投稿者: karib_sotai

  • ひだり 七日目

    からだの中心と重心をどこに設定するかによって、吸気の質量がかわってくる。

    からだが右重心に偏差すると、吸気の質量が減少する。

     

    f:id:tokyo_sotai:20210814134206j:plain

     

    1週間ありがとうございました。

    明日からは三浦寛幸の担当です。

  • ひだり 六日目

    からだの中心と重心をどこに設定するかによって、重力とのバランスがかわってくる。

     

    f:id:tokyo_sotai:20210814133924j:plain

     

     

  • ひだり 五日目

    からだには、

    より吸気がとおり易い流れの道と、より呼気がとおり易い流れの道がある。

     

    f:id:tokyo_sotai:20210814133553j:plain

     

  • ひだり 四日目

    からだの動きと運動は違う。

    からだの動きは、吸気で制御し、運動は呼気で制御する。

    これからは運動ではなく、運動の動き、にしたい。

     

    f:id:tokyo_sotai:20210814133404j:plain

    まーちゃんとりんちゃん(凜)

     

  • ひだり 三日目

    重心移動と体重移動は別ものである。

    重心移動は本人の意識関与で、中心と重心を制御し、

    体重移行は、からだの無意識が制御するものである。

     

    また、重心移動は、呼気で制御し、体重移行は吸気で制御できる。

     

    f:id:tokyo_sotai:20210814133014j:plain

    9年くらい前の写真。右はシモン君で、左が小十郎。

     

  • ひだり 二日目

    からだが右重心に偏差するのは、効き手を利き手にしないからである。

     

    からだの動きは、求心性の動きと遠心性の動きで重心のバランスを制御している。

     

    f:id:tokyo_sotai:20200902215301j:plain

    真魚君。

     

  • ひだり 一日目

    近頃は、猫ちゃんにブログを書かせていたが、猫ちゃんが、そろそろオヤジが書いてみたら、と注文をつけてきた。

    手を抜くと、ブログも書けなくなる。

     

    左重心の呼吸法は、吸気法である。
    吸気法と書いて「こきゅうほう」となる。

    吸気を、抜く吸気法(こきゅうほう)である。

     

    f:id:tokyo_sotai:20200804072242j:plain

     小十郎(ちびちゃん)と真魚(まーちゃん)

  • ひだり 其の七

    ちょっと時期はずれですが、お雛様を飾る場合、左大臣と右大臣というのがいます。
    彼らの仕事は、帝を守ること。つまりSPみたいなもんですが、
    太政大臣→左大臣→右大臣の順番です。太政大臣は不在のこともあったので、左大臣というのは、
    実は現在で言うなら、内閣総理大臣級なんだとか。
     
    面白いのは、左大臣は白髪の初老の男性で、右大臣は黒髪の若い男性です。
    調べてみても、左大臣の方が偉いんだそうです。
    元々日本では「左が上位」だったんだそうです。
    神様に近いという意味もあるようです。へ~。
     
    なお、亡くなった方に経帷子を着せますが、あれは左前です。
    神仏に近いからでしょうか。
    と思ったら、719年に「衣服令」(えぶくりょう)という法律が発令されました(元正天皇)。
    その中に「「右衽着装法(うじんちゃくそうほう)」というのがありこれで「着物は右前に着ることね~!」
     
    何でも、元々中国では、高貴な人は左前(神仏に近い?)、一般庶民は右前に着ていたので、当時の「中国のことは何でも真似する文化」だった日本は、それを真似したのです。
     
    一方、西洋では「右の方がエライ」というのが定説です。
    何せ「右」のことはright(ライト、正しい)と言いますから。
     
    世の中、身近な「左」ですが、まだまだ知らない事があるものです。
     
    1週間ありがとうございました。
     
    明日からは三浦寛先生です。
     

    f:id:tokyo_sotai:20210813091538j:plain

  • ひだり 其の六

    20代の頃、操体を本格的に学ぶ前に、太極拳を習っていた。
    その時に、腰を反らさずに、背筋を伸ばし、足腰を安定させつつ、上半身を動かすという勉強をした。
     
    当時はそんなことは知らないので、先生(女子の日本チャンピオンになった人)から
    「お尻出しちゃダメ〜」と、よく怒られたものだった。
    しかし、後に操体の実技でこれは役に立った。
     
    ちなみに、太極拳(二十四式)は、まず左足から一歩踏み出すとともに、左手を前に出す。
     
    今の目線で見ると、単なる体操のようにみえるが、実は武術の型の集合体である。
    左からというのも、実践(実戦)的な何かがあるんだろうなと思う。
     

    f:id:tokyo_sotai:20210813091322j:plain

  • ひだり 其の五

    昨年春、南無の会坐禅会がコロナ禍で中止になった。なかなかスケジュール調整がきかず、月二回の開催だったが、月イチのペースで通っていた。
     
    以前も書いたと思うが、改めてまとめておく。
     
    坐禅と言えば臨済宗と曹洞宗だが、この二派は全然違うんである。
     
    まず、臨済宗は「悟りに至る手段」である。臨済宗では、師匠と弟子が一対一で、問答を行うが、問答同様坐禅も悟りに至る手段の一つだ。
    一方、曹洞宗の坐禅は「悟るため」とかではなく「只管打坐」(ただひたすら座ること)である。
     
     
    また、坐禅中にばしっと叩かれるシーンがあるが、あの棒「警策」というが、臨済宗では「けいさく」と言い、曹洞宗では「きょうさく」という。
    私が参加していた坐禅会では、警策の出番はなかった。
     
    坐禅の時、参加者は手を胸の前で組む。
    これを叉手(しゃしゅ)というが、臨済宗では左手の親指を、右手で軽く握り、左手の他の四指を、右手にかぶせる
    曹洞宗では左手の親指を内にして握り、手の甲を外に向けて胸に軽く当て、右手のひらで覆います。
    (臨済では左手が上で、曹洞は右手が上で、左右逆になっている)
     
    なお、曹洞宗は「作法」にうるさいが、坐禅の時、入り口の柱側から、左足から入る。何故左足からなのかはわからないが、左足から入る。