投稿者: karib_sotai

  • コレクション 続き

     数多くのコレクションは、開業した当初からコツコツたのしみに収集してきた思い出深い作品である。収集した作品の中に、イカールの「ラブレター」という二点の作品がある。20数年前にアンティークのお店で偶然目にしたもの、これはエッチングによるもので、あわい色彩が実に美しい。納められている額そのものも、その時代のアンティークのもので、なかなか味わいがあっていい。イカールの作品集の中にこの2点が紹介されており、一度はその実物この目で確かめてみたいと思い続けていた。ある日青山に出かけ、西洋骨董のお店をのぞいてみると、この2点の作品が一緒に飾られていたのである。その店のオーナーにいつから飾っているのかと聞くと、今朝だという。まさに奇跡というのか、こんなことってあるのかと我が目を疑った。私はすっかり興奮してのぼせてしまった。骨董は瞬間瞬時の人と作品とのめぐりあわせとご縁の世界なのだ。この出会いが、収集家にとってたまらない魅力なのだ。その時の胸おどる感動は今でも忘れられない。探し求めていたイカールのこの二点の作品が二枚とも、東京の青山のこの店に置いてあったとは、東京とはすごい所なんだなあと改めて思うのだ。
     私のところには宗教的絵画を数多く残した画家の一人、ルオーのエッチングがある。これは額の大きさが30号ほどのもので、黒の色彩で描かれ、戦火で死んでいく我が子を抱いている母親の姿が描かれている。
     また、マリアがイエスを抱いている50号ほどのモザイク様の石画、これはヒスイと三種類ほどの小さな石をはめこんで作ったものである。そしてフランスの画家、ラールが描いた油絵が三点、圧巻は300号余りの油絵である。これはフランスのある画家自身が東洋思想にあこがれ、神を東洋人の形ある姿に似せ、我が子イエスを抱いている姿が描かれている。待合室の右手奥には、大小何体かの仏像が置いてあり、その仏像のまわりに、水晶玉が五、六個並べられている。水晶玉は直径が20センチの特大のもので、その透明度が99.8%の純度をもっている。玉色も透明のもの、グリーン、白色、ピンクとある。その右脇に50センチほどの黒柿(くろがき)の幹が置いてある。柿の木に、この黒柿があることを知ったのは、ごく最近のこと。この黒柿の特徴は幹の中が黒いことと、1000本に一本位しか生息してないということなんだ。最初目にした時、幹の中が黒く、ペンキでも塗っているいるのかと思ったものだが、そうじゃないのだ。樹歴とともに黒づんでくるのだそうだ。これらのコレクションのなかで、私が骨抜き状態に魅了されてしまったのが、アールデコアールヌーボー時代のガラス工芸である。ガレーと並ぶ天才天才ガラス職人だったルネ・ラリックのアートであった。ガラスとは思えぬその巧妙繊細なる技法は、当時の上流社会層にまづ受け入れられ、更に一般大衆にも絶大なる支持を得る。圧巻は、当時の車のボンネットの取り付けられている各種のキャブレーターである。風になびく後ろ髪の「女神」ひときわ目を引くガラス工芸の一つである。夜の走行中は車燈も黄金色に輝くのである。私はその女神を手にいれる。ある美術商が持ち込んできたのだが、この女神のガラスにはオチがついた。話せば長くなるようなエピソードがある。機会があったら話すこととして・・・・・。

     僕はそんな訳で数々の一流、本物(人、物)をこの目で見てきたので、私の「目利き」は確実に実習されている。それは臨床にも通じている。先日畠山氏の紹介で、松岡正剛氏関連のISIS編集学校の大師範、川崎さんを診せていただいた(畠山氏はISIS編集学校の師範代経験者)。昨日デーブ川崎氏のmixiの日記「操体受療日記」が送られてきたのだが、その中に「芸能の世界には下手がウツル」という言葉があって、芸を磨くには本物から習う、本物をお手本にして習ふのが一番」という書き込みがあった。それはまさに納得。そうなんだ。
     僕はある種、臨床も芸、アートじゃないかと思っているフシがある。私の臨床観の世界にあるのだ。それを私は「そんな高貴な遊び心」と名付けている。どんな世界に身をおく、超一流人、名人達人は必ず、この高貴な遊び心を身につけてしまっている。そう、身につけてしまっている人達なのだ。僕も少しづづ、少しづつはわかる。それが超一流人の芸、アートなんだね、この遊び心とは、事象物象「神象・仏象」の理に適う霊性的な遊び心(つまり、神技ごときのもの)である。勿論、その素材なるものの命をとことん知り尽くし、その素材に生といふイノチを与えて行く努力をおしまない。寝ても覚めても問いかけている、まさに自分の命を越えた、命超えをなさっているはずである。一流のその作品は、芸術家、その主たる霊的な命超えなる美でもある。そうでないとこの高貴なるというのか、豊かなる遊び心は生まれてこないのだ。ここにも我が師、橋本敬三の名訓、「ヤジ馬の心」がダブってくる。それもただのヤジ馬じゃダメだよ、というズルいヤジ馬になるのが本物のヤジ馬だとー橋本はそこで、カラスを引き合いに出す。あんなちっぽけな図体で、脳みそだってほんの申し訳程度のもんだろうけど、あの悪ガキ以上の悪知恵は見上げたものである。
     そう云えば、ノミのジャンプも師の原稿にあったなァー。それはともかく、「ズルいヤジ馬ごころ」が大切だと。俺にはデキネェなどと、投げてはいけない。ともかく、デキの悪い頭で考えるんじゃなく、「のるかそるか」つまり、「やってみるか、みねぇか」、それだけのことなんだよ。「やってみないでつべこべ言うなッてんの」ここんところのこのセリフ橋本先生のとっておきの名セリフだったのだよ。
     やるか、やらねェか、やってみての話だ。そこから高貴な遊び心が育ってくるのだ。
    ところで、昨日、先週島根の坂本龍馬のあのブログ、さっそく畠山氏が文章にとじて届けてくれる。ドッサリある。いったいこれは何だと聞くと、福田さんのブログだと言う。一年分かと聞くと、先週のブログだけだと言うのである。一体何ページあるんだ。「50枚以上です」
    エッ50枚、一週間で・・・・。一日3000字は打ち込んでいるな。あの華奢な体力で、高見山のような・・???いったいなにを書き込んでいるのか。龍馬の世界はハッピーだな、これも65年つきあっている奥さんといつもできたてアツアツ、ついでのおまけのホッカホカのたい焼き君なのだな。
     ともかく、とにかく一息に読ませていただいた。すごいものだねー。なんでこんな書き込みができるのか、人は好きなことならそのことに集中できる。興味があるから集中するのだ。その上、興味のあることには全くの無防備、つまり自分そのものでいられるってコトなのだ。あのガキの頃の、自分のオモチャ、一心不乱で遊びに興じている、あの頃の自分の姿、アレがアレなんだ。芸(ゲイじゃないぞ)アートの登竜門なのだよ。まさに遊び心がソレ、みんなもっていたもの、ただ、いつの頃かすっかり忘れてしまっているだけなのだ。龍馬、みんなもそうだろう。しかし、50ページとはな。ところで龍馬、三茶にたい焼き屋さんがもう一件増えた。今度上京したら、たい焼き100枚ご馳走するよ。奥さまにも土産に、と思ったけど、冷えたタイ焼き君は口にしたくもないよなァ、何か考えておく。今日はこれでおしまい!

  • 「コレクション」

     おはようございます。ブログ書き込みの週の朝はどうも目覚めが早くなるようです。今朝は、朝と言っても夜中の二時半。それでも四時間余りは熟睡しているし、近頃は昼間でも眠いなと感じると20分ほど上手に仮眠できるし、寝不足ということはない。仮眠をいかに上手にとるかによって、大切な時間が使えるんじゃないかとと思う。とにかく、一日24時間しかないのだし、いかに活用していくかは、人生一生のテーマかもしれない。
     今日は「コレクション」と題してブログを進めていきたいと思います。
    今週の月曜日、昼休みの時間を使って医道の日本社・編集部の赤羽さんが取材にみえる。医道の日本社の月刊誌も、いろいろあの手この手と企画を立て、機関誌の内容を充実しようと試みている。去年八月は、「風鈴随想」の企画に執筆を頼まれ、原稿を送った記憶がある。今夏は「自慢の一品、コレクションを拝見」という企画の中での取材であった。僕の治療室は自慢じゃないけど「収集品の宝庫」になっている。待合室も治療室も収集した骨董、コレクションで埋まっている。その上、猫のシモン君もいればルーパァウーパの黒子もいる。ところで最近のシモンは患者様の見送りを覚えるようになった。治療後、玄関先まで見送ったり、外に出て見送ったりするのだ。玄関先まで見送る患者さまと、戸口の外に出て見送る患者さまの区別をどうシモンは感じ分けているのか、謎である。ご主人に似て、少しづつ賢くなっている。ふと、シモンのやつは私の助手のつもりで患者様の接待をしてくれているのかなと思ったり、猫嫌いな患者様でもなぜか、このシモンには抵抗がないみたいだ。人間は猫をみて猫と表現するけれど、当の猫はネコと思っていないのだから、何か変ですネ。患者の中にはアレルギーを持っている人もいるけれど、かといってこのシモンにはアレルギーを感じないようである。僕の躾は厳しいけれどコイツはめげることがないし、とっても性格がいい。都会じゃえさを探すのも大変だし、猫同士の縄張りもあるし、飼い主のご主人がいてくれれば、飢え死にする心配もない(そう思うのは私だけか)。シモンのヤツもこのご主人には逆らわないほうがいいと思っているのだろう。野良ちゃんであっても、品性があって性格がいいヤツがいると、愛情をもって接してあげれば、性格もかわるのは確かだな。元々ヘコんでるイノチなんてあるものか。イノチとはそういうものなのだ。
     一緒に同居していると、なんら人間と変わらないものネ。ですから可愛がる人間のきもちがよくわかる。家族なんだな。そのうちに私の表札の横に「ニナ・シモン」の表札も作ってあげようと思う。ひょっとしてハガキや手紙が舞い込んでくるかもニャ。「おいシモン、お前にラブレター届いているぞ」と言ってあげても全く違和感がないんだな。
     ハハハ、脱線しちゃいました。ついでにもう一つ、近頃、このシモンは「マンマ」(食事)という言葉を覚える。シモンはそれだけじゃないよ、お前さんのことは全部お見通しだよと言っているようだがネ。

     初診の患者様は、治療室のこの光景を見てア然とし、あっけにとられてしまう。ある患者さまは来る場所を間違えたとばかりに尻込みしてしまう。治療所とは似つかぬ、余りにも異なる別空間の世界だ。仰天するのも無理はない。僕自身が治療しているという意識感覚がますます薄れてきているから、こうなっちゃうのか、ホテルオークラの橋本保雄さん(橋本先生の三男の方)が、生前「あの治療室なんとかしろ」と再三僕にごしゃいていたなァ。言い訳はせづ、「ハイ、ハイ」と返事はしていたのだけれど、未だに実行に移されていない。生返事でとおし続けてしまっているところを見ると、しっかりと私らしさがしみ込んで馴染んでしまっている。私も相当なガンコオヤジである。あの世で「三浦のヤツはどうしようもねぇナ」と、ぶつぶつ小言を言ってるに違いない。
     保雄さんは、日本ペンクラブの会員でもあった。何冊もの著書を出版している。アマチュア無線の資格も持ち、大型のハーレー・ダビッドソンを乗り回し、車好きの方でもあった。愛車はBMWの5シリーズだ。私にBMWを勧めてくれたのも保雄さんである。「三浦君、トヨタセルシオもいいけど、BMもなかなかいいぞ − 良かったら青山の支店長紹介するから」と言ってくれた。2、3日も立たずに支店長から電話が入り、三茶に持ってきてくれたのが今乗っている7シリーズである。支店長がもってきた車だから、迷わず買ってしまう。この支店長というのが、世界で一番BMWを売った伝説の日本人、飯野氏である。ある日保雄さんから「BM購入したようだな、どれ、一度オレに見せに来いよ」と言われ、約束の時間、オークラに乗っていくと、車を見た瞬間、「おまえさん、7シリーズ買ったのか。オレでさえ5シリーズで手一杯なのに、とんでもないヤツだな」と、ご愛嬌にも一喝されてしまった。運転していいかとかどれどれと発進する。なかなかいいじゃないか、とニコニコされている。
    保雄さんが副社長職を退職される年に、かなり著名な画家から贈られたといふ、鳳凰の絵と、観音様の二点をいただいてしまった。それがベッドの上につり下げている絵なのだ。患者がベッドに休むと、顔の真上にその絵が見える。
     私のコレクションの中で、今でも心残りなものがある。それは濃い深みのあるグリーンの91年型のポルシェである。とにかくほれぼれする車であった。僕が49歳の時運転免許を取得したのも、このポルシェが手に入ったから。ジャジャ馬のポルシェであったが燃費がかかる。修理代もおどけじゃない。5,6年乗ってついに手放してしまったが、床の間のスペースがあったら廃車にして飾っておきたかったなと今でも残念に思う。これほど美を追究した車はない。

  • 「新たな原稿」

    橋本先生の原稿がまた新たに見つかった。
    その原文のなかに、「人生の極至」や「真正の快適感」などと目新しい言葉が飛び込んでくる。師の言葉の豊かさや(と)表現に感服してしまう。
    人生の極至といふ問いかけに師は、調和という二字を書き添え、こう述べる。「調和は波動の共鳴である。自らの波動を、天成の波動に近づけること」しめくくっておられる。これが、人として生きてゆく生き方を示しておられる。また「真正の快適感を体得する」とはいかなることなのか、臨床において、この快適感とは、現象がききわけてくる快があるのではないかと僕は思う。ならば、今ある快から、さらなる快へと次元を越えていくべきことが、真正の快を会得することなのか、それは全てによしとしてこの世を創造した天成の意志を知ることこそが真正なる快適感を体得する。この世に生を受けしこと、それは絶対なる現象以前の身分であり、救いである。この悟りをえることは人生の至福を得たものである。これこそが真正の快適感を体得することなのか。

    「一枚の写真」
    私が東京で開業し、数年後、橋本先生からA3の封筒が送られてきた。その封筒には先生ご自身の特大の写真と、それに一枚の便箋が添えられていた。それには「なにか思い余ることがあったらこの写真に語りかけてくれ、君の最高の幸せを祈っている儂の写真だと思って語りかけて下さい」と書き添えてあった。その写真は額に納め、今も自宅に飾られ、私と私の家族を見守ってくれている。

    「要妙パート2、やっとゲラ刷りがでる」
    いつかは誰かが書きのこしておかねばならないことがある。誰れが書いてくれるだろうと待望し続けるのだが、音沙汰がない。では取り敢えず今は自分しかいないなと、身をけづり出版すればツベコベと批判、批評する。そんなに言いたいことがあるなら、自分が書けばいいだろうと思ってしまうのだが、しかし誰かが・・・というその内容は実に尻込みするほど大変なものだから、誰も手を出そうとはしない。誰れかがやってくれるだろうと同じ事を他人も考える。今度の執筆は皮膚という(領域から)アングルで操体の臨床に切り込んでいくことになる訳だが、この皮膚に関しては、今まで本にできるほどの情報量を持ち得なかった。自分の言葉で語れるほど皮膚のことがわかっていなかった。皮膚と出会い、すっかり皮膚のとりこになって夢中で恋をして本気で惚れて手応えを得て、十数年プロポーズし続けるが、未だ一冊の本にも納めきれていない。診断としても臨床としてもこれほどエキサイティングなアングルはないのだが、しかし、臨床行為そのものが、皮膚に接触しているだけのシンプルなものだけに、本としての体裁を満たすことができない。こんなシンプルな問いかけ一つに百何ページもの空白を埋め尽くさなければならぬのだ。 人間が人間を創造できたであろうか。人間はその皮膚を創造することができたであろうか。神が人間を創造した時、このからだに皮膚という最高の贈り物を与えて下さった。その皮膚へ臨床上重要なをとおしてみても、皮膚はただ者じゃない。命そのものだ。その命にといかけていくことは、臨床の深き意味がある。
    何事も面倒臭いで放り出したら、それまでの話しなのだよ。そんなこと言ってたら生きて行くのも面倒臭くなる。どうでもいいような人生じゃないんだし、皮膚のことだってどうでもいいと放っておけない存在だから、この世に残しておきたい。
    どうでもいいようなことのために、やさしく、やわらかく、からだを包み込んでくれている訳じゃないんだ。皮膚に守られて、生かされているこの生なのだから、皮膚への感謝として、どうしてもこの一冊、この世に残しておきたい。

  • 「生きていく生き方」

    橋本先生は、人の生き方について、こう問いかけてくる「どれだけの人が生きていく生き方に気を配っているのか」・・・と。「生きていく生き方」私はその言葉をくりかえし、くりかえし口にしてみる。人が生きるといふことは、その生き方が問われている。その生き方が問題なのに、どれだけの人が気を配って生きているのかと、私達に問いかけているのだ。この命ありきの生の営みになぜ無頓着、無関心でいられるのか、と問いかけている。先生は「生活」とは言っていない。生活には個々の工夫や楽しみ、潤い方がある。しかし自分の生にかかわる生き方とは、生活の中のシャンデリアとは訳が違ふ。

     「生き方に気を配る」、と言われるには、その生き方に適ふ営みがある、と言われるのだ。人は天然自然の現象に生きているし、それを左右することも出来ない。人も、また、その現象そのものなのだ。人はその生き方がわからなくなっている。その生き方を忘れてしまった。

    つまり、生き方の設計図を失ってしまったのだ。人は何とかこの生をしのいでいるのだが、全く生き方に責任が持てなくなっている。医学者も、わかっているようで、わかっていない。人間は豊かになり過ぎて、肝心なことを見失ってしまった。余りにもその代償は大きすぎる。

    「規制と制限」

     ビジョンSは今回の作品から字数に制限を設けることになった。規制と制限の中でいかに自分を語るか、なかなか勉強になる取り組みである。毎年11月の末になると、医道の日本社から「新年のことば」の依頼が入る。かれこれ十数年続いている。依頼の通知には、「800字以内に納めよ」と明記されている。字数がこのように決められている中でまとめていくのはかなり苦しいものだ。苦手と言えば苦手であるが、いかに言いたいことをしっかり埋め込むか、言葉の選択と表現が問われる。これも、毎年続けていく中で、コツコツと身につけていく。十数年関与している内に、一万五千字以上にふくれあがっているはずである。医道の日本からは、毎年執筆をお願いされているが、今から考えることでもないが、一年間活動しておれば、何か書きつけるものがあって、うまく納まりがつくものなのだ。ビジョンSも規制と制限の中で、期間に言葉の内容を吟味し、文面に生かせるように努めている。原稿にむかっている気分はとてもいい。つい勢い走って書き込み、その勢いで提出してしまうと、編集の段階で手に負えなくなる。担当者もお手上げ状態だ。そこで、2、3日その原文を塩漬けにして寝かせておく。再度、今の自分に帰って改めて再読してみると、かなり絞り込めてくる。表現のおかしさ、削除した方が良さそうな活字が見えてくる。その上で、もう一日塩漬けにして仕上げに入ると、作品にも息魂が入る。

    今僕は、たにぐち書店の「月刊手技療法」の執筆は休筆中だが、裏方に回って実行委員のメンバーを執筆者に加え、二ヶ月づつ連載をお願いし、その校正にあたっている。最初の4、5月号を山野氏にお願いし、6、7月号は日下氏にお願いした。人様の原稿を校正するのは意外に手がかかる大仕事なのだ。文面の内容そのものが読めてこない時、勢い余って文章がくどくなり、流れが止まってしまっている時、注釈を必要とする時、カギ括弧が多すぎて誰の話なのかわからない時などは、とてもとても神経を使い集中している。さらに作風を壊さずに手を入れることにも気を配る。私も勉強させていただいている。有難いことである。

    (畠山注:ビジョンS 「VisionS」秋季東京操体フォーラムで配布される小冊子。フォーラム実行委員の執筆による。なお、Vision Sotai と Visionの複数形をとっている)

  • 熱線

    おはようございます。今週からブログは三浦が担当いたします。福田さん、一週間ご苦労様でした。どうぞこれからの一週間、宜しくお願いいたします。庭の草木も梅雨の間、たっぷりと水を吸って、うっそうと茂っています。玄関先にはたわわに何房もぶらさがるブドウの木と、朝顔の花が咲いています。
    ところで、先般医道の日本社の赤羽さんが取材に見えました。取材の内容は、医道の日本誌上で「治療院を豊かにする遊び心を求めて − 自慢の一品&コレクションを拝見」コーナーを企画しているのだそうです。そこで今回は、私の所にあるコレクションを紹介させてもらえないか、との依頼でした。
    赤羽さんとは、二冊の連動の本の出版(※1)で大変お世話になった編集の方です。

    操体法入門―からだの連動のしくみがわかる 手関節からのアプローチ

    操体法入門―からだの連動のしくみがわかる 手関節からのアプローチ

    操体法入門 足関節からのアプローチ

    操体法入門 足関節からのアプローチ

    久しぶりの再会で、楽しい一時でした。出版の際は頻繁に会っていたのですが、治療室の方には一度も案内していなかったのです。もっぱら執筆でよく使用していた、ドトールのテラスで用件を済ませていたのです。治療室に案内し中を観賞していただきましたが、余りの収集の多さに腰を抜かさんばかりに驚いていました。赤羽さんは、例のクジラさんの○ニ○ね、あれをコレクションの一品に加えてもらえる?と注文したところ、見事にふられてしまったみたいでした。
    地方によって、昔は「子宝信仰」として、奉納していたのです。やたら滅多に実物を見ることなんてできないんですけどネ。マアそんなところで、月曜日に改めて取材が入り、八月号に載りますので、機会があったら目を通してみて下さい。それから、春のフォーラムに「月刊秘伝」の取材が入っていたでしょう。先日、編集の方からゲラが届き、あちこち校正を入れ、無事終了。ページ数も7ページに及ぶもので、なかなか手が込んでいて読み応えがありますよ。是非手にして下さればと思います(2009年7月15日発売分)
    さらに秋のフォーラムにも引き続いて「秘伝」の取材が入ります「秘伝」の方から依頼があり、承諾しました。医道の日本からも取材が入ると思いますので、心に止めておいて下さい。それからもう一つ、たにぐち書店から出ている「月刊手技療法」ですが、今年の四月から実行委員のメンバーに執筆をお願いしてあります。五月、六月は山野実行委員に、七月、八月は日下実行委員に依頼し、すでに連載され、九月、十月は秋穂理事にお願いし、私の計画では後数名の実行委員に執筆をお願いしようと考えていますので、大当たりのメンバーは、尻込みして辞退せぬよう喜んで承諾していたヾきたいと思います。次の十一月、十二月は再び畠山常任理事が担当しますが、その後、まだ登場できなくて今か今かと腰が落ち着かぬ島根の坂本”理事(副実行委員長)”龍馬と、お声がかかったらどうしようかと内心ドッキンドッキンしている岡村理事(実行委員長)、まさか俺がとポーカーフェースを決め込む西田実行委員、最近は釣りもできねェと、ストレス気味な埼玉の貴公子、中谷実行委員。よーし、畠山氏の後はストレス気味の中谷氏に決めた。中谷さん、読んでますネ〜。十三月号と十四月号の連載よろしく。
    ところで、現在92回目の連載中。中谷氏のところまで連載が進むと、99回か100回目となります。よろしくバトンタッチして続けて下さい。ポーカーフェースの西田実行委員は、今から原稿の準備をして、少しづつ書きためておくように。ボスからの要請です。そんなところで、ブログの本題に入ります。

    「熱線」
    先般、畠山氏に、ブログを何とか製本してもらえないかと頼み込んでみた。その願いが叶い、立派な小冊となって送られてくる。実行委員二十数名の二週間分のブログである。製本して再度手にしてみると、また格別な味わいがあるものだ。ワンクール一週間づつ、一人一人が書き込んでくれたブログを製本すると、400ページ以上にもなる。二週間づつの書き込みだから、400ページの本が二冊出来上がった。しばらく目をとおしていると、つい一人一人の作品に気もちが吸い込まれてしまう。その文面から息が漂ってくる。夢中で読み続け、つい溜息がもれてしまう。気軽に活字を拾うつもりが、その視線に熱を感じ(その視線が熱を帯び)、心の酔う響きを得る。熱とはヒビキなのだろうか。それが息として伝わってくる。ふと、この生に「感謝」といふ言葉が湧いてくる。一人一人が、この生に感謝している、そんな響息(キョウソク)が伝わってくる。このブログは私にとって熱線である。有難く、製本に納め保管し続けたい。ブログの書き込みが有難く続いてくれる限り私は一つの形宝として残し続けるだろう。ビジョンSも、一人一人の学びを育む「生命線」として生かしつづけて行くことを自願する。操体は人づくりなのです。執筆に関与することも人づくりです。自分を文章にしていくことも自分づくりです。自分の人生に参加することなのです。


  • ”喜怒哀楽” 楽?楽ってさぁ

    いやぁ、いよいよ最終日と成りました、ヴィジョンSの締め切りに重なるという素晴らしい巡り合わせとなり、苦しみに苦しみ抜いた一週間でした、気合い入れて最後締めたいと思います。

    ”喜怒哀楽”最後はお馴染み“楽”ラクですねぇ実を言いますとこのラクっていう言葉は操体と縁があった方ならば必ずと言ってよいほど避けては通れない言葉の一つと言えると思います。
    これは操法だけでは無く、学ぶという課程においてもしばしば出て来るキーワードなので、思い当たる節がある人もいらっしゃると思います・・・
    私も最初にいわゆる操体法を知った時には『辛い方から楽(痛くない)な方へ』のいわゆる“二極対比”の“第一分析”操体でした。

    当時、操体を知るきっかけとなったのは、既にいわゆる“整体”で開業していた私が色々なクライアントに施術を行う中で、整体では“間に合わない”クライアントが非常に多いことに気付き、
    このままでは施術が行き詰まるのではと危機感を抱いていた時でした。
    “求めよ されば与えられん”ではないですが、そんな時に偶然話す機会のあった
    整体時代の兄弟子に「俺は整体と併せてこんな事をやっているよ」って教えてもらったのが、操体法(もっとも本当の操体ではなく、操体擬きでしたが)でした。
    正直、最初の感想としては『へぇ〜こんな簡単なことで本当に良くなるの?』と半信半疑でした。
    ですが、疑いながらも藁をもすがる思いで、早速本を購入しました。

    安易にありがちなHow to本ぽい、やり方が書いてある『腰痛に効く○○操法とか肩こりに効く○○操法とかが載っている、実技書ちっくな本でした。
    今ならば操体“症状疾患別にみない”のが特長だ!と言えるのですが、何も知らない当時の私は“症状疾患別”に書いてある本を購入していました。

    この心理こそ、正に“楽”なんですねぇ、症状疾患別にみる方が楽ですし、この症状にはこの操法って決まっている方が楽に決まっているので目指せ!“楽ラク操体ってところでした。
    まずは取り敢えず○○痛にはこれって書いてある中で、ダブっている操法があるので、これは押さえておこう!みたいな感じで、本に書いてある幾つかの操法を覚えていきました。

    幸いにと申しますか、運が良かったと申しますか・・・この必勝!“楽ラク操体”が見事にまぐれ当たりして、腰痛で来られていたクライアントの方が楽になった!と言われ、これは使える!って感じになったのです。
    今考えると空恐ろしいと申しますか、完全なる“ビギナーズ・ラック”で結果が出たという、よくある話でした・・・

    が!楽ラクと思いつつも、何でこんな簡単(楽)なことであんなに悩んでいた、腰痛症状が解消出来たのだろうか?と疑問が湧いてきました。。。。
    昔から疑問が湧くとそのままにしておけない性格だったので、インターネット上にて謎の操体法についてあれこれと調べてみました。

    何だか色々と書いてはあるけれどもイマイチ要領を得ないと言いますか、まどろっこしい感じで、核心部分がボケていたのですが、一つのサイトに目が留まりました・・・
    ハイ、お察しの通り私の師匠である畠山常任理事操体医科学研究所(当時は操体Practitioner TEIZAN) TEIZANのサイトでした。
    ラッキーなことに講習をやられているとのこと、しかも数回の講習で資格を戴けるとの事でした(考え安易です)ので、これは再びラッキーと早速申し込みをしたという楽ラク野郎でした。

    これが、特に私のような遠方受講生が陥りやすい『楽に操体の資格が取れますよ』症候群です。
    冷静に考えれば、数回の講習で資格が取れる訳もなく、ましてや一つのものを学ぶ際に数回で学べる筈もなく、遠方受講生の学びの第一段階はここでふるいにかけられます。よく島根でも操体を学んでみたいと言われる方がいらっしゃいます。

    私はその際に必ず言うのが『先ず、うちの師匠の元で学んで下さい』と言います、そうすると大概の方は「師匠さんはどちらの方ですか?」と聞かれ「東京ですよ」と爽やかに答えると、殆どの方は「と・・東京ですか」と口籠もり「福田さんが教えて下さいよぉ」などと甘えてきます。

    そんな性根の奴はどう考えても長続きする訳もないですし、仮に教えたとしても良い所だけを摘んで“サヨナラ”するタイプですので「是非、又、機会があったらお話をしましょう!」と元気よく握手でもして別れれば、二度と会うことも連絡して来ることもありません・・・
    距離というハンデは“熱意”という必要不可欠な要素がなければ、埋めることは決して出来ません。

    話が横道に逸れましたが、そんな私自身も最初は楽ラク気分で畠山常任理事の講習を受けに行っていました。
    ところがどっこい、本で見るのと実際にやってみるのとでは介助・補助のかけ方、力加減が全然違うことに気付きました。
    楽ラクどころか“とんでも難し操体だということを遅ればせながら理解しました。

    そして実際に操体を臨床で本格的に使うようになって気付いたのは二極対比の古典的“第一分析”で行える臨床の少なさでした。
    実際に私の所へ来るクライアントや、動けなくて出張で出かけるクライアントにしてもその殆どが“第一分析”では間に合わないクライアントでした。
    “楽ラク”って事は所詮“楽”しか通していないので、身体も楽なそれなりの答えしか帰してくれないので、結果も応じたものでしか有りません。

    第二分析“一極微”で一つ一つの動きに対しての感覚をききわける段階に入ると、もはや“楽ラク”などと言うキーワードは私の頭から消し飛んでいました。
    確かに“第一分析”に比べ一つ一つの動きに対してききわけを通すのは根気のいる事かもしれませんが、本質が解れば逆に“第一分析”よりも断然選択肢が多く、可能性が拡がっていくのです。

    仮に“第一分析”と同じ動診を通し感覚がききわけ難かったとしても、ちょっとした操者の創意工夫で“快”に変えることが出来るのも“第二分析”の魅力でも有り、
    第一より第二の方がより実戦的であり、我々臨床家は結果を出して“なんぼ”の世界に生きていますので、必然的に第二分析が中心の臨床と成って行きました。

    そして今、我々実行委員の殆どのメンバーが、更にクライアントの本質に迫る臨床である“第三分析”での臨床へとシフトしつつあります。
    我々人間の最大・最後の宇宙である“皮膚”へのアプローチをしていく“第三分析”こそが様々な疾病を抱えていらっしゃる方への救世主と成り得ると確信し、日々精進しています。

    面白い事にこの“第三分析”ほど楽ラクに見えて難しいものは無いと言うことです・・・第一分析に始まり第二分析までを“動”操体とすれば、
    この“第三分析”は間違いなく『静』操体とでも言うべき静かな汗をかく操法です。

    この第三分析に関しては操者が操法を行っている所をみますと、とても簡単に見えるのだそうです。
    現に私の所に来て戴いている女性クライアント同士で、何か簡単そうに出来そうだから、お互いにやってみようということになり、見様見真似で出来るだろうと思いやってみたそうですが、
    結果は分かりきっていますが、何も起こらず、何で?だったそうです。
    何でもそうなのですが、見た目に簡単そうなモノほどやってみると難しいモノなんですよねぇ・・・
    これって橋本敬三の第一分析とよく似ている所があるような気がします。
    三浦理事長の話を伺うと、橋本先生の介助・補助は誰にもマネ出来ない絶妙な“名人芸”だったのだそうです。
    触れる手の優しさも然る事ながら、強からず・弱からずの微妙な感覚は中々、マネすることが出来ず、橋本先生が臨床を行われていた頃に出入りをしていたお弟子さんでも、
    それが本当に解っていた方がどれだけいたかは疑問なのだそうです・・・
    “楽”に見えるモノほど実は難しいというのを少なくとも我々臨床家は腹の底に入れておくべきではないかと思います。

    今ある地位や名誉に安穏とし、日々の精進を怠ってしまえば、いくら素晴らしいモノを手に入れたとしても、やがて錆び付き、自分のいい様に解釈してしまい、
    先達が血と汗の中から生み出してきたモノですら見失ってしまう事と成ります。
    橋本敬三が託された操体の未来は決して、変化無き完成の世界などではなく、決して変化を恐れない変わりゆく操体であり、
    常に臨床家の立場でクライアントにとって何がベストなのかを追い求めていくものであり、臨床家にとって都合の良い操体にしてはいけないのです。

    師匠である三浦理事長は24時間操体の事だけを考えて生活をしている様な人です。いつお会いしても変化し続けていらっしゃる新鮮な驚きがあります。
    そこから感じられるのは義務や仕事だからとかではない、本当に橋本敬三を愛し、操体を愛しているのだという熱い情熱と静かなる闘志を常に感じます。

    私たち東京操体フォーラム実行委員はそんな師匠に追いつけ追い越せと意気込み、日々精進しているそんな集団です。
    操体橋本敬三哲学を真剣に学びたい1人でも多くの方たちとの出会いを楽しみに、秋のフォーラムへと突入して行きたいと思います。

    一週間本当にありがとうございました。いよいよ来週からはみなさんお楽しみの三浦理事長の出番です!宜しくお願い致します!

  • ”喜怒哀楽” 『哀!哀しきスパルタンXとMoon Walk』

    喜怒哀楽 第三弾、です。私にとってここ最近の“哀”は同年代の男性諸氏であれば間違いなくご理解戴けると思うのですが三沢光晴氏の死去』です・・・
    は?とか言わないで下さい、何が哀しいかって同年代の企業戦士が職場で事故死と言いますか、過労死が正解かもしれませんが、これってかなり身に詰まる哀しい話だと思いませんか?

    明らかにオーバー・ワークが原因であり、採算ギリギリで明日をも知れぬ零細企業の社長が動かない身体に鞭打って最前線で戦っている姿は涙無しでは見られません!
    今、プロレス団体(プロ格闘技団体)で金銭的に余裕があって興行している団体など、無いに等しいです。
    UFCK-1などの格闘技はゴールデンタイムの地上波やPay Per Viewでそれなりの収入を上げているのでしょうが、ことプロレスにおいては三沢氏のノアなどはとんでもない深夜枠でギリギリ見られる位で、ヤンバルクイナかノアかって言う位(嘘です)貴重なものでした。


    頸髄離断(けいずいりだん)が死因だそうです、急降下バックドロップを受けた際に充分な受け身をとることが出来ずに、帰らぬ人となられたようです。直後にはレフェリーの呼びかけにも応じていたようですが、その会話が最後の言葉となってしまったようです。
    三沢氏を形容する言葉に“受け身の天才”やどんな攻撃を受けても立ち上がってくるその姿にリスペクトを込め“ゾンビ三沢”などとも形容されていました。
    そんな受け身の天才が受け身を充分にとれずに、亡くなるのは何て皮肉なんだろうって思ってしまいます。
    前日から体調不良で熱があったとか、当日も頭が痛いとスタッフに訴えていたとか、色々な話を聞けば聞くほど、身も心もギリギリの状態で仕事をしていた状況が想像出来てしまい、尚更哀しさが込み上げてきます。

    プロレスの話をすると私の友人などは眉をひそめ、「K-1とかと違ってガチじゃ無いんでしょ」などと言う輩がいますが、私から言わせれば“一緒にするな!”と言いたいです。K-1にはK-1のスピーディーな展開であるとか、立ち技での解りやすい勝負であったという部分での評価がありますし・・・

    プロレスに関して勘違いしてほしくないのは“ジャンル”が違うということです。私はプロレスとは“究極の思いやり”が土台にあるスポーツだと思います。

    『相手の持っている良さを最大限に引き出しつつ、自分の良さとブレンドし昇華させる最高の肉体表現芸術』だと。。。
    そう!プロレスとは表現芸術であり、芸術家がキャンバスに自分の感じたモノを感じた色で描くのと同じようにレスラーはリングというキャンバスに
    自身が編み出した“技”という色を相手の出してくる色と合わせて作品を作り出す“アーチスト”なのです。

    この感覚を理解せずに単純に相手の技を受けに行ってるからインチキだとか、あんな若い選手と年をとった選手がまともに勝負できるわけ無い!

    などという浅いことを言うと、ピカソの絵を見て「何だ この子供の落書き・・」と言っているのと同じなのです。
    確かに私も子供心にミルマスカラスのフライングボディプレスとかトペスイシーダを観ながら「あんなの避けれるじゃん!インチキだ!」
    などと浅はかな事を言っていたので微妙ではありますが・・・

    そう考えていくと三沢光晴氏”の様な『受け身の天才』は素晴らしいアーチストの一人だったと言えると思います。
    技を受けるためには受けとめる事が出来る身体を作らなければならず、よくプロレスラーは脂肪が多すぎるとか言う人がいますが、
    それも表面だけしか見ていない浅はかなコメントであり、K-1などの格闘技の場合は三分で3R〜5R(最大で15分)を動ける身体を作ろうとすればいい訳で、
    短期決戦が可能な体脂肪率を落とした筋量重視の身体であり、魚で言えば白身の鯛です。車で言えば燃費の悪いスポーツカーですね。だからこそ見た目は筋骨隆々で格好良く見える訳です。

    プロレスラーは最低でも30分1本勝負(タッグの場合もありますが)〜モノによっては無制限と体力消費も考えながら試合を行う必要があり、
    魚で言えば赤身のマグロちゃん、車で言えば(しつこいフレーズですが)ハイブリッドカーってとこでしょうか・・・だから多少スタイリングがでかくても、必要性があるということなのです。

    後、プロレス団体が格闘技団体と圧倒的に違うのが、年間の試合数です。プロレスは格闘技団体の様に数ヶ月に一度の興行ではなく、
    年間に数百試合もの試合を消化せねばならぬお家事情があり、地方巡業やら自主興行やらと正にK-1トヨタなどの一流企業だとすれば、
    プロレスこそが、自らが営業に回り出張もする、今の現代日本を象徴するかの如く中小の零細企業なのです。

    中小の社長は体調が悪いからと言って簡単に休業も出来ず、自社に余りメリットの無い不本意なカード(取引)でも義理人情の狭間で組まざるを得ない場合もあったり、
    正に満身創痍、特に三沢氏の様な社長レスラーは経営で頭を痛めつつ、レスラーの仕事もこなすという肉体的にも精神的にもギリギリの所で生活をしていたのだと思います・・・
    その様な極限状態の中で今回の事故が起きた訳で、労災か過労死を認定してあげたい位です・・・46歳って余りにも若すぎる早過ぎる死です…

    これ位で“哀”を終わりにしようと思っていたら、更に追い打ちをかけるようにKing of Popことマイケル・ジャクソンが突然亡くなってしまいました・・・
    三沢氏同様、結構凹みました・・・特に大好きでコンサート行ったとか着メロにしているとかでは無いのですが、確実に私の青春の一ページにマイコーはいましたので、
    それを考えると書かずにはいられません(因みにアルバム等はデビュー当時からのも全部持ってます・・・)。。。
    マイコーの死は三沢光晴氏以上にボディブローの様に効いてきて、死亡と聞かされた日は呆然としてましたが、2日目以降は何だかとってもブルーに成ってしまって、
    思わず車ではマイコーヘビーローテーションと成っています・・・


    マイコーとの衝撃的な出会いは多分、MTVで見た“Beat It !”のPVだった様な気がします・・・先ずビックリこいたのは、あの切れのいいダンスでした。
    歌が上手いのも然る事ながら、あの頭のてっぺんから足先まで神経の行き届いた、ターンやリズムの刻みなど繊細なダンスは魅了されました・・・

    今となっては見る影も無いのですが、私も10代後半から20代前半にかけて当時流行ったブレイクダンスに青春?をかけていた時期がありました(今を見ないように)ので尚更、ショックが大きいです・・・

    マイコーと言えば代名詞は“Moon Walk”ですが、Billie Jeanで最初に見たムーン・ウオークには思わずあんぐりとしてしまい、家の窓に姿を映しつつ
    ソックスに穴が開く位に練習したことを昨日の様に覚えています。

    そんなマイケルのPopなダンスに影響を受けた私がブレイクダンスを始めるきっかけとなった1984年の映画“Breakin’(邦題:ブレイクダンス)”には
    マイコーのダンスの師匠でMoon Walkマイコーに教えたPop’N’ Taco(ポッピン・タコ)も出ていますので、マイコーのダンスの原点はこの映画にあると言っても過言ではない

    素晴らしい作品なので、ダサイファッションは洒落だと置いといて、レンタルビデオ屋にヒョッとしたらあるかもしれないので、追悼の意味も込め見て下さい・・・

    歌やダンスって自身の生きて来た履歴書的なものがあって、ある曲を聴くとジワッと涙が滲んできたり、酸っぱい気持ちになったりと、まるで細胞の中にインプットされているかの如く、
    身体が反応してしまうのも面白いことだなぁと感じます。

    音楽療法じゃないですけど、その人にとって心揺さぶられる曲をその時の心や身体の状態に併せてチョイス出来れば、
    これは最高の“快”になると思います。。。

    こんばんあたりはスパルタンX”(三沢光晴氏の入場テーマ)を聞きつつ風呂に入り、締めに“Man in the Mirror”でも聴きながら眠ります。。合掌

  • ”喜怒哀楽” DO!怒っておりますぞ

    喜怒哀楽『怒』の番がやって参りました、実を言いますとこの“怒”が一番私にとっては書き辛い感情です。
    人生の中で最も長く携わってきた職業が営業職であったこともあり、無意識のうちに“怒”の感情をコントロールしてしまっていたようです。
    ご存じの通り営業職での最大のタブーが“感情”を表に出すことであり、感情をコントロールし、逆に相手の感情の揺らぎを冷静に読みながら駆け引きを行っていくのが営業職ですから、
    考えてみると人の裏側を見ているようで、悲しい感じですねぇ…
    そんな私が最近怒りを感じたのは“若いお母さん達の子供への接し方”です。
    これは島根だけに限らず、東京にいた時にも見かけた光景でしたので、一般的にこの様な傾向にあるのだと思います(スイマセンこれが全てでは無いですので・・)

    何故か私は子供が無茶をする現場によく出会います、よく見かけるのが書店での光景です。書店って本当に“傍若無人チャイルド”の溜まり場なので、
    皆さん今度は気を付けて観察するようにして下さい・・・
    お母さんは自分が読みたい本を読んでいる、子供も自分が読みたい本を見ているのですが、飽きてくるのでしょうね・・・次第に遊びが入ってきて、平積みしてあった本を“グシャ”と崩しました。
    当然の事ながら床に本がバラバラと崩れ落ちました。“むっ!”私の左眉がピクッと動きました、子供の方を見ると片付けるでもなく、
    悪びれる様子もなくスタスタと母親の方へと歩き出しました、年の頃なら保育園に行く位のお年頃でしょうか、親子でどういうリアクションをとるのか黙って横目で観察をしておりました。

    す・・すると母親、確実に横目で崩れた本を確認したのです!そう、私は見たのですが、母親取り敢えず“無視”・・・ ヾ( ̄o ̄;)オイオイ 
    私は横目が裂ける位の勢いでガンミしていたのですが、母親無視・・・無視・・・無視
    時間にして2〜3分位のガン飛ばし大会に成ったのですが、私の方が我慢出来なくなり、セッセとお片付けを始めました。
    しかも、下から母親の顔を上下で睨み付け、見上げながら片付けていたので、多分手伝ってくれるのだろうと思っていたら、
    ふと視線を母親から切った瞬間に、子供を連れて消えたのです・・・ダッシュ!((( 三( -_-)
    早すぎる・・・余りの早さにビビリました、意味が理解出来ませんでした。
    “脱兎の如く”って言葉では使いますが、実際に目前で見たのは始めてでした。

    以前は本屋で注意をしたら、「書店の方ですか?」と質問され、「いいえ」と答えると、どの様な権限でその様なことをおっしゃるのですか?
    と物言いこそ丁寧ですが、全く筋の通らない突っ込みをするお母様もいらっしゃいました。
    さすがの私も開いた口が塞がらず、「私は片付けなさいと注意をしただけですよ」と言うと
    「躾は親の役目ですので他人様に言われなくても解りますので」と悪びれることもなく言われました。
    “ぶちっ”って久々に私の血管が切れた音がして、後は捲し立てるように
    「てめの躾がしっかりしてないから、他人がわざわざ言ってんだから、スイマセンでしたか、ありがとうございましたでいいんじゃないの!
    そんな下らん屁理屈言う前にてめえが躾なってねぇんじゃねぇのかい!ごるぅああぁ!!」って気が付いたら書店で大注目でした・・・

    母親はスイマセンの一言もなく、睨み付けながら去っていきました・・・何なんでしょうか・・・怒鳴った私が悪者で、本を拾っていると私が発狂して本をぶちまけた様にすら見えるので、怖いです・・・

    ある時などは某ファミレスで食事をしている時に通路を挟んだ反対側の2人の母親とその子供達でしたが、これは更に輪をかけて酷かったのですが、
    母親二人は二人でお茶に来ていると思われるのですが、お互いが下を向いてメールをうっていました。これだけでも結構違和感ある風景なのですが、凄いのは子供達です。
    裸足でファミレスの中を駆け回っていましたが、それに飽きて、ついにはテーブルの上に上がって遊びだしました・・・

    そもそも私は子供の頃から親に躾けられた中に、テーブルの上に上がるなんて状況は躾以前の問題として、想定外の状況であり、ビックリを通り越し、アングリでした。
    さすがにバカ親も一度は注意したのですが、テンションが上がった子供が聞く訳もなく、そうなると放置プレイになり、
    親は一心不乱にメールをうっているという異様な光景が眼前に広がっていました・・・

    堪忍袋が又もや破れてしまい、思わず子供の方を見ながら、“パン!”って手を叩きました。子供達は音に気付いて、ビックリしたような顔をして私の方を見たのですが、
    又、何事も無かったかのように騒ぎ出したので『これ!これ!下に降りて!』『駄目だよ!テーブルの上は食事をする所で上がる所じゃないよ!』って言ったら、
    さすがに母親が周りを見つつも、手を引っ張って下に降ろしバツが悪そうに、「スイマセン・・」って仕方なく謝って、お前がうるさいから出て行くよ的な雰囲気を出しつつ、
    その場から立ち去って行きました。

    勘違いして戴きたくないのは、決して私は子供ちゃんそのものが”嫌い”ではないということです。
    私自身、人間よりも着ぐるみやゴリさんの人形に近いと子どもたちからは好評で、小さい子には身体をジャングルジム代わりに遊ばれたりもしますし・・・
    子守も結構好きで、一緒に遊んだりも苦ではありません、が!問題なのは要は親の対応です。
    対応と言うより考え方なのでしょうね、騒いでる子供を注意した時の親の共通点は『子供だから騒ぐのしょうがないじゃなぃ・・・あなたも子供の頃があったのなら解るでしょ・・・』
    『ちょっと位騒いでいても許す位の寛容さが無いのかしら・・・』
    的なオーラを親が出すのです。
    確かに!子供に対しての寛容さは有りますが、『馬鹿親』に対しての寛容さは一欠片も有りません(キッパリ)・・・
    確かに私にも子供の頃は有りましたし、騒いで迷惑も沢山かけました、ですが大きく違うのはやはり”親”の対応でした。
    私の家なんぞ、男兄弟2人ですから、荒っぱしいことこの上もなく、騒いでいれば”問答無用”で母親若しくは父親のゲンゴツが頭に飛んできて終了でした。
    『やかましぃ!』『ゴツン!』まぁ当時はよく両親に叩かれたものです、最近巷に居る児童心理カウンセラーなどと称している方たち曰くは「幼少期の暴力的指導は心に傷をつける」
    などとまことしやかに言われますが、私らに言わせればチャンチャラ可笑しい、へそで茶を沸かす状態です。
    当然、愛のない暴力は”虐待”であり、行うべきもので無いことは言わずもがなですが、かと言ってそんな言葉を真に受けて親が子に遠慮するのは
    本末転倒であり、”躾”は学校の先生が行うものなどでは無く、絶対に『親』が行うもので、時に手を挙げてでも理解さす必要は有るのです。
    それが、本当の親としての責任であり社会という大海の荒波に出していくために必要なことなのです。
    ああ・・・またまた話が大きく逸れましたが・・・

    話を戻しますが、”この大騒ぎ親子たち”と遭遇した時に本当に驚いたのはこの後でした。周りにいた他の大人の方達が、口々に「本当に最近の母親は躾が成ってないよねぇ〜」
    「あんな子はロクなもんにならんよ!」などと口々に言っていました…
    その周囲の人達の親子に対するコメントを聞きつつ、何故だか次第に腹がたってきました・・・おいおい、ちょっと待ってよ・・・
    何であんたらこそ何にも言わないんだ!貴方たちも少なからず不快に思っていたのなら、何で声を上げて“止めなさい!”とか“降りなさい!”って子供や親に対して言えないのだろう!と

    確かにその親や子供は論外に悪いです、ですが!それを見て見ぬ振りをする周囲の良識ある大人達にも問題があるような気がします。
    確かに自分の所の子供や孫でも無いですし、娘でも無いかもしれません、ですが悪いことをすれば、叱る、解らなければ言って聞かすのが大人の役目だと思いますし、
    それをせずに遠巻きに眺めているのは知らないよりタチが悪いような気がします。

    私の幼少期の記憶に鮮明なのは近所のおじさんやおばさんが両親以上に怖かったということです。近所で遊んでいて悪いことをしようとでもしていれば、
    透かさず“こらぁああ!”って怒声がとんで、掴まろうものならばゴツン!って叩かれたりと、しかもその事が親の耳にでも入れば、親と一緒にそのおじさんの家に謝りに行ったりと、
    今の親なら逆に叩いたおじさんちに怒鳴り込みに行くと思います・・・

    それ位に昔は他人の子供だろうが、自分ちの子供だろうが分け隔て無く“間違ったことをすれば当然の如く叱る!”という“大人たち”が特別じゃなく普通にいたのです。
    多分!多分ですけどその当時にそのおじさん達に、何で他人の子供を叱ることが出来るのですか?って質問をすれば、即決で『間違ったことをすれば怒るのが当たり前だろう!』って言われると思います。

    そう、当たり前なのです、悪い事をすれば叱る!良いことをすれば褒める!この当たり前の“メリハリ”のある子育てが出来ていないからこそ、
    今の教育も含めておかしくなっているのではないでしょうか。
    全てにおいて子供が中心、食卓ですら子供が食べられるものを作り、大人用と子供用の食事を二種類作るアホな食卓・・・
    昔は食べられないなんて言おうものなら「じゃぁ 食べなくていい」って言われてとっとと片付けられたものです。

    親も子供も同じものを食べるからこそ“食卓”があり、会話があるから絆が生まれるというごくごく当たり前の構図が今や無くなりつつあるのが嘆かわしい限りです。
    今の子供達に言うと直ぐ“うざい”って言われそうですが、うざくてもいい!うざいのが本来、大人なんですから、
    子供の顔色見ながら遠慮してモノを言うのでは無くズケズケと言わなければならないことは言い『社会で育てる』という気持ちで子供達へ接して行ければ
    多少なりとも“モノの言える現代版頑固親父たち”の誕生となると思います。
    街のあちこちで、愛のある“教育的指導”がなされることを願って止まない怒り親父でした・・・

  • “喜怒哀楽” 喜ばしいぃマイ・ブーム

    人の感情を表す代表的な言葉に“喜怒哀楽”って言葉がありますが、残りの4日間を使って、今の私が感じている“喜怒哀楽”を表現してみたいと思います。ということで、本日は喜ばしい限りの『喜』でございます。

    この“喜”に関しては辞書で引くと、喜ばしい・めでたいなどと書いてありますので、“喜”は私のブログ恒例、私がここのところとっても喜んでいる、最近お気に入りの“マイ・ブーム”をご紹介したいと思います。

    マイ・ブームその(1)は私の中では今年NO.1であろうと思われるものですが、スタイルプラス・パワージューサーです。
    これって通販番組でもガンガン紹介されていますし、先日、ダウンタウンDX”家電芸人こと土田晃之氏も絶賛していたので、目にされた方もいらっしゃるのではと思います。
    早い話が、昔からある“ジューサー”なんですけどね・・・
    何故、今改めてお気に入りかと申しますと、今迄のジューサーに比べ優れている点が非常に多いのが、お気に入りの理由です。

    その1. 投入口が70mmと大きいので、材料を細かく切る必要が無く、面倒くさがりな私でも楽ちんである(ニンジンは丸ごとでも投入可能)

    その2. 従来のジューサーに比べ絞れる量が30%近く増えたとのこと最初は眉唾でしたが、実際に自宅にもう一台あるジューサーと比べると確かに絞れる量は増量している

    その3. 従来品よりまろやかな感じがして、センイっぽさが無く、すんなりと飲みやすい気がする

    その4. 絞りかすが綺麗に分かれるので、ニンジンなどは他の料理へ転用出来る(カレーの隠し味等々)

    その5. 掃除がとっても楽これ、地味な様で今回の機能の中でもかなり気に入っている部分でもあります、従来品は掃除に手間取ってイライラしてましたが、この商品は
         シンプルな工具で分解出来、掃除も簡単なので、かなりポイント高いです

    何でパワージューサー購入に至ったかって言うと、実行委員って先週の畠山先生のブログにもありました様に、毎月一度三浦先生のご厚意により、“レベルアップ勉強会(別名:One Heart Beat勉強会)”なるものを操体総本山・三茶で行っています。

    で、毎回合宿の如く前泊野郎4〜5人が夜遅くまで操体臨床とは是くあるべきだ!みたいな激論を交わしている訳ですが、
    毎回、三浦先生には気を使って戴いてお食事に連れて行って戴いたり、よぉ〜っし!みんなで風呂に行くぞ!みたいな乗りで、
    ホテルのユニットバスでは入った気がしないだろうと、三茶の銭湯に軍団でなだれ込んでいったりしています。
    その都度、三浦先生からは「福田ぁ又、痩せたなぁ・・・」と悲しげに言われ(当然の事ながら逆説ですが)、
    自分自身でもソロソロ身体を絞らなきゃと思い、『自称趣味ダイエット』の私ですので、今回は夜の食事をどうにかしてみようかと思っていたので、
    いっそ固形物をやめて果物・野菜類の『フレッシュ・ジュース』にしてみようと思い立ち、先ずは形から入ろうと思い、
    ジューサー購入となった訳です。何だかんだでかれこれ、1ヶ月半が過ぎました・・・

    今、私の夜の食事はニンジン一本夏みかん二個リンゴ一個バナナ一本ジュース生活となっております。
    え?結果はと申しますと、体重は今のところ4.5Kg減という感じですが、一番ビックリしているのは、
    やはり“お肌”ツルツル✧に成ってきたことでしょうか・・・
    普段でも野菜系が食事は多いと思っていたのですが、身体にとって悪いものを摂っているのですねぇ・・・
    肌に関しては、嫁にビックリされています。体調は頗る良いです・・・写真を撮っておけば良かったと今更ながら後悔です・・・

    マイ・ブームその(2)CSI以降久々にはまった海外ドラマで、仕事が終わってから眠い目を擦りつつ見た『DEXTER/デクスター 警察官は殺人鬼』です。
    個人的にドラマ大好きなのですが、日本のドラマの不甲斐なさに憤慨しつつ近年は海外ドラマに結構はまっています。
    ですが、海外ドラマって1Seasonで終了じゃなく、2・3・4って視聴率が良いと“24 Twenty Four”の様に果てしなく続いて行くシリーズもあります。
    一方では“4400”トゥルー・コーリングの様に折角見ていたのにも係わらず、本土での低視聴率が原因で急に打ち切りになったりと、何ともシビアで問答無用な感じが好きです・・・

    そんな中で今回の『DEXTER/デクスター』はちょっと異質のドラマで最初は微妙な感じで見ていたのですが、途中からはまり出し、
    気が付いたら一気にSeason3まで見てしまい、見終わった今となっては何だったんだろうと思う位に脱力状態に有ります。

    ネタバレになってしまうので、細かくは書きませんが、主人公はデクスター・モーガンというマイアミ警察・殺人課 血痕鑑識専門官が主人公で、
    昼は有能な分析官ですが、彼にはもう一つの顔があって、夜になると法律では裁けない悪人を自らの独自のルールに則って殺していくという、
    米国版“必殺仕事人”みたいな、いわゆる“ダーティー・ヒーロー”的な物語が進んでいきます。

    内容的には女性だと思わず目を背けたくなるような結構エグイ描写があるのですが、殺人鬼を主人公にしているので殺伐としたストーリーかと思いきや、
    ある事件がきっかけで、警察官であった義理の父親に育てられることとなった主人公の心の葛藤や義理の父親に対しての思いなどには、共感出来たり考えさせられたりします。
    腹が立つほど単細胞で自身とは対照的な義理の妹の存在や、味のある同僚との絡みなど、上手く描かれています。東洋人の同僚キャラが、
    うざくてスケベな設定にしてあるのが納得出来ませんでしたが・・・

    このドラマが何故に面白いのかを考えてみると、普通のドラマって普通の人が殺人鬼に成って行くプロセスを描いたりしますが、
    このドラマって殺人鬼が自身の正体を隠すために、普通の生活を装って行く内に、人間性を少しずつ取り戻して行き、更正するのかと思いきや・・・本質はと
    ザックリと内容を書いておりますが、自身の本質を見つめ直せるそんな一本になるかもしれません・・機会があれば是非、ご覧下さいまし・・・

    でも、考えたらドラマって”仮想疑似体験”出来る最高のモノだと思いませんか?主人公の気持ちになり、自分であったらどうするだろう・・とか或いは生き方すら変えてもらったり
    などなど、ドラマって気分転換のみならず、心豊かに出来得るアイテムの一つだと思いますので、暇を見つけて仮想体験しませんか・・・

    しかし、喜ばしいことが“ジューサー”“殺人鬼”って。。。どちらも細切れに粉砕するからって・・・お後が宜しい様で・・・

  • ツボ違いのヒーロー

    3日目です、相変わらずの飛道具第3段目です・・・
    え〜っと年代にもよりますが、皆さんの少年・少女時代のヒーローって何でしたか?
    ○○レンジャーとか○○仮面などなど枚挙に暇がないと思いますが、私のお坊ちゃま時代は明確で、先ずはウルトラマン系”に始まりライダーシリーズへと移行し、戦隊物前期で終了といったとこでしょうか。

    その第一期がウルトラQから始まったウルトラシリーズでした。
    ウルトラマンはさすがにリアルタイムで見た記憶は無く、再放で見たりしつつも好きで見てました。
    しかし、お坊ちゃまがちょいとツボが違うのはウルトラマンそのもの好きだったのですが、それ以上に好きだったのがウルトラマンや怪獣が壊すミニチュアの数々でした。
    何とかデパートが壊れたり、下町の民家をロー・アングルから撮影し、それらが破壊され、吹き飛ばされる様を見て子供心にワクワクして見たものです。
    ですから第一次少年期就職したい企業NO.1は円谷プロでした(もっともミニチュア制作等は別会社なのでその時点でお子ちゃまの夢ですが)。

    ですから小学校低学年の頃はもっぱらミニチュア作りを趣味としておりました。最初はマッチ箱を材料に作り始め、徐々に材料も理解しだして、バルサ材とか竹籤、厚紙などを用いて自宅を作ったり
    壊すための小学校(爆)を作ったりもしました。最後の頃は電飾まで作り、ミニチュアの家の中が灯りで光るような仕掛けも作っていました・・・
    最後は爆竹で大爆発をさせて終了みたいな結末でしたが。。。

    そんな手工芸、円谷プロ職人から卒業するきっかけを作ってくれたのが、仮面ライダーでした!
    これはもう、同世代の男連中で夢中に成らなかった奴は一人として居ませんでした!街角にはやたら「とぅ〜!」とか「ライダー・ジャァンプ!」などなど様々なライダーが誕生していました。
    母親の柄付きのスカーフを首に巻きつつ(バラの模様だったような・・・)、長靴を緑色の絵の具で塗ろうとして、水性絵の具で塗れる訳がねぇじゃん!って今なら突っ込む所が、真剣に塗ろうとして量が足りずに人の絵の具までを使って塗ったりと、まぁ色々やりましたねぇ・・・

    ここでも私がツボ違いで私が最初こそ夢中に成ったのがライダーの方だったのですが、最終的には『ショッカー』が大好きに成ってました。

    何が好きかって、あのやられっぷりの見事さでした。仮面ライダーの格好良さを更に引き立たせる、やられっぷり!「キキィ!」っていう妙な叫び声と共に後ろを振り返ることも無く断崖絶壁へと落ちていく、背中で語るやられの美学とでも言いましょうか、その格好良さに目を奪われ、本当に憧れました。
    それからというもの、小学校の体育館にあったセーフティー・マットを床に引き、高さ数メートルの所から「キキィ!」っていう叫び声をあげつつ落下するという練習を毎日のようにやっていました。
    時にはマットを外れ背中から床に落ち、一人呼吸が出来ずに悶絶したり、バク転の練習をしてて首から落ちたり、まあよくも骨折しなかったものと今更の様に感心し、丈夫に生んでくれた母に感謝です。

    そのお陰?で小学校五年生の時には郡の体操競技会に出ることとなり、マット、跳び箱、鉄棒で一位になり総合優勝という輝かしい実績を掴むことが出来ました・・・
    恐るべしショッカー戦闘員。。。

    このショッカー戦闘員を演じていたのが、私のリスペクトするJJサニー千葉こと千葉真一大先生JAC(Japan Action Club ジャパン・アクション・クラブ)と言いたかったのですが、仮面ライダーでの主なスタントはあの伝説的殺陣集団、大野剣友会のお仕事だったのです。
    当然の事ながら大野剣友会の事は知らず、勝手に千葉治郎千葉大先生の実弟)が仮面ライダーに出てたから、JACだろう等と安易な発想で、子供心に将来はJACと心に決めて、高校生の卒業時までその夢は持ち続けていました。
    結局は学校卒業時に就職した会社とJACの二次試験の日がダブってしまい、母親の説得により断念してしまったんですけどぇ・・・
    ひょっとしたら日本一のやられ役は私になっていたかもしれません・・・

    この内容書き出したらこのネタだけで一週間終わりそうなので、このヘンで仕舞いにしときますが、何が言いたかったって、何か昔のヒーロー物ってテーマが明確だった様な気がしませんか?
    勧善懲悪も然る事ながら、もっと奥深いテーマだったり、子供心にミョーに考えさせられたりと、改めて今見ても特にウルトラセブンなんて深すぎて見終わったときに「う〜ん・・・」などと唸ってしまいます。

    第6話 「ダーク・ゾーン」に出てきたペガッサ星人とセブンであるモロボシ・ダンのやりとりなど見ていると地球人が正義なのか宇宙人が本当に悪なのか考えさせられ、
    これらは今の世界にもある人種偏見や差別にも繋がる部分があり、ウルトラシリーズの中でもセブンの好き嫌いがハッキリ分かれる理由でも有るのですが、再度、見ると結構いけますよ・・・

    ウルトラシリーズには地球人では無いのに地球の平和のために命をかけて必死で戦うその、見返りを求めない姿!男たるもの正義に対して見返りなんぞ求めたらあかんぞ!という無言の訴えの様です・・・

    仮面ライダーでは一般人が何の落ち度も無いのに、悪の組織に拉致られこれまた勝手に虫のお友達に改造され、それでも文句を言わずに悪の仲間に成らずに正義を貫く姿など、
    周りの環境に左右されちゃ駄目だ!人として真っ直ぐ生きろ!と不良少年へのメッセージの如くに見えますし。。。

    バロムワンなどという私の好きなヒーロー物に至っては人は一人では生きていけない!大事なのは友達なんだぞ!
    友情だぞ!と言うやや押し売り的、強引な位の強いメッセージがあり、ただ変身さすのでは友情のありがたみが解らないから、お互い(この物語は主人公が二人の少年で・・)
    心の友情メーターが満タンに成らないと変身出来る条件が満たされないといった、これ又何と不条理な!条件設定を満たすことでのみ変身出来るという、
    ややサディスティック的素晴らしい異色の変身物ヒーローです。

    そして更に坊ちゃま番組は進化を遂げ、友達は一人より多い方が更に素晴らしいぞ!皆の力を併せれば恐れる事なんて何もない的な、チームワーク的友情を子供にアピールしたのが、
    戦隊物の金字塔秘密戦隊ゴレンジャーでした。

    これ初回放送が1975年ですから私が10歳ですので、ドストライクではまったのを覚えています。♪バンバラバンバンバン♪って歌を歌いつつ・・・
    これなんて今考えると、キャラ設定が明らかに科学忍者隊ガッチャマンとダブりますし、特に五号のみみずくの竜とキレンジャーなど体型までソックリだったりして・・・
    この番組が私のヒーロー物最終章だった様な気がします・・・

    ですが、悲しいかな今の子どもたちが見ているヒーロー物ってどうでしょう?
    と言っても私の家にヒーロー物に該当するお坊ちゃまが居ないので、リサーチに多少の説得力は欠けますが、明確なメッセージ性が弱い様な気がします・・・
    私らのお坊ちゃま時代のテーマと言えば、男ならこう生きろ!的力強さがテーマの根底にあり、そこには勢いの様なモノが感じられていました。

    現在がその当時と大きく変化した事と言えば、平成21年現在のヒーロー物世代に訪ねても二極化することです。
    我々世代はヒーローと言えば!と訪ねられれば、即座に仮面ライダーやらウルトラマンが出てきたものです。
    時にはアオレンジャーアカレンジャーなどヒーローのタイプによって好き嫌いはあっても、お坊ちゃま方の話題は統一見解だったような気がします。

    しかし悲しいかな、今の子どもたちに聞くとAちゃんはアンパンマンやらBちゃんはピカチュウやら何だか芸風の変化が激しく、私には理解不能な世界ですし・・・

    ヒーローがおじさんに頭焼いてもらっちゃ駄目だろう・・・と呟いてみたり・・
    ヒーローが○○チューってショッカー戦闘員に近い声出しちゃ駄目でしょ・・・
    などなど、おおよそ私らの考えるヒーローとはかけ離れたヒーローが沢山誕生していらっしゃいました。
    価値観の多様化が進んでいるから当たり前でしょなんて言われても、何だかブルーになるのは私だけでしょうか・・・

    ある若いお母さんの話を聞いたのですが、子どもたちが今の仮面ライダーを見てても、怪人などとの闘いのシーンになるとアタフタとテレビを消したり、チャンネルを変えたりするのだそうです。
    幼稚園でもいわゆる昔の子供的に「○○チョーープ!」なんてふざけながら友達を小突いたりすると、
    小突かれた子は涙ぐんで何も出来ず、遊んでた子は乱暴者のレッテルを貼られ、嫌われちゃうのだそうです。
    ある幼稚園ではヒーローごっこは禁止!って規則で決まっているのだそうです。。。

    あ〜ぁ 何て不条理な世の中・・・
    チョップで小突かれたら「ケケィイイ!」などと叫びつつ、もんどり打って倒れてみせるとか、一言二言悪人らしい台詞を言ってみるとか、
    その位の機転を利かして欲しいものです(それがポイントでは無いのですが)・・・

    僕らがお坊ちゃまの時代に悪は懲らしめなきゃいけない!悪を見過ごしてはいけない!というのをヒーロー物で学んできたので、
    クラスでイジメが有れば何人かは「○○君!そんなことやったら駄目だよぉ!」などといじめっ子を取り締まる“正義の味方”が居たのです!
    それってヒーロー物の相乗効果だったような気がします。「悪の栄えたためしは無い!」何て台詞言いながら・・・

    美空ひばり石原裕次郎山口百恵・・・ヒーローに限らず時代の寵児とも言うべき“スーパースター”“スーパーアイドル”が不在となって久しい昨今です、時代を大きく牽引してくれる本当の“HERO”を時代は待っているのかもしれません。