カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • 脊椎動物としてのヒトの構造を生かす臨生⑤

    進化の記憶は、背骨に宿っている。

    「からだの設計にミスはない」

    生命は、かつてから間に合っていた。

     

    脊椎動物である私たちは、魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類と進化の過程で背骨という構造を維持してきました。

     

    各椎骨がそれぞれの働きを持ち、連携しながら一つの「流れ」を生み出しています。

     

    私たちの手は元々胸びれであり、前足でした。

    足は尾びれであり、後ろ足だった時代もあるわけです。

     

    ところが現代では、からだの自由をみずから制限してしまう環境が多く存在します。

     

    人工の光、締め付ける靴や下着、角度を固定させる家具、スマホやPC、アスファルトの道、固定された階段やトイレの高さ──。

     

    こうしたものが、からだ本来の流れを止め、「間に合わないからだ」を生んでいるのかもしれません。

    まとめ:生命の構造を感じとることは、私たちの“今”を自然に間に合わせるための第一歩だと想うのです。

     

                    (続く)

  • 間に合うために「操らない」臨床④

    間に合うために「操らない」こと

    間に合うためには、何もしない“勇気”がいる。

     

    では、それを元に戻すにはどうすればよいのでしょうか?

     

    まず必要なのは、「何かを操ってしまう」という無意識の姿勢に気づくこと。

     

    捉え方そのものを問い直すことです。

     

    操作とは、ある意味で「意図的にコントロールしようとする姿勢」であり、そこには「囚われ」が含まれています。

     

    その捉え方が本当に「自然」かどうかは、自分のからだに訊いてみることは大切です。

     

    つまり「余計なことをしない」ほうが、実は『間に合っている』状態に近づくということ。

     

    60点で満足とするのではなく、100点の感覚を目指すことで、結果として本質的な気持ちよさや快適さが得られるのではないでしょうか。

    まとめ:余計なことをせず、からだの自然な働きを信じることが、本当の意味で「間に合っている」状態を生むのだと感じています。

     

                   (続く)

     

  • 自然の法則と生命の覚醒と臨床③

    生命の本能は、もっと先へ行こうとしている。自然は、止まらない。

     

    天然自然の法則に則るということは、からだが覚醒し、生命の要求を受け取れる状態になるということです。

     

    その覚醒が進めば、自然と「100%を目指したくなる」という欲求が芽生えてきます。

     

    それは、滝が下へ流れるが如く、重力によって物が落ちるように、ごく自然な方向性です。

     

    つまり、「覚醒」が起こると、人はさらにその先へと意識を向けてしまう。

     

    これが本来の流れなのかもしれません。

     

    自然というものは、もともと「あるがまま」に成立していたはずです。

     

    しかし、文明の発展とともに、人間は自然を「環境」として外在化し、それを「操作」し始めました。

     

    自然に対しての執着や操作が、やがて私たち自身の生き方に歪みをもたらすようになってしまったのです。

    晩晴老人「天意怜草,人間重晚晴」

    まとめ:“自然に還る”とは、ただ戻ることではなく、覚醒したからだで再び流れに乗ることなのだと想うのです。

     

                    (続く)

  • 執着と操作から自由になる臨床②

    操作するほど遠ざかる。

    執着を手放すと、からだの声が聴こえてくる。

     

    「何かに執着する」ということは、それに縛られることでもあります。

     

    それは「操ろうとする意識」と表裏一体です。

     

    操ることをやめたとき、初めて私たちは「間に合う」ことに近づくのかもしれません。

     

    自然であるということ。

     

    それは、つながりが多く、フィードバックの質が高い状態だと思われます。

     

    古来「自然(じねん)」という言葉は、「おのずからそうであること」という意味で使われていました。

     

    これはつまり、「質の高いフィードバックの循環」がある状態ではないでしょうか。

     

    からだが「正直」になればなるほど、フィードバックは明確になります。

     

    ただし、自分に「違和感がない」=「間に合っている」というわけではありません。

     

    気づかないうちに内・外部の環境が乱れていても、それを違和感と感じないこともあります。

     

    そうなると、60%の健康状態を「正しいとして満足し、本来の100%には至らないこともあるでしょう。

    蟻鱒鳶ル

    まとめ:からだの違和感に鈍感なままでは、本当の“間に合う”感覚にはたどり着けないのだと想うのです。

     

                     (続く)

  • 「間に合っている」ことを感じる臨床①

    今週のブログを担当する岡村です。

    引き続きテーマはフリーとなります。

    一週間よろしくお願い致します。

     

    「100点じゃなくてもいい」は本当か?

    ——“間に合う”の意味を問い直す。

     

    「間に合っている」という言葉について、考察してみたいと思います。

     

    橋本敬三先生は、「100点を取らなくてもいい。60点くらいで“間に合っていれば”いいんだ」と語られています。

     

    また、全く別の観点から、

    人間が「あるものをないと思い、ないものをあると思う」ような思考を妄想と呼び、これに囚われることを「妄想苦」とも表現しています。

     

    では、「妄想をなくして、間に合うように生きる」とはどういうことなのでしょうか?

     

    そもそも「何が間に合っていればいい」のか、という問いが浮かびます。

     

    「私自身」が間に合っていれば、

    それでいいのでしょうか?

     

    「内部環境」や「外部環境」でしょうか?

     

    「からだ」が、間に合っているとは?

     

    遺伝子や細胞、腸内環境の視点からは?

     

    さらに、自分を超えた環境や社会、地球の生態系、宇宙全体にまで意識を広げると、何をもって「間に合っている」と言えるのでしょうか。

    まとめ:“間に合っている”とは、ただ足りている状態ではなく、自然と調和した生の在り方を指しているのかもしれません。

     

                   (続く)

     

  • 皮膚の運動性における考察⑦

    関節の回旋時における、皮膚の運動性はどうなっているのか。

     

    例えば、前腕部の橈骨と尺骨において上橈尺関節があります。

    もし、どこかわからなかったら調べてみてくださいね。

     

    そこは、「車軸関節」と言われるほどですから、回旋します。

     

    その場合、関節を構成する骨と骨同士の上の皮膚の運動性は、

    回旋する方向に同じように動いていきます。

     

    要するに「皮膚」は、摩擦を要求していないのでしょうね。

     

    重さを感じないよう、滑らかに循環すること。

     

    それは今まで書いたような、

    関節上の一部、ではありません。

     

    伸張すること、弛緩すること。

    この二つはエネルギー効率上、途轍もない可能性を秘めている。

     

    それを、宇宙に貫通している重力という環境のなかにおいても、

    「からだ」を通して「皮膚」の運動性で教えてくれるのです。

     

     

    それでは一週間のお付き合い、有難うございました。

    明日からは、瀧澤副実行委員長の登場です、お愉しみに!

     

     

    2025年春季東京操体フォーラムは4月29日(火)昭和の日、

    ルーテル市ヶ谷センターで開催致します。

    www.tokyo-sotai.com

  • 皮膚の運動性における考察⑥

    操体法の書籍を見てみると、「身体運動の法則」があります。

     

    詳しくは調べていただくとして、それを関節面の空間で捉えます。

     

    関節は様々な形態であっても、「関節腔」の腔間は腔間ですから、

    そこに、無理がなく循環を止めることのないようにするのです。

     

    例えば、様々な関節に「滑膜」という部位が存在していますが、

    これを皮膚として捉えた場合は、同じような捉え方も出来ます。

     

    要するに、関節を構成している骨と骨同士が近づくような時に、

    その上にある皮膚の運動性は、関節から離れるようにうごいて、

    骨同士が遠ざかるような時には、その上にある皮膚の運動性は、

    関節に近づいていきます。

     

    では、関節の回旋において、皮膚の運動性はどうなるでしょう。

     

     

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  • 皮膚の運動性における考察⑤

    「皮膚」の運動性は、メッセージ性を含んでいる、と考えます。

     

    そうすると、皮膚の皺が伸長されたとき、それ以上は気持ち悪い。

    皮膚の皺も、それ以上伸長されるなら気持ちよく伸長して欲しい。

     

    要するに、全体の調和を図っているかどうか、気付けるかですね。

     

    「皮膚」も、谷折りになって皺ができてきたら軽く伸ばして誘導し、

    山折りになって皺が深くなってきたら軽く伸ばして誘導するのです。

     

    物理学と感覚学は、皮膚の研究によって繋がる、と考えています。

     

     

     

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  • 皮膚の運動性における考察④

    拘縮というのは、明らかに病歴の主因だろう、と考えています。

     

    なぜなら、関節は勿論のこと、筋肉も結合組織も、そして神経も、

    「皮膚」の運動性を取り戻す適切な誘導をしていくことによって、

    一部位に留まることなく、くまなく全身に伝わっていくからです。

     

    そうすると、自立した姿勢は当然のように変化していますよ。

     

    では、どうすれば「皮膚拘縮」を改善していけるのか、ですね。

     

    ヒントは、「皮膚」の伝えているメッセージにあると考えています。

    要するに、気持ち悪いことをしなさんな、と言っているのです。

     

     

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  • 皮膚の運動性における考察③

    関節周囲軟部組織の原因で生じてしまった関節可動域制限。

    これを「病理学」では、「拘縮」と定義しています。

     

    この「拘縮」を、部位別にいくつか挙げてみましょう。

    ・皮膚性拘縮

    ・結合組織性拘縮

    ・筋性拘縮

    ・神経性拘縮

    ・関節性拘縮

    以上のように「病理学」では、分類されているようです。

     

    しかし、結合組織、筋、神経、関節それぞれの拘縮における

    文献の説明は見つけることが容易でも、こと皮膚においては、

    あまり知られていないし、そもそも文献として記載は少ない。

     

    きっと「皮膚」からすれば、『もっと研究して頂戴よ』と、

    病理学者にも、臨床家にも、伝えたくなっているでしょうね。

     

     

     

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