投稿者: karib_sotai

  • あるく2〜夜を愉しむ 5月30日

    家から15分ほどで多摩川の土手があり、時々夜のウォーキングを愉しんでいる。
    土手にのぼると、街灯がなくなりいきなり暗くなる。
    アスファルトの道がぼおっと浮き上がって見える。
    視覚が頼りなくなり、、一気に視覚以外の感覚がはたらきだす。
    この季節に咲く花の香り。
    さかなの跳ねる音。
    湿り気のある風が頬を撫でる感じ。
    どれもこころよい。
    目が見えないことで急に視覚以外の感覚がとぎすまされる。
    目が見える人は、80%以上を視覚で外界を認知して生きている。しかも、通りに出れば求めてもいない過剰な情報が我々を覆いつくし、我々を無駄に消耗させている。

    意識して感覚を統制しなければ、視覚以外の以外の感覚は鈍っていくばかりかもしれない。

    土手の上にのぼり町のネオンが消えた時、私はホッと安堵感を得る。

    今にして思えば、
    余計な気遣いが消え、嗅覚、聴覚、触覚が開放され、この香りが、この音が、肌触りが、
    快いのかそうでないのか、好ましいものを選択し、そうでないものにはNoというそういう自由を与えられたような気がしたのだ。
    目が見えないことで自由になれるなど、考えたことがなかった。

    川べりを更に目をつぶって30歩歩いてみる。
    少し曲がれば川に落ちるかもしれない。

    平衡感覚、風の流れ、草がかすれる音。

    先ほどまでひらひら舞っていたこうもりの姿。今の私には目をつぶると彼らを意識をすることができない。

    でも、彼らはそこにいる。夜の川の流れる上を舞っている。

    今の私が感じられること、感じられること。

    夜歩くことは、昼とは違う楽しみがある。

    森田珠水

  • ネコに学ぶ(続編)5月28日 4日目

    ネコに学ぶ、というか岩合さんに学ぶ、かも知れませんが。昨日の追記として気になったくだりをいくつか。
    ・ネコは「心の余裕」のある人が好きだ。
    ・「ネコが動いちゃったから撮れないんだ」と考えるよりも、
    「自分の動きがこうだったからネコに嫌われたんだ」という判断をしたほうが、はるかに得るものが多いはずだ。

    むむむ、どこかで聞いた話に重なりますね…。
    他にもグッとくることが書いてありましたが、ネタばらしはこの辺にしておきます。

    そしてこんな点に気をつけて今日出会ったネコを撮ってみました。
    成果やいかに!

    同じネコです。
    すました顔より、ヘン顔のほうがその子らしくて個人的に好きです。足がハの字だし…。

    首輪はしていて、ある程度人なれしているのでしょうが、やはり遠くにいるときからずっとこちらの様子を伺っていました。近づいたり離れたり、じらされてみたり。
    うーん、何やってるんでしょうね、私(やっぱり苦笑)。

    これはカルミアというツツジの仲間。変わった形で好き。今の時期の楽しみです。

    森田珠水

  • ねこに学ぶ 5月27日 森田珠水

    昨日は私の路地&ネコ好きという話でした。
    確かに私の携帯にはアホのように猫写真がメモリーされているわけですが、
    「撮らせろ〜」
    「撫でさせろ〜」
    と、ギラギラしているらしく、猫撫で声を出すくらいではいい写真が撮れていません。

    そこで、敬愛する岩合光昭先生の「猫を撮る」をよんでみました。

    猫びより』などで活躍する岩合先生。まず初めての土地に撮影に行く時には、猫の居心地のいい場所を探すのだそうです。
    まずは町全体が見下ろせる高台に登ります。

    なぜなら、
    どこが猫の好きな入り組んだ路地なのか、車があまり通らない道路か、
    どこが日当たりが良い場所なのか、が一目瞭然だからです。
    そして、「猫を探す嗅覚、皮膚感覚を持とう」というアドバイスをいただきました。

    以下、一部引用します。

    猫は気持ちのいい場所を知っています。猫に出会いたければ、「脳みそで考えるのではなく、自分のからだでヒトとしての皮膚感覚を心がけ、自分の居心地がいい場所はどこかと考えてみよう。そうすると、そこに向かってからだが正直に動くことがある。そして、身体感覚を研ぎ澄ませる。匂いが呼び寄せることもある。」
    のだそうです。

    そして、氏は、皮膚感覚を育てる第一歩として、
    「風がどちらから吹くか、空は、気温はどうか、天気予報を見る前に自分の肌で感じてみることが皮膚感覚を育てるトレーニングになる。」
    とのこと。

    猫はずっとそうやって気持ちのよい生き方をしているということなのでしょう。ヒトもネコを追いかけると、健康になるとおっしゃっておりました。
    さらに、猫と出会って、いざ撮影するときには、いきなりがむしゃらにカメラを構えません(そりゃそうですが)。

    ここにもコツがあるようで。

    例えば、猫は人間の子供が苦手。なぜならいきなり激しい動きをするので恐怖を覚えるから。

    だれだってこちらの希望もなしに目を付けられて見張られて触ろうと近づいてきたら大迷惑。人間だったらストーカーです。

    「あなたがネコを見つけるよりも先に、ネコはあなたをしっかり見定めている、と言ったら驚くだろうか。
    (〜中略〜)ネコに限らず動物というのは、まず始めにこのヒトは安全かそうではないかということをしっかりと明確に見ている。

    このヒトは大丈夫、そうネコが判断したときに、あなたの側に近づいてくるし、写真を撮らせてくれる。」
    ということです。
    このネコを患者さんの(アタマじゃなく)からだに置き換えて読んでいただきたい。
    今までの臨床を明日から変えないと!という気分になります。
    え、なりませんか?

    まあまあ。

    もし私が道にはいつくばって野良ネコと戯れている場面に遭遇しても、

    操体臨床の研鑽を積んでいるのだろう」ということで、なまあたたかい目で見守ってやってくださいね。

    写真は近所の公園の半ノラネコ。こちらに興味はあるけど
    ちょっぴり耳が緊張しています。

    参考;岩合光昭「ネコを撮る」 朝日新書

    森田珠水

  • あるく1〜路地裏を往く 5月26日 森田 2日目

    家から仕事場までの距離は、歩いて20分。我が家周辺は、だいたい碁盤の目に舗装された道路が走っていて、その間に小さい路地が沢山あります。

    毎日ではないですが、小一時間、朝の散歩コースなどにして歩いています。手荷物はなるべくなくして。歩く歩く歩く。歩くために歩く。

    三浦先生から教わったように、

    操体としての自然体、重心安定の法則を意識して。道を曲がるためには、どっちのお尻に吐く息を通すんだっけ?
    坂道を登る時の骨盤はなるほど前彎曲だなあ。なんて思いながら。

    なるほどからだという自然法則にかなった歩き方って、「優しい」です。周りの空気に溶け込む感じがするとでもいいましょうか。

    歩行中でも、こうやって自分のからだをチェックし、ひずみがあれば立ち止まってひとりで動診操法を通してみると、その後歩き方がスムーズになるのがわかります。

    おもしろーい。

    その日一日が気持ちよく過ごせるように。運動を面倒くさがる私でも、面白ければ続くもの。

    また、ウォーキングの先生、草階氏の言葉を思い出しつつ、

    かかとで着地し、第1趾に抜けてちゃんと地面をけっているか。お臍はうえに引きあがってるか。坐骨は立てて。目線は目の高さ。腕を後ろに引いて肩甲骨を揺らすように。

    これらも、うまくできないときはやっぱりどこかに歪みがあるということですね。(詳しくは草階文恵「簡単!楽しい!キモチいい!きれいになる操体生活」を参照のこと)

    それらが整えば必要な筋肉も後からついて美しくなれそうだわい。
    うっしっし。
    心の中ではヤスジのようにほくそえんでいます。

    「おおお、結構今美しく歩けてるんじゃないの?」
    「やるじゃないあたし!」
    と自分自身を褒めちぎりながら、表向きはさわやかな笑顔で歩いております(ホントですよ!)。

    それでも最初は両足を自由に使えませんでした。右足首をこねくり回して着地していたようで、しかもかかと重心。そりゃ猫背にもX脚にもなるよな〜。膝も痛かったわけさ。いろんなことに気づきました。

    今では左右どちらの足裏も親指を利かせて歩けます。からだの線も意外と変わる。(あとは毎日やればね!飲みすぎなければね!)

    それまでは自分のからだをどう使ってよいのかわからなかったのです。頭とからだがつながってなかったということでしょうか。

    橋本先生が「一生からだで遊べるぞ」とよくおっしゃっていたそうですが、本当ですね。

    それから、この朝の散歩の楽しみは、路地と花と猫にもあります。

    30年住んだ町なのに、無意識に同じ道ばかり歩いているものです。朝のウォーキングを始めてから、通ったことのない路地がこんなにあるのかと正直驚きました。

    蒲田は住宅街で自然の少ない町だと思っていたけれど、こんなに近所に美しい花や樹を育てている人が生活してる町なんだなと、住んでいる町の見る目が変わりました。

    こうして沢山の道草を食い、行き止まりで元の道に戻ったり、遠回りしながら目的地に向かっていると、「まるで人生のようだ」とベタにしみじみする自分に出会うのもまた面白し、です。

    それから、猫との出会いも楽しみです。
    小さい時から喘息もちで猫を飼うことを禁止されていた私ですが、両親が働きに出ている時はこっそり通い猫をコタツに入れて餌付けしていました。意味ないです。

    今でも散歩中は猫レーダーのスイッチがオンになります。猫だまりを見つけると幸せな気持ちになります。

    明日は路地裏と患者さんの猫について書きます。
    では、このへんで。

    森田珠水

  • 私との対話「希望」5月24日土曜日 午前5:10分 モスバーガーにて。

    いよいよ最終回を迎えました。ブログにアクセスしていただいた皆さんに感謝します。一週間どうもありがとうございました。ブログとは自由日記の書き込みと聞かされていましたが、それはブログを打ち始めて後に知ったことで、内容的には、どうも大づれしてしまったようです。しかし、そのままぶっ飛んでいます。一週間の感想はというと、結構自分の世界のなかで十分たのしませていたヾきましたよ。それも総勢20人バトルのなかで、味あわせていただヾける醍醐味でもありました。
    日曜日から森田さんが担当ですね。 よろしく・・・。

    私との対話「希望」
    「希望」という私の問いかけに、ゲーテ、シュタイナーが、そしてフロイトユングの先人達が答えてくれる。ゲーテは「人は希望を失おうとしない精神をもっている」と答えています。希望とは信念にまさる、ゆるぎのないもので、その信念は不快から生じてくるものではなくて、快という生命の本質にある意志そのものから生み出されてくるものだと、私は思う。
    人は信念を失ったとき、老いて枯れ朽ちるものである。それは加齢を重ねて肉体がおとろえることではない。若さも信念を失ったとき、枯れ朽ちるのである。希望とは信念そのものである。
    信念は希望とともに、若く、朽ちるものではない。
    橋本敬三医師は、自然法則の中に真理があると言います。真理のなかに、生かされし救いの生命観が貫通しているという、それは無極無限の太極の意志であるというのだ。その救いの生命観をさとることによって、人は人として最高の至福を得る、という。それは人としての自由を手にする、ということである。この自由こそ、希望なのである。

    しかし、日常性のなかで、人は自分が抱く思いというものが、いったいどこに繋がっているのかはっきりとしないまま、何処(いずこ)に、これから先繋がっていくのかわからないままなのです。この私の、残された時間も、これから何が私に出来るのか、どうこの生と向かいあおうとしているのか、死後どうなるのか、どこへ行くのか、みんなはっきりしないままです。
    そして、問題が起きてしまうと、大きな直面にぶつかってしまいます。まづ、その問題というのは、病気とか、人生の苦悩とか、苦痛を余儀なくされ、痛みを伴うものという意味で、そうなったら、もう自分一人の胸にしまい込んでおけもせず、自分の手に負えるものでもなくなってしまう訳ですね。しかし、それは何か大きく自分を取り巻く力を感じはじめようとする転機の時が来たのだと思います。もし、不幸にも人生のあきらめと絶望とがやってきた時、人は、あぁ、なぜ自分ばかりがこんな目に遭うの、と思い、自分の不幸を嘆きます。つい希望を失ったと思い、否定的になってしまいます。しかし、有難いことに人は口では何だ、かんだと言ってみても、100%自分を否定しきれる存在ではないってことなんです。
    それは、もう人が生きてやがて死を迎えるという、はっきりとした現実と同じ位にはっきりしていることだと思います。というより、人には否定しきれない自分を感じるからこそ、苦しい思いをするのだということが、本当はわかっている筈ですしね。問題が起きてみてはじめて、この思いに直面して、自分の本音に気づく訳でしょうけど、ところで、自分の本音というものは、きっと自分の意志というものから、大きくはみ出しているものなのかもしれません。もし、強引に否定を強めていくと、自殺か殺人しかありませんし、それが出来なければ、観念的虚無になる、と思います。虚無とは恐ろしさの体験、そのものと思います。ここに否定する事の問題がある訳だと思います。しかし人はやはり大きな力(自分以上の)を感じてる訳です。人がもし、目覚め、自分以上の大きな力、自分の意識を越えた、さらなる力を得ていることにふと気づくのはこの時からじゃないかと思う。

    淋しいと見える否定も、実は激しい自分への肯定を含んでいるのだと思います。本音は希望を見失いたくない!ということなんじゃないかと思うのです。その希望の内容を具体的に規定することは出来ませんけど。
    「もう希望を見失いたくない」というのは私自身への本音です。もし実現の希望が直接的にある訳でなくても、希望という快のランプを見失うことだけはイヤなのです。
    希望というのは、単なる言葉上の概念ではなくて、人と希望との関わりは、つまり、人は希望を実現したいんだと思っていることなんです。人は、また希望に対して実現するというかかわりを望んでいるんですね。

    それは、ゲーテの問いかけにシュタイナーが「人間にはその希望を失おうとしない精神を実現しようとする心の働きがあるのだ」と、答えている。つまり、その心の働きを霊的意識として捉えているのである。

    フロイトは希望について、「人間はセックスをとおして無に帰りたいという根源的な希望を満たしている」というのである。

    しかし私は、このフロイトの考えに反論する。セックスは人間の意識的行動意欲の中で、快感をもたらす最高の行為の一つであることは、間違いのない事実である。しかし、フロイトが云うように、セックスが無に帰りたいという人間の根源的希望を満たすのであろうか。
    私が思うに「人間は無意識に帰りたい」という希望なのでないかと思う。無意識の空間、無意識の世界である。その無意識とは表層意識を越えた潜在意識空間であり、又、それを越えた民俗意識、さらにその意識は宇宙意識、イノチの根源にヒビキをもたらすもの、波動するものがセックスなのだと考える。

    そのフロイトに、反論といおうか、逆の問いかけをするのがユングであった。ユングはこうだ。・・根源的な快の欲求は無に帰りたいと思うことではなく、「まだ実現されていないものへの実現を望む心」なのだと・・・・・。
    つまりもっと高く崇高な心であって、それが希望を失わない精神と云うのだそうである。私はユングの考えに賛成だ。快の欲求は希望なのだ。
    からだにとっても快は大調和のバランスである。それは大生命の意志であって、大生命の生みの親の、親の創造のなかにあるものであって、その創造への設計にミスはないのである。それが救われしこの命の生命観なのである。

    このことは、希望を見失うかどうかに、つながっていることなのです。日常生活のなかで、必ずしも満たされていなくても、また、いつの間にか「快をつむぐ」ことができるのは、希望をもっているからなのだと思います。又、快をつむぐから希望が持てるのかもしれません。
    それは、私にもよくわかりません。この程度のことしか・・・・。いったいどうなっているのかこれからも問いかけていきたいと思います。希望は永遠のテーマですから・・・・。希望はそのままでは、ただのアクセサリー、求めるという行為のなかで枯れ朽ちることなく私の生と共に、その信念の中で育っていくものですから・・。

    希望について、沢山の人がその考えを残しています。ゲーテもシュタイナーも、フロイトユングもそうでしたね。

    私はね、ユングでもゲーテでもいいですけど、私自身の三浦流なのです。それは自分への問いかけなのですから。それは何人といったって希望を得て再々に励ましを得る、自分とめぐりあえたことにまず、感謝しているのです。
    それは誰にでも出来る、ということじゃなくて、物事、事象の本質をとらえようとする素直さやそのひたむきな情熱に私自身目を見はるのですけど、その、ゆるぎのない精神力の強さで、大きな生命力を人に感じさせています。私のように本質の目を持って人を見ると、その人が透けてみえてしまうのかどうか、とにかく私を見ていると、ガラスの中のガラス、そのまた奥のものをちゃんと見ているような視点を感じます。
    きっと私は自分の根源が、その奥にあることをはっきり気づいているからなのでしょうか。それは、私にとって快の領域、いのちの意志のエリアです。その一時、その一瞬にして、未来、そして自分の意志をはるかに越える世界に踏み込んでいるような感じを実感できることもあるのです。

    でも、それは別世界のことというよりも、長い間、ずっと訪ね歩こうとしていた、つまり命の記憶に少しづつたどり着いたような感じのする世界です。まったく違和感のない親しみわく世界観です。そうして、この世界観から私が描けるものをなんとか表現してみたいと思っていました。それが描けることも、わかってきましたし、今私はそのことを実践しているのです。
    まあ、そうだと思いますが、それにしても私自身の厳しさにも私は支えられてもいました。
    その厳しさは優しさでもありましたが、それは私独特のものです。私の美意識であると共に、生命力そのものだと思います。
    表現方法はいろいろあるでしょうが、私に言えそうなことは、人は同じ道を二度と歩まない、というようなことを感じるのです。私を見ていると・・・・。
    でも、それは日常的には違います。外から見ていると、同じ生活リズムのくり返しで、ほとんど同じ道をたどっているように思います。でも、何遍も同じ道を歩いてもいつも初めて来たような感じがします。としたら、まるで赤ン坊のように一日一日が新生です。生き生きと、初めて通る道、そして自分は二度とこの道を戻る事はないであろうという予感・・・。人が本質と向き合い、その本質の道を歩むという人生、実はこれを選ぶことは実際には厳しいです。が、でもそれは快の領域であって、快の深層なのですね。

    あんまり真剣に集中していると、チト疲れました。
    貴方はちゃんと、私と向かいあっていますか
    ものごとへの根源に心を向けていますか
    ステキな自分と向かいあえるように、
    今日も 明日の自分を描き、
    自分に帰っていく一日でありますように。
    そして、自分という自由を手にする一日であり、
    この一瞬は明日の自分を夢みるような
    時であるように・・・・。

    三浦寛

  • 操体に出会って 5月25日(日)。 1日目

    はじめまして、森田珠水と申します。東京都出身、30年来の蒲田っ子です。さそり座O型です。フォーラムではビデオカメラ担当させてもらってます。

    三浦先生、1週間ブログ更新お疲れ様でした。橋本先生との思い出や写真から、風呂屋でのドッキリ体験まで貴重で幅広いお話、ありがとうございました。

    私も負けずに(?)のびのび書くつもりです!みなさま、7日間お付き合いよろしくお願いいたします。

    第1日目の今日は、操体と出会い、治療者として考え方がどう変わったかを書こうとおもいます。

    私は東京大田区操体健康医療研究所(ひとり所長…)、森田珠水鍼灸治療院を開業させていただいております。
    鍼灸治療院といっても、今では操体しかやっておりませんが、そこにいたるまではちょこっと遠回りしました。

    実家は薬局ですが、薬剤師は目指さず、大学は臨床心理系のゼミを専攻しました。しかしカウンセリングで他人を治すことの大変さに圧倒され、版画と額縁の会社に数年勤め、その時バイトに来ていた指圧専門学校の学生さんの影響で再び鍼灸学校へ入学しました。

    もともと直接からだに触れる手技療法に興味があったため、卒業後、指圧中心の鍼灸マッサージ治療院で働きました。主に健康な方々を指圧している分にはそこそこ満足していただけるようでしたが、重篤な疾患の方、高齢者で寝たきり、気質的変化の大きい方を目の前にすると「私が治さなきゃいけないのに治せない」ジレンマがあり、今思うとかなり仕事に対しストレスを感じていました。

    週に2,3回そういう気持ちでお宅に通うのは精神的によろしくないですね。もちろん患者さんにはもっと迷惑です。

    患者さんが治療を受けるのは例えば1週間に1時間として。残りの時間にその人自身がどう生活するのかが健康になるには必要だと思い、リハビリや体操など、楽しく続けられるものがないだろうかと探していました。しかし、三日坊主な私の口から、人様に「筋力をつけるのに1日10回○○をしてください」とはいえません。

    そんな時に「操体道入門」(中川重雄著)を通して操体を知り、橋本哲学に興味を持ち、畠山先生のHPにたどり着いたのです。

    そうです。福田氏、草階氏と同様、私にも2人の師匠がおります。

    私も畠山先生のもとで学んでいるなか、ある時に、三軒茶屋ドトールにて、三浦先生にお会いさせていただいたのでした。私はたしか、恐れ多い心持で何を話したらいいかわからず、ちゃんと目を見て会話できなかったように思います。

    ビビリーで、心弱かった(過去形ですよ)私を叱咤激励&温かい目で見守ってくださった三浦先生、畠山先生に感謝しております。

    こうして第1分析、第2分析、第3分析の臨床とともに、創始者橋本敬三先生の、操体という実践哲学を学ぶ場に到着(?)したのでした。

    で、やっと本題ですが、操体に出会って、臨床を変えて私の中で変わったことは、一言で言うと、人間のからだってすごーい! ってことです(小学生か…)。からだと共にこころも一緒に変わっていく様子を見させていただくとこちらが感動してしまいます。

    小さい時から、治療の空気の中にいたはずなのに、からだという自然(無意識)にはこんな力があったのか!という驚き。これは、筋力の有無、年齢、とは、あまり関係がなく感じられます。

    施術者=治療者だった時には、「自然治癒力」の言葉を何度も口にしていたのに、その力がどんなものか感じられていなかったです。

    みんなちゃんと治る力ってもってるのですよね。当たり前なことなのに…。 気づくのに遠回りしたようです。

    今まで「治してやろう」って思ってた自分が恥ずかしくなりました。自然治癒力を充分に発揮させたいなら、からだにお任せしたらいいじゃないの。今なら、そう言えます。

    そのへんが操体に出会って、意識が変わったところじゃないでしょうか。ほかにももっとありますが、それはこれからおいおい書いていきます。

    春の東京操体フォームが終了してまだ3週間しかたっておりませんが、すでに遠い過去のようです。2日間にわたり、6人の方が「なぜ操体を選んだか」について語ってくださいました。実行委員それぞれの経緯は異なるのに、
    こうして同時期に操体を学ばせていただけているのも、ありがたい橋本先生のお導きでしょうか。

    学ぶということにおいて、今が一番楽しく充実しています。からだという自然法則を学ぶことに感謝できる日が来るなんて予想もしてなかったですよ。

    私自身も元気になって、エネルギーが上がってきてるのがわかります。自分で脈をみても違うのですよ。

     
    うーん、ありがてえ。 ししっ(手鼻)。

    森田珠水(もりたたまみ)

  • 「あんた、もしや オカマさま、オカマさん?でしたの・・・。」

    おはようございます。皆さん、今日も元気ですか?今朝もここ東京はすがすがしい朝を迎えています。天気も上々、あったかです。5月23日金曜日、午前4:50分です。

    私のブログも今日と明日の2回となりました。金、土とブログの内容をグーッと、くだけたものに配慮してみました。きっと、肩の力が抜けて、おかしさがこみ上げてくるもの、も、まざってくるのではないかと思います。では6日目の第6話、今日もブッ飛びます。
    追伸:週末に入ると、朝起きの時間帯が少しづつズレてまース。生身ですから、気力がもちません・・・。明朝、ブログの書き込みが終わったら、一人ビールでカンパイです。1口、2口、なめる程度の、ことです。が・・・。

    「あんた、もしや オカマさま、オカマさん?でしたの・・・。」
    診療所には風呂もシャワーもあるのですが、愛犬?いや愛猫のシモン君が浴室を占領していて使用することができません。飼い猫のシモン君はトラ猫で、アメリカン・ショートヘアと日本種がかかっています。この種のネコちゃんは額にMのマークのまだら毛と、皮膚ガワが日本種と違い、かないブ厚いのです。高い所を好まず平地に住む猫で、ヘビなどの外敵にかまれても軽いケガですむようにブ厚い皮膚ガワで身をつつんでいるのです。

    猫は3歳児程度の知能があるようです。なかなかうちのシモン君も利口で人なつっこく、私の言葉もかなりわかっています。飼い主にはいたづらされてもガブリと歯を立てません。そしておもしろいことに視線をあわせつづけていると、必ずシモンの方から視線をそらせることです。誰れにエサを与えてもらっているのか、つまり飼い主が誰れかを知っているんですね。

    そして、私と二人きりでいる時はすごく甘えてきます。甘ったるい鳴き声にかわり、すりより、さかんにあのザラメ舌で服から露出している皮膚をなめづり、感極まると軽く咬んでみせるのです。私がシモンにカミつくことがあります。カミつくといっても、腹を立てることがあります。それはあたりかまわず吐くことです。一番腹が立つのは、居心地のよいベッドの上や、毛布の上で思い切り、ゲボ、ゲボとやるんですよ。患者用のベッドや毛布の上でやられるんで、何枚もシーツをストックしています。書いている内にも少々腹が立ってきます。
    コイツは、わかっているんです。吐いた途端、私の手の届かぬものの陰でスーッとかくれてしばらく姿をみせません。猫のヤツは意外とケロッと記憶が消えるんですね。知らぬ存ぜぬの顔して、姿を見せ、すりよってくるのです。私の怒りはまだ、おさまっていないとも知らずに・・・このバカ猫が・・・

    私に尻尾をつかまれ、さかさづりの刑に処せられます。しかし、コイツ余りいやがらんのです。さかさづりにされてもおとなしい。きもちよさそうにしているんだ。でも1分間くらいが限度、上体を起こそうとする。そこでさかさづりの刑はおしまい。もう一つ、昼寝をしていると、ベッドに飛び乗り腹の上にタタタと乗っかって私の脇腹の側にスリ寄ってくる。その腹の上に乗っかってくる足のハコビが絶妙で、ドシ、ドシと乗るんじゃなくてポンポンポンと何かはづむような感じなんですネ。人間のからだで言う膝の力をうまい具合に抜くのか、足首の力を抜くのか、まるで伊賀の忍者が水面を走り抜けるような。そういっても、コイツはエサにイジきたなく、よく食べる。腹八分目ということを知らない。食った途端、今食べたことをケロリと忘れてしまっているんじゃないかって・・・。

    そんな訳で、コイツの体重は7キロもある。一年前からダイエット中で、少しは細身になったと思うのだが、新患の患者さんは「なんてデカイネコチャン」と、たまげてしまう。コイツを飼うようになったのは、子猫の時に車道を渡って、車の後輪に腰から下をひかれ、一ヶ月動物病院に入院してました。その獣医さんが、コイツをまたノラチャンにするには可哀想だからといい、里親を捜していたところ、実行委員のメンバーの一人鵜原さんが「三浦先生、飼ってくれないかなァ」と持ちかけられたのでした。そんなコイツなら飼ってもイイかと承諾したのだが、最初自宅で飼うつもりで、家族の同意を求めたが、下の娘は子供の頃から喘息で苦しんだ体質を持ち、成人になっても軽い喘息がでることがある。下の娘も動物が嫌いなわけでもないが、少々腰が引けている。コイツは自宅では飼えないなとサッして三茶で飼うことになった。

    当初は動物が好き、であるということと、飼うこととは大違い、すっかり私が面倒みなければならないことをケロリと忘れている。近頃のコイツは、私に要求することが二つある。一つは「飯を食わせろ」と、いう要求と、「外に出せよ」という要求である。コイツの声色でわかるのだ。そして、コイツは私を親だと思っていることだ。めんこですね(めんことはめんこい可愛いヤツの意)

    すいません、飼い猫の話しで、タイトルのおかまさまの話ですネ。
    そんな訳で浴室をコイツに占領されてしまってシャワーも風呂も使えない。でも、こんなちっぽけな風呂に入るより私は街の銭湯が大好き。三茶には周囲1km範囲に三軒の「せんと」があるんです。一番のお気に入りは水風呂とサウナがある、とある一軒、フォーラム開催時ターミナルビルに雑魚寝した同志と共にかよったあの「せんと」です。番台のオヤジが、ぞろぞろ列をなして入ってくる我々に、目をまんまるくして、このお客さん、みんなあんたのツレ?と聞く。番台のオヤジは私がしょっちゅう利用させていたヾいているので、顔見知りなのだが、私は名前も職業もあかさない。しつこく聞かれるのだが、一切答えたことがない。名前はともかく番台のオヤジは私に興味をしめすのだが、いったい何をなさる人なのか見当がつかぬようだ。「絵描きさん」「執筆でも?」「大学か高校の先生?」挙げ句の果てに「芸能関係の方?」「どっかの親分さんで?」とも。お医者さん?と言われたことは、ない。医者といわれず私はホッとする。なかなか当たらない。それでいいんだ。○○臭くなくて。それが一番、と思っている。

    4,5日前の夕暮れ、この「せんと」の暖簾をくぐる。広々とした水風呂にザブンと入る。ここの水風呂は冷却水で水を冷やし、かなりの冷水である。フォーラムの理事、京都の佐伯さんは、当初膝下までしか入れなかったな。私が平気で何分もつかっているのに、目玉をまんまるくして、驚いている。理事兼実行委員長の岡村君は決して近づこうとしない。

    水風呂に数分つかった後に温水浴で、十分からだをほぐす。これを3回ほど繰り返し、からだを洗って、又水風呂と湯風呂を往復して、出る。浴衣室で服を着ていると、私のそばでやはり同じように服を着ている人の下肢が目に入った。ところがですよ、その人、ピンクのパンティーをはくところを目撃しちゃったんですよ。ウン?????なんでピンクのパンティーはくんだ、そしてやはりピンク色のブラジャーを胸にあてている。ウン????いったいどんなことが。ワシは女湯と間違えたのかと、イヤ、そんなことはない。入浴中の人達は全員立派なオ○ン○ンをぶらさげていた。この人、立派なイチモツもついていたし。と、胸をみると2つのオッパイ、女性のオッパイがついているのニャ、ではないか。

    ひょっとして、あんた、オカマさんでしたの?

    たまげた。初めてですよ。オッパイがついてオ○ン○ンをぶらさげた、オカマさんの生々しい全裸をみせていただいたのは・・・。生々しい、その裸体にふきだすおかしさを、ドーンととおりこして「あ」です。つまりア然としてしまいました・・・・です。私はとんでもないものをみてしまいました。足のツメには真っ赤の、なんていったっけ、アイシャドーじゃなくて、そうそうマニキュアでした(あせってしまいす〜ゥ)マニキュアで染めて、手の爪も真っ赤なマニキュアでした。髪は肩までのびて女風。両耳にピアス。指にはなんとなく輝くヒスイのようなルビーの指輪。まったく身振りからだつきは女性になってますネ。相当女性歴長そうでした。どうみても60歳はいってましたよ。どうせならピチピチの若いオカマさんのらたいがみたかったねェー。

    いやはや、ドッキリ昇天するところでした。又、思い出して?もしかして、女性だった彼女が男性に性転換したのかも知れませんね。顔をみても、中性的で、男性なのか女性なのか、判断できませんでしたが、年齢からみて、その当時性転換手術そのものがそこまで進歩していたのかしらん・・・
    やっぱり男性でしょうか

    ハイ、そんなところで6日目のブログはおしまいです。

    三浦寛

  • 言葉の力

    おはようございます。5月22日午前4:30分
    私のブログも中日5日目、残すところ後3日間となりました。今朝もモスバーガーからの発信です。東京の朝の日に日にあたたかさが増して、半袖姿でも寒さを感じません。私達も日々意識のころもがえができるようつとめていきたいものですね。

    「言葉の力」
    その問いかけには必ず目的がある。先回代田文志著「鍼灸の基礎治療学」を書き写す経緯(いきさつ)を話しましたが、もう少し書きたしてみます。

    先生は満足げに「よくやったな」と言われ「佐助、ごほうびだ!」と代田先生の「鍼灸の基礎治療学」を贈って下さったのでした。「無条件に受け入れそれに答えようとすれば、その報いは喜びとして必ずかえってくるものなのだな」ということを私は学んだのでした。

    コツコツと静かなる汗をかき、つかんでみなければわからないもの・・この手でつかんだ喜びとはそのようなものなのではないだろうか。師の言葉に素直に、すばやく反応する。その最初の直接的な働きかけは「ハイ」という言葉だと思います。まづ、言葉で反応すること。「ハイ」という言葉は、わかりました、そのようにします、そうさせていただきます、という肯定の意志の伝達です。その意志は力です。「ハイ」という言葉には否定がありません。条件つきということでもありません。無条件に受け入れる、ということです。相対的でもなく、絶対的な意志の働きかけです。ですから「ハイ」という言葉には力があるのです。

    「そうさせていたヾきます。そうします」という肯定の言葉だけでは不十分なんです。そのコトバの前にまづ「ハイ」という二語が必要なんです。その言葉をより強力に決定づけるものが、「ハイ」の言葉にひめられた絶大なる力、貫ける意志(思)の力なんです。
    この命と共にある自分に目的を与え、それを成せる言葉が「ハイ」なのです。「ハイ」という言葉には生命力があります。言葉は言霊(コトダマ)ともいいますネ。言葉は力です。コトバにはイノチがあります。イノチがあるから力なんです。その言葉にどれほどの力があるかというと、人生をかえる、運命を変えるほどの力があるのです。

    言葉どおりにその人の人生が展開する。自分の言葉によって自分の人生、運命を決めているのは事実なのです。自分の人生をなげき、その責任を他になすりつける、親のせいだとか人のせいだとか社会のせいだとか、責任逃避してもだめ!
    自分のことばで自分の人生を決めているのだ。それだけ、言葉には力がある。力があるってことは、生き方に責任がある。
    言葉を統制する必要がある。言葉は人生そのもの、その人の生き方を明確に示すものである「人が正しい」とは「言葉が正しい」ということである。統制できるかできないか、人が正しく賢いとは言葉の方向性である。「そうなればいいですね」「そうあってほしいですね」という希望的楽観的言葉を口にする人がいるが、本当にそうなりたい、そうありたいのであれば「そう成る」「そうある」とコトバにすることなのだ。
    100%、そう言葉に言い切ること、言い切ってしまうことがとても大切なんです。このことは忘れてはならない。「ハイ」という言葉は無条件に受け入れます。そうします、そうさせていただきますという意志同意語なのです。
    「ハイ」という言葉が出ず、「でも」「でも」と必ず口にする人がいます。「デモ」は言い訳の言葉であり、そこになにがしかの見返りや条件がつくものです。
    「イヤァー」「アノゥー」「しかし」「ちょっと」そしてそれにつづく否定的な言葉が「でも」です。

    ・「でも」という言葉は否定の言葉です。100%拒むか、50%肯定するか、いづれにしても反、否定です。
    「でも」と言葉にした途端、力は働きません。力が働きませんから、やっていることも途中半端で思うようにことが進みません。得たいものが入らず、手にとどかないのです。カスばかり入ってきます。
    ・「でも」は又自己否定です。自己否定しながら何かを求め何かを得ようとしても、入ってくるもの得たいものはたかが知れています。それは人生への不平不満へとつながり、焼いても煮ても食えない、グチ、ヤキモチ、嫉妬やねたみ、そしてコンプレックスにつながってくるのです。

    「でも」と言いわけする生き方をする人は、自分に言い訳しつづけていることに気づきません。指摘されても、イヤ、あの人にこの社会にむけているんだと、それを認めません。しかし「でも」は自分の言葉なのです。そして自分の人生や生き方の言い訳なのです。自分に言い訳しながら生きているのです。生涯言い訳しつづけます。そんな人生は、本当にしんどいのです。

    自分に言い訳ばかりしているのですから、きもちよくない、楽しくないんです。いくら満たされていても満たされない、有難く生かされていることに感謝できないから、ああなんてすばらしいんでしょといいながら「でも・・」ここがどうのこうの、あそこが気にいらない、とグチを言います。
    ああなんておいしいんでしょうと言いながら「でも」。味つけが云々、肉のやわらかさが云々、野菜の盛りつけがウンヌン。スープの味がウンヌン。熱さ加減、塩加減がウンヌン、とにかく「でも」が口癖のように連発されるのです。ですから必ず「でも、幸せじゃない」「でも、たのしくない」「でも、納得できない」「でも、退屈で仕方がない」と・・・・。ああおいしい、すばらしい、なんて有難い、で言葉を納めてしまうことができないのです。それは満たされることのない不幸な人生です。「ハイ」とすばやく言葉に反応できる生き方って迷いがなくなってくるんですね。それに生き方がとってもらくになってくるのです。らくを感じる前にきもちがいいんです。それが「ハイ」の二文字なのです。

    そして「ハイ」は魂にヒビキを与え、相手の心を動かします。「ハイ」という言葉の力は素直に生きる、生かされる、つまり生き方に迷いがなく、たくらみのない生き方ができる、ということです。

    こちらが「でも」で答える限り、それは条件つきであり、その心には何か見返りを求める欲が働いていますから、相手も条件つきでそれに答えようとしてくるからです。ですから無条件で、できる限りの強力と理解をおしまないような心の働きができないのです。「ハイ」と無条件にうけ入れれヽば相手は心を開き無条件で受け入れあなたに答えようとして働きかけて下さるのです。

    三浦寛

  • 私が東京にでること、その師の心

    おはようございまーす。4日目のブログです。今日も真夜中の午前3時40分、モスバーガーから発信しています。
    4日目ともなると、みんな読み疲れてるんじゃないかな。100年後にふと、思い出して読んでくれてもいいんだよ。
    では、真夜中のヤミに溶け込んでぶっ飛びます。

    「私が東京にでること、その師の心」
    卒業を間近に控えて、何かと気ぜわしい三月を迎えていた。そんな昼下がり、「三浦君、君は東京で開業しなさい」と師の声が飛んできた。今、ブログを書き込みながら、四十数年前の記憶をたどって行くと、その言葉の意味に、どれほどの思いがこめられていたことか、手塩にかけて育ててきた弟子に何かを託そうとしている、師の想いの深さを知ることができる。それは意志の決断である。

    「こんなところにいつまでもいることはない」と、ものの見事に突き放す。師は私に「そうしてほしい」という願いを託したのである。

    私は託されたことに響いて(ヒビいて)いくこと、それが弟子の使命であったように受け止めていたのであろう。

    師は東京という固有名詞を使われている。ということは、どこで開業してもいい、と言っているのではなく、東京だと言っているのだ(なぜ、東京なのかも後にわかった)。大阪でも、福岡でもいいと言っているのではなく、私を東京に送り出したかったのである。
    それは絶対なる師の意志決定だったものと思う。私以外ではだめで、東京以外でも絶対ダメなのである。

    今、こうして書き込みをしながら、今にして全身に鳥肌が立ち、身震いがしてくる。

    私は師の目を直視して生きてこられた。今でも師の目を思い浮かべ直視する。いつも師は笑いかけるやさしい目をしておられる。
    人は自覚し、意識し続けることによって謙虚である。そして、師とのご縁を得て師の側にいさせていたヾける。そのような機会を得ればこそ、のちに縦的な霊性を得ることができる。師との学びの中で、物事(ものごと)の成せる成り立ちの本質を知り、真理を学んでいく、それが神性、霊性を実感していく尊い人生と云えるのだと思う。

    私はお蔭さまで、先生の云われることにすべて「ハイ」と言える青年でした。とても、とても素直に「ハイ」と言えることができたのです。先生のコトバに素直に「ハイ」と反応できる自分が、とても誇らしげで好きでした。

    この『ハイ』という言葉を考えてみると、全く私欲がないことに気づきます。そして、なに一つ疑わずに無条件に無意識に、受け入れていることにも気づきます。ですから、心がはづんでいるんです。ですから、先生の言いつけは素直に「ハイ ハイ」と言葉にでき、ワクワクするのです。

    鍼灸学校に在学中、先生の書斎の本棚から、代田文志著、「鍼灸の基礎治療学」を手にして見ていたところ、「三浦君、興味があるか」と、先生が声をかけて下さり、「ハイ」と答え、私が「この本、コピーしてもいいですか?」とたづねると、「おまえが興味があるっていうのは、そんなに簡単にコピーしてすむことなのか?全部書き取ってしまえ、その位のきもちがないとだめだー!」と一喝されてしまったのである。先生の、その言葉の力に圧倒され「ハイ、わかりました。写します」と言葉にしてしまった。『ハイ、写します』と言っても500ページを越す、ぶ厚い本なのである。
    パラパラとめくってみると、古い漢字が使われていて、初版何月何日発行、と印刷されていた。
    早速原稿用紙を何百枚も買い込んで無心に書き取った。何ヶ月要したであろうか、半年はゆうにかかったであろう。書き上げた原稿を持って(持ってというより肩に担いで、と言ったほうがいい。何せその量たるやかなりの重さにふくれ上がっていたのである)

    少々私は興奮して、やりとげたことに大満足していました(ただし、ただヾ無心に書き取っただけで、内容的には難しくって何一つとして頭に入っていなかったなァ。)

    先生は目の前に分厚く積まれたそれを見て、「よくやったな。おまえが興味あるんなら、その著者がどんな思いで書きつづったのか、その心を知れ。よーくわかったヾろう。著者にこたえる、とはそういうことだ」と、さとされ、私は先生の前で小さくなっていた。でも、先生の目はうれしそうに笑っていた。

    三浦寛

  • 人生の達人に学ぶ

    おッはようございます。

    皆さん、元気ですかン。今週も朝が早いんですよ。朝と言っても、真夜中の午前3:10分ですが、東京は夕方から雨で、この時間もかなり雨足が厳しいです。この雨のなか、BMをブッ飛ばして三茶に戻ってきました。今回もモスバーガーでブログの書き込みにトン走します。

    雨のこの時間帯でも、246号線はひっきりなしの車です。運送の大型トラックが多いですね。夜の暗(ヤミ)にはシーンとした静けさの中に、生命のうたげが静かに舞っている、踊っているようです。

    東京にもヤミがあるスか?
    ヤミの夜空スヨ。この時間には、お星さんもお月さんも輝いてんすから、(今夜は雨でおやすみしてんすけど)

    真夜中から大ブレしてますけど、生命のイブキとはこの真夜中のヤミの静けさにあるスね。夫婦のなすコト、恋人同志のなすコトも、このシーンとした、ヤミの世界が演出するんですね。どうぞ、アツアツ、ラブラブにおたのしみ下さい。

    そこのおとォさん、彼氏さん、性急に自分の欲求を満たしてはいけませんよ。相手の欲求をまづ、十分にとろけるように満たしてあげなさい、されば与えられんです。いいですね。

    ところで、このブログ、1日400件から500件のアクセスがあると聞かされ、ビックリ、そんな多くの人々が読まれているのか?とても興味がありますね。後5日間よろしくお付き合い下さい。

    それでは本番に入ります(本題に入ります)映画の撮影シーンではカット、カットが付きものですが、儀式にはカットは不要。
    愛がある限り永遠に続きます。

    「人生の達人から学ぶ」
    橋本先生の三男、保雄さんにまつわるエピソードはつきることがないのですが、現役バリバリのホテルマン時代は、そのダルマさんのような大きな目は人の心を刺しこむような鋭さがあって、とても近よりがたいヨロイのオーラを全身から放っていたように思います。しかし、それは仕事への厳しい姿勢と、厳粛で研ぎ澄まされた精神性とゆるぎない信念に満ちた眼光であり、その眼光の奥にも人の心を大きく包み込んで癒してくれる、あったかな目をもっている方でした。人が大好きで、好奇心旺盛で遊びの達人でもありました。とにかく人生の描き方、その生かし方のスケールが大きくて、信念のもとに自由人。人を魅了する、生き方でした。そんな保雄さんと公私にわたり、ご縁をいただき、育てていただいたことも、私の人生にとっては大きな財産でした。

    保雄さんが定年退職を迎えられる年のある昼下がり「三浦君、オレの部屋に来い」と呼び出され、副社長室に入る。その姿はゆったりとされ、背広をはづし、ワイシャツ姿でデスクに腰掛けておられた。ぶっとく黒々としたマユゲにめがねがのっかり、ギョロリとした大きな目で私を見上げる。その目は妙にやさしく丸い。
    こんな笑っているおだやかな目をみるのは初めてでした。それもまったく全身から鎧が抜けた姿でした。
    なにか、なんて云ったらいいんでしょうね。年齢をこえ、立場をこえて、フーッと親しみの中に溶けこんでいるような、空気を、私は味わっていたんですネ。保雄さんも信念の人でしたし、私も、信念をつらぬく生き方、姿勢をとおしてきましたから、何かフーッと共感して飽和するような、やわらかな空気があったのでしょうか。「三浦君、一服つけていいよ、コーヒー飲むんだろう、うまいコーヒーがあるんだ、入れてやるから待ってな・・・。君に渡すものがあるんだ。ところで、これ、これ、ちょっと待ってな」といい、2枚の絵をもってきて下さった。

    一枚は、大きな羽をひろげて舞う鳳凰(ほうおう)、もう一枚はふくよかな笑顔をもつ仏画でした。(二枚の写真がそれです)。

    二つとも、診療室に飾ってあります。一枚の鳳凰はベッドの真上の天井に、ちょうど患者さまが、仰臥位に休まれた顔の真正面に見えるように、飾ってあります。(不思議ですね。患者さまの中にも、この絵に気づく方と全く気づかない方がいるんです。何回かの加療をつづけ、良くなってくると、気づくのです。先生、いつからこんな絵が天井に飾ってあったのですか、と・・・・。病んでいる患者さまというのは、心のゆとりも、こころの視野も狭まっているんですネ。目に入ってこないんです。)

    06年の盛夏、あっという間に保雄さんは天国に旅立っていかれたのですが、柩の中の保雄さんは、あまりにも小さくて小さくって、肉体の死とは、ちっちゃくなってしまうことなんですね。

    ふと、思い出しました。仙台から東京に出てきた当時、保雄さんからオークラに顔を出すように云われて初めて伺った時、いきなり門前払いをくらったのです。「おまえさん、そんな格好でくるんじゃネェ」と、ドスの効いた声で怒鳴られた記憶があるんです。そうやって保雄さんから人生のマナーを学んできたように思います。生かされて生きているという生へのマナーです。それが生かされて生きていく、自己責任なのではなかったのかなと思います。

    橋本先生と保雄氏のパワアの違いをふと感じます。先生の生命力は足の根っ子のパワア、保雄さんの生命は腰の根っ子のパワアのように感じます。

    ところで、私の人生に大きな影響を与えて下さったもう一人のご子息は、保雄さんの二つ年上のお姉さんでした。○木え○子奥さまでした。私は○木の奥さまと呼んでいました。

    私は先生の側で修業中、先生の奥さまを「おお奥さま」、ご長男の奥さまを「奥さま」そして先生のご子息の長女の方を「○木の奥さま」、と呼んでいました。

    ○木の奥さまにも、私は頭が下がるほど良く面倒をみていただき、可愛がっていただいたのです。お会いするたびに「三浦さん、しっかりやってる?学ぶということはネ、一気に階段を昇ろうとしてもだめなのよ。一段一段、ゆっくりと踏みしめて昇るんだよ」とさとして下さるのでした。
    この言葉はドッシリと身にしみましたネ。

    そしてもう一つ、心にのこる言葉がありました。保雄さんが副社長時代、東京都の石原知事から、ホテル業界の発展に多大な力となった業績が認められ、その記念のパーティがオークラの平安の間で盛大に行われたのです。
    その記念のパーティに「三浦君、君も顔を出すように招待状を送っておくから」と、保雄さんが声をかけて下さったのです。2000名を超す招待客でごった返すなか、その発起人になったのが、海部俊樹元総理でした。
    その招待客の中に○木奥さまも招かれ、久しぶりにお会いすることができたのです。保雄さんが壇上に立ち、元総理が祝辞を読まれるなか奥さまは感きわまったのでしょうか、弟の保雄さんにむけて「おじいちゃん、ステキ」と発しているのでした。姉の立場であれば「保雄ちゃん、ステキ」と声をかけるところでしょうが、何度も「おじいちゃん、ステキ」と発しているのです。あとで、何故「おじいちゃん」なんだろうと考えてみました。つまり、父親をほめることで保雄さんの労をねぎらって保雄さんを育てた父親が一番ステキだということなのです。本人をほめるより、父親をほめるのが一番のほめ言葉なのですね。自分がほめられるよりも、親をほめることが自分にとっても一番うれしいことなのだな、ということがよくわかったのです。
    オワリ・・・デス。

    三浦 寛