていることを表現・・・・
    この儀式を終えることで、新婚初夜のセックスを許され、子孫の繁栄を願うわけです。
    このように、神道における儀式には、性行為を洗練された形式美にまで昇華しているものがたくさんあります。

    たとえば、相撲。
    これから説明するもの私の勝手な解釈ですので、聞き流していただければ結構です。
    土俵は、東側に青房、西側に白房、南側に赤房、北側に黒房が垂れており、中央に土俵(黄)これは、五行思想からくるもの。その中央には直径4.55m(15尺)の円。これは、女性性器の象徴であろうと思います。そのため、未だに女性は土俵の上に上がることはできません。
    また、最も強い横綱が土俵入りで丹田(血を作る最も大切なところ)に付けるしめ縄。これは、蛇信仰から来ています。蛇は長時間♂と♀がセックスをするため、精力の象徴とされ
    神社にはこのしめ縄は、必ず奉(まつ)られています。
    この精力をたくわえた横綱が、土俵(女性性器)で四股を踏む。これは、セックスを意味していると思うのです。

    ここで柏手(かしわで)を考えてみます。
    神道では、右(みぎ)は水際(みずぎわ)、陰陽の陰。霊と肉体であれば、肉体。男女であれば、女。
    左(ひだり)は火足(ひたる)、陰陽の陽。霊と肉体であれば、霊。男女であれば、男を指します。
    つまり、柏手は陰と陽、肉体と霊が合わさること、肉体をもった我が身に神の霊を呼び戻すこと。その波動を通わせることなのです。そして、左手を右手よりやや上に手を合わせて柏手を打つのは、左手が陽、右手が陰だからです。
    ちなみに、神(かみ)とは、火・水(かみ)ともいわれています。
    そこで、横綱の打つ柏手にもどります。横綱の柏手は叩いたあと何度か手もみをします。これは、まぐわい・セックスを意味すると解釈しています。つまり、手もみをすることで、セックスを案じさせすっきりと手刀を切ったあと、四股を踏みます。そして、平成の大横綱白鵬では両手を開いての不知火型のせり上がり(これが、土俵入りの最大のクライマックス)腰が土俵に最も近いところから、ゆっくりと上がっていき最後は、肛門を締め付け、目線はやや斜め上。
    これは、まさしく萎えていた男性性器が勃起し射精するまでの過程を表現しています。
    四股を踏んで開いた両下肢は、陰嚢。体幹が陰茎で頭部が亀頭。
    この巨大男根が徐々に勃起し、両下肢が締まった肛門に引き上げられるように直立したときが、射精時。
    (射精したときは、陰嚢はソケイ管に近づき陰茎と一体化しています)

    ですから、このせり上がりを見た女性客からは「まあ〜素敵!」の羨望の拍手。男性客からは「やった!!!」の達成感の拍手が湧き上がるのです。

    まだまだ、話は尽きないのですが、キリがいいので、今日はこのくらいにしておきます。
    漆から、かなり飛躍してしまいましたが・・・明日はどうなるのやら・・それでは、皆様ごきげんよう!
    お付き合い、どうもありがとうございました。

    佐伯惟弘

  • 再生

    おはようございます!今日はブログ3日目。
    何とか2日間、性と血に関するブログを書けることができました・・・やれやれ・・・文章をスラスラ書くことが出来ない私・・その準備に前もって、下書きをしています・・・現在:3月14日・・あの東日本大震災が起こり3日しか経っていません(3日経ち、やっとブログを書く気になってきました)・・・

    テレビの無い私は、PCから流されるNHK民間放送局の同時映像(テレビの無い人に対して、このような処置をして戴きました)を通して、この大惨事を知り、また東京で震度5という初めての巨大な揺れを体験。
    四ッ谷から新宿、そして渋谷。渋谷では長蛇の列でバスをまつこと約一時間。結局、歩いた方が早いということで、棒のようになった右脚を引きずりながら歩きました。世田谷の家まで歩き、たどり着いたのが午後10時過ぎ。
    そんな中、各国のメデイアが日本人の惨事に対する冷静な対応をしきりに報じています。
    確かに、渋谷でのバス待ち。だれ一人文句を言わず当たり前に列を作っていました。このことを日本人がしっかりと誇りに感じ、空前の大惨事を乗り越え、津波からの負の波動を正の波動に変換し世界に発信していく必要があると思います。

    そのため今回は、自然の災害に対して冷静に対応できる希有な民族・日本人という見方から性を語っていきたいと思います。

    まず日本列島という特殊な地形が関与していることは間違いありません。
    日本列島は、ユーラシアプレートと北米プレートに乗っており、これらに太平洋プレート・フイリピン海プレートが複雑に接しています。ということは、1万年以上前の縄文時代から地震の恐怖にさらされてきた歴史を背負っているわけです。

    その昔、真っ暗な夜、カミナリと共に今回のような津波に襲われると、巨大な龍が神の化身としてやってきた!
    と感じたことでしょう。
    科学が発達した現在でも、人智を超えた大災害に遭遇すると、
    その化身を感じてしまいます。

    それが、言い伝えとなり自然崇拝思想が築かれていったと思います。つまり自然の力にひれ伏す謙虚な心(あるいは、諦観の思想)が作られていったのだと思います。これは日本人一人一人のDNAにしっかりと刻まれています。特に縄文時代文化発祥地・三内丸山遺跡がある東北地方の人々には、色濃く残っていると思います。
    蝦夷(えぞ・えみし)、つまりアイヌ人(縄文人)が住んでいたところが東北地方。しかも、今回大震災があった三陸沖はリアス式海岸で高い津波の押し寄せるところ。
    津波に対する畏敬のDNAを最も多く刻み込んでいる人々が住んでおられると思います。
    被災後のインタビユーで、息子さん、お孫さんが亡くなられても、毅然と答えておられる姿勢を見るたび、胸が熱くなり目頭に込みあげてくるものがあります。東北人の冷静でしかも熱い情熱をもった底力に敬意を表すと共に、同じ日本人としての誇りを感じます。

    この自然崇拝は、海を母なるもの、山を父なるものとし、その恵みの出会う場で生活できることに感謝することが根本思想。縄文の人々は狩猟民族であり、平地の少ない三陸沖は漁業が盛ん、母なる海を崇拝する縄文人の思いが根底にあると思います。
    また、縄文人を現存するアイヌ人とすれば、アイヌ人にとって、人間の生は全て再生。胎児は全て祖先のだれかが帰ってきたものなのです。
    このことを念頭に置いて、3月14日付け、産経新聞の最終面の南三陸町の海岸を上空から撮った写真を眺めていました。

    狭く切り込まれた湾にせり出すような山並み。津波にさらわれた住宅が原型を止めず、木片となり湾内をおおいつくしています。
    「何かに似てる」と感じました。
    ブログ初日で
    小腸内で食べ物が無構造な有機物の塊(モネラ)を形成し、このモネラから小腸絨毛上皮細胞が発生し、赤血球母細胞が新生し赤血球が造血される
    と説明しましたが、その小腸絨毛上皮細胞の様子に似ているのです!全ては相似形。
    亡くなった方々がおられる湾内の様子を描写するのは不謹慎。しかし申し訳ございませんが、敢えて進みます。
    これが縄文時代津波災害の後だと設定してみます。湾内に漂うのは、全て山側からの木材。そして、生き物の屍。縄文時代なら、数ヶ月もすれば何事もなかったように元の姿を取りもどすことでしょう。
    ここでは、湾内に浮かぶ物ものが、小腸内のモネラに相当。
    これがいつかは藻屑(もずく)となり、海に帰一する。丁度、モネラ赤血球になるように・・・つまりは、海が血液。山が内蔵系、運動系等を含む肉体となり、地球が一つの生命体となるのです。

    不幸にも一瞬にして命を失った方の身になると、たまったものではありません。しかし、くりかえし再生する自然の摂理を知っている人々にとって、この海への帰一、あるいは大地への帰一は、再生への過程と考えます。
    つまり、亡くなった人の魂が一度祖神の里に帰り、祖先のだれかとなって再び胎児として帰ってくるのです。
    その結果、海も山も再生・生命力の象徴として崇められ海の神、山の神への信仰へと繋がっていきました。そして、この再生を促す行為がセックスであり、最も尊ばれるものであったと思います。
    天と地がセックスをするのが、カミナリ。
    カミナリの事を稲妻(いなずま)とも言います。大気成分の8割は窒素で残りの2割のほとんどが酸素です。雷の放電は窒素と酸素に化学変化を起こさせ窒素酸化物を作り、それが雨に溶けて地面に降ってきます。

    つまり、カミナリが肥料を作ってくれるのです。それで、落雷のあったところは、豊作。それで、稲の妻(いなずま)。
    また、落雷のあった場所でセックスをすると豊作つまり、子が授かるとまあ〜大らかな風習があったようです。
    このように、日本人の深層には、自然と一体化した自己があり、それはまた、自然の一部であり、いずれ再生するという想いが流れているのだと思います。それが、災害に遭遇したときにある意味で諦観した想いを作りあげるのだと思います。
    というとこれで、今日はおしまいにいたします。ではまた明日。ごきげんよう!
    ありがとうございました。

    佐伯惟弘

  • 血の匂い 2

    皆さん、おはようございます。
    今日はブログ2日目。今週は性がテーマで、昨日は、「生殖細胞細胞分裂ではなく、赤血球から子々孫々と伝わる」というところで終わりました。
    そうなんです。血が生殖細胞も作ってしまう!!!

    つまりは、質のいい赤血球をもった血液が最も大切であるということなんです。
    ということは、セックスをする前に、男も女も、「こいつ、いい血持ってる???」
    と必ず探り合っているはずなのです。
    そのとき、血を映し出している皮膚であったり、唇の色、質感、脳が写しだされている眼球とその勢いであったり、はたまた、そのご先祖様の血を勘ぐる第六感だったり・・・・
    とにかく、血の質をあらゆるセンサーを巡らせてチェックしているのです。
    20年程前の私と元妻に関して・・・・

    出会い・・・私「パーマのかかった髪した、元気のええ姉ちゃんやなあー。」
    元妻「私のパパは、デザイナーで今は、大学で教えてるの。ママは、昔、ウォールトディズニー働いていて若い時2つもアカデミー賞をとったのよ」
    私「へ〜、血はいいみたいね。」と思っただけ・・・彼女は、この時すでにセックスを考えていて、自分の血を誇らしく、価値あるものだと主張したわけです・・・今になって思うと・・・
    ところが、彼女に興味がない私は、私のことは全く話さず、
    「そうか・・・身内にそんなオモロイひとがいるんやったら、
    俺かて、友達にこんなオモロイやつがいるで〜」とどうやら、友達の話をしたそうです(私は、あまり記憶がなく、元妻があとで話してくれました。)

    ところが、そのことで彼女はもっと私の血に興味をもったようなのです・・・・ことは意に反して進んでしまうもの・・・つまり、私をもっと奥ゆかしい日本男性だと勘違いしたわけなのです。
    それからは、彼女からの手紙やらハガキやらが届いて・・・
    今になって思うと、この時だけですね・・・こんなにもてたのは・・

    でも、たどたどしい日本語で才女(元妻はアメリカ人)が書く文章はカワイイ!!!!!
    で惚れてしまったわけです。
    そして、やはり血を感じこの女性だと、いい血の子供が生まれるとお腹にストンと落ち着くものを感じました(ご存じ、これを腑に落ちるといいます・・・凄いですね日本語)。
    実際、本当に素晴らし子供が3人も生まれした。ですから、別れた今でも、彼女には感謝しています。ただただ、私の至らなさ、傲慢さが離婚の原因、全てであると思っています。
    本当に申し訳ないことしてしまいました。

    ・ ・・・って、落ち込んでもいられません。
    血に関して、話をすすめていきましょう。
    千島学説では、小腸内で食物が無構造な有機物の塊(モネラ)になり、それから小腸絨毛上皮細胞が発生し、この細胞から赤血球母細胞が出来るとあります。
    これは、大地に根をはやした樹木が、水を通して大地の養分を自らの樹液にするのと同じこと。
    この世の全ては相似形。
    もっと端的な例は、胎盤。卵管膨大部で受精した卵子は、子宮まで移動し、そこで根っこを生やします。ドングリが大地に根っこを生やすのと全く同じ。この時、ドングリは光と大地と水のエネルギーを得て成長していきます。
    人間では、胎盤がこのエネルギーの源となるわけです。子宮動脈と子宮静脈により常に新鮮な血液が流れている・・・確か1分間で体内を1周しているはず・・・胎盤は血の海と言っていいでしょう。
    そこに、胎児の臍からのびた毛細血管がびっしりと根っこを生やしているわけです。たとえ母親と胎児の血液型が違っていても、母親の体中に発生した異物である胎児は、自身の血液型を持っています。胎盤から毛細血管を通して吸い上げた時にもうすでに自らの血液型になっています。

    この瞬間、生命が生命として成り立つのです。
    全ては相似形。
    血管外に出た赤血球が、原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化・移行した瞬間と同じ(これが、【第一原理】赤血球分化説)。

    【第五原理】腸造血説では、食物の無構造な有機物の塊(モネラ)が小腸絨毛上皮となり、そこから赤血球母細胞そして、赤血球が生じています。
    これは、小腸内で食物から出来たモネラが、ドロドロの大地のようになり、小腸内の絨毛で吸収された瞬間、自らの血(樹木で言えば樹液)になることを意味します。

    ここで、胎児をイメージして下さい。子宮という心地よいベッドで育っています。その回りは血液を作ってくれている小腸に囲まれています。そしてその上には、血液をいっぱい蓄えている肝臓。子宮全体には、常に生命の象徴(小腸?)である心臓からの鼓動が響いています。
    胎児が安心して、すくすくと温かく過ごせる実に、実に完璧な環境が用意されているわけです(東洋医学で、心臓と小腸が陰陽の経脈と言われる由縁)。
    胎児はこの血の息吹を全身で感じ取り、すくすく育っているのです!!!!

    そうです!胎児は血のうねり・波動なのであります。
    この血のうねり・波動こそが生命現象。

    もうそろそろ、血液が骨髄ででき、骨髄バンクがどうのこうの・・言っている150年前の亡霊を解き放つ必要があるのではないでしょうか。

    まだまだ書きたいことが渦巻いていますが、今日はこのぐらいにしておきます・・・明日はまた、この続きをお送りしたいと思います。
    おつきあいどうもありがとうございました。

    佐伯惟弘

  • 血の匂い

    3月11日の東北・関東大震災で2万人以上の方々が亡くなられました。この方々には温かいご家族、ご友人がおられた事でしょう。それを何故・・・・・何とも惨い自然の仕打ちです。ただただ、亡くなられた方々の魂が静まり新たなる門出となることをお祈りするばかりです。
    また、被災された方々の一刻も早い復興をお祈りいたします。

    私が今できること・・・立ち止まり、今までの生活を見直すこと・・・日本が復興するため自身で出来ること、出来ないことを見極めること・・・

    これから今週のブログのテーマに入っていきます。先週は、感性豊かな小代田実行委員の瑞々しい文章でしたが、
    私はどうなることやら・・・・
    私は、書くのが遅いため、20日前から書き始めています。そのことを少し考慮していただければ有難いです。ではスタート!

    性に関してのブログ・・・・実にこまりました。離婚してから、11年。
    性生活がなされていない私・・・・そこで、性を語る。
    いや、それだからこそ、過去の失敗を含めてあらためて問い直す必要があるようです。
    手探りの状態から少しずつ始めたいと思います。

    性を考える時、どうも血の匂いがしてしまいます。
    とまあ〜・・・・始めてみましょうか・・・・

    そこで、血・・チの語源から調べてみたいのですが、日本語自体が言語学者の方々でも、諸説唱えられておられるミステリアスな言語。私のような門外漢は標識のない砂漠を前に呆然とするだけ・・・・

    そこで、梅原猛氏の直感からきた文章をたよりにしたいと思います。
    「縄文語がもともと日本列島にあって、それにウラル・アルタイ系の言語だと思いますが、ウラル・アルタイ系の渡来人の言語に影響されて和語ができた。
    ところが、この和語は土着語の影響が強いわけです。また一方、縄文語があまりほかの言語の影響を受けずに小進化したのがアイヌ語である。そして和語がまた小進化して現代日本語になった。」
    この説だと、縄文語を幹に弥生人がもたらしたウラル・アルタイ系の言葉を挿し木したものの、幹の性格をよく残したのが、アイヌ語。二つの性格をかねそなえて成長したのが現代日本語となります。
    いづれにしても、日本語・日本人の深層を考える場合、縄文語・アイヌ語が重要になってきます。

    このことを踏まえて、あらためてチについて調べてみました。
    「古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として、チ・ツ(血)、チ(乳)、ツ(唾)に共通したtを認めることができるので、これらを同源とみることができる。
    また、血・乳とも、人(子供)・生命にとっての重要な生命力の源であるからそれを、さらにチ(霊)と同源とみなすここも可能であろう。」
    とありますが、もっとも大事であろうと思われるチ=霊がよくわかりません。タマシイ→シイ→チなのでしょうか?また、チは地・大地とも通じると私は思います。
    いずれにしても、この語源からチが性と関係がありそうな予感を受けます。

    さてそこで、以前のブログで千島学説に触れましたが、もう一度この千島学説を考えてみたいと思うのです。
    なによ、今さら・・・とお思いでしょうが、もうしばらくお付き合いのほどお願いいたします。

    千島喜久男医学博士(1899〜1978)はノーベル賞の医学生理学部門の候補として、ノミネートされたことがあるにも拘わらず、その説が従来の説を蹂躙してしまうためか、当時だれ一人として、追試する研究者がでず、その正しさを認めてもらえませんでした。その後、森下敬一氏が追試実験を行い、その正しさを主張したものの、学会からは無視されました。
    その後、酒向猛氏(2011年現在:セント・マーガレット病院医師)によってその真理は確認されています。私は酒向先生の講演を聴講しその誠実さに触れる事ができました。

    この千島学説には八大原理がありますが、そのなかの第一原理と第五原理を簡単に紹介いたします。
    【第一原理】赤血球分化説
    赤血球は酸素を運ぶ為だけに分化した細胞ではなく、あらゆる細胞に分化する母体となる細胞である。赤血球から白血球やリンパ球が分化し、白血球やリンパ球から体の全ての細胞に分化してゆく。

    【第五原理】腸造血説
    赤血球は骨髄で造られるのではなく、生命力に富んだ食物が腸の絨毛で変化してできた物であり、腸こそが造血臓器である。

    この二つの原理から、「食べたものが血となり、肉となる」というごく当たり前の真理が見えてきます。

    【第五原理】腸造血説において、小腸内で食べ物が無構造な有機物の塊(これをモネラと呼びます)を形成し、このモネラから小腸絨毛上皮細胞が発生し、小腸絨毛上皮細胞から小さい赤血球をいくつか孕んだ赤血球母細胞が新生し赤血球が造血されるとしています。
    つまり、腸は生きた食物の細胞の生命体が動物の生きた細胞に変化する細胞新生の場と考えられます。
    【第一原理】赤血球分化説は、千島先生著「血液と健康の知恵」p31を抜粋いたします。
    「これまでの研究者は鶏の胚子の生殖腺(睾丸・卵巣)の組織発生についての研究は、みんな胚子のウォルフ氏体(中腎)と附着している生殖腺を切り離して顕微鏡検査をしていたが、私はそれを切り離さずに中腎と生殖腺とを一体にして標本を作り、それを調べたところ中腎と生殖腺の出来始めのものは両者の境がなく連続的であり、しかもその境の附近には血管外に出た赤血球が無数に散在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の凡ての細胞に分化、移行していることを確かめることができた。
    これまでは、生殖細胞は分裂増殖して、子々孫々に伝わるものとされてきたのに、事実はこれに反し、体細胞の一種である赤血球から生殖細胞その他へ移り変わっている状態を見た私は、始めは呆然として、自分の眼や頭を疑うほどのショックを受けた。しかし、何百枚ものプレパレートを入念に調べてみたが、細胞分裂によるのではなく、赤血球から変化するものであることを確認した。」

    これが、世紀の大発見でまさしく真理だと思います。

    生殖細胞細胞分裂ではなく、赤血球から子々孫々と伝わるということなのです。

    ここで、やっと性と血のつながりが真理のカガミを通して見えてきたように思います・・・・今日は、この辺で、失礼いたします。
    明日は、この続き・・・・それでは、ごきげんよう!
    ありがとうございました。

    佐伯惟弘

    参考文献
    血液と健康の知恵 千島喜久男著 地湧社
    癌を克服するために 酒向猛著
    日本の深層 梅原猛著 小学館

  • よすが

    皆さん、こんばんは。一日お疲れ様でした。今日は皆さんにとってどんな日でしたか。静岡は青空がとてもきれいな一日でした。皆さんの住んでいる空はどんな空でしたか?
    去る3月11日、東北地方を中心に未曾有の大震災が起こりました。あの日から、自分に今何ができるか、そして未来に向けて私達に何が出来るか、そう考え続けています。そんな思いの中書き続けた今回のブログも最後の一日となりました。最終日、どうぞよろしくお願い致します。
    男性と女性は違うからだと性を持ち、与えられた命へのそれぞれの役目がある。男女の営みの形とその表現は、時代や文化、その背景によって移り変わってくるのかもしれないが、それぞれのからだが与えられた性(命)の質は変わらないのではないかと思う。
    性についてはそれこそ色々な考え方や向き合い方があるだろう。しかし命をつないで行くとき、自分の性を知り生きて行くことは大切なことなのではないかと今感じている。命をつなぐことは、命を生みだすことだけではない。それを生かしていくことも命をつなぐことだと思う。
    自分の性をきちんと知り理解することは現在そして未来において自分が生きていく大きな指針になるのでなないかと思う。時にその与えられた性に違和感を持つ人もいるだろう。それはそれで良いのではないかと思う。大切なのは自分のからだと向き合い、自分の中に与えられたその性(質)を知り、繋いでいく命のために最大限生かす道を知ることだと思うから。
    先日も書いたけれど、からだと言うこの形あるものもまた真理。それは私達に多くのことを教えてくれる。
    私が学んできたこの操体をこれからの命のためにどう生かせるだろうか。どう皆で分け合えるのだろうか。
    今回のブログのテーマは「セックス、そして性」というものだったが、このテーマと向き合いながら「今」そして「未来」の命と向きあった一週間だった気がする。
    最後までお付き合い頂きました皆さま、パソコンを通してですが、こうして皆さんと一つの時を共有できましたことに感謝しています。ありがとうございました。
    今回のテーマは切り口が様々あり、とても大きなものだと思います。それゆえに多くの向き合い方があると思います。私が今回綴った言葉達もその一つだと思って頂けたら幸いです。
    明日からは佐伯実行委員、どんなお話が聞けるでしょうか。佐伯さん、よろしくお願いします。
    ではそろそろ今回のブログを終えたいと思います。皆さまとのこの時に名残惜しい気持ちを残して。

    小代田綾

  • 贈り物

    こんばんは、小代田です。今日も一日終わりに近づいています。皆さん今日はどんな一日でしたか。夜が明け、太陽が昇り、そして明日へと移り変わる。それは私達の意思とは関係なく繰り返される。どんな時も新しい日は訪れ、私達を未来に向かって歩かせる。
    今回のブログも残すところあと2日になりました。今日もどうぞよろしくお願いします。
    以前なにかの本で「人は美しいものに癒される」と書いてあった。それは子供もお年寄りも同じなのだそうだ。確かにそうかもしれないと思う。
    私は訪問マッサージの仕事を始めてから、今まで会うことがなかったような人達と会うようになった。そしてそのお宅を伺うようになり、多くの時を共に過ごさせて頂いた。出会った方、それぞれが色々な人生や今を生きていた。ともに喜び笑ったことも沢山あるけど、同じくらい痛みや悲しみを分かちあって過ごした。その時一つ決めたことがある。それはその方達に会う時だけでも美しく優しくいようと。
    それまでお化粧と身なりは自分のためのものだった。化粧をしようとしまいと自分の勝手だ、歩き方だって、話し方だって。でも思ったのだ、美しいものが人を無条件に癒すのならそれにならおうと。
    女性が神様に与えられた特別なこと、それは人をその存在で癒せることではないかと思う。それは見た目の美しさだけでなく、動きの優しさ、その声、柔らかく表現することが出来るそのからだ。女性はその在り方で、人を癒し勇気づけることができる。これは美人とか美人じゃないという事とは少し違う。それは男性がいくら望んでも手に入れることが出来ない質的なこと。女性はそのからだに無条件の癒し、そして赦しを持って生まれてくるのではないかと思う。
    女性の肌は薄く繊細だ。時にそれはやっかいだけれど、その分その肌は細やかな感受性を持っている。女性は無意識に多くの感覚を同時に使っている。例えば日々の肌の手入れで使う化粧品一つとっても、女性はその手触り、肌なじみ、香り、肌の感覚と多くの感覚を同時進行で味わっている。女性はその肌に五感を宿している。
    これもきっと神様が女性のからだに下さった男性にはないものだと思う。ある方が以前言って下さった言葉を思い出した。「女性は学ばなくても生まれながらに全てを知っている。男性はそれを知らないから学ばなければいけないんだ。だから君達女性はそのまま生きれば良いんだよ」と。
    そして男性、男性も女性と同じように特別な何かを神様に与えられている気がしている。そしてきっと、それは女性にはないものであり、女性が欲しくても手に入らないものなのだろうと思う。それは絶対的何か。自分の性を見つめた時、そんなことをふと思った。
    さて、今日も操体の話から大分それてしまったけれど、そろそろ明日を迎える準備をしたいと思う。操体とは離れてしまっているかもしれないけど、きっと操体を学ぶ上でも大切なことなんだと思う。それは操体が命を学び、そして自分を知り学ぶことでもあるから。
    今日も生かされた命に感謝して。そして明日という日が、遠く離れた友たちを守り力づけてくれることを祈りながら。

    小代田綾

  • 車の中の物語

    こんばんは、小代田です。みなさん今日はどんな一日でしたか?
    今日は車で職場から帰ってきました。私はいつも仕事で車を運転している時間が長いのですが、この運転時間、無意識に色々なことを考えていることが多い気がします。今日も職場から自宅までの一時間半の時間、気がつくと今回のテーマのことを考えていました。運転中の私の頭にはいつものように流れる雲のように感覚が言葉として浮かんでは消え、浮かんでは消えて行きます。それは無秩序な連想ゲームのように。
    セックス…性への目覚め、恋、興味、好奇心、所有、愛、生殖、歓び、悲しみ、依存、刺激、未来、過去、共有、共感、歓び、くつろぎ、幸福感、信頼、コミュニケーション、交感、欲望、欲情、生、若さへの執着、エネルギー…

    そんな取り留めのない連想を繰り返しているうちに「セックスをする時、何かを考えるだろうか。操体のことを考えるだろうか、快や不快を考えるだろうか」ふとそんなことが頭に浮かんだ。
    静かな頭に「きっと私はその時何も考えていない」という言葉が浮かんだ。きっと私はただ相手と向き合い、相手を感じている。
    感じる、それは快楽を感じるとかいうそれとは違う、それはきっと空っぽになるということに近いのかもしれない。空っぽになるというか、自分が形をなくす。相手に合わせ形をかえ、受け入れ、反応する。そこには快も不快もない、すべての感覚は言葉をいう形をなくす。音はあるけれどなく、眼は見えるのだけど見えない、すべての感覚はきっと存在しているのだけど名前をなくしている。からだもそう。そのからだは確かに存在しているのだけど、私という存在はからだとは別に在り、それは形をもたたない。ただ静かに満ち足りた気持ちでそこにいる。からだの歓びとは別の喜びがそこにある。頭寒足熱、ちょっと違うけどそんな感じのような気がする。
    そして静かな連想ゲームの最後に浮かんだこと、それは「セックスは言葉(形)を持たない」ということだ。それは言いかえると論じることが難しいということ。私達は誰に教わるわけでもないのにそれが必要だと気がつくと知っていた。
    もし人がそれに言葉を必要とする時、それは言葉にする(理由を必要とする)時なのかもしれない。
    話は変わるけれど今こうしてパソコンに向かいながら、そう考えると「セックスって操体みたい」なんて思ったりする。
    一緒にしたらいけないかな。でも私にとっては形は違うけど、どちらもいつも共にいる自分から解放される。生きているために頑張って身に付けた言葉や知識、常識、決り、形、そんなものからからだもこころも抜け出す。すべての感覚はきっとそこにあるのだけど、もうそれは形容詞を必要としない。ただそこにある、それだけで良いのだ。そこでは全てが赦されている。そしてそこには向き合う相手との営みを感じているからだと、それとは別に静かで穏やかで素直な私がいる。そしてその二つに共通するもう一つのこと、それはその相手は愛する人、もしくは信頼する(できる)人であるということ。

    では、今日はこの辺りで。おやすみなさい。

    小代田綾

  • 女性のからだ2

    皆さんこんばんは。計画停電から復活、夜もふけてきた富士宮から今日も小代田がお送り致します。そろそろ春だというのに、まだまだ寒い日が続きますね。皆さん、今日のこの時間どうお過ごしですか?
    今日は女性のからだについてもう一日お話させて頂こうと思います。私の星座である蟹座は女性の象徴である子宮と胸(バスト)を司っているそうです。子宮と豊かな胸、確かに男性にはないものですね。そこで今日はこのもう一つの象徴であるという胸から女性のからだについて見て行こうと思います。
    子供も少年も、青年もおじさんも、そしておじいちゃんもなぜか大好きな「おっぱい」。このおっぱいと言われる女性の胸は、女性が思春期になると自然にふくらみ始めます。子宮とは別に女性の胸も子供を迎える準備をし始めます。それは母乳を出す準備。可哀想だけれどおっぱいは本来男性のためのものではないようです(ごめんなさい)。
    もう既にお子さんをお持ちのベテランパパさん達はご存じだと思いますが、お母さんの出す母乳の原料はお母さんの血液から出来ているということを皆さんご存じでしょうか。
    この母乳の準備のためにからだ中から血液が自動的におっぱいに集まります。そこで血液は色を変え姿を変え、母乳に変わります。実は女性のからだ、この胸(おっぱい)の機能だけみてもはかなり高機能なのです。
    母乳を赤ちゃんに与えるという行為を一つ例にあげてみようと思います。その機能には赤ちゃんが乳首に吸いつかないと母乳が出ないとか、ベビーに合わせた母乳が調合され分泌されるとかなんてものがあります。また赤ちゃんが乳首に吸いつく刺激によりお母さんの脳を刺激し、母乳の分泌を促すと共にお母さんの子宮の収縮を促し出血を止め、お母さんの子宮の回復を促すとも言われています。
    いかがですか。これ一つみても、おっぱいなんていう可愛い呼び名の胸が、脳や子宮などからだのあらゆる所と連携し、影響しあっているということが分かります。
    以前「子宮が緊張したりして固くなると、おっぱいも固くなるのよ」という話を聞いたことがあります。そしてその話を忘れていた頃、「お腹(子宮)に良いんだよ」という治療をして頂いたことがありました。すると張って痛む程だった胸が驚くほど柔らかくなったのを覚えています。その時、以前聞いた話を思い出し「やっぱりからだって繋がっているんだな」と自分の柔らかくなった胸を触りながら思いました(それから胸は私の一つのバロメーターになっています)。
    でも色々な道具をみても(からだを道具に例えるのは申し訳ないのですが)高機能ということはその扱いは繊細で代用できる部品が少なく、一つが壊れれば他の所にも影響が出るということです。そしてそれを治すのはやはりシンプルな作りのものより難しい。
    女性は大変です。子供のために食べ物も気をつけなければならないし(お腹の子供の栄養も、生まれた後の母乳もお母さんの血液から出来ているのですから)、からだを冷やしていけないと言われるし、お母さん達は子供が生まれた後も育てるという重大任務がありますし。そのからだは驚くほど豊かな機能をそのからだはもっているけど、それゆえに思った以上に繊細だし。子宮もおっぱいも使ったら使ったで大変だし、反対にこれほど活発なものを持っているから使わなければ使わないで色々なトラブルが出てくるし。
    でも見方を変えるとそれが女性の強さを作っているのかなと思います。だってこれほど多くのことがからだの中で行われているのに、普通に生活できるのですから!
    二日にわたり女性のからだについて、少しですが書いてみました。女性を象徴すると言う子宮と胸(おっぱい)。皆さんにお伝えしたのはほんの一部ですが、知れば知るほど奇跡と思える営みが行われている女性のからだ、そしてこの2つの象徴に、男性が魅かれるのが分かる気がしました。きっとからだが魅かれているんですね。自分とは違うそのからだ、そして性に。
    そんなことは思いながら、今日はそろそろ終わりにしたいと思います。操体と母体の話ももからめてできれば良かったのですが、まだまだ力不足で…。楽しみにしていた皆さま、お許し下さい。
    まだ桜は少し先でしょうか?今年も生きる喜びと希望を与えてくれる、あの美しい桜の花が日本中で咲き誇りますように。

    小代田綾