投稿者: karib_sotai

  • 六日目

    なぜ、からだと心が病むのか。

    自己の無意識にからだの無意識が反応するからである。

     

    へんなかっこう。

     

  • 五日目

    怒りとは、自己の無意識に存在する反応である。

     

  • 四日目

    生涯の学問を得ることは、最高の鉱脈を掘り当てたということだ。

    ぺろっと舌出し。

     

  • 三日目

    人生の主人公よ、

    おのれにまどわされるな。

    迷いは、怖れである。

    8月15日で12歳になりました。ちびちゃん@小十郎

     

  • 二日目

    16年、20年たらづでは、まだ人生は時の花である。

    真の花が咲くのはそれから先のことである。

    生涯づづく真の花を生み出していくことだ

     

  • 一日目

    近頃は終日の猛暑が続く。

    脳とからだと心が暑さの中で、蒸されているようである。

    お盆も過ぎてご先祖さまに手を合わせ、供養する。

    自分が生かされ生きている。この命にも手を合わせる。

    このこともご先祖様に対する供養である。

    私はこの酷暑のなかで、日々元気に過ごしている。

    お陰様で日々の学びは忘れていない。

    日誌も欠かさずつけている。

    悦境の境地をつかむこと。

     

  • 想だよ(7)

    久しぶりに会った人から
    「寝る前に一人反省会をしちゃって、全然眠れない」という話を聞きました。
     
    私も、よせばいいのに(笑)
    「ヘミシンクの『Sleep Deep』でも聞く?」と、データを送りましたが、データをDLしたような気配はありません。
     
    多分、この人は「寝る前に一人反省会とかして、ぐるぐるアタマの中を混乱させて、眠れなくて辛い」という状況から抜け出したくないんです。
     
    「悩んでいる私」が好きなんですね。
     
    また、別の人からは
     
    「気になる人に『今度食事でも』って言われたんだけど、まだ誘われない。私って嫌われたのかな」という話を聞きました。
     
    「う~ん。それって、社交辞令じゃない?」と言ったら、「えっ」と驚かれました。
     
    大人なら、名刺交換して社交辞令をの1つも言ったりしますよね。
     
    名刺交換して、すぐに
    「健康にいい水があるんですが、説明するから行ってもいいですか」
    と言われたりすると
    「なんだ、営業か」と思ったりしますけどね。
     
    その人はとっても真面目なので、多分気になる人の言葉を間に受けちゃったんです。
     
    「今度食事でも」とか「今度飲みに行きましょう」っていうのは、関係を繋ぐよい意味での社交辞令ですよね。
     
    この時点で、社交辞令を言った人は「なんとも思ってない」のが正解です。
     
    もし「この人とお付き合いしたい」と思えば、会った後に「ご飯行きませんか」と、お誘いがあるハズです。
     
    もし、もう一度会いたかったら、あなたから声をかけましょう。
     
     
    今週も一週間ありがとうございました。
     
    明日からは三浦寛先生です。
  • 「想」について大事なことは(6)

    「想」について大事なことは、操体から教わった、というのがタイトルなんですが、長いので端折りました。
    すみません。
     
    「想」について大事なことは、なんて、エラそうですよね。
    エラそうですみません。
     
     
    私のことですごく恐縮なんですが、子供の頃から「勝ち負け」とか「他人と比べる」(まあ、親が姉妹に差別をするのは
    体感していましたが、差別した当事者は、否定するものです)ということには、あまり関心がなかったことは、操体に興味をもった理由の1つかもしれません。
     
    ひとつ印象的なことを思い出しました。
    私がまだ第二分析を学ぶ前、第一分析(と、D1′)をやっていたころの話です。
    あるクライアントがやってきて、福島で操体をうけていた、というのです。
    その時の話を聞くと
    ・その方は「どちらが楽か辛いか聞かれてもわからない」(もしかすると、どちらがきもちいいかと聞かれていたのかもしれません)
     
    とのことで、先生が膝を左右に倒してくれて「こっちはよく倒れるからお利口さん。こっちはよく倒れないからおバカさん」だと言ったのだそうです
     
    当時の私はなぜか「倒れない方がおバカさん」と、曲がりなりにも操体指導者が言ったことに憤慨しました(笑)。
     
    似たような事例で、被験者を仰臥位にして、膝を腹部に引き込んで股関節の動きを見て、
     
    「こっちの股関節が悪い」と言った治療家の言葉を聞いた時も、イラッとしました(笑)
     
    あ、今は多少成長したので、イラッとはしません(笑)
     
    つまり、可動域が少ない、イコール「悪い」のではない、ということが、操体を勉強していて、なんとなく体感していたのだと思います。
  • 縦軸と横軸(5)

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    ★ポップな表紙とイラストに惑わされてはいけません。

    真面目な人はこれに惑わされます。というかそれを狙ってるのかも?

    今年二番目くらいに衝撃的だった本です。

     
    1.地に足がついた、普通の人間として、縦のライン(天に繋がる)と、横のライン(地に足が着く)のバランスが取れた人間として、生を全うする
    2.ニーチェのように、魂は宇宙に残したままで、肉体はこの世にのこり(ニーチェはいわゆる発狂した状態になりました)、
    廃人のような状態になる
    3.若い時、幼い時に宇宙や地球の秘密をしってしまうと、早逝することがある
     
    おおよそ3つに分けられるのではないでしょうか。
     
    先日の「右脳覚醒」した方は「1」のパターンかと思います。
    悟っても、覚醒しても、魂は宇宙においたままにせず、地球に戻ってくる。
     
    世の中には、いわゆる「思考が消えた」とか「悟った」という人は結構いるみたいですが、そういう人ほど、静かに暮らしているという説もあります。
     
    と言う私も以前「自分は悟った」と言っている「どうみてもウソだろう」という人に関わったことがありまして、
    (その人に「操体は難しいから女には無理だ」と言われた→理由はともあれ衝撃的すぎて絶対忘れない)
     
    本当に悟った人は簡単に言わないものなんだよね、と思いました。
     
     
  • 縦軸と横軸(4)

    2000年頃でしょうか。
    三浦先生の治療室に若い男性がやって来ました。
    私も同席していていいいよ、ということで少し離れて聞いていました。
     
    その若い男性は、図書館で借りたと思われる(図書館の蔵書シールが貼ってあった)「操体法治療室」を持っていて、
    「至高体験がしたいんです」と言いました。
     
    1995年の地下鉄サリン事件以後、世の中からスピリチュアル的なものや、めい想的なものが、メディアから一掃されました。
    私は1995年辺りは太極拳をやっていましたが、何も知らない同僚(ヨガも太極拳も一緒だと思っている、損得勘定で生きているような人)からは「太極拳やってるなんて、ヨガとか大丈夫なの」と、全く訳の分からない疑惑をかけられたのを思い出します。
    っていうか「ドアホ!太極拳とヨガは違うわい!」「東洋(ヨガは東洋じゃなくてインドだぞ)でくくるな!」と言いたいんですけどね。
     
    当時はやっと「スピリチュアル的」「精神世界的」なことが戻って来た頃です。
    その青年は「操体法治療室」にある「快」についての記載を読んで「操体をうけると至高体験ができる」と思ったのかもしれません。
    あ、できますよ。