今、私はある内容を原稿に残している。
原稿に活字を重ねさらに読み直しながら、書き直しを続けていく中で
今までの捉え方との違いを、私はハッキリととらえてきた。
私の考えの中でがはっきりしてきた。
これは私にとっての大きな収穫であった。それを新たに文章化している。
私のつかみ所は、そのうち公表されるだろうが
それまで操体を学んでいる人は、一人一人考えてみてはどうだろう。
答えを求めるのではなく、それまでのプロセスが大切なのだ。

人生、一生では学び足らぬ学問の道
一人一人の寿命も違う(持ち時間が違う)。
そこが乾電池とは違うんだな。
先のわからぬ寿命を生きているんだネ。
明日というその日がわからぬいのち。
サーカスの綱渡りと同じで、太いロープを渡していたって
いつ落ちるかわからぬこの人生も、この命も。
細胞の寿命も呼吸数も
一人の生涯は大体均等に与えられているようだ。
しかし、そこまでいきつかない。
師が言われるように「生き方が間違っている」かな。
人生、二生(にしょう)という気持ちはよくわかるよ。
しかし、それが不可能なら、時間の使い方をかえていく以外になさそうだ。
1日24時間をどう自分に使うのか。

今日から三浦が担当します。
よろしくお願いいたします。
ここ1ヶ月ほど
朝はクラシックを聴き、夜は落語を聴いて就眠している。
1日使わせてもらった脳ミソにゴミ、ホコリを残さぬためには
よき選択のようだ。
寝入りもよく、目覚めも良い。
原稿の執筆も順調に展開している。
活字だけを並べても、なにか、物足りなくなり、五つのイラストを描いてみる。
描いてみると、なかなかの味つけになって文章全体が生きてくるようだ。
完璧なものに仕上げたい気持ちがあっても
何が完璧だと言えるのかを思うと
その完璧さとは、自己満足のようだネ。
しかし、ここまでテーマを掘り下げて、原究し、つかみ取ったことは、
学び続けてきた一つの成果として評価していいのではないかと私は思う。
さらなる勉学が必要である。
人さまの評価とは十人十色である。
自分が学び続けてきた評価を大切にしたい。
それは、何ものにも代えがたいものである。


※目黒雅叙園の「猫都(にゃんと)」で遭った「猫観音」。

