投稿者: karib_sotai

  •  Sotai Forum 2013 Valencia(その2)

    一昨日のブログで「ビジネスネーム」という言葉を使いましたが
    芸名や源氏名も含まれます。
    なお、親からもらった名前が嫌いなワケではありませんので(笑)。

    2010年、最初にマドリッドでフォーラムを行った際、
    分かっていたけれど、スペインの人達の
    「なんで?」攻撃にはすこしうんざりしました。

    「天然自然の法則だ!」
    「そうなってんだ!」
    「生命は快に従うんだってばさ」というのが通じないのです(笑)。

    “Don’t Think, Feeeel!!!!”
    燃えよドラゴン」の「考えるな、皮膚で感じろ」(筆者訳)
    も、分かる人には分かったようですが。

    また、スペインの多くの方の特徴として、反復練習や、基礎訓練がキライだとも聞きました。
    これは、典型的大脳優位な状態です。
    最近日本にも多いような気がしますが・・。

    大脳は反復練習を嫌い、「なんで?なんで?どうして?」と
    聞くのが好きなのです。

    脳の働きについて、大脳、小脳、脳幹について解説した内藤景代先生のKindle本。

    操体はじめ、武術などは小脳の「反復練習」によって上手くなっていきます。
    その結果、意識しなくても、からだが動く、ようになってくるのです。

    操体はからだを使う、いわゆる武術的な鍛錬(作法の体得)を行います。
    操者のパフォーマンス向上、疲れにくく運動効率が良い、
    心身の平静を保つ、フォームが美しい、など、また全ての芸事、
    身体運動系の動作に役立つ作法でもあります。

    最初は「足は腰幅(骨盤の幅が、足の内側のラインに入る幅)」
    つま先はかかとと平行に、利き手と反対の足を半歩前に、つま先を
    少し内側に向けて出す。骨盤を定位に戻す。
    膝のちからを「ほっ」と抜く(おしりの力を抜く、でもいい)。
    背筋を伸ばし、目線は正面の一点に据える。腰は反らない。

    これが、自然体立位の定義です。
    武術などはそうですが、基本的につま先は外を向きません。
    が、慣れていないと、何か動きを行った後に、つま先が外側を
    向いてしまっていることがあります。

    これも、慣れです。
    慣れるとできるようになります。小脳の学習です。

    先の本に書いてありました。
    「50の手習い」というコトバがあります。
    北野武さんは、50歳過ぎてから(60だったか?)、ピアノが
    弾きたくて、トライしたそうです。
    本来操体や手技療法、職人ワザは、始めるのは早ければ早いほど
    いいのです。
    が、反復練習である稽古(ピアノの練習とか,操体の作法の練習とか、
    からだを使う、小脳の範疇)を、大脳(反復練習嫌い)が、目的を明確に
    して、小脳の「地道な反復練習」をバカにしなければ、うまくいくそうです。

    操体法東京研究会の講習では、
    「できない」とか「むずかしい」は禁句です。
    これは、大脳が小脳にストップをかけているのです。
    さらに発した言葉は、自分に一番影響を与えますが、まるで副流煙
    ように、周囲の受講生にも迷惑をかけます。

    また、長年の癖を直す必要があることもあります。
    正座する際、手のひらは上を向けてそけい部に置くとか(肩の
    緊張が抜ける)、足趾の操法では、拇指の第一関節が曲がるように
    練習するとか。

    これを「長年やってきたから今更直せない」とか
    「指が曲がらないから無理」という返事を聞くことがありますが、
    それは「ちょっと待った」です。
    この二つは、どちらも、操者がからだを壊さないため、または、
    最大の効果をあげるコツでもあります。

    7月15日(月)海の日千駄ヶ谷津田ホールにて「操体マンダラ 2013」(仮)を
    開催致します。三浦寛による操体イリュージョンの世界をお楽しみ下さい。
    お問い合わせは[http://www.teizan.com:title=TEI-ZAN操体医科学研究所

  •  Sotai Forum 2013 Valencia(その1)

    昨日ブログを読んだ方から、「俳号は何て読むのか」という
    質問がありました。リンクを読んでいただければ詳細が書いてありますが、
    あれは「序萃」と書いて「じょすい」と読みます。

    スペインでのフォーラムの話を少々。

    現在、スペインでは浪越ヨーロッパ(指圧)の皆さんが中心となって、
    操体をやっています。現浪越ヨーロッパの代表、小野田茂先生が、指圧
    学校の学生時代、三浦先生の定期講習(現操体法東京研究会)に参加し、
    操体の考え方に深く魅せられ、それをヨーロッパに持っていったという
    のが、始まりです。

    私も、数年前まで、ヨーロッパでそんなに操体の名前が知られてるとは
    知りませんでしたが、スペインで指圧のライセンスを取るには、操体
    単位もあると聞いています。

    現在のスペインですが、奥さんが日本人で、夏休みに二週間程度来日し、
    某N先生(三浦先生の教え子でもありますが、三浦先生より年配)の
    ところで「○○操体」を習い、スペインで「自分こそはヨーロッパの正統な
    操体の後継者」だと名乗っているヒト(小野田先生曰く『海賊君』が
    いるんだそうです。

    私も以前、スペインの指圧関係の方から「彼(海賊君)は、N先生の
    名字を名乗っているが、彼は本当にN先生の息子なのか?」と、
    聞かれたこともあります。

    まあ、日本にはわからないだろう、とたかをくくっているのでしょうが、
    今は情報が世界ベースで入ってきます。

    そういうのは、バレます。

    面白いのは、三浦先生がマドリッドバレンシアでセミナーをやる、という
    ことは、海賊君も知っているハズなのですが、そういう場には絶対来ない
    のです。

    うしろめたいのか、それとも自分の受講生に「二週間で習ったインチキ」が
    バレるのがこわいのか。

    多分両方でしょう。これは日本の「和製海賊さん」たちも似ています。

    三浦先生や私達がスペイン及びヨーロッパに行って、橋本敬三先生直系の
    操体を披露するということは、思っているより、人々にインパクトを与えて
    いるようです。

    セミナー二日目、私が一般、操体初心者を指導している時、
    質問がありました。

    「子供はゆっくり動けないけど、どうすればいいですか?」という
    質問がありました。会場には赤ちゃんがいたので「クスグリ」をやりました。
    実技指導ではこれが何故か?
    大受けでした・・・。


    指導中の畠山。隣は通訳をつとめてくれたダイゴ君。

    「クスグリ」は「万病を治せる妙療法」に載っていますが、
    実際やってみてもイマイチ・・・という話を聞いたので、
    「やってみて」と、やっていただいたら、違うことをやっていました。
    これでは赤ちゃんがキクキクとからだを動かすわけがありません。

    本とイラストで伝える(受け取る相手のスキルと想像力もありますが)
    難しさを改めて感じました。

    あれ「クスグリ」と書いてありますが、コチョコチョくすぐっている
    わけじゃないんです。。。

    知りたい方は、私のところへどうぞ(笑)。
    コツを伝授いたします。

    7月15日(月)海の日千駄ヶ谷津田ホールにて「操体マンダラ 2013」(仮)を
    開催致します。三浦寛による操体イリュージョンの世界をお楽しみ下さい。
    お問い合わせはTEI-ZAN操体医科学研究所まで

  •  芸名俳号ビジネスネーム。

    こんにちは。畠山です。一週間よろしくお願い致します。

    5月1日から11日まで、スペインとトルコに行ってきました。
    5月4日、5日の二日間、バレンシアで”Sotai Forum 2013 Valencia“が開催されたためです。

    ヨーロッパや海外の方は、ミドルネームを持っている場合が多いですよね。
    スペインでは、女性はマリアさん(大抵 マリア・ナントカ・名字、みたいな
    感じ)が多いようで、男性はフリオさんが多かったような気がします。


    全員集合!
    フリオさんとかアントニオさんとか、ホセさんとか・・

    国際結婚とかも増えているし、私は夫婦別姓には賛成なので、日本もミドル
    ネームを認めればいいのに、と思ったりします。

    武士はミドルネーム(というのか??)を持っていましたよね??

    伊達政宗公は「伊達藤次郎政宗」とか。義経公は「源九郎義経」とか。
    (長くなるのでやめておきます)

    あと、梵天丸(政宗公)とか牛若丸(義経公)とか、幼名があるのも
    面白いところです。今の日本でも幼名から大人の名前に変わるという
    セレモニーがあれば、もう少し大人としてのケジメがつくんじゃないか?
    と思ったりします。

    江戸時代の吉原の遊女も名前が変わります。
    特に「禿立ち」と言って、幼いころから禿として姉女郎の世話をし、
    ゆくゆくは花魁になる子供です。

    さくらん

    さくらん

    これは安野モヨコさんのコミックで、後映画化されていますが、
    禿の時は「とめき」(禿は禿だとわかるように、髪の毛を剃ったりして
    独特の髪型をしています)
    引き込み(禿の中でも7,8歳で「将来美人になる!」と見込まれた禿
    の時は「おりん」
    新造(水揚げ前の若い女郎のこと)の時は「きよ葉」
    花魁になってからは「日暮」
    というように、出世次第で名前が変わります。

    そういえば、噺家も名前が変わりますね。
    二ツ目から真打昇進の時です。
    歌舞伎のように襲名することもあります。

    ちなみに、三浦先生のお猫で、私が乳母と教育係を担当している
    小十郎君は、「小十郎景綱ジョン・ランボー」という名前です。
    私は「小十郎」と呼び、先生は「ランボー」と呼んでいます。


    最近の小十郎。

    ところで

    あれ?畠山って「裕美」じゃなかったっけ?とお思いの方もいらっしゃるかと
    思いますが、あまり気にしないで下さい(笑)。

    昨年春、松岡正剛先生に、俳句も詠まないのに俳号をいただいており、
    そちらも使うことにしました。詳細はこちらをご覧下さい。 「序萃(じょすい)」と読みます。

    他にと言えば、私は師匠から一文字頂いて「美寛」というのもあり、
    昨年師範代の証号を頂いた際に「敬裕」という、橋本敬三先生の一文字を頂いた
    のもあります。

    あとは、ヨーロッパなどで使う横文字の名前をどうしようかと(笑)。
    私の昔の上司は、マサオさんでしたが、名刺の英語面にはMikeと書いて
    ありました。友人の貴子さんは、アメリカでTinaと呼ばれていたそうな。

    そういえば、時代劇などを見ると、江戸時代の医者は何だか医者っぽい名前
    (勿論ビジネスネームに違いない)です。ナントカ庵先生とか。

    橋本敬三先生のことを「おんころや」と言う方もいらっしゃいますが、
    あれは「温古堂爺」(爺さんの「爺」は「や」とも読む)で、
    いわゆる「通り名」みたいなものなのでしょう。

    7月15日(月)海の日千駄ヶ谷津田ホールにて「操体マンダラ 2013」(仮)を
    開催致します。三浦寛による操体イリュージョンの世界をお楽しみ下さい。
    お問い合わせはTEI-ZAN操体医科学研究所まで

  • そいつとそれ おまけ

    こないだ道を歩いていたらエンエンと泣いている女の子がいました。

    どうやらどこかにアタマをぶつけたらしいです。

    お母さんが一緒にいたのですが、お母さんは自分のことにお忙しいようで、

    「しょうがないでしょ!」と大きな声を出して適当に?対応しております。

    そのとき、その女の子は「アタマから血が出ればよかった!」と一言。

    もしかしたらアタマ以外のところも痛かったのかもしれませんネ。

    いきなりですが昭和の天才療術家といわれる野口晴哉先生の言葉にこんなのがありました。

    「〜 いくらレントゲンで写しても、切り開いて見ても、

    借金も、失意も、嫉妬も見つからないよ。重要なのはそういうことなんだ 〜」

    (『朴歯の下駄』 全生社 / 『回想の野口晴哉』 ちくま文庫 / 野口昭子 著 より)

    う〜ん、そういうことなんですねぇ。

    泣いていた女の子がホントはどこが痛かったのかは、

    きっとレントゲンで写してもわからないんでしょう。

    そういった痛みまで抱えた患者さんが治療所に来るわけですから、

    目に見える部分へ「刺激」を与えるだけじゃ間に合わなくなっちまうってことにもなりかねません。

    うむむ、こりゃ「足の長さがそろったワ♪」なんて喜んでる場合じゃありませんぜ。

    ちなみに野口先生の『健康の自然法』(整体協会出版部)という著書には、

    「〜 (触手療法は)紙一枚出し入れできる程度の接触が理想で 〜」と書かれております。

    触手療法の詳しいことはよくわかりませんが、「接触」ってところが何だか面白いです。

    ところで何で野口先生にご登場いただいたかというと、

    野口先生は『臨済録』を愛読されていたそうだからです。

    どんなふうに読み解いていたのかちょっと気になりますが、

    まぁヒヨコちゃんのパラパラ読みとは違うということだけは確実ですネ。

    一週間ありがとうございました。来週は畠山先生です。

    中谷之美

  • そいつとそれ その6

    いつだったか壁に鳥居に似せた絵を書いたり、鳥居に似せた物を置いたりしたら、

    立小便やゴミの放置に役立ったとTVでみたことがあります。

    ウマイこと考えましたよねぇ。

    さすがに鳥居に向って小便はできませんから。

    え?なぜかって?なぜってそうだからですヨ。

    橋本先生の言葉をお借りすれば「そうなってんだ!」ってところかな。

    「〜 お前たちの目前にはっきりと存在し、これという形は無いが、

    自ら明らかにその存在を意識しているもの 〜」。

    臨済録』にこうありましたが、そいつ が何だかワタシにはわかりません。

    でも、鳥居に小便ができないように目に見えなくても何となく意識せざるを得ないものってありますよネ。

    操体とは「わけがわかるってことだ」と教わりましたが、

    目に見えるものから目に見えないものまで、

    わかってるようでわからないことっていっぱいあります。

    でも、そのわけさえわかれば今までの非常識が常識に変わっちゃうかもしれません。

    操体(橋本哲学)にも「太極の意志」「第七の天」というような

    見えるものから見えないものまでの考え方がありますが(参考に 第七の天と太極の意志 をどうぞ)

    そうした視点からモノゴトを捉えると「楽」と「快」や「刺激」と「接触」なども

    当たり前なものとして理解できるようになってくるようです。

    でも、その理解もアタマでわかったってだけじゃダメなのかもしれません。

    それはきっとわかったつもりになってるだけかもしれませんから。

    わかるってことは、それ を理解して、そいつ が理解するってことなんじゃないかとワタシは思うんです。

    そうでないと、いつか化けの皮が剥がれてしまう・・・

    え?オマエの皮も剥がれてるですって?あなたスルドイですわネ。

    まぁ支離滅裂なヒヨコちゃんのたわごとですので、ご勘弁下さい。

    一応つづく

    中谷之美

  • そいつとそれ その5

    まいど往生中のヒヨコちゃんなんですが、

    往生させてくれるような先生がいるということは大変ありがたいことなのかもしれません。

    そして往生中は妄想もどんどん広がります。

    ところで、そもそも操体(法)には

    「刺激」という概念がないというのはどういうことなんでしょうか?

    そこで「刺激」の意味を調べてみると・・・

    1)生体に作用してなんらかの現象や反応を起こさせること。

      特に知覚感覚に作用して反応を起こさせること。またその原因となるもの。

    2)物事の働きを活発にさせるきっかけとして、外から作用すること。また、そのもの。

      (デジタル大辞泉より)

    なるほどなるほど。

    「刺激」ってのは外から作用して生体になんらかの反応を起こさせることなんですネ。

    そう考えるとやっぱり三浦先生の言われる通り、操体には「刺激」って概念はないかもしれません。

    だって操体はからだにききわけるもの。外からではなく内への問いかけなんですから。

    それに操体法は治療的な要素も持ち合わせますが、治療(法)ではないんです。

    治療(法)ということであれば「刺激」はピッタリなんですが、

    そうでないとなるとやっぱり「刺激」というキーワードはしっくりときませんネ。

    では「接触」ってどんな意味なんでしょう?

    1)近づいて触れること。触れ合うこと。

    2)他の人と交渉を持つこと。

    近づいたり、触れ合ったり、交渉を持ったり・・・

    う〜む、「刺激」が何となく一方通行的な感じがするのに対して、

    「接触」は何かと繋がりを持とうとするような感じがしないでもありませんナ。

    もしかしたら操体法の皮膚へのアプローチは

    皮膚を通して何かと繋がろうという意味合いもあるのかな?なんて気もしちゃいます。

    外から一方的に「刺激」を与えて生体を反応させようとするのではなくて、

    皮膚への「接触」によりからだの内と繋がって

    生体の力が自然に働けるように手助けをしてあげる。

    皮膚へのアプローチってそんな感じなのかもしれません。

    つまり、「接触」ってのは何かと繋がるために行う手だての1つであって、

    「軽く」とか「強く」とか、「触れる」とか「触れない」とか、

    そんなことはたぶんあんまり関係ない。

    「接触」という意識の問題であって、三浦先生はそういうことを教えてくれたのかもしれません。

    だとしたら指圧も何も関係ありませんよネ。技術・テクニック的なことではないんですから。

    では「接触」により一体何と繋がるんでしょう?

    もしかしたら そいつそれ と繋がるんではないかな?

    そして、もしかしたら それ操体(法)の本来の姿なんでないかな?

    なんてヒヨコちゃんはどんどん妄想しております。

    つづく

    中谷之美

  • そいつとそれ その4

    操体(法)にはいくつかの大事なキーワードがあります。

    まずは「楽」と「快」。ふんふん、操体(法)の屋台骨ですナ。

    そして「救い」と「報い」。なるほど、橋本哲学の中軸と言えます。

    さらには「刺激」と「接触」。うむむ、これも見逃せないポイントです。

    三浦先生は主に皮膚へのアプローチ(渦状波)において

    「接触」という表現を用いられますが、そもそもなんで「接触」なんでしょうか?

    その理由の1つは著書である『皮膚からのメッセージ』(たにぐち書店)にこう書かれています。

    「〜 それは操体法の原則を貫くことにあった。

    操体法の臨床には刺激という観点、概念がないのである。

    元々刺激を根底にした問いかけがないのである 〜」。

    これはいきなりトドメを刺されるような言葉です。

    つまり操体では何をするにしても「刺激」という概念がないんですネ。

    そこからスタートしているわけですから、三浦先生にしてみればきっと

    「刺激」と「接触」を並べること自体が?ということなのかもしれません。

    もちろん実際の臨床においても「刺激」と「接触」の違いは大いにあるわけで、

    そうした違いによる生体への反応も同書に書かれております。

    操体を学ばれる方はぜひ読んでみていただきたい本の1つなのですが、

    この「接触」についてはワタシもいろいろと考えさせられたことがあるんです。

    操体法の皮膚へのアプローチは「刺激」にならない「接触」によって行われます。

    実際にうけたことのある方ならわかると思いますが、その「接触」はごくごく軽いものです。

    そこで普通に考えたら「そうか、軽く触れてるから接触なのネ」なんて安易に思っちゃうところなんですが、

    それだけではちょっと納まりきれない部分もあるようなんです。

    なぜならワタシは指圧をやりますが、

    その指圧に対しても三浦先生は「接触だ!」と教えてくれたんです。

    「え゛ぇ!指圧って押(圧)すじゃん!」。

    ヒヨコちゃんは、またまた往生です。

    つづく

    中谷之美

  • そいつとそれ その3

    ドイツ人の哲学者にオイゲン・ヘリゲルさんという方がいらっしゃいます。

    ご存じの方も多いと思いますが、ヘリゲルさんは日本の弓術について紹介した本を出した方です。

    (『日本の弓術』 岩波文庫 / 『弓と禅』 福村出版 など)

    弓術を通して日本の精神文化について学んでいく過程をまとまたものですが、

    この弓の師範がまた難解なことをおっしゃるわけです。

    「力で弓を引こうとしてはいけません」。

    「的に当てようとしてはいけません」。

    しまいには「あなたが矢を射るのではありません!」。

    往生したヘリゲルさんはたまらず「私が射らないで誰が射るの?」と質問します。

    すると師範は「 それ が射るのです」と答えます。

    ふむふむ、『臨済録』の そいつ に続いてまたでましたねぇ。

    それ って一体なんですか?

    もちろんヘリゲルさんだって同じ質問をしましたヨ。

    そしたら師範は「ひとたびこれがお分かりになった暁には、あなたはもはや私を必要としません」と答えます。

    つまり それ は最終奥義ってことなんですネ。

    「〜 蜘蛛はその巣を舞いながら張ります。しかもその中で捕えられる蠅が存在することを知らないのです。

    蠅は呑気に日向で飛び、舞いながら、蜘蛛の巣に捕えられ、しかも何が自分に迫っているのかも知らないのです。

    しかしこの二つのものを通じて それ が舞っているのです。そしてこの舞の中では内と外とがひとつなのです 〜」

    (『弓と禅』 福村出版 / 稲富栄次郎・上田武 訳 より)

    いやいや、さっぱりわけがわかりません。

    やっぱりヒヨコちゃんに最終奥義はキビシイですぜ。

    ところでワタシの記憶が確かならば(どっかで聞いたな・・・)、

    操体とは「わけがわかるってことだ」と教わりました。

    決して「膝倒し、つま先あげ、カエル足の3点セットを覚えろ!」とは教わってません。

    わけのわからんことって結構ありますよネ。

    でも、わけがわからないからわからないだけであり、

    わけさえわかればわけないことなのかもしれません(ややこしや・・・)。

    わけのわからないことをわかるようにしていくのが操体の学び。

    だからこそきっと一生愉しめるんだと思います。

    つづく

    中谷之美

  • そいつとそれ その2

    ワタシの治療所の隅に置いてある『臨済録』。時間があるとちょこちょこ読んでいます。

    もちろん難しいことはわかりませんが、何となくピン!とくるところもあるんです。

    「〜 お前たちは信じきれないから、あたふたとうろたえいろいろな外境についてまわり、

    万境のために自己を見失って自由になれない。お前たちがもし外に向って求めまわる心を

    断ち切ることができたなら、そのまま祖師であり仏である。お前たち、祖師や仏を知りたいと思うか。

    お前たちがそこでこの説法を聞いている そいつ がそうだ。

    ただ、お前たちはこれを信じ切れないために外に向って求める 〜」

    「〜 お前たちの肉体が説法を理解するのでもなく、

    お前たちの五臓六腑が説法を理解するのでもなく、また虚空が説法を理解するのでもない。

    では、いったい何が説法を理解するのか。お前たちの目前にはっきりと存在し、これという

    形は無いが、自ら明らかにその存在を意識しているもの、そいつ が説法を理解するのだ 〜」

    (『臨済録』 岩波文庫・たちばな出版 / 朝比奈宗源 訳 より)

    なんだか三茶の研究所で三浦先生の講義を聴いてる気分になりますナ。

    ところで操体では気持ちのよさは「アタマではなく、からだにききわける」としております。

    「聞(聴)き分ける」には「聞いて音や声などの違いを区別する」とか

    「聞いてその意味を理解する。納得して従う」なんて意味があるそうですので、

    気持ちがいいかどうかは「からだにきいてみて」ってことになりますよネ。

    では一体「からだにきく」ってどういうことなんでしょう?

    からだの内にきいてみるような誰かがいるんでしょうか?

    もしかしたら『臨済録』にあるように そいつ がいるんでしょうか?

    だとしたら そいつ って一体誰で、どこのどいつなんでしょうか?

    う〜む、妄想がふくらめばふくらむほど往生しちゃいます。

    そういえば「どこのどいつ」で思いだしましたが、

    この手の展開で往生したドイツ人の哲学者もいましたよネ。

    つづく

    中谷之美

  • そいつとそれ その1

    今週は操体法東京研究会のヒヨコちゃんこと中谷の担当でございます。

    一週間よろしくお願い致します。

    三浦先生と道元といえば、実行委員ブログを読んでいただいている方ならば

    すぐにピン!とくるんではないかと思います(道元と橋本先生)。

    皆さんご存知の通り、道元は日本における曹洞宗の開祖。

    とってもスゴイお方です。

    そして曹洞宗といえば只管打坐。「ただひたすらに坐禅する」ということなんだそうですが、

    「まぁそういうことなら・・・」ということでワタシも曹洞宗のお寺へ坐禅に通ったことがあるんです。

    (今は仕事の都合などでなかなか行けないのですが)

    ワタシはヒヨコちゃんですから、坐禅そのものの意味なんてわかりませんヨ。

    でも、朝早くからお寺で坐ってるってだけで、何となく気持ちがいいもんなんです。

    が、たまにその気持ちのよさが油汗に変わっちゃうときが・・・。

    朝ですからトイレに行きたくなっちゃうんですねぇ。

    小さいほうならまだいいんですが、風雲急を告げる大きいほうのときはホントにまいっちゃいますヨ。

    ワタシにとっては坐禅以上の荒行ですぜ。

    まぁそんなことはどうでもいいんですが、曹洞宗と同じ禅宗の中に臨済宗というのがあります。

    日本における臨済宗栄西らによって伝えられたそうですが、

    ひたすら坐禅することを重視する曹洞宗に対して臨済宗では公案も非常に重視するといった特徴があるそうです。

    公案ってのは、

    「はい質問です。両手を打ち合わせると音がしますが、片手ではどんな音でしょうか?」

    みたいな、よくわからんアレのことですよネ。

    そうした公案集の代表的なものとして『碧眼録』、『無門関』、『臨済録』などがありますが、

    ワタシのようなヒヨコちゃんにはとても読み解くようなことはできません。

    でも、パラパラと読んでるだけでも結構面白いですし、

    操体(臨床)の参考になるような気づきも案外あったりするんです。

    つづく

    中谷之美