投稿者: karib_sotai

  • プロセスの面白さ

    今、私はある内容を原稿に残している。
    原稿に活字を重ねさらに読み直しながら、書き直しを続けていく中で
    今までの捉え方との違いを、私はハッキリととらえてきた。

    私の考えの中でがはっきりしてきた。
    これは私にとっての大きな収穫であった。それを新たに文章化している。

    私のつかみ所は、そのうち公表されるだろうが
    それまで操体を学んでいる人は、一人一人考えてみてはどうだろう。

      

    答えを求めるのではなく、それまでのプロセスが大切なのだ。

     

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  • 一にして二生

    人生、一生では学び足らぬ学問の道

    一人一人の寿命も違う(持ち時間が違う)。
    そこが乾電池とは違うんだな。
    先のわからぬ寿命を生きているんだネ。
    明日というその日がわからぬいのち。
    サーカスの綱渡りと同じで、太いロープを渡していたって

    いつ落ちるかわからぬこの人生も、この命も。

    細胞の寿命も呼吸数も

    一人の生涯は大体均等に与えられているようだ。

    しかし、そこまでいきつかない。
    師が言われるように「生き方が間違っている」かな。

    人生、二生(にしょう)という気持ちはよくわかるよ。
    しかし、それが不可能なら、時間の使い方をかえていく以外になさそうだ。
    1日24時間をどう自分に使うのか。

     

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  • 学び続ける

    「操体は皆んなのもの。赤信号、みんなで渡れば怖くない。」

    という言葉を発した人がいた。
    旗を振って先導している(この言葉を発言した)人間は

    事故にあっても責任をとらないからネ。
    赤信号を渡って事故にあったのなら、本人の責任にするからな。
     

     

    ウジ虫は、成虫になれば飛んでいく。
    いつまでも異物にまみれているわけじゃない。
    人間も脱皮しなければ、生きてはいけないし、学び続けることもできない。
    そうでもしなければ、人生そのものに飽きてしまうよ。
    無責任がとおる訳がないんだネ。
    必ず自分に返ってくる。

     

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  • 春のフォーラム

    4月30日に春のフォーラムを開催できたことは

    大変意義のあることであった。
    見事だったネ。

    参加したみなさん、ありがとうございました。

    操体にご縁があった人達が

    どう思いながら聴いていたのかということも私は大切にしている。
    会場ではあふれんばかりの霊人達も学んでいたと思うネ。
    この世にいる間こんなことは耳にもしていなかったことでしょうから

    一言ももらさず聞いていたと思う。

    この地上に生きている人間だけの世界じゃないし、問題でもないからネ。
    こうした私の話も「なにバカを言っている」と思われても

    私は全くあっけらかんとして、平気である。
    橋本先生も拍手喝采だったろうと思うネ。

     

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  • 落語とクラシック

    今日から三浦が担当します。

    よろしくお願いいたします。

     

    ここ1ヶ月ほど

    朝はクラシックを聴き、夜は落語を聴いて就眠している。
    1日使わせてもらった脳ミソにゴミ、ホコリを残さぬためには

    よき選択のようだ。
    寝入りもよく、目覚めも良い。

     

    原稿の執筆も順調に展開している。
    活字だけを並べても、なにか、物足りなくなり、五つのイラストを描いてみる。
    描いてみると、なかなかの味つけになって文章全体が生きてくるようだ。

    完璧なものに仕上げたい気持ちがあっても

    何が完璧だと言えるのかを思うと
    その完璧さとは、自己満足のようだネ。
    しかし、ここまでテーマを掘り下げて、原究し、つかみ取ったことは、
    学び続けてきた一つの成果として評価していいのではないかと私は思う。
    さらなる勉学が必要である。
    人さまの評価とは十人十色である。

    自分が学び続けてきた評価を大切にしたい。
    それは、何ものにも代えがたいものである。

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  • 食う食わないはテメエの勝手だよ(7日目)

    操体っていうのは、基本的に「自己責任」なんです。
    それが「食う食わないはテメエの勝手」by 橋本敬三先生
     
    なのです。
     
    からだを使う場合は、手は小指、足は拇趾(母趾球)を
    運動力点作用点にするといいよ、とか
     
    モノを右手で拾う時は、左足に体重をかけて拾うと
    からだが歪みにくいよ、とか色々な情報を提供しているわけですが、
     
    それをやる、やらない、つまり「食う食わない」はテメエの勝手、
    自己責任ということになります。
     
    そして、その自己責任のもっと深いところにあるのが
    「好きか嫌いか」「快か不快か」をききわける力、原始感覚です。
     
     
    そもそもそれが鈍っているから「どっちかわからない」「自分で選べない」
    ということになります。
     
    それを蘇らせるにはどうしたらいいのか。
     
    それが「快」です。
     
    原始感覚を蘇らせるには、質の高い快を味わうことが一番です。
     
    これが「ウソかホントかやってみろ」by 橋本敬三先生
     
    一週間ありがとうございました。
     
     
    畠山裕美
     

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    ※目黒雅叙園の「猫都(にゃんと)」で遭った「猫観音」。

     
     
    明日からは三浦寛先生です。
     
     
  • どうせ食うなら(六日目)

    以前「操体を勉強していても、いいところまで行かずにやめちゃう人って、あんパン食ってあんこまで食べないのと同じだ」と言っていた人がいました。
     
    その人は、あんこまで食べずに、いや、食べさせてもらえずに(平たく言えば破門)去っていきました。
     
    不思議な事に、破門されたとか、何らかの不満を持ってやめた輩はつるむ、というのはナゾといえばナゾですが、「食いつく」という目線で考えると「一番美味いところを食い損ねた同士」というところでは共通します。
     
     
    最近では「肉まんを食っていて、ツユの染みたところを食べて『肉まんを制した』と、勘違いし、勉強をやめてしまう(オリジナルメソッドを名乗ったりする)場合もありますが、実は一番美味いところはかじっていないのです。
     
     
    どうせ食うなら、一番美味しいところを食べないとね。
    そのためには皮もしっかり味わいながら食べるのです。
     

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  • 食いついた理由を深く考える(五日目)

    何のために操体を勉強しているのか?
    と考える人もいると思います。
     
    また「テクニックが欲しい」「人を治したい」「セルフケアしたい」とか、
    色々な理由で操体を勉強する人もいるでしょう。
     
    私の場合ですが、
    「なんかしらんけど、好きだし」みたいな感じがしていましたが、
    分かったことがあります。
     
    昨年の4月から一年間、「東京国際仏教塾」(超宗派の仏教塾)で、前半は共通課程、後半は宗旨専門課程で曹洞宗を勉強しました。
     
    三茶の隣は駒沢だし、私の両親の実家は両方とも曹洞宗だし、赤坂の豊川稲荷も曹洞宗だし、東北福祉大は駒沢大同様曹洞宗系だというご縁や、三浦先生がよく道元禅師の言葉を引用しているのもあるのですが、私は迷わず曹洞宗を選びました(真言密教も面白そうですが)。
     
    禅と言えば、曹洞宗か臨済宗、黄檗宗がありますが、日本でポピュラーと言えば、やはり曹洞宗か臨済宗です。
     
    ちなみに、臨済宗では坐禅は問答とともに、悟りに至るための方法ですが、
    曹洞宗においては、坐禅は悟りに至るための方法ではなく、坐ることが則ち悟りである、という言い方をします。
     
    私にとって操体を勉強することは、なんとなく曹洞宗の坐禅のような気がします。
     

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  • 食いついた理由(四日目)

    操体に食いついた理由です。
     
    高校二年の時「東洋体育の本」(別冊宝島)で、「操体法」の存在を知っていましたが、
    本格的に食らいついたのは
    「操体法治療室」でした。
     
    何故食らいついたかと言えば、後半の三浦先生の「からだとこころの関係」について触れたところに食らいついたのだなと思います。
     
    その後、三浦先生と共著で本を出すことができ、また「操体法治療室」の三浦先生のパートの英訳本を出すことができたのも、食いついて食らいついた結果かなと思います。
     
    今後とも食らいついて離れない予定です。
     

     

    操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

    操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

     

     

  • 食らいつく。三日目

    「食いつく」という言葉を考えていたら「食らいつく」という単語が浮かんできました。
     
    興味を持って食いつくのは、意外と簡単ですが、それに食らいつく、食らいついて離さない、というのは結構大変かもしれません。
     
    操体も最初に興味をもって食いついて、勉強しはじめますが、そのまま食いついて勉強し続けるのは大変です。
     
    先日、月例の東京操体フォーラム実行委員の勉強会がありました。
     
    半蔵さんとか岡村さん、友松さんのように、十年以上実行委員であり、操体をじっくり学んでいる人達は(私も笑)、操体に食らいついているのです。
     
    私の例でスミマセンが、操体は人生の優先順位のトップ3に入っています。
    食らいついているのです。
     

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