投稿者: karib_sotai

  • チャリティーイベント

    ラジオから聞える声が僕の中に入ってくる、僕自身が歌声の中に入ってゆく
    そんな不思議な感覚を、味わいながら、こんな事を思っていた。
    調度5月の31日に格闘技のチャリティーイベントを行なう。
    亡くなったアンディフグ 大切な友人
    白血病で亡くなった、アンディは亡くなる前に、こんな事を言った。
    自分が白血病なのに、こんな事を言った。
    自分がきちんと全快して、同じ病気で苦しんでる人たちに、勇気を与えたい。
    凄い漢(おとこ)と僕は一緒の時間を過ごしてきた。
    僕はアンディから沢山の大切なものを頂いた。
    人をやっつける格闘技をやりながら、僕は人との接し方。
    優しさを一緒に過ごしながら教えてもらった。
    車椅子の人にアンディが凄く優しい目で、優しく接した時間。
    僕はいまでも、そこにいるように思い出せる。
    凄く素敵な時間を、僕は一緒に過ごさせて貰った。
    だから、僕はアンディの事を思ってる時間がいまでもある。
    僕には何も出来ないけど、闘う事でも何でも敵わないけど。
    僕が出来る事を、何となくだけどやってる。
    その中に格闘技のチャリティーイベントがある。
    みんなが集まって、ひとつになって何かをする。
    そこにあるのは闘うという事。
    格闘技は強さだけじゃ、何かが足りない。
    それが何なのか、僕にははっきりとはまだ分からない。
    アンディに教えてもらった事は、まだ僕にはきちんと学びきれてない。
    だから僕はチャリティーイベントをやる。
    アンディを感じて何かをやり続ける。
    チャリティイベントだから、選手はノーギャラで試合をする。
    それを見に来てくれた人たちの、買ってくれたチケット代は全額骨髄バンクに寄付をする。
    ゴールドジムの協力で会場はただで使用させて頂く。
    そしてスタッフもジムのスタッフがやってくれる。
    相手をやっつける格闘技の試合は、その日チャリティーの為にのみ存在する。
    そんな事を思いながら僕は、チャリティーでこの歌を流したら面白いかな。
    そんな事を考えていた。
    そんな事を考えているうちに、歌が終った。
    用意してあったように、こんな言葉がラジオから聞えてきた。
    この歌はこの言葉を必要としている人に、自ら歩いてゆくような曲
    だから僕は呼ばれたらどこにでも行って歌います。
    僕は次の日に連絡を取った。
    用意してあったのだから、それが当たり前のようにライブが決まった。
    格闘技のチャリティーイベントでラジオから聞えた歌が流れる事が決まった。

    平 直行

  • 手紙〜親愛なる子供達へ〜

    ラジオから聞えてきた歌は 手紙〜親愛なる子供達へ〜という歌。
    いつの間にか僕は歌に引き込まれて、ラジオから聞えてくる言葉の
    一つ一つの情景の中に入っていった。

    その歌の歌詞を

    以下

    年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
    どうかそのままの私の事を理解して欲しい
    私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
    あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
    あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
    その結果をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
    あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
    いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
    悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
    励ましのまなざしを向けて欲しい
    楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
    お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
    あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
    いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
    悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
    祝福の祈りを捧げて欲しい
    いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
    足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
    あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
    よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
    私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
    あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
    私を理解して支える心だけを持っていて欲しい
    きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
    あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
    私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
    あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
    あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
    私の子供たちへ
    愛する子供たちへ

    ラジオを聴きながら、僕は歌声の中で何かを感じていた。
    不思議な懐かしいような、言葉に出来ない感覚に僕はなって。

    そして、僕は懐かしい時間を一緒に思い出して。
    その思い出の為に僕がしている事を考え始めていた。

    それは言葉では表しきれない
    不思議な感覚になる時間だった。

    平 直行

  • ラジオから流れてきた歌。

    ラジオの中ではこんな事をお話していた。
    樋口さんの友人の元に一通のメールが届いた。

    それは誤信メールで、ポルトガル語で書かれていたメール。
    だから、普通は読めないメール。

    そもそも誤信メールだからそのまま削除したとしても当たり前だったメール。

    僕はラジオの中で、一緒にお話を聞いているような気分になった。
    不思議だけど、何となく、そんな感じの時間を僕は味わった。

    不思議な時間は、僕は何も考えないで、味わう事にしている。
    不思議は、思っても、議論してもいけないって意味らしい。
    だから僕は、ただ味わう、それが一番だって、僕には分るようになってきた。

    樋口さんの友人はポルトガル語の通訳。
    出来すぎたような、作り話のような事実。
    だから、ポルトガル語で書かれた、誤信メールを読む事が出来た。

    これも、もしかしたら、探したんじゃない、何となくの出来事なのかな。
    誤信メールは、読まなくても不思議じゃない。

    不思議な面白き出来事を僕は味わいながら聴いていた。

    そのメールの文章に何かを感じた友人の方は
    樋口さんにそのメールを翻訳して届けた。

    ポルトガル語の誤信メールが日本に来る確率×ポルトガル語の通訳の人に来る確率×その人の友人が歌手である確率。

    物凄い確率だなと僕は何となく感じた。

    そして、僕も何故か、たまたまラジオを聞いたという不思議なご縁でそこに参加したのかな。

    そのポルトガル語は親から子供に送るメッセージだった。
    それを読んで、大きな何かを感じて、樋口さんは、数日後そのメッセージを歌にしようと思った。
    不思議な感覚と、時間の中で、僕はその歌を聴いた。

    何かを、目に目ない何かを感じながら
    僕は歌を聴いていたのかもしれないな。
    そんな風に感じる、不思議な良き時間だった。

    平 直行

  • ラジオの中に。

    今日から僕が最近味わった面白い出来事を書かせて頂こうと思います。

    何となく聞き分けて
    何となくやって来た面白き出来事。

    それは、もしかしたら始めから用意してあったんじゃないのかな。

    そんな不思議な気分になるような。

    面白い出来事でした。
    そんな時間は凄く気持ちが良い時間なのです。

    車で移動する事が結構多い。
    何となくボーっと考えながら.
    流れる風景を感じながら、僕は車の中で自分を味わう時間が結構気に入っている。

    その時その時で色んなテーマがある。
    日々を過ごしながら、いつもテーマがあるって凄く嬉しい事。
    僕はいつも楽しい事を自分の手に持っている。

    車の中はCDを流してる事が多い。
    ラジオはたまに聞く、大概インターFMで何となく英語を流してる。

    何となく日常と離したいから、僕は英語に身を任せたりする時がある。
    もちろん意味はよく分からない。
    何となく日本語と違ったリズムに身を任せる時間がたまに欲しくなる。
    アメリカでグレイシー柔術を学んでいた時間はきっといまでも僕の宝物の一つなんだろうな。
    あの頃はアメリカでグレイシー柔術を学んで日本に帰ってくると
    チームアンディで練習していた。
    2つの大切な過ごした時間の思い出、宝物を僕は持っている。
    だからなのかな、僕はたまに英語のリズムが懐かしくなる時間があったりする。

    その日は初めから何となく、面白い感じだった。
    ただ何となくラジオをつける。
    いつものインターFMじゃない局。

    僕は何となくラジオを流しながら
    何となくの時間を味わう。

    何となく入ってくる言葉。
    何となく惹きつけられて

    ラジオの声に僕は呼ばれた感じで聞きだした。

    流しながら聞くんじゃなく、きちんと向き合って僕はラジオを聞いた。
    聞きながら惹き込まれた感じ、何となくそんな感じの聞き始め。

    僕はこんな感じで何かを感じて惹きつけてもらってるのを感じる時が結構ある。

    僕はこんな事を楽しいと思う。

    だから僕にはこんな感じの偶然の出会いが沢山ある
    楽しいご縁が僕には沢山ある。

    ラジオの向こうでは、2人の男性が喋っていた。
    声に惹かれたんじゃない、男性2人の何となくの匂いを僕はきっと感じたのかな。
    何となく時間の中で聞き分けた偶然。

    それは探したんじゃない、もともとあるものを聞き分けたから。
    やってきたような不思議な偶然。

    そしてきっと前から在ったのかも知れないな。
    そんな不思議な感覚になる時間が、僕には、たまにあったりする。

    一人の人は歌手で、樋口了一さんという方、歌の事についてお話してた。

    不思議な感じで僕はラジオの中に入っていった。
    聞くというより入っていった。
    こんな不思議な表現がぴったりの不思議な時間だった。

    平 直行

  • 聞き分け、集団下校、面白き日々。

    佐伯さんからバトンを受けた平 直行です。
    まずはちゃっかり宣伝を(笑)
    今月15日発売の月刊秘伝という武術誌に僕の特集出ています。
    宜しければご覧ください。
    5月30日には格闘技に活かす身体運用のDVDが発売になります。
    操体で学んだ事も大分入っているDVDです、是非ご購入を。(笑)

    調度良いタイミングでのブログの担当にニンマリしております。

    操体を学ぶと聞き分けが鋭くなります。
    良い感じを聞き分ける事に僕は敏感になった気がします。

    もともとツイテル体質なのですが、磨きがかかってウシシな日々です。

    そんな僕の楽しき日々を今日は書かせて頂こうかなと思います。

    先週近所の郵便局に強盗が。

    家から通り2本しか離れてない、徒歩3分での事件。

    普通は嫌な出来事である事件、操体で言うと痛みとかなのかな。
    不快があれば快があったりするんですよね。
    それを聞き分ける学びは、日常にも活きたりして、学びにもなるのかな。

    そんな風に考えながら、お気楽にしてると
    何故か面白い日々に繋がるのです。

    事件があったから、何となく日々注意するようになるのは良い事だな。
    ありがたいな、などとお気楽に僕は感じたりします。

    その日の午後連絡が。
    その日は集団下校になるとの事。

    それでどうやら学校から児童達と一緒に帰って欲しいらしい。

    面倒臭いなと思いつつも聞き分け回路が始動します。

    子供たちの危険は、あんまり聞き分けられません。
    何故か面白そうな感じが、ピピット聞き分け回路にやって来ました。

    それで聞き分けに従って、僕は小学校に。

    集団下校で、沢山の生徒がいて、父兄がいて、先生もいる。
    犯人はやっぱり来るわけないのです。

    聞き分け正解でした。

    グループごとに集団下校の途中の帰り道。

    何故か他のグループの生徒も、僕のグループにやって来る。

    「ここじゃないだろ。」
    「先生、先に行っちゃうぞ。」

    子供たちの会話。

    「良いんだよ、だってコッチの方が絶対に安全だよ。」

    アハハ君なかなか鋭いね。

    それで知ってる子や、始めて会う子みんなとワイワイガヤガヤ集団下校。
    いつの間にかガードマンでなく、集団下校の一名となって楽しくみんなと歩いて帰る。

    楽しい時間は、心と身体が気持ちが良い。
    沢山の心と触れると、もっと気持ちが良い。

    何故か帰ったら身体が凄く良い感じ。

    聞き分けは、臨床だけじゃないな。
    僕はそんな事を感じてます。

    普段も聞き分ける事がある。
    それはとっても便利で、楽しく、気持ちが良い。
    普段の聞き分けは、実は臨床を学ぶ事にもなってる気がするんです。

    僕はそんな事を、感じてみんなとバイバイ。

    「ねー早く帰ったから遊ぼうよ。」

    みんなで相談してる。
    おいおいそれで良いのか小学生。

    「家にいると退屈だから、遊びたいよね。」
    「まあ大丈夫そうだけど。」
    「暗くなる前にいつもより少し早く帰れよ。」
    「一人で歩かないようにみんなで仲良くしろよ。」
    「今日だけじゃないけど、今日は特に仲良く遊べよ。」

    何か意味不明の指導してバイバイ。

    「ハイ分りました。」
    「ありがとうございました。」

    素直な返事。

    仲良く、楽しく、一緒の時間を過ごした、大人の言葉は、子供はきちんと聞く。
    どんなに良い言葉でも、聞かない事もある。

    僕はそんな事も学んでる。
    いつの間にか学んでる。

    もしかしたら臨床の言葉も、同じようなものかもしれないな。

    そんな事も僕は感じたりしてる。

    明日もちゃっかり聞き分けてるとやって来る。
    不思議な面白い事を書かせて頂こうと思います。

    今週1週間宜しくお願いします。

    平直行

  • 操体庵ゆかいや物語(23)

            お見通し

                   佐伯惟弘

    東京へ越して来て一ヶ月以上経ち、やっと生活のパターンが出来、落ち着きを取り戻しはじめました。

    それにしても、この半年間、かなりの綱渡り人生を歩んだように思います。

    突然、鍼灸学校に行くことを決め、合格するや否や、世田谷に安アパートを見つけ、美山の我が家を貸し家としました。

    そこまでは、順調でしたが、なかなか借り手が見つかりません。そんなある日、友人からメールが届き、美山で家を探している人がいるとの情報を得ました。

    早速、我が家に来て戴くことに。

    2月中旬、一番雪の多い頃のことです。今年は積雪50cm。

    美山での生活は、冬以外、非常に快適。

    そのため、もっとも暮らし難い時期を見て戴くというのは、親切な紹介方法だと思います。

    薪ストーブで部屋を暖めていると、2人の女性が尋ねて来られました。

    一人は、美山在住の方で、一度、我が家に来られたことがあります。もう一人の女性が借りて戴く方。

    精神性の高い方は、一度見た瞬間で分かるときがあります。その方はまさにそういう人物。

    ニコニコと笑顔を絶やさないのですが、瞳の奥で、

    ものごとをしっかりと見据えておられました。

    私は、お会いした早々、「この方に住んで戴こう!」決め込み、話を勧めました。その女性を仮にKさんとしましょう。

    そのKさん、たまたま台所に置いてあった「明日なき森」(新評論)という本に目をやり、「この本は一家に一冊必要な本!」とこともなげに語るのです。

    よくよく考えてみると、この本の著者・後藤伸氏は、熊野の森を生涯の研究フィールドとした方。

    Kさんはその熊野から来られたのだから、何も不思議ではありません。しかし、何かシンクロナイズするものを感じました。

    そして、家を去る前に、

    「実は、わたし修験者なんですよ、ホラ貝を吹けそうやね。ここで。」

    私は、滝のある方向を指さし、

    「去年から出来た道を歩いたら、30分程で滝までいけますよ。」

    と滝までの山道を案内しました。

    この山道は、地元の人にとって、日常生活には、あまり縁のない道。

    しかし、Kさんにとっては、大切な道になるかもしれません。となると、この山道は、Kさんを招くための道?

    ―青龍の滝―

    さて、Kさんの3年間定住の地が、我が家に決まり、大学生の息子さんと再び来られました。

    「佐伯さん、これ何やと思う?」

    手には、角切り肉ほどの大きさの石。

    触れた感触は、重くてほんのり温かい。

    全く見当がつきません。

    「これね、隕石。私がお仕えしていた宮司さんから戴いたの。」

    と、ニコニコしながら説明して戴きました。

    そして、「古神道入門 神ながらの伝統」(評言社) 小林美元著という本を手渡してくれました。

    「私は、この先生のアッシーをしてたのよ。」

    とニコニコ顔。

    本をめくりながら、驚きました。私の最も興味のある縄文時代の思想・古神道が分かりやすく書かれているのです。

    操体の創始者・橋本敬三先生は、カタカムナ文字を研究されましたが、それはまさしく縄文時代の思想なのです。

    操体を学ぶ上で、根幹になるものだと思います。

    それにしても、このKさん、私のこころをお見通しのようです。

    そして、4月を迎え私は東京生活。Kさんは美山での生活が始まりました。

    生活してみると、美山に置き忘れてきた物、服等が分かってきます。

    そこで、月2回の京都、操体施術の際に、美山へ立ち寄ることにしました。

    久しぶりの我が家。

    Kさんのセンスで我が家が生き生きしています。

    私が家の中に入るや否や、

    「佐伯さん、あなた、何か本当にやりたいことを、してないのと違う?何か、自信をなくしたのか・・何かあって・・・。」

    どきっとする発言です。

    私がやりたいのは、操体です。しかし、20年以上やってきた木を積み上げる芸術活動と操体を結びつけたい気持ちはあります。また、それが形となって現れる予感もしています。

    時期が来たら表現してみたい、と思っていた矢先のKさん発言。

    一瞬、凍り付くような感覚に襲われました。

    やはり、何かをお見通しのようなのです。

    そして、帰り際に

    「佐伯さん、アートをせんといかんよ。」

    こころに響きわたる言葉でした。

    そのKさんから戴いた本“古神道入門”。これは、日本人なら、読んで頂きたい本です。

    その本の一部を適当に見つけ、載せてみましょう。それだけで、本の全容が伝わってくると思います。

    「たとえば、古神道では、天地と書いてアメツチといいますけれども、アというのは生命の発生の源で、これをアといいます。

    メは、目を開けたとか、木の芽がでてきたとか、芽吹いたとか、生命の発生する様をメといいます。宇宙間から生命が芽生えてくる。そういうことを表現しているのです。

    ツは、円(つぶ)らな瞳のツで、丸いという意味。チというのは、モノを養育する力があるもの、たとえば体のなかを流れている血液、これは人間を養い育てていく力がある、それで血と名付けられていますが、大地の地もそうです。

    地にダイコンやナス、キュウリを植えるとそこに芽が出て大きく実を結ぶ。

    生命を養い育てる地球の「地」を重ね合わせるとチチとなります。赤ちゃんを育てる一番大事な母親のお乳。また、父親のことをチチといいますが、家族を養い育てる力がある人という意味でチチと称するわけです。

    するとツチというのは、丸い地球ということになります。

    地球という言葉は昔からありませんでしたが、日本ではツチということで地球が丸いということがわかっていました。

    その地球自体は神様のお宮で、そこに柱が立っている。カイラスチベット/標高6656mの未踏峰。信仰の山であるため、登頂許可は下りない)だとか、富士山、筑波山三輪山だとか、各地の国に屹立している山、これを天と地を結ぶ柱、地球の神殿だという信仰が芽生えます。

    そうしたお山に対する畏敬の念から、古代の人々は天上の神々が地上に降りてこられる柱としてとらえています。」

    先日の東京操体フォーラム

    “発声”がテーマで、三浦先生が秋穂理事にドから始まる、音階を一音ずつゆっくり発声するように指示をされました。

    その発声にからだを委ねると、咽頭からの波動や呼気にともない無意識の連動が生じ、快のききわけができます。からだによくききわけ、味わってみたい要求感覚であれば味わう。

    これが、発声を通した全身形態の連動を伴なう操法となります。

    秋穂理事の美しい発声と連動は、“音階が奏でるからだのアート”。

    そして、三浦先生の各音階における重心の位置の奥義は、圧巻でした。

    と、突然ここで東京操体フォーラムの話になったのには、訳があります。“古神道入門”のなにげなく拾ったページにあった「アというのは生命の発生の源」。

    この言葉から、生まれたばかりの赤ちゃんが、思いっきり舌をだした映像。そして、対照的に、私の祖父が息を引き取るときの、「・・・ん」と縮んでいく舌を思い浮かべました。

    神社の狛犬、寺の仁王門。例の宇宙の始まりと終わりを表す言葉「あうん」です。

    「あ」から「ん」までが壮大な宇宙の歴史なら、それを操る口、その中でも舌の果たす役割は重要。

    たとえば、「あ」の発声と舌、からだの連動、「あ」の日本語の根源的意味などから、古代縄文人の思想が見えてきたら・・・・ほとんど、妄想ですが・・・ちょっとワクワク。

    とにかく、数年前に“舌の操体”という文章をVisonSという東京操体フォーラム小冊子に寄稿したにもかかわらず、その後足踏み状態。

    もしかしたら、Kさん。

    「佐伯さん、“舌の操体” をせんといかんよ。」

    と言いに来てくれたのかもしれません。

    ね、岡村さん!

    一週間のお付き合い誠にありがとうございました。

    ブログ管理人の辻さん、夜中に起こしてしまい、申し訳ありませんでした。畠山さん、素晴らしいiBookをありがとうございました。

    お陰様で、無事1週間終了!

    来週からは、縄文にも特別な思いを寄せておられる、操体フォーラム相談役・平直行さんの登場です。お楽しみに!!

  • 操体庵ゆかいや物語(22)

              石文
                      佐伯惟弘

    「おとうさん、自転車。」

    汚れたランニングシャツと、お気に入りの茶色の半パン姿のトムが、ぽつりとつぶやいた。
    坊主頭のトムは、まだ5才。
    境内前の階段に座り、口をへの字につきだして、じっと私を見ている。

    「おっお〜、トム君・・・・ごめん。」

    いつもは、トムと呼びつけているのに、こちらの非を認めた時は、つい“トム君”と呼んでしまう私であった。

    夕方6時15分までに、父親(トムのおじいちゃん)の実家にトムを自転車で乗せて行かなければならない。
    しかし、私は、そのことをすっかり忘れていたのだった。

    「今、6時5分。まだ間に合う!」

    トムはむくれた口をさらに突きだし、寂しそうにこちらを見つめている。

    「・・・・あっあ・・・トムの目が・・・・いや・・これは・・・」

    久しぶりに夢を見た。
    時計を見ると、真夜中の3時15分。

    夢の中では、亡くなった父親も、5才の長男トムも、まったく違和感なく存在していた。

    「なぜ・・・こんな夢を・・・あっ〜、そうか。」

    この夢を見る2日前に話は遡る。

    “東京医療専門学校入学式”という看板が、有楽町マリオン11Fの朝日ホール入り口に・・・
    4月1日、水曜日は私・佐伯惟弘(54才)の記念すべき入学式の日。

    小学校、中学校、高等学校、大学と入学式のことは、一切覚えていません。
    しかし、この専門学校(鍼灸科)の入学式は一生忘れられないものとなったのです。

    有楽町マリオンの2Fで“おくりびと”の上映があり、それを学割(入場料1300円)で見ることが出来ると、喜んだにもかかわらず、4月1日は“映画の日”ということで、入場料が1000円。
    ちょっと得して、随分得した感がありました。もう、それだけで忘れられない日。

    また、“おくりびと”の英訳版タイトルが、Departure(出発)という入学式にぴったりというシンクロ。

    しかし、それ以上に“おくりびと”のテーマそのものが、私の過去と未来を映しだすものとなり、忘れられない入学式に・・・・

    映画のあらすじは、楽団の解散でチェロ演奏の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つけ、面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用される。

    業務内容は、遺体を棺に納める仕事。当初は戸惑っていた大悟だったが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしていく・・・・といった展開。

    死という全ての人が迎える尊い儀式を、日本人独特の繊細な思いやりとそれを昇華していく無駄のない形式美はこの映画の一つのテーマです。

    しかし、それ以上に私は、山形地方に伝わる“石文”にこころを奪われました。

    ある意味、大悟の父が死んでも離さず持っていた“白い石”がこの映画の主人公だと言えます。

    山形県では、日本最大の土偶「縄文のヴィーナス」が出土しています。このヴィーナスの生命力あふれるフォルムは現代アート、時代を超越しています。

    縄文時代三内丸山遺跡に代表されるように、東北地方が日本の中心でした。
    そのなかで、石の果たした役割は非常に大きく、
    木工品を作り出すための大工道具としての石は、現代の鉄の役割を果たしました。

    縄文時代は、鉄器を必要としない高度な石文化が成立し、現在の生活道具の原型がこの時代に作られていたといっても過言ではありません。
    そんな中でも黒曜石の存在は大きく、高度で繊細な木工品を生み出していったと考えられます。また、翡翠(ひすい)は装飾品として、祭りの主役となり、ストーンサークル宗教的な儀式に関わるものと考えられます。

    また、東北地方以外にも、巨石を積み上げた磐座(いわくら)が天と地をつなげる場として日本各地に設けられました。この巨石文化の建設方法はいまだに謎です。

    このような石との深い関係を持った日本人のDNAが“石文”として山形地方に残っているのでしょう。

    映画のなかでは、主人公・大悟が幼い頃、父親と川原に行き、自分の思いを石に託して父親に渡し、父親も大悟に石を。
    その後、父親は愛人と共に家を飛び出し、30年間音信不通。

    そのため大悟は、父親の顔すら覚えていません。
    そんなある日、大悟は幼い頃から使っていたチェロのケースを開くと、父親から貰ったおにぎり大の“石文”が出てきます。
    大悟は、父親の思いをしっかりチェロの中にしまい込んでいたのです。
    妻・美香との会話中、父親の悪口をいいながらも、その“石文”を触り続けている大悟でした。

    突然、父の死を伝える電報が届きます。
    自分を見捨てた父親に会いたくもない大悟。周りの人々の説得を無視して、父親と会おうしない大悟でしたが、何かに諭され、導かれるように父親の元へ向かいます。妻の美香も同行。

    父親の枕元には、段ボール箱1個の所持品のみ。
    そこで納棺師として、父親を旅立ちへの見繕いを始めます。

    固く握りしめられた父親の右手からは、30年前に大悟が手渡した“石文”がポロリと出てきます。
    それを手にした大悟は、涙ながらに父親の顔をさすり、無精髭を丁寧にそり落とすと、忘れたはずの父親の顔が甦ってくるのです。

    30年間のわだかまりが無くなった瞬間でした。

    大悟は、父親に握られていた“石文”を身重の美香のお腹へ持っていき、映画はエンデイングを迎えます。

    この“石文”こそ、昨日のブログで紹介した“かたち霊”。文字あるいは言葉以外での霊の表れです。

    古代縄文人からの感性が見事に今の世にも生きており、一組の父子の30年に渡るブランク、わだかまりをも拭い去る・・・・このシーンでは、止めどもなく川面の流れのような涙が溢れてきました。

    期待と確信の狭間のなかで、固く握られた父親の指を一本一本、ほどいていく大悟の姿。
    段ボール箱一個に人生を集約していきた父親。
    子どもに対して、懺悔し、しかも愛情を持ち続けた人生。
    穏やかで崇高な顔となっていく父親。

    ころげおちた白い“石文”。

    そして、「おとうさん、自転車。」という我が子が現れるの夢の演出。

    “石文”

    おくりびと”の脚本家・小山薫堂氏は、幼い娘さんから貰った“石文”を大切に金庫にしまっているそうです。
    そして、葬儀の時にその“石文”を納棺すると決めておられるそうです。まさに、この“おくりびと”は、娘に送る遠大な遺書ということになります。

    また、このテーマ曲を作った久石譲氏は、宮崎駿作品の作曲家としても知られていますが、“石文”のシーンでは、常にこの曲が流れています。
    “久しい石を譲る”とご自身の名前と重ね合わせていたのでしょうか?

    私は、残念ながら“石文”や遺書は子ども達には残していません。
    しかし、必ずや素晴らしい“石文”を子ども達と共に見つけだすつもりです。
    それを今から、楽しみにしています。 
                 では ごきげんよう!

  • かたち霊

            かたち霊
                   佐伯惟弘

    昨日は三浦寛先生の放たれた言葉から、思わぬシンクロニズムに出会う話をいたしました。
    その中で登場した親友・岩下徹は、大学時代、敷地近くにあったアパートの同居人。
    そこで今回は、当時、同じく同居人であった親友・鈴木啓造が自費出版した本の一部をご紹介したいと思います。

    この本は、大学のクラスメート(わたしと同様、彫刻専攻)であった神谷かん氏にインタビューしたものです。
    神谷氏は「愛知のピカソ」と呼ばれるほど、生命力溢れる絵を生み出す天才画家。

    鈴木啓造氏も、彫刻を学んだクラスメートで、「現代俳句の騎手」としてNHK BSの「俳句王国」にもたびたび出演しその才能を遺憾なく発揮。卓越した英語能力で英語俳句の新境地を作り出しています。
    また、代替医療と宗教に造詣が深く、今後の私が進むべく道に明かりを灯して戴ける人物です。

    「かたち霊の原造形論(神谷かん、かたち霊を語る)<第一話 ピカソはかたち霊の芸術家>」

    「カタチダマ」とは何か?

    鈴木
    まず、神谷さんの考える「カタチダマ」という言葉は、どう表記するのですか。
    神谷
    「かたち霊」と表記します。「たま」は「魂」と書いてもいいですが、より霊的な意味を込めて、言霊と同じように「霊」という字を使います。
    「かたち霊」という言葉には、そのかたちが「生きている、生命力がある」とか「霊力がある、霊性に作用する」という意味をこめています。
    つまり、より深く私たちの生や深層意識、運命、霊性にまで働きかける造形物を対象にした言葉です。

    これから話そうとするテーマは「かたち霊の日本原形論」というものです。

    僕は、日本美術が生んだ日本特有の「かたち霊」が親から子へDNAで遺伝するように、民族の血の中にあって、古代の作品から現代の作品に至るまで脈々と生きていると考えています。
    もっとも、ここでは日本の造形美術を中心にしながら、いろいろなことも話そうと思うので、「かたち霊の原形論」というふうにしておきます。

    鈴木
    僕はそのような神谷さんの美術に関するユニークな見方は、一般の美術史とか、造形論の概念とはずいぶん異なるように思います。
    また単に、美術史とか造形論に終わるだけでなくて、人間観とか文明観とか世界観とかの方向につながる話しになると思います。
    おそらく神谷さんの造形論はそういうところから出てくる造形論だと思いますが、そういう解釈でいいでしょうか?

    神谷
    はい。

    鈴木
    そこで、そのキーワードの「かたち霊」をもう少し具体的に説明してもらうところから始めていただこうかと思います。
    いわゆるわれわれ一般人が美術品を見る場合、特に知識人の鑑賞者が見る場合、西洋美術史に沿った作品の捉え方をしていて、それよっていろいろな作品を読み解いているんじゃないかと思います。
    まあ、作品に向き合い、生(なま)な、素直な感情で鑑賞すればいいのでしょうが、そういう西洋美術的な解読装置で鑑賞している人のほうが多いと思っています。

    神谷
    西洋の美術史もそれなりに優れた美術史なんですけど、そのような西洋美術史的な方法論でのみ世界の美術史を見るのではなく、西洋の美術史も世界の美術史の一つであるという視点が大切だと思います。

    西洋のみならず、全世界あらゆるところに同じように立派な美術史があるという視点です。
    そういう意味で、いまの日本の美術界に支配的な西洋美術史的な見方というのは、特殊といえば特殊です。

    「かたち霊」とピカソ

    鈴木
    西洋美術史の文脈においては、ふつう「近代美術」においてセザンヌ、「現代美術」ではピカソが代表作家として位置づけられていますね。
    このピカソですが、僕が思うに西洋美術を一人で全部、総括するかたちで実験みたいなことをしたんじゃないかと思っていますが、そういう解釈でいいんでしょうか?

    神谷
    実験というのはともかく、ピカソは二十世紀の大スターですね。まあ、二十世紀はピカソが一人いれば、終わっちゃいますからね。
    たとえば、ミロなんていう人がいますが、でもピカソと比べるとあまりにも才能的に違います。
    (ミロを尊敬している私てしては・・・・)

    鈴木
    そう、だからまず神谷さんの「ピカソ論」を通じて、「かたち霊」を論ずるきっかけとしていただきたい。ピカソの作品における「かたち霊」を具体的にしながら論じていただけたらと思います。

    まあ、ある程度、美術鑑賞に親しんだ人であれ、あまり美術には興味のない人間であれ、あのようなヘンなわけのわからない絵を描く人、というふうにピカソのことは誰もが知っていますよね。

    その人を神谷さんがどのように理解しているかを、あるいはピカソの中にある「かたち霊」がどのようなものかを説明していただけたらと思います。

    神谷
    ピカソの中にある「かたち霊」というよりも、芸術家の仕事はやはり、形に生命を吹き込むことだと思うんです。
    だから、ピカソはそういう点では、まさに天才で、たとえばちょっとした木切れにでも、一枚の金属の板にでも、手を加えることによって、生きたものに変えてしまうんですね。まさに、そういうのは本当の天才なんですね。

    鈴木
    そういう意味合いでは、ピカソは「かたち霊のアーテイスト」といっていいわけですか?

    神谷
    はい、そういっていいと思います。

    「かたち霊」とは「生命力」?

    鈴木
    だから、このキーワードの文脈で語れる偉大な芸術家といったら、まさにピカソということになるでしょうね。

    神谷
    代表選手ですね。僕が考えている「日本の原造形」というところからは、ちょっと違いますが、ピカソはまさに「かたち霊の美術家」だと思います。
    だから「かたち霊」とは、簡単にいってしまうと「生命力」なんですね。で、僕らはこうして呼吸したり、物を食べたりして生きているんだけれども、美術作品も生きているものだと思う。
    もっと言えば、「生きて呼吸している」ものなのだと思います。
    どうして美術作品に永続性があって、長い歴史を通じて残ってきたかを考えると、これは美術作品自体の生命力によって残ってきている。あるいは、これからも引き続き残ってゆくだろう、というふうに僕は思っています。
    真の美術品は生きているものです。人間でもいきているものと死んでいるものとは、全然違うのと同様に、美術品も生きているものと死んでいるものとは違います。
    かたちに生命を吹き込むという点で、ピカソという人はまさに天才です。ヨーロッパの人の考えでは「神が人間を創った」ということですが、何もないところから、美術家によってひとつのかたちができてくる。そしてそれが、生きたものになる。ある素材に手を加え「いのちを吹き込む」それがまさに芸術家の仕事です。つまり、それを拡大して言えば、芸術家の仕事は「神の仕事」ともいうべきものです。(中略)

    意識的な造形と無意識的な造形

    鈴木
    ピカソの話題から話しを転じますが、いろいろな日常品、あるいは民芸品みたいなものの中にも、その
    「かたち霊」が吹き込まれているのだと思います。

    神谷
    まあ。民芸品といっても、実はいわゆる民芸品ではないんですけど、かって柳宗悦さんなんかが菟集したよいものの中には、そういった「生命力」みたいなものが入っている。しかも、それは意識的な仕事ではなく、本当に無意識にそういうものが入っている。無意識のまま、ぱっと作品にできている。だから、それには、無意識のよさがある。

    鈴木
    意識するのと、無意識なのとはだいぶ違いますよね。美術品を作ろう、という意識ではないですよね。

    神谷
    そうそう、ピカソなんかは「作品を作ろう」という意識でしょ。それに対して、まあたとえば、日本の古い神社にある室町とか江戸初期に出来たお面を見たりすると、みんなほとんど無意識でつくったものなんですけど、「かたち霊」はそういう作品の中により純粋なかたちで残っています。それは一種の「氣」みたいなものなんでしょうね。(・・攻略)
    <上記対談集の一部をコピーし、送って戴いた書家・前田秀雄氏(大学のクラスメート)に感謝致します>

    この対談のなかでは、初めて耳にする「かたち霊」をキーワードとして、絶えることのない生命力を吹き込むことが出来る芸術家の存在意義を分かりやすく伝えてくれています。これほどまでに単純明快に言い切れている神谷氏の言霊に敬服致します。

    また、臨床の立場から、神谷氏の言葉をお借りすると、真の臨床家は病んだ人の生命力を呼び覚ますことの出来る芸術家であるといえます。特に触れるという行為により、400万年前から続く人類のDNAに何らかの活力をあたえ生命力を満たすことの出来る操体。これこそ芸術。
    かたちのない「かたち霊」と言えます。

    この二人の対談からは、国、地域における多様な美術史の発掘、意識と無意識の関与における芸術の違い等々、興味つきないテーマが浮かんできます。
    しかし、今日はこのくらいにして、明日は、この「かたち霊」にまつわるお話をしてみたいと思います。

    では ごきげんよう!

  • 操体庵ゆかいや物語(21)

           岩下・・・・・ゴメン
                       佐伯惟弘

    仰臥位膝1/2屈曲位での足関節外反の操法
    三浦先生が正座をされている両膝に、私は足底をのせ仰臥位膝1/2屈曲位のままで、動診をおこなっている時のことです。

    「佐伯、アレ見てきたか?」

    「・・・・はっ?・・・・ああ〜ミロですか?」

    動診から操法へ移行中、三浦先生が私に話しかけるのは、初めて。
    しかも、授業中他の受講生の目の前での事、まさに前代未聞でした。

    多分、私の顔にミロの絵が映っていたのでしょう。夜行バスで京都から新宿に早朝着き、東京大丸ミュージアムまで直行。10時の開場と共に、たっぷりとミロの絵を見てきた後の、講習会だったのです。

    それというのも、数日前に畠山理事から「東京大丸ミュージアムでミロの展覧会やってるよ。」というメールを戴き、是非とも“会いに行こう!”と思い、デートの前のワクワク感に浸ったあげく、デート三昧。様々な思いを巡らした後だったのです。

    どういう訳か、私の人生の節目に、ミロが関与しています。

    以前にも書いたので、余り詳しくは語りませんが、幼い頃、ミロの絵を見て描くことの楽しさを知り、1970年の大阪万博で、ミロの壁画を見て楽しくて、嬉しくてからだがユルユルになったのを覚えています。
    見た瞬間、からだが反応する絵って素晴らしい!

    あの当時の私にとって、からだが必要としていた反応だったのでしょう。

    9年前には、ニューヨークの画廊で、ミロの絵に出会い、「芸術の世界から離れなさい!」という啓示を受け、操体の世界に身を置くようになります。

    その後、三浦先生の勧めにより美山に帰り、知人の蔵(私は蔵で寝泊まりしていました)にあったミロの画集から、再びミロを勉強することになりました。
    そこで、無性にミロに関する文章を書きたくなり、書き殴っていた頃、美山で出会ったスペイン人アーテイストから、ミロ財団の奨学金の情報を戴きました。

    その文章を英文にし、応募。
    すると受かってしまい、スペイン・マジョルカ島のミロ美術館で子供を対象としたワークショップを2ヶ月に渡って行いました。

    そこでの、2ヶ月は実りあるもので、バルセロナのミロ美術館からも学芸員がやって来てかなりの評価を得ていました。ところが、幸か不幸かその最終日に、私は、“あるヘマ”をしでかしたのです。

    それで、バルセロナのミロ美術館での活動は無くなり、私は日本にすんなり帰り、より早く操体施術の世界に身を置くことが出来たのです。

    それはさて置き、東京大丸ミュージアム・ミロ展覧会での事。
    数十点ある作品は、マジョルカ島のミロ美術館からのものではなく、バルセロナのミロ美術館(マジョルカ島バルセロナにミロ美術館はあります)のものでした、そのため多くの作品は初対面の作品。
    ところが、見覚えのある一つの作品が私をじっと見つめているのです。

    「あれ、どこかでこれ、見たことがある!」

    しかし、ミロの作品群から醸し出される波動に身を置いていると、そんな些細な想いはどこかに捨て去られ、マジョルカ島での出来事、出会った人々の事など、様々な記憶が、浮かんでは、消え、また浮かんでは、消え・・・・心地よい時空を楽しんでいました。

    ふと時計を見ると正午近く。
    あわてて、三軒茶屋のターミナルビルへと向かいました。
    1時から操体の講習がはじまるのです。

    その講習で、三浦先生の「佐伯、アレ見てきたか?」
    発言があったのです。

    授業が終わってからも、やけに先生の言葉が耳に残り、頭の中をゆっくりと巡っていました。
    私はどこかに置き忘れた記憶をたどり、うつむきながら、ただただ歩く。

    すると突然、気になっていたミロの絵が、Tシャツの絵柄となって私の目の前に出現。

    「あっっ・・あの絵って、岩下のプレゼント!」

    気になっていた絵は、私の友人、岩下徹(舞踏集団・山海塾のメンバー)がスペインで公演した時、わざわざ私のために、バルセロナのミロ美術館で買ってくれたTシャツの絵柄だったのです。

    そのことに気がついたのは、キャロットタワーの入り口、背筋がぞっとするようなシンクロナイズでした!

    キャロットタワーは、2001年、私がアメリカから操体を学びに帰ってきて、小用のため初めて立ち寄った場所。

    そこで、偶然にも上演されていたのが、岩下徹の属する山海塾「卵を立てることからー卵熱」。
    帰国早々、親友・岩下徹と再会することが出来たのです。

    これで、全てが結びつきました。
    岩下が、初めての海外公演でバルセロナに行き、バルセロナのミロ美術館で私の大好きなミロのTシャツを購入。そして、私にプレゼント。

    2000年、私はそれを大事にアメリカまで持っていったにも関わらず、離婚という憂き目の中、そのTシャツをアメリカに置いたまま、一人帰国。

    あの絵柄のTシャツは破棄されているはず。

    大事にしていたTシャツが、三浦先生を介して、最後の別れに来たのです。
    それで、よくわかりました、あの絵が放つ鋭い視線の意味が・・・・・・・・

          「岩下・・・・・ゴメン」

  • 操体庵ゆかいや物語(20)

         
          カメムシの“お引っ越し”
                     佐伯惟弘

    「誰じゃ、ワシを起こしたんは!!・・・ええ気持ちで寝とったのに!・・・・ワシは、美山ちゅう食べ物のいっぱいあるとこで、大好物の柿をたらふく食べてナ・・・・ほんで、雪の降る間は、茅葺きの家で寝とったちゅうに・・・・

    何ちゅうこっちゃ!・・・・気がついたら東京のド真ん中におるやんけ!!」

    3月に美山から東京・世田谷に引っ越しした際の段ボールにまぎれ込んだカメムシのカメ八。その怒りは治まりそうにありません。

    「あのドアホが!・・・・だいたいナ、ワシらは4月末までは冬眠せなアカン。カメ一からカメ五一までの兄弟と仲良う寝とったんじゃ。
    それを、よりによって末広がりのええ名前をもろた、このカメ八が・・・なんでワシだけが・・・うう〜許せん!!・・・・ワシらが子どもの頃は、スギやヒノキの球果の汁を兄弟仲良う吸って大きうなったんじゃ。」

    と、身の上話をはじめるカメ八。

    「ほんで、スギの球果がようけ出来るちゅうのは、植林されたはええが、人間どもが、手入れをせんようになったんが原因じゃ・・・・ええか・・・スギも好きこのんで、球果つけて、スギ花粉飛ばしとるんとちゃうで!・・・・想像してみい、狭い場所に何本も植わったモヤシのようなスギを・・・・“このままやと、死んでまう!”と思て、子孫を残すために球果つけて、スギ花粉飛ばしとるんじゃ!

    考えてもみてみ・・・・ええ環境で1000年も生きとるスギが100年やそこら経ったくらいで、実やら花やらつけたりするわけないやろ!
    ましてや、毎年つけたりする訳ない、ない、ないじゃろが!!!

    スギやらヒノキやらを植えたら、金をやるちゅう戦後、日本政府の愚策に踊らされて、田んぼにまでスギを植えるアホが出おって・・・結果、花粉症じゃの、カメムシの大量発生じゃのぬかして、ワシらを目のかたきにしおって!!・・・・そんなん、おまえらの勝手じゃ。悪いのは、おまえら人間のほうじゃ!!!」

    なるほど、カメ八の言い分には説得力があります。もう少し聞いてみましょう。

    「ついでに言うとくけど・・・・スギやヒノキは昔の木や。
    昔、栄えたけどホンマならもっと少ないはずじゃ。
    今の気候で、シイやカシみたいにドングリのなる木と競争してみい・・・・スギやヒノキは負ける。
    当ったり前じゃ!
    スギやヒノキみたいな小さな実は成長がおそいんじゃ。ドングリのパワーに勝てるわけないじゃろ!

    それで、わざわざ苗木にして人間が植えとる。
    ところがじゃ、手入れをしてへん!!
    スギ、ヒノキはまっすぐ上向いて伸びる・・・・それに対して根っこは2mほどの深さで横に伸びて倒れんように頑張るんじゃ。

    ところが、手入れをしてへん山は、四方八方にスギ、ヒノキが生えとるので、根っこは横に伸びとうてもからまって板状になる。
    そんなとき、大雨が降ったらえらいこっちゃ!
    たった2mの深さの板のダムは、水をためこんだまま決壊するで!ほんなら、えらい土砂災害になってまう!
    ただ、何とか持ちこらえとるのは、シイやカシみたいな広葉樹の深い根っこが残っとるからじゃ!」

    少々あきらめ顔のカメ八。

    「もうええワ・・・・日本政府の愚策をカメムシが嘆いてもしゃない・・・・それにしても、この四畳間、居心地・・・・思ったほど悪うない。
    漆喰の壁やし、畳も新しい。美山ほどじゃないないが、結構静かじゃ。
    美山の家は、すき間だらけやったおかげで、家の外にはいつでも出られたが、こっちではアルミサッシの窓でカギまでかかっとる。
    これじゃ・・・外にでれへん!!!

    もっとも、外にでたとこで、ワシの食いもんはない・・・いや・・・あのドアホが言うには、松陰神社前通りに新鮮なくだものがあるそうじゃ。
    なにせ、キュウイ2個、ババナ1房で200円。

    お〜〜〜〜〜〜あのドアホが疲れた顔で重そうなリュック背負って帰ってきおった!手には、近くのスーパーでこうてきた切り干し大根、納豆、豆腐に竹輪・・・・・美山に居るときと同じもんこうとるワ。・・なにせ、冷蔵庫もない・・・テレビもない・・・・50過ぎのおっさんがする生活とちゃうで!!
    まあ〜そんなことは、どおでもええ〜〜〜逃げるンは今じゃ!!!・・・行くで〜・・・ほな、さいなら!」

    カメ八、“ドアホ”が帰ってきた空(す)きを見つけて、低空飛行。
    なんとか脱出成功のようであります・・・めでたし、めでたし。