カテゴリー: 三浦 寛(みうら ひろし)

  • 足底筋

    この月に入ると申告の記帳で忙しい。
    毎月、毎月少しづつでも伝票整理をやっておれば、あわてず、急がず、余計なエントロピーを増大する必要もないのにと、思いつづけ、あげくに30数年もこの月にあわてている。なんてヤツだと、自分のふがいなさを嘆くのである、が、三茶の仙人も聖職を持っている限り、申告と納税の義務があるから、仙人暮らしといえど、社会人としての自覚はそれなりに持っているつもりだけれど、しかし、生活するって、イイ加減にできないんだ。税金一つとってみても、何種類の税金を支払っているのか。まづ事業税、所得税、区民税、特別区民税、固定資産税、消費税、国民健康保険料、印税・・。これだけの税金を納めなければ三茶の仙人生活もまヽならないのである。私の場合は世田谷区と渋谷区と二つの区にまたいで事業所と自宅があるから、大変だなァと思いつつ、三十数年も支え持ちこたえているのだかアホと言えばアホなのであります。
    こんな税金のこと、申告に追われている今、ブログに立ち向かう気力もなく。。スランプ中、ウーパールーパーの黒子と飼い猫のシモンが代わる代わる代筆しますのでよろしく。

    今日は「足底筋のナゾ」について話してみます。同志の皆さん、足底筋の所在はとっくに理解されていますよニャ〜ン。
    足底筋とは単純に足底に所在する筋の名称とばかり思い込んでしまうんじゃございませんかゴロニャ〜オン。
    足底筋というから単純細胞の私は足の裏の筋肉を想定して、キョロキョロと足底の筋肉をなめまわして見るわけでござんすが、足底にはそんな筋肉の名称はないんでございます。いくら目くじら立ててみたところで、足底筋という名称はないンです。所在を知っている同志はバカじゃなかろうか、とお腹の中でお笑いのことでしょうな。足の裏を舐め回したってその所在には行きつかぬのであった。

    降参です。しかしですね、この名称をおつけになったお方がどんな先生なのか存じませんが、何か色気があるんですよ。目つぶしを食らったような感動を覚えるんですよ。先日、下肢の神経分布を調べていたんですがネ、当然、下肢の筋群の名称も目に入ってくる訳で、すると膝窩(しつか)の中央にですネ、この足底筋が存在していたんですネ。なんで膝窩の中央に足底筋という名称を持つ筋肉が存在するんですかネ、とても興味がわいてくるんですネ。
    不思議なフェロモンの臭いがするんです。ニャ〜オン。
    この足底筋という名をもつ筋肉は、調べてみると、かなり、私のご主人さまに似て、地味なヤツなんですネ。この筋紡錘そのものは、7センチ〜10センチの束なんですけどネ、ところが、ところがですよ、この足底筋にはバイオリンの弦のような腱(けん)が腓腹筋(ひふくきん)とヒラメ筋の間をぬって下肢内側を走り、踵(かかと)の内側下まで伸びているんでございますよ。
    その、腱の長さは約35センチ〜40センチ程あるんですネ。そして、この足底筋の停止部が踵、起始部が大腿骨の外側(腓腹筋の起始部のすじ上)なんでですね。自然に考えてしまうと、踵が起始部で、停止部が大腿外側を思うんじゃございませんか。そして、L4からS1の運動神経が支配する筋の一部が、この足底筋なんですな。
    L4-S1と言えば、これに付着している筋が大腰筋と言う訳で、なにかますます臭いますニャーオン。
    ところで我々(というかご主人様他同門の皆様)は、膝窩を診るんじゃございませんか、膝窩のどこを診ているのか、。意識して診たことがあるのかニャ〜ん。

    明日に続く。。。

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  • 「いきとどく」

    一週間のブログも今日で終わり、校正執筆とダブルで追いかけてきたので、十分チェックを入れられなかったけど、お付き合いいただいて有難う。なかなか楽しかったよ。
    ブログの最中、横森君から手紙をもらって終えることができて感謝している。

    皆さんのブログ、なかなかいい形で波動し、共鳴し合って、とてもいい流れを作り出しているなァーと思います。肩の力が抜けて、一人一人の思い想いのなかで、個性あふれるハーモニーを奏でていますネ。継続は力なり、このブログもきっと、一人一人の思考の底力になることでしょうね。

    最近、糸を引くようなコトバがフーと消えてはフーッと浮かんでくることがある。ブログにも書いたけど「わからないってことが臨床」だというコトバや、「感じること、感じとることが大切」だというコトバもその一つでした。

    何か、私の中で人生の問いかけとか、臨床の原点につながるような、ヒントがあるような気がしています。

    この間の講習で、西田をつかまえ
    「西田、おまえ、うまいんだけどヘタなんだなァー」と。
    やはり当人はキョトンとしている。
    師匠、ほめてくれるんだったらちゃんとほめてくれと言いたそうだが、ほめられてるんだか落とされているんだか、当人、これじゃバツが悪いよ。

    こんな言葉を口にするというのも、私の臨床観がそう言わせてしまうのだ。
    要はうまいんだけど、熟知されてのうまさじゃない。それは、生かすのと生かしきるとの差ともいえる。それは、その動きのことがどこまでわかっているのか(的確な情報とその分析処理)どうか、ということと、その動きのことと、自分の動きとのハーモニーの問題
    (ハーモニー=調和)。

    その動きそのものは、患者の主体主動だが、その動きを誘導するのは操者である。それによって、患者の動きがからだの動きとなる。
    臨床では、操者の熟知されたそのサポートがあって、快のききわけと、その快感度の質をよりグレードの高いものへと導くことができる。指導者の存在の意味がある。

    臨床上でなぜ、私が存在するのか。
    その目的意識をハッキリ認識しておく必要がある。それがハッキリ意識できたら、どう介入していくことがその目的に適うのかを、一つ一つ総括してとらえていく、と全てが調和してくる。
    全てが行き届いておさまりがつく、という行程を熟知するに越したことはないのだ。
    俺は、なぜおまえがヘタなのか、ちゃんと説明したな。納得したろう。納得できれば、ヘタクソと言われても気分がいいだろう。
    指導するってことは、よくよくわかっていないと、いつかメッキがはがれるものなんだよ。一日一日と本物になっていくこと。ブログにも本物という言葉を使っているけど、本物というのはどういうものなのか、ブログ見てなければもう一度目を通してみなさい。

    骨董の世界にはね、ニセ物を売って、それが発覚したら3倍返しという掟があるんだ。売った者が買い主に3倍にして返金、返済することなんだ。実際に僕自身が体験したことなんだが。

    ある骨董屋のオーナーが、是非そちらにある、ルネ・ラリックの作品を見せてくれと言ってきた。治療所に来てもらい、1点1点、手にしてもらった。そのうち何点かを譲って欲しいと言われるので、その数点、わけて差し上げた。このオーナーは、ルネ・ラリック専門の商いをやっておられる。プロ級のプロ、まあ、ルネ・ラリックに魅せられたきちがいの一人かな。俺も相当ルネ・ラリックにいかれているが、きちがい沙汰は月とフンドシほどの差がある。

    ルネ・ラリックは、ヨーロッパの工芸美術のアールデコ、アールヌーヴォーの時代を代表するガラス職人。巨匠の一人。彼の作品はガーレーと並び美の最高傑作だ。好きだったねェ。今もそうだけど・・・。

    俺のところから数点持ち出したのはいいが、帰路の246号線で愛車ベンツもどきが釘を踏んづけてパンクしてしまったんだな(珍しいこともあるもんだ)。当の本人、何かイヤな予感がしたんだろうな。店に戻って一点一点改めて目利きしたら、一番ヨダレをたらして欲しがったその作品(ラジエーター)が偽物だとわかったんだな。
    数時間後再度私のところに引き返し、
    「オレとしたことが・・」
    「熟知していたが、ツメが甘かった」とうなだれる。

    この場合、オーナーが領収書を切った時点で商談が成立し、譲った私の方は返金する必要はないのである。その逆にネ、買った客が偽物をつかまされて返金を要求された場合、3倍返しのルールがおこるのだ。たとえば300万円で買った場合、900万、支払わなければいけないということだ。そこで私は当初私に売りつけた骨董屋のオーナーを呼びつけ

    当時、買ったあのラリックね、あなたも、同業のよしみだから、青山のラリック専門の○○さんと言えばわかるだろう。その、オーナーが偽物と見抜いたんだ。
    「わかるな わかったら何も言わぬから今すぐ反応しろ」

    オーナーは真っ青だ。プロであれば「まけてくれ」とも言えないのだ。骨董の免許は、その業界の推薦人が2,3人いればとれるんだがネ。
    こんなことも事実、あるんだから、楽な仕事なんてないんだ。きわめること、診立てをきわめることは生涯のおつとめだよ。

    ブログの最終日、
    こんなところで、お、わ、り、ま、す。
    明日から森田だな。たのしみに、読ませていただきます。

    三浦寛

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  • 言葉と思考

    おはよう。少々眠いけど、また床にもぐるのも、勿体ない。
    トホトホと原稿用紙抱え込み、モスバーガーへ直行。テラスに出てコーヒーで一服。
    眠気が薄らぎ、頭の中でブログの内容をまとめる。あと2日間色々打ち込みたいことがある。何を素材にしようか・・・・。

    まづ、横森。早速の便りありがとう。
    ブログの中でもそうだけど、書いている内容が誰かの人生に触れてダブることが良くある(狙い撃ちはできないけれど)フォーラムで参加者に渡している色紙も、不思議と人を選んでヒットする。あれはホントに不思議だなァー

    マァ、それはともかく、誰かの心に響くようなブログが広まってくれるといいね。私の手元に、皆んなが打ち込んだブログが送られて来る。いや、たまげたものだネ。一人一人が本当に豊かな個性の持ち主だな。一人一人の世界が愉快だ。言葉の思考の中で思い思いに真剣に取り組んでいる。言葉の思考って、一字一字文章にしていくと結構ハマっていくものだ。
    書きぐせをつけていくと、より、思考が具体的に深まってくる。

    指先を使うってことは思考の学習につながってくる。なぜなら1字1字違う言葉を書いている訳だ。違うってことは指先の使い方が1つ1つ、違うってこと。それは1つ1つのコトバに意味があって、一つの文章ができ上がってくる。これが言葉の思考をつくり上げていくこと。1つ1つのコトバの集合体が1つの文章をつくりあげているってことだね。1字1字が集合して思考を形成していく。それが積み重ねられて1つの作品になる。言葉は生きもの、自分の思考という生命(力)をコトバにするから言葉にも、力があるってことになる。

    私はブログを打つことはしないので、書く、としか言いようがないけど、打つのと書くことの違いは、指先の使い方が違うってことかな。ブログは打つことによって、言葉が活字になる。
    書くとは1字1字指先を使って表現しなければ1つのコトバにならない。そのために指先の使い方と動きがちがう。

    この指先の使い方と動きが違うから、書くことによって頭脳を学習させる。脳の学習とは、思考である。思考という学習を脳に繰り返し反復させている。

    今、書き上げている新刊書ネ、300枚程度の量だけど一字一字の字数にするとおおそ12万字になる。12万字の1つ1つの言葉が集合し、200ページほどの本に仕上がる。
    1字1字、目的に向かって意味を含ませていく。思考という原始感覚を磨いていくために、原始的な作業が必要なんですね。それは打ってでてくるコトバじゃなくて、書いて表現されるコトバじゃないのかな。

    今こんな内容でブログを書いているけれど、たかが原稿用紙にすれば、3,4枚かな。その程度の原稿にまとめ上げていくのにかなりの時間を要する。思考しながら書き一つの作品にする・・・。
    思考しながら作品にするってことは本当に面倒臭いけど、面倒臭がらずに書き続けていくこと。

    読むのはカンタン、かくのは大変だけど、たどりついた作品を、ただ目を通しただけなのか、思考しながら読んでくれたのかは、読者に問われることだが。

    私は少々いじわるな文章を書く。たヾ目をとおしただけではわからない、ちょっと思考しながら目を通さないと理解できないこととか、やってみなきゃわからないことも、言葉の力をかりて表現しようとしているから。4日目のブログもよーく考えながら読まんと、私の言っている意味は???ですよ。
    「わからないってことが臨床」のところね。再度読み返し、反復しないと・・・。

    かなりナゾかけが仕掛けてあります。山野、草階、中谷、この文章の意味、理解できるネ。秋穂、お前はどうだ。日下、どうとらえる。次回の勉強会のテーマにしてもいいか。
    云っている意味が少しでもわかるように。

    三浦寛

    注)出てくる固有名詞は東京操体フォーラム実行委員です

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  • 「わかっていないことが臨床なんだ」

    ふとネ、こんな言葉が浮かんできたんだ。
    「わかっていないことが臨床なんだ」って。その言葉の意味を私自身、一体どういう事なんだってネ、いつも考えていることなんだ。こんな言葉がなぜ涌いてきたのか、意味もなく涌いてきた言葉とは思えないんだ。
    何かが、引っかかる。
    皆んなも考えてみてくれ。何かがあるよ。高杉晋作、いや坂本龍馬、お前はどう解釈する。

    三茶の仙人は、こう思う。

    常に試され、その中で何かに気づきをもって、問いかけてみると。
    何故ならからだにごまかしは通用しないぞ!!という事かな。何か妥協を許させぬ世界が臨床の世界のように思えてくるのだ。

    試される、ということは、気づかされるということ。試されて気づきをいただくということ。気づきを得て問いかけていくと、分かっていない事が見えてくる。次から次へと見えてくる。だから、分かっていない事に気づくんだよ。わかっているつもりが、実はわかっていなかったのだなァ、と気づかされる。

    その繰り返しが臨床なんだと。
    一体何に試されていると思う。

    患者に試されているな
    からだに試されているな
    そして、自分に試されているな
    もう一つ、皮膚を介しての無意識、つまり細胞感覚に試されているな

    いろいろな事に試されいるんだ
    その中から、いろんな気づきを与えてもらえるだろう。
    与えてもらったら、1つ1つ試して問いかけてみる。
    問いかけた分だけ新たな確信を得ていく
    得た分だけ、新たな情報が入ってくるということは
    わかっていない、新たな、臨床の世界が広がってくるということなんだ
    それがわかっていないことが臨床なんだってこと。が見えてくる。

    三浦寛

    注)『高杉晋作、いや坂本龍馬
    坂本龍馬』というのは、福田副実行委員長のコトです。
    9月27日のブログ参照
    (畠山)

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  • 師匠と弟子・続き

    大阪の秀樹さん、ブログに目を通してくれていますか。

    今回ももう少し「師匠と弟子」の続きを打ち込みます。

    赤めだか より

    『おまえさん(談春に向かって)、本気で落語家になりてェっていうのか、オレの弟子になりてェなら、まづ親を口説いてきな。親を連れてきて、親の前で頼むんだな。それができなきゃだめだよ。いいな』

    談志もすごいヤツだ。どんだけ、肝っ玉すえてオレの弟子になりてェといってんのか。その真意というのか、気骨というのか親にもオレにもきちんと、責任ある誠意を示せ、という訳である。

    私の場合、恐れ多くも師匠みづから私の父を神戸から呼び出し

    「ご子息なかなか将来有望、見込みあり、しばらくの間儂(ワシ)のところに預けて下さらぬか・・」

    と、そんな事を父に話したようだ。私はまさかそんな事があったとはつゆ知らずにいたのだ。それから5年の歳月、先生の元で修業に励ませていただいたのである。

    その間、私は一度神戸に帰ったことがあった。父は私を見るなり凄い剣幕で怒った。
    「修業の身でよくノコノコ帰ってきたな。とっとと戻れ。修業中は二度と家の門をくぐるな」一怒されてしまったのである。
    私は母親に詫びて、戻ることにした。これじゃ修業中何があっても親の死に目に会えないな、と覚悟した。
    その開業するまで父の顔を見ていない。

    甘かった、先生にも、父親にも悪い事をしてしまったものだと悔いた。
    仙台に戻り、先生の元に駆けつける。
    師匠は私を見、

    「佐助、どうした、もう戻ってきたか」
    「ハイ、父からこっぴどく怒られました。修業中は帰ってくるなと言われてきました」
    「ハハン、アァ、そうか、よく帰ってきたな」

    と、やさしく声をかけて下さった。
    僕は改めて遊びで修業してんじゃないんだ、自分の人生がかかっていると思い知った。

    マァ、そんなこんだ、だからね、故郷に帰った時は親に一言、こんな先生のところで、こんなこと、習っているってネ、話しておくんだよ。

    お・わ・り

    三浦寛

    注)『佐助』とは、橋本敬三先生が三浦理事長につけたニックネームです(畠山)

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  • 師匠とその弟子 師の想いとは・・・。

    師匠とその弟子 師の想いとは・・・。

    赤めだか

    そこから早く自分をつかめと、自覚せよと、そして自分の人生を越えて行くんだと談志は我が弟子に諭しているんだ。それ故談志師匠は一人の存在として、おまえさんの前で律して立ち続けているんだ。談志の存在は談志そのもの。何も談志になれと弟子に説いているんじゃネェ。せっかくのご縁だから、俺を通して早く自分自身になれと言っているんだね。僕は談志のきもちをそう理解するな。

    私の師匠だってネ、自分のロボットを数多く世に残そうなんてそんなケチな想いで愛弟子を育ててきた訳じゃないんだ。
    その証拠に、師匠の想いがたっぷりつまったエピソードがある。僕は、師匠を持たせていただくことができて、師匠のありがたさ、師がいることの誇りをも痛感したんだ。 あの時おれは一人号泣したね。うれしくってね。
    僕が開業して四、五年経ってかな。
    師匠から小包が送られてきたんだ。
    その中にA3ほどの大きさで、それは師の顔写真だった。写真とともに一枚の便箋がそえてあって、
    『愛弟子三浦君、何か思い余ることがあったらこの写真に語りかけてくれ、君の最高の幸せを願っている写真だと思ってな』
    と。辻よ、福田よ、中谷よ、畠山よ、そして同志のみんな、師匠というのは弟子一人一人の最高の幸せを願っているものなんだ。それが本物の師匠だよ。
    皆んな一緒じゃないんだ。一人一人の幸せを願っているんだ。一束まるめて皆んなの幸せじゃないってことだ。一人一人のだ。それは一人一人の弟子がいて、自分の人生を越えていく、そうしたなかで自分の価値観を磨いていく中での幸せを願うということなんだ。それがなくして皆んなの幸せには繋がってこないんだよ。それが一人一人のおつとめなんだ。

    赤信号皆んなで渡ればこわくない、これはウソ。一人一人がこんな集団になっちゃ困るんだ。こんな価値観がまかり通って幸せになったって、いつかはねとばされちゃうよ。人生、目的がわかっているのと、わからづのまま人の流れに巻き込まれ、人がそうするから、たゝついていこうじゃ、まったく自己責任がない。自己責任のない生き方に目的があるのか、それがみえるのかそんな自分からそんな手を繋いでいる集団から、社会から、一日も早く「一抜けた」しなきゃネ。自分を越えるっていうのは自立するってこと。己れの世界観を養っていくこと。自立なくして一人一人が手を繋ぐことはできないんだよ。仲良しごっこはできてもね。自立していく物同士が手を繋ぐから、すごいパワー、底力になるんだ。自立した一人一人の底力が一人一人の優しさ、あったかさ、真心なんだ。乗り越えていくことが自立なんだ。ただ厳しい力強さだけではない。そこに優しさ、まごころ、あったかさがにじみ出てくる。自分を越えていくことは自分に対する思いやり、人に対する思いやり、配慮ってこと。配慮とは自分の生を慎んで生きるということだ。オレがオレがの人生じゃなくなってくる。それはイノチに対する慎みに変わってくるものだ。それが、思いやりの生き方だ。

    師匠にも色々ピンからキリまで。弟子一人一人の最高の幸せを願っている存在が最高の師であると、僕は師匠からそう学んだ。だからこそ、師が成し、成さんとしてきた道をまっしぐらに歩むことができ、その意を継承し、掴み続けている。それも本望じゃないか。捨てたもんじゃないよ。おまえさん。だから学ぶことに貪欲で、サボることはしないな。学ぶことも、現役バリバリで自分に負けていないぞ、と胸を張れる。

    いつかは弟子に追いこされる時が来る。それも本望、うれしいことだ。その時というのは、間違いなく、来る。 その時というのは、手も足も削がれてまった時だろう。そこで西田、ニンマリするな。

    まだまだ当分先の事だから。それでもやれることがあったな。
    八十、九十になって、手と足を削がれ、持って行かれても、六十年、七十年思考しつづけてきた脳ミソと言葉があるよ。脳ミソが現役バリバリでいてくれりゃ、口が出せるという奥の手があったか。
    言葉で臨床を生かす快の本質を見極める生命観視ってこと。
    じゃあ、足っていうのはまごころ、合掌じゃ。
    手を削がれてしまって何が合掌だ。
    あわてるな。両足の顔(足のうら)をあわせて足合掌じゃ。
    足合掌はいいとして、それもアウトになったら師匠はどうする。
    こころして祈るしかネェだろうな。それが底力。
    それもありですか。
    その答えは自分に問いかけてみよ、西田!!

    三浦寛

    注)出て来る固有名詞は東京操体フォーラム実行委員のモノです。
    こちらをご覧下さい(畠山)。

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  • 師匠と弟子

    おはよう。三日目のブログは前夜の続きということでよろしくお願いします。今朝も雨、夜半の二時半に用をたし、そのまゝ着替え、モスバーガーに直行、四時間ほど原稿にむかい現在七時十分、これからブログにとりかかるところです。秋雨とともに、刻々と冬にむかいますネ。皆さん、風邪などひかないよう心のケアと、体調維持に努めて下さい。岡村、昨日手紙ありがとうネ。一人チビリチビリとウイスキーをなめ、読ませていただいた。返事はブログが終わった後で・・。

    秋穂、ハガキは着いたかい。いろいろ心づかいいただいて有難う。ブログでちゃっかり用を済ませるというのも便利ですね。
    本を書くこともそうだし、何かを身につけていくこともそうだと思うけれど、らくをして手に入れたものや身につけたものって、いつまでも続くものじゃなく、いつか自分の中から忘れ消えていくことの方が多いものだ。身につけても余り役に立つことが少ないし、そういうものほど中身がないから、あきがくるんだけど、そんな人生の時間、命の時間を使っちゃいけない。コツコツと日々静かな汗を流し、手に入れることのできる本物をつかんでいかないと。本物には身につけたことをさらに越えていく力がある。それが本物の生きた力、つまり生命力なんじゃないかな、橋本哲学に心酔しているなら、先生の「からだの設計にミスはない」か、「生体の歪みを正す」の一冊位は、書き写しながら読んでほしい。

    そんなことは面倒臭いし、時間もかかる。でも、面倒くさいことが自分の底力になっているんだよ。操体はネ、人生の総合学習の場なんだと私は思っているんだ。特に我々はそれを生涯の天職にもしているのだから、これは一人一人の人生にとって、スゴイ底力になってくる。人生の総合学習を生涯の天職にする。誰れにでもできていそうだけど、なかなかそれができないんだよ。生涯をつうじてコツコツ静かな汗を流せる学びをつかんだということは、スゴイことなんだ。
    日々コツコツ静かな汗を流す学習がないと、それは日々生きてはいるけれど、やることがない。生活のためだけの人生で終わってしまう。
    生涯学びつづけていけるものがあって、思考していけるものがある人生ってとてもとてもリッチな人生なんですよ。学びつづけていく糧がないってことはむなしい人生なのだよ。また。加齢していくなかで、人生そのものにあきてしまう。その人生は自分のものですから自分にあきてしまうってことです。なんとも背筋が寒くなりませんか。そんな人生の日々は毎日が長すぎるんですネ。学びのない人生って毎日毎日が退屈で長すぎる。命あって長生きさせられるだけの肉体生活って空虚ですよネ。健康でいられるという保証もないし、だからこそ今、若い内に人生の底力を蓄えておく必要がある。人生の本当のたのしみというのは生涯学んでいくことのたのしみにあるんだと思う。それは若い時から、その土壌をコツコツと構築していくことにある。

    フォーラムの同志の大半は青年ばかりで、そこまで人生の意識はないと思うし、考えることもないだろうが、若いっていうことは一瞬の時間なんだよ。そんなことも想像できないだろう?でも一瞬なんだよ。成人式を三回クリヤーするとネ、それが実感なんだ。50、60になって第二の人生、老後の人生なんて考えてももうおそいんだ。辻君よ、岡村よ、横森よ、君達は若い。夢も希望も、これからいくらでも適うだろう。それが若さだ。しかし静かな汗を流し学びつづけることを面倒臭がり、らくを決めこんではいけないよ。

    らくをいくら積み重ねたところで、その先にあるのは奈落なんだ。決して至福な人生が待っているわけじゃない。
    コツコツ学びつづけ思考するってことも。そうらくなことじゃない。人生の底力ってなにかって、おまえの未来につながる人生、そのものだよ。その未来につなげる人生を、今から充分仕込んでおく。それが人生一生の底力なんだ。おまえの人生は人のものじゃない。おまえ自身のものだ。おまえの人生はおまえしか味わえない、決して他人の人生じゃないんだ。親の人生でもない、おまえ自身のもののなかにある人生そのものが、そうなんだ。

    「赤めだか」読んだのか。
    談志師匠は弟子にむかって自分自身の生き方、人生を説教しているわけじゃないんだ。このオレのように生きろ、なんて言っちゃいない。おまえ自身の生き方、人生を説教しているんだネ。

    三浦寛

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  • 新作にむけてのこだわり・秋

    ブログ二日目。一日目は写真だけで済ませてしまったが、今まったくブログの準備にとりかゝかれない。やっと書き始めたのは昨夕からかな。言い訳はしたくないが、出版の原稿締め切りが間近となり、急ピッチでその校正をすすめている最中です。心中察して、師匠、最後でいいよ、とも声がかからず、マァ、少しは私のブログも期待して読んでくれる仲間がいるんだな・・・と思いとどまり、そして気合いを入れて書いています。
    校正の進み具合を少々書いておきますと、今現在、400字づめ原稿用紙241枚目まで終わりました。本書にするには最小限200ページから230ページはほしいところです。後六十、七十枚程度書きためておきたいですネ。この本書の元原稿は、2006年当時におおむね書き上げていたんですがね。それで今年の五月に出版が決まって、決まったのはいいんだが、改めて見直してみると、当初に比べ、かなりかみくだいて学んでいるんですね。元原稿のままだと提出するのは、サビついた釘を打つような気がして、改めて原稿を一枚一枚書き直していく作業から始めたのです。
    今回の出版は、私自身結構こだわりをみせています。こだわるついでに、銀座の文具店、伊東屋さんまで出かけていって、当店オリジナルの原稿用紙五たば、一たば100枚ですから500枚と、私愛用のドイツ製の鉛筆五本、とやはりドイツの消しゴム2個を調達してきました。

    このドイツの鉛筆、一本いくらすると思います?一本二千円ほどするんですね、少々値上がりしたようですけど。その上一本一本買えないんだ。五本セットになっている。マア、それでも書き味がいいんで、どうしても欲しかったから仕方ねーェです。この鉛筆、黒と茶色があって、写真にのっけてあるので興味のある方はちらっと見てよ。原稿用紙にすべるように書け、疲れないので格別に愛用させてもらっている。この消しゴムのこだわりも、すべるように消えてくれる。いくら消しても消しても原稿用紙がすり切れてしまわないことだ。
    このこだわりの理由は、本書が皮膚に関する診断と操法にしぼられていること、本格的な皮膚への問いかけ第一号の記念の出版だからです。皮膚へのアプローチだけで200ページの内容となると、かなりの落とし込みがないとかなりシンドイ!!今回かなり自信をもって挑戦してみました。読者のヤジ馬心に火がついてくれゝば、有難いと思っています。それにこんな新ネタ、おいそれと見かけないし、臨床家にとってはとってもおいしいと思うんです。皮膚のこと、理解すればするほどホホ笑むのはおまえさんなんだよと、僕は言いたいんだな。改めて真剣に原稿に向かう自分の姿があって・・・僕自身が一番皮膚に感謝してホホ笑んでいる。かなり心酔しているな。
    ・・・・というのは、かなり、かなりわかって書いていることだね。各章ごと、かくれ味、つまり私自身のメッセージがつっこんである。どう文章に表したらいいのか、なかなか難しいことだが、自分のメッセージを自分の言葉で話すっていうことが難しい。そんな時は何度も検読する。それも日をおいて、検読すること。それに黙読するんじゃなくて、声に出して読むんだな。すると、まとまってくる。もう一つの気づきは、文と文とのつなぎに使う言葉が「か」にするか「に」にするか、「を」にするかによって、文章の流れが止まってしまったり、急に流れだしたりする。
    活字はまさに生きもの、呼吸してますね。著者の呼吸が伝わってくる流れを生かせればいいんだが・・・・。
    また、本書に症例がいくつかのっている。これも今までもう少しなんとかならぬものかと苦心させられた。操者と患者のやりとりを、どうつないで結んでいくのか。今回はやっとわかってきたよ。参考にしてもらえれば、うれしい。三日目につづく。

    三浦寛

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