投稿者: karib_sotai

  • 橋本敬三:忘れられた人間の肉体 操体法の創始と方法

    昭和55年、「人間の真理」4月号掲載分:

    当フォーラム理事長、三浦寛の蔵書より。
    追って人体構造運動力学研究所サイトにも掲載予定です。

    この原稿のタイトルは誤植で「操体法」が「創体法」となって
    います。

    なお、旧漢字を一部訂正しておりますのでご了承下さい。

    忘れられた人間の肉体
    操体法の創始と方法

    橋本敬三 温古堂主

    人体基礎構造の調和
    私の所には、医師会や薬業会社から、医学論文や医学雑誌が種々送られてくる。そこには、現代医学が最高とするテクノロジーの情報が沢山ある。
    近年、コンピューターと直結した CT (コンピューター・トモグラフィ)が登場し、人体の断層撮影が可能となった。今後はポジトロン・カメラの時代(注:PET検査)の時代だと聞く。このように、テクノロジーは果てしなく進歩発展しているように思えもするが、その終る処を知らない勢いには、身震いを感ぜずにはおれない。

    最近このような医学の発展に、批判的な考えを持つ人が多くなった。 医者にもそういう人が現われた。目ざましい医学の発展と実地臨床の間には、大きなギャップがある。巨大エネルギーを有して動いている医学が、実際に人類に貢献したことは、細菌学 、免疫学の進歩とそのための抗生物質の発見、外科手術、それに公衆衛生の普及ぐらいなものだと極言する人もいる。見掛けほどに実質の伴わないものの常として、現代医学には何かが欠けている。 一方、湯液や鍼灸に代表される東洋医学は、数千年の歴史を背景に民間に根を張り、その生命は延続している。病院で見捨てられた患者が 、漢方薬鍼灸で治ったという話は決して少なくない。東洋医学は西洋医学より 、人間の全体性、自然性という概念を有しているからである。
    鍼灸の古典によると、人体は縦横に走行する経絡により、有機的に機能していると説いている。さらに「上医は未病を治す」といって、発病以前の人間の状態を知っている。人体を解剖して診ることをしなかったので、外側より四百四病の特異性を把握し、体表上の反応点である経穴 (ツボ )を経験で知るようになった。多数の経穴の中にも、どこと、どこの経穴がどのような機能に重要であるかも知っている。
    ところが、自然科学から出発した西洋医学も、自然哲理から出発した東洋医学も言及していなかった分野がある。それは人体を運動力学的な構造物として視ていない。また、人間の基礎構造の有する動くことによる調和の可能性を、追求することをしていないのである。このことは東洋医学は知っていたかも知れないが 、あまりに自明すぎて記録に残さなかったのだと私は思っている。こうして大事なことが今まで忘れられていた。

    人間は動く建物
    人間を四ツン這いにしてみると、家屋構造にたとえられる。手掌、足蹠(そくしょ・そくせき)で四つの土台面を作り、上肢、下肢が四本の柱となり、天井裏が胸腔、腹腔に相当し内臓を納め、脊柱が棟木となる。人間はこのような構造をもって、後足二本で立って歩く。そしてこの建物は、左足を前に出すと、右手も前に振り出されるといったように、身体各部が「連動」するように出来ていて、能率よく動くには法則性がある。
    人体構造は機能的に運動系、内臓系、中枢神経系に分類出来る。身体運動、全身支持、中枢神経系と内臓の保持を司る器官を運動系といい、身体の基礎構造になっている。操体法で重視するのは運動系である。それに硬軟両組織があり、骨・関節を構成する組織、筋肉・皮下組織と皮膚が含まれる。
    四関という言葉がある。肘から下、膝から下の関節をいう。この四関である手足が下部構造となり、跨関節(こかんせつ)と肩関節で体幹に連結して上部構造の体幹を支えている。下部構造がしっかりしていないと上部構造に支障をきたすことは、構造力学的に理解出来るはずである。下部構造の歪みが、上部構造へと波及し、ここに内臓支配神経の出る脊柱がある故、脊柱が歪むと内臓の機能低下を起こす。東洋医学は、この四関の重要性を知っていた。原穴とか合穴という要穴をここに配している。だが、何故重要かの説明はない。

    最小限責任生活
    生命体は自然に随順しなければ、生存できない。自然に随順するためには、生き方の自然法則を知らねばならない。そうして、自然とバランスをとって生きるしか仕方ない。
    天然、人為の環境内における生命エネルギーの収支は最少限、呼吸・飲食・精神活動・身体運動の四つとなる。この四つの営みは、他人に代ってもらえるものでなく、自己の責任において行うべき 、最少限の責任生活である。この四つの営みは、自然法則を有し、われわれはそれに則って行わねばならない。さらに重要なことは、環境という場と四つの営みは、互いに関係し合って同時相関相補性になっていることである。世に健康法として、調息法(呼吸法)、食養(飲食)、瞑想・座禅(精神活動)、体育・スポーツ(身体運動)等があるが、互いに独立し同時相関相補性の考えがないので、その共通効果は十分発揮されてないのが現状であろう。

    疾病から健康へ
    自然界に生を受け、快適に満足して十分生きられるように設計されているはずの人間が、なぜ病気になるのか。
    人間の健康は、地球上において、呼吸、飲食として成り立っており、おのおのには自然の法則がある。
    われわれの疾病への出発は、自然法則に背反した生活から始まる。法則に反した生活を営み、環境に適応出来なくなれば、身体の基礎構造の下部構造、先ず手足に歪みが発生する。法則背反の生活を正さなければ、さらに歪みが上部構造の運動系へと中枢神経を介して連動し、歪みが他の部位の歪みを発生して身体の歪体化が多角的に変化進行する。特に棟木に相当する背骨の歪みによって、内臓の疾病を引き起こす原因になる。
    基礎構造の歪みは、漸次、感覚異常となって現われる。いわゆる初発不定愁訴(感覚異常)は多少の差はあれ、最終段階まで併存する。次の段階が機能異常と言われるもので、精密検査によって異常を知ることが可能である。最終段階が器質破壊となり、病名診断が可能な時期である。これが基礎構造に歪みが加算されることによって生ずる健康から疾病への悪化順位である。

    ところが、このプロセスは可逆性を有する。基礎構造の歪みを除去することにより、疾病から健康へ逆行可能となる。恢復順序は、歪みから正体へ逆転すると、第一次消去として感覚異常が軽減し感覚は正常化する。次に第二次消去として、機能異常が消失し機能の正常化が計れる。最終正常化は器質破壊の停止及び回復となる。残存していた感覚異常も消失する。ただし、器質破壊の程度により回復、停止しない場合もある。

    このように考えると、一般に思われているように、内臓が悪いから身体の調子が悪いという考えは、間違いだと言うことになる。実際は内臓が悪いからだけで身体の調子が悪いのではなく、身体の調子を悪くするような生活をし、それを続けていたから内臓も悪くなったのである。また治療する場合も、肝臓病だったら肝臓を、心臓病だったら心臓だけを治せば、病気が治るという考えも間違い。病気を治すには、先ず基礎構造の歪みを改善することが絶対必要となる。

    診療法(動診)と治療法
    故に診察の目的は、基礎構造に生じた歪みを見出すことである。その方法として、視診、触診等による形態学的な診察法が一般によく知られている。ところが、歪みは形態的にも運動力学的にも存在する故、もっとすばらしい診察法がある。動力学的に運動分析を行う診察法で、関節を動かしてみて、快適な運動と不快な運動とを識別出来る。不快と感ずる運動とは、その方向への運動系に、何らかの異常つまり歪みがあるということになる。
    運動分析するには、運動の分類が必要だが、運動を分類すると、基本的には関節には固有の運動があるが、前後屈、左右屈、左右回旋、求心性の圧迫、遠心性の牽引の八方向の運動が可能である。このおのおのの方向の運動分析を行えばよい。この方法は今まで東西医学にない診察法で、視診・触診と対応させて動診と言っている。
    基礎構造の歪みを改善し、歪体から正体化させるための治療法として、鍼灸・指圧・カイロプラクティック等、多数存在する。操体法の治療法は、不快位から快適方向への自力運動を行わせる。こうすると歪みは除去できる。この整復方向は、他の手技療法の整復コースと同一方向で、共に歪体から正体へのバック(逆行)運動である。しかし他力による場合は、名人といえども、基礎構造の原則を知らないとコースを外してケガさせることもある。安全に治療するには、自力運動が最適である。
    完璧な治療とは、快適な自力運動を実践し、新たに歪みを発生させないために、自己責任生活を自然の法則に則したものとし、出来たら或る程度環境も適応させることである。要は五つのバランスをとること。そして健康回復後も心掛けて行えば、いくらでも健康増進は可能となる。われわれの生命体はそのように設計されているのだから。

    この治療原理も開闢以来、東西医学に記録がない。
    「人間の真理」昭和55年四月号掲載

  •  本質を理解する

    今週を担当させていただく中谷です。埼玉県の入間市で治療院をやっています。
    開業前は自然良能会というところに弟子入りして、骨盤調整法という治療法を学んでいました。
    私が師事した骨盤の先生は創始者の下で長年修行していた素晴らしい技術を持った方で10分足らずの治療で次々と患者さんを捌いていってしまうような先生でした。看板も出していないような治療所でしたが、待合室はいつも患者さんでいっぱいでした。ここでは6年半お世話になりましたが本当に生きた勉強をさせていただきその経験が私の臨床のベースとなっています。

    他力の治療法をずっとやってきた私ですが操体を学ぶにあたって違和感というものはありませんでした。確かに考え方も方法もまるで違いますが、操体は治療法を学ぶわけではありません。原理・原則を学ぶわけです。ですから、合うとか合わないという問題ではなくどんな治療法にでも応用が効きますし、学んでマイナスになるようなこともないのです。それぞれ方法は違っても、原理・原則はみんな同じなのです。世の名人と呼ばれる方々はそういった本質を、自らの長い経験から理解していくのかもしれませんが操体を学ぶ私達には橋本先生がつけてくれた道筋がちゃんとあります。ありがたいことです。

    中谷之美

  • 父のこと

    私の父も去年の秋に同じく大腸癌で他界しました。5年前に手術をし人工肛門をつけて、亡くなる日も普通に仕事をし帰宅後倒れその後すぐ他界したようです。父とは私が高校1年の時、離婚してから一度も会っていなく、又出張が多かったので父の記憶がほとんどない状態でした。なのでその話を聞いても特に何も感じず、頑張ったんだなぁと思った位でした。離れている時間が長いとこんなにも忘れ、又他人事になってしまうのかと驚きです。何気ない普段の生活がいかに大事か感じました。毎日の積み重ねが明日へと続いているのですものね。
    そう思うと子ども達とのたわいない日常が愛しく感じます。

    夫の母が同じ病気で亡くなりましたが、当日は相当痛がっていました。母が亡くなる3日前ですが、会いに行った時死が近いのを感じました。まず1つはその日行く途中、信号が全て赤信号になったのです。歩いて40分程のところの病院なのですが、信号も何箇所もあるのに全て赤とは初めてのことでした。偶然かもしれません。天国の私の父がしたと、後で私の母から聞きましたが本当かは謎です。2つ目は病室で母に会ってから妙な胸騒ぎがずっとしていました。
    こんな感じ初めてです。次の日の土曜に、子どもを連れて行こうと思いましたが体がだるくとても行けない状態でした。なので日曜に家族皆で会いに行きました。わずかな時間でしたがみんなで会えてよかったです。
    そしてその翌日の月曜に他界してしまいました。

    宇宙は全て繋がっているようです。死についてもそれ程こわくはなくなりました。いわゆる三途の川というのはなく、こちらの想いと向こうの世界の待っている人達の想い、の両方ですっと成仏できるようなのです。ほんとかな?

    いいようになっている。

    それが祖母の母の口癖だったようです。
    その言葉のように、向こうの世界に行った人達は皆、私達を応援して
    くれているようです。困ったこと、嫌なことももありますが、それは
    気づかせる為にしていることらしいのです。
    何か困ったことがあっても、気づくチャンスと思うとそれ程マイナス
    に感じにくくなります。

    人生最後の時まで元気に生きたいですね。

    一週間ありがとうございました。
    来週からは中谷さんの担当です。

    中廣かおり

  • 義母の死

    先月、夫の母が79歳で他界しました。
    昨日は丁度月命日でしたが、最初の一週間がとても長く感じたので、
    もう何ヶ月も前のことのように感じられます。大腸癌となり手術をし、5年がたとうとしているところでした。
    去年の12月の末、全身に転移をしていて、あと3ヶ月から半年と宣告されていましたが、宣告通りとなってしまいました。一時期危なかったのが嘘のように元気になりかけていた矢先でした。

    身内の死というのは特に大きいものですね。

    いつもはあまり意識をしていませんが、人間いつかは死ぬ、ということがすごく身近に感じられます。

    一度きりの人生です。
    しっかり生きようと心を新たにさせてもらいました。

    ところで、私の母はちょこっと霊感があるようです。
    母の母(私の祖母)は神社の娘なのですが、その影響なのか霊と話しが出来るようなのです。

    訓練もしていないので、今のところ身内だけしか見れないようですし、見れないように母の父がガードしているらしいのですが、そんなことを言われても全く見えない私には半信半疑です。でも本当に話せるみたい、と感じることもあり摩訶不思議です。

    月命日には○○が欲しい(食べ物)、と言っていると言うので、その日を待たずにあげると、あげた話をしていないのに、あげてくれてありがとうと言っているとか、母は絶対知らないことなのに(私や夫も知らない)義母の昔の話を知っていたりするのです。昨日も朝、月命日なので特別に白ワインをあげると(いつもはお水と、たまにご飯)すっごく喜んでいるよ。とのこと。もちろんあげたとは一言も言ってないのです。

    何にせよ楽しく向こうで暮らしているようなので、ひとまず安心です。なぜか私の父も向こうの世界で夫の父・母と3人で酒盛りをしているらしいのですが、それは不思議な話です。
    私の父と夫の父母とは生前会ったことがないのですから。

    中廣かおり

  • 母のこと

    私の母は66歳です。63歳の時に友達に紹介されてからダンスを始め、去年は1級をとり、今は更に上を目指し張り切っています。
    オペラ歌手の先生に歌を習い、プールにヨガ、毎日1時間のウォーキングと体を動かしています。未熟児で生まれ40歳まで生きれらないかも、と言われたとは思えないくらいです。そんな母ですが、朝起きた時と寝る前に操体をし、体がとても気持ちよく、筋肉痛知らずになったと喜んでいます。これをするのとしないのとでは大違いで、ダンス等体を激しく動かした次の朝でも体が軽く動かしやすいとのことです。言われたことを素直に、そしてすぐするところがいいみたいです。
    ヤジウマ根性ピカイチです。

    それにしても社交ダンスって素敵ですね。

    テレビでも芸能人が踊っているのをたまに見ていましたがダンスの発表会を近くで見た時にはこんな世界があるなんて!と驚きました。特に発表の合間にあるダンスパーティの時間には圧倒されました。わらわらと客席から人が集まります。人・人・人。フロア一杯に人です。ぶつかりそうでぎりぎりながら、何とか避けくるくると組んで踊るのです。その時の女性達の可愛らしいこと。
    女性達は母より若い方から、もっと上の方もいらっしゃるのですが、皆生き生きとしています。そして少女のように可愛らしく、初々しいのです。その姿にこちらまで嬉しくなってきたのを覚えています。

    中廣かおり

  • 歯について

    毎日磨かなくてはいけなくて、結構面倒ですよね。

    もう何年も前になりますが、東京医科歯科大学助教授でいらした志村則夫先生の講演を聞く機会がありました。
    (今年3月に退官されたそうです。)その時のメモ書きがありましたので、書かせてもらいます。

    ただ磨いていればいい、というのは何かに縛られている感じです。それはつらくなってきてしまいます。
    義務でするよりも、感謝の気持ちでする方が健康的です。あまりとらわれず、自分らしく生きることが、骨、筋肉、その他体を丈夫にします。そして虫歯にならないためには大事なこと。

    それは「笑い」です。

    歯磨きはもちろん大事です。癌等の病気でも笑いは良いと言われていますが、虫歯にも
    有効のようです。

    最近笑っていますか?

    ということで、笑い用に一冊絵本を紹介します。あまりに気に入り、今年のカレンダーはこれにしました。

    にせニセことわざずかん   作/荒井良二

    中廣かおり

  • ◎21世紀の息・食・動・想・環を考える(インタビュー)

    「月刊手技療法」には、「シリーズ操体」が8年に渡って連載されています(08年現在、三浦、今、畠山が担当)。
    この記事は1999年4月の「月刊手技療法」に掲載されたものであり、同年秋に同出版社より発行された「快からのメッセージ 哲学する操体」への伏線となっています。
    (一部畠山編集)

    1999年4月号月刊手技療法
    《巻頭インタビュー》 ◎21世紀の息・食・動・想・環を考える
    三浦寛先生に開く  「快適感覚」の聞き分けこそが操体法

    橋本敬三先生の遺した操体法の本質とは何だったのか
    今回は本記事のテーマ「息・食・動・想・環」の提唱者である橋本敬三先生(1897-1993)と、その創始による操体法について、操体法の第一人者である三浦寛先生にお話をお伺いしました。
    快適な方向へ体を動かして間を置いて脱力する、という操体法は、その安全性と、一人でも実践可能であることから、治療家のみならず一般家庭での健康法としても広く普及してきました。しかし、操体法の本質については誤解されている面も多々あるようです。このインタビューでは三浦先生にそのあたりを中心にお話していただけました。

    恩師・橋本敬三先生との出会い

    本誌:先生が操体の道に進まれたきっかけについてお聞かせください。
    三浦:高校を卒業して仙台の赤門鍼灸柔整専門学校の柔整科に入学したのですが、そこに操体の創始者である橋本敬三先生が講師としていらっしゃっていたんです。
    柔整科には橋本先生の講義はなかったのですが、先生が講義をされている様子をお見掛けすることがあって、「変わったことをお話する先生だな」と思いながらも、何か興味を惹かれるものがあり、それで、「先生の科目は柔整にはないのですが先生の講義を聞いていてもいいですか」とお願いしたら、「おお、一番前で聞け」ということで、先生の講義を受けていたわけです。
    そのうちに「ワシは温古堂という診療所を開いている医者なんだが、お前ちょっと来てみないか」と声をかけていただいて、「お前、ここでワシのやっていることを勉強せい」と言われて。
    僕としては、本当にありがたかったのは、自分が何のためにこの裟婆 (しゃば)に存在して何を為そうとしているのかが、その頃まだ分からなかったのですが、橋本敬三というヒトに触れて、俺のやろうとしていたことはこういうことだったんだ、このためにこの裟婆にうまれてきたんだ」という気持ちになったんですね。そもそも橋本先生が操体をやっているということも最初は知らなかったわけですが、とにかく人間的に惹かれたわけです。

    本誌:弟子入り当初、橋本先生はおいくつでしたか。

    三浦:ちょうど橋本先生70歳で、僕が18歳。

    本誌:本当に孫と祖父という感じですね 。

    三浦:先生にしてみればそういう感じだったんでしょうね。ただ、偉い先生なんだけども威張ったところもないし、「自分も年をとったらこういった枯れ方をしたいな」という生き方を持っていらっしゃる先生でした。自分がどう生きていったらいのかということを先生から学ばせていただいたような気がします。

    操体の魅力とは

    本誌:操体の魅力とは何ですか。

    三浦:操体には、疾患に対してこういう風に診断しなさい、こういう風に治療しなさいということがないのです 。橋本先生の捉えかたは、どんな疾患でも必ずボディに歪みがある、この歪みが疾患現象を引き起こしている元の原因、元の原因を正しさえすればそれでいいんだ、という発想なんです。
    ここにもいろんな病名を付けられたカがいらっしゃいますけれど、僕は病気の治し方は知らないんですよ。知らないけれどもこうやって患者様とご縁をいただいてこういうことをやらせていただいて成り立っているわけです 。そこがやはり操体の面白いところというか、別に疾患を治すという捉えかたをしなくても対処できるということですよね。

    本誌:操体はあまり効果がないという方もいらっしゃるのですが、それは何かやり方がまずいのでしょうか。

    三浦:我々が操体の中で、そして生きることの中で絶対視しているのが「きもちが良いという快適感覚にしたがう」というルールです 。それは操体のルールではなく、命あるものは必ず快に向く、という法則があるのです。実際に臨床の場でどういう具合に快適感覚を活かすのかという快の方向性を橋本先生が示しているわけですが、みんなは橋本先生のやり方しか見てないし、創始者がやっているやり方だからそれをまねていればいいだろうと思っているわけです。しかし、奥が深いんですよ。快適感覚を聞き分ける手段はまだ沢山あるわけで、その探求がまだ不十分ではないかと思います。
    私自身も橋本先生のされていたことを肯定はしてはいるのですが、100%鵜呑みにして理解しようとしているのではないのです。創始者のやっていることだからこれは間違いないことだろうとなると、それ以上深めることができず、ただ真似しているだけということになってくる。そうなると操体そのものをよりよく活かしていけないわけです。

    本誌:具体的にはどういうことでしょうか 。

    三浦:操体を体系付ける前に橋本先生は正体術(*)というものを見ていました。正体術に橋本先生が興味を示したのは「痛くない方に動かして治すことが可能であれば、こんな素晴らしいものはない」という考え方があったわけですね。
    ただ、操体の診断や治療の中で、楽な方に、痛くない方にという風に臨床を進めていくとやはり間に合わない点が出てくるわけです。楽な動き、または痛くない動きに「きもちが良い」という快適感覚が実際にある場合とない場合があるんですね。きもち良いという快適感覚がある場合には操法が非常に有効なんです 。そういったことが分かってきたんですね。逆に楽な方、痛くない方に動かしても「きもち良い」という快適感寛がない場合はそれほど効果がないんです。

    快適感覚の探求

    本誌:関節可動域の差や動作痛の有無で操作方向を判断している方も多いと思いますが。

    三浦:操体法を本格的にやっている先生でもそうなんです 。楽な方、痛くない方へという操法の問いかけ…は、操法の選択として最少最低限の受容感覚なんですよ。
    たしかに基本的には間違ってないですが、「きもち良い」という快適感覚でバランスが取れ歪体が正体に戻るいうことを橋本先生もおっしゃっているわけです。
    これは言葉でごまかされている部分があるんです。楽な動き、痛くない動きは「きもち良い」ものだという先入観がある。しかしそうではないんですよ。ただ単に楽というだけで快適感覚がないケースが結構あるんですね。
    そのきもちが良いという快適感覚があるかないかという感覚分析ができてないから内容が乏しい。「なんだ効かないじゃないか」ということになってしまうわけです。そこの気づきを持っている先生が少ない。

    本誌:きもちがいいということが重要ということであれば、可動性が少ない側であってもその動きに快適感覚があれば、その方向に動かすこともあるわけですね。

    三浦:そうなんです。きもちよさで治るんですから。だから、動きが目的ではなく、快適感覚を聞き分けさせるために動きを手段にしているわけです。多くの人たちは動きがメインで感覚をおざなりにしているところがあると思います。
    橋本先生も晩年は「操体というのはどうでもいいんだ、とにかくきもち良さを楽しめ。それしかないんだ」ということを言われていました。

    本誌:実際の臨床ではその快適感覚が全然わからない方もいらっしゃると思いますが。

    三浦:そういう場合、ひとつのプロセスとしてきもち良さがわからなくても比較対照的に動きを分析すれば、楽か辛いか、痛いか痛くないかぐらいは分かるんです。だから一つの方法として、それだったら辛い方から楽な方に、痛い方から痛くない方にやりながら、そういった感覚の聞き分けを、体を通して学習していく訳です。一方、「きもち良い」という感覚が分かる患者さんには一つ一つの動きにきもちの良さがあるのかどうかを聞き分けさせていくのです。つまり、「一つ一つのどの動きにきもち良さがあるのか」を聞き分けさせていくという、新たな操法の問いかけもできるのです。さらに、きもち良さの質的要求として、快適感覚があっても、からだがそのきもち良さを要求してくる場合と、そうでない場合が出てくるんです。つまり、きもちの良さにもなんとなくきもちが良いケースもあれば、無上にきもちが良いケースも出てくる訳ですね。そこで、からだが要求し、選択してくるきもちの良さを聞き分けるという試みも生れてくるのです。つまり、からだの要求感覚ですね。
    そうなるとただ「きもち良い」ではだめなんです。なぜなら快の質というものをからだは求めており、からだが要求してくるきもち良さを通すのが一番理にかなった操法の選択となるんです。

    本誌:体が求めている快適感覚の聞き分け自体が診断であり治療なんですね。

    三浦:ただ、寝たきりの人とか動きを通せない患者さんもいらっしゃるわけで、そういった方にどうやって快適感覚を聞き分けてもらうか 。あと、もう一つは、動きはとれるけれど感覚の分からない患者さんにどう対処していくのか 。これは操体をやっていて長年の課題だったんです.そして、操体というのは運動系(骨格・関節)を動かして診断しているわけですが、それが不可能な患者には、運動系の一番外枠である皮膚に、快適感覚の問いかけをもたせていけばいいのではと考えたわけです。快適感覚の分からない人でも皮膚を動かしているとそれが分かってしまうんです。以前やっていたものはこれだけいいけれど、今こういった観点から捉えていった方がより活かせるといった発展的な考え方から僕は操体というものを捉えているわけです。

    自分を愛せない現代人

    本誌:先生から見た現代人の問題とは何でしょうか。

    三浦:ひとりひとりの心が塞いでいるという印象ですが、これは何かというと自分の命を軽く見ているということなんです。そうすると人の命も軽くみてしまい、人を傷つけたりといったことも起きてくる 。自分を愛せない自分が存在しているわけで、相手も愛せないからすぐ傷付いてしまう。

    本誌:自分を愛せない人は生きていても快適な感覚がないでしょうね 。

    三浦:それは、快適感覚を自分の外に求めているから。そうではなくて自分の内側にあるという捉え方ができないんですね。そういった中で味わえる快というのは薄いでしょうね。

    本誌:一般的に快といえば、お酒やセックスなどの連想があるかと思いますが。

    三浦:要するに依存症を伴うような刺激ですね。でも、本質的に人間が求めている快適感覚ではないですよ。刺激性を伴わない、ヒトがヒトらしく生きていくために本質的に心とからだが求めている快というものがあるわけです 。そういったものに気づいていかないといけない。
    心とからだが本当に求めてくる快適感覚が分かると、心とからだは素直になるんです。やはり自分自身を愛せないと、また自分がきもち良くないと人を愛せないし、人に親切にしようというきもちも起らない 。きもちよさに対しては委ねていたいと思うから、患者さん自身心もからだも素直になれるんです。
    それは快(きもちの良さ)の学習なんです。学習を通し味わっているうちにだんだん心とからだが要求している本質的なきもち良さに触れることができるんです。そうすると本当に素直になる。その本質的なきもち良さが無上のきもち良さというのかな。それに触れることによって自分の人生観、世界観が変わってくるんです 。たしかに患者自身は膝が痛いとか、胃にポリープができたとか、肉体に疾患を抱えて「なんとかしてくれ」と来るんだけど、一番我々が望んでいるのは、快適感覚を味わうことによって生き方が変わるということ。人生観が変わるということなんです。

    本誌:操体の世界というのは、入口は入りやすいですが、中に入ると果てしなく深く広いという感じですね。

    三浦:橋本先生は我々のような内弟子には「お前ら、よくこんな難しいものに首をつっこんでやってくれているな。難しいけれど、これは一生やってても面白いぞ」と、そういったことをポツポツと言うわけです。決して「簡単」なんて言いませんよ。難しいのだけれど一生楽しめる、と。操体の本質は「感覚」なんです。だから難しいですよ。難しいけれども、きもち良いという快適感覚に従うということが、生きていく上での無上、この上ない生かされし道(タオ)とすれば、それを探求していく面白さというのは尽きません。だから、僕は他のこと(治療)はしないで、快適感覚にしたがうという、大生命の理に委ねてみせていただいているだけなんです。

    本誌:息・食・動・想・環にわたってその原理は生きているんですね。本日はお忙しい中、本誌のために時間を割き、体の治療に止まらない操体の奥深い世界を語っていただきありがとうございました 。

    (*)ここでいう正体術とは高橋迪雄(みちお)先生によるものを指す 。関連書籍『正体術健康法』はたにぐち書店より発刊されている 。

  • 口って大事!

    操体」という字には、口が3つも使われているのです。
    そして操体の考えの食・息・動・想・環が上手く表されています。

    食べ物を食べる口。
    呼吸をする口。
    想いを話す口。
    木というそれぞれの環境にある体。
    それらを手で操る。

    ちょっとこじつけかもしれませんが、考えてみるとなかなか面白いです。

    口というのはとても大事なところです。
    生きるために必要な呼吸や栄養をとるためにも欠かせませんし、自己主張や自己表現をすることや、コミュニケーションをとるにも大切です。

    そんな大事な口の中には歯があり、歯の役割として「噛む」ことがあります。食べ物を噛むことで、脳への刺激も高まり、唾液がたくさん出て、消化がしやすくなります。人の体は本当に良く出来ているものです。

    死ぬまで自分の体を使っていくのですから、自分の体をいたわり、歯もどうぞ大事にして下さいね。

    中廣かおり

  • きっかけは母乳かも?

    一人目の出産では母乳がすぐ出ませんでした。
    結果的にはそれでお産のことや、体のことを考えていき、操体を学ぶことへと繋がっていったように思います。
    何が幸いするかわかりません。

    今となればそれで良かったと思えますが、当時はすごくショックでした。母乳が出ると思っていたのに、自分だけ出ない。自分だけ出ない状況というのは結構きついものがあります。一緒に入院している人はほとんど出ていて、自分の母も苦労なく出ていましたので、母乳に関して何の疑いも心配もしていませんでした。まさに出産=ゴールの状態でした。現在の出産では命に関わることは少ないのですが、やはり命の誕生なので、ちゃんと生まれてくる
    かの心配ばかり。産後のことはあまり考えられませんでした。

    出ないなら別にミルクでもいいのでしょうが、出ないと尚更固執し頑張りすぎて傷を作った程です。それを見かねて病院が桶谷式母乳マッサージを紹介してくれました。そこのマッサージの気持ちのいいこと。こだわった甲斐がありました。病院でのマッサージは痛くしかも出ないのですが、桶谷式のでは痛みがなく、むしろ張りがとれて体が楽になり母乳も出ました。そのマッサージ後、子どもが目の色を変え、真剣に飲んだ姿が今でも脳裏に焼き付いています。ただ、桶谷式に依存してしまい、一人目はずーっと通うこととなり少し大変でした。

    二人目は母乳で苦労したくないと思い調べると、産後すぐに母乳をあげられること、又泣いたらすぐにあげられる環境がいいということでした。色々探しているうちにお産のスタイルもさまざまで、産む場所も病院ではなく他の選択肢、助産院や自宅があることを知りました。又一人目の妊娠時に母親学級で知り合った友人が、丁度同じ頃に二人目を妊娠し、自宅出産を選ぶということでした。

    自宅出産だなんて信じられない!!
    一人目の時にはとても考えられませんでした。でも徐々に自宅出産のことも考えるようになりました。母乳を産後すぐにあげられ、又いつでもあげられる状況、あお向けではない生むスタイル、出産時の上の子の預け先、子どもにも立ち会ってほしい、等色々な願望が出たのです。助産院等も数箇所見学し、話合いを重ね、最終的には自宅出産を選び、助産師さん2人に来てもらい、無事出産することが出来ました。そして一人目での母乳の苦労はどこへやら。何の苦労もなく、マッサージに通うことなく無事終わりました。お産に関しても、体の原始感覚に基づき自然な形で出来大満足です。

    中廣かおり

  • はじまして

    こんにちは、中廣かおりと申します。
    今日から一週間、おつきあいの程よろしくお願いします。

    山口県生まれ(2歳位まで)、新潟県育ち、東京在住です。夫と3人の娘(中2、小6、小3)の5人暮らしです。歯科衛生士をしています。操体に出会い、門をたたいてから7年がたちました。

    もともとはイトオテルミーという温熱療法の学校で勉強をしていましたが、器具を使わず手技だけで出来て、尚且つ痛みがないものも勉強したいと探し、操体に出会いました。痛くないどころか、気持ちの良さを感じることで体が元に戻ろうとしてくれるとは、なんて有難い話でしょう。痛がりの私にもぴったりです。

    こういう世界に興味を持ったのは、子どもを生んだことがとても大きいです。

    2人目、3人目は色々考え、自宅出産をしたのですが、そのことで、体に対しての意識がかなり変わりました。

    中学生の頃は生理通や頭痛があれば、何の疑いも持たずバファリンを愛用していましたが、子どもが出来あまり
    薬に頼らず自然療法的なことに興味を持ち始めました。そして操体へと出会ったのでした。

    長女が小さい頃、乳幼児家庭学級という10回位の講座に参加し、最後に皆で文集を作りました。そこに10年後の自分は何をしているかを書いたのですが、民間療法を勉強している、と書いていました。

    10年後はどうしているのでしょう。

    中廣かおり