くだらないかもしれない話 その4

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某友人がキ○タ○を鍛えたから子宝に恵まれたのかどうかはわかりませんが、

いい道具があれば、いい仕事ができるということには、一理あるかもしれませんネ。

でも、道具さえよければ全てよしでは、それはただのモノとモノ、

ただの肉と肉の交流のような感じがしないでもありません。

「せっくす」ってのはからだそのものが感じて応じる感応の世界であり、

視る、聴く、嗅ぐ、味わう、そして触れるという五感をフル活用した、

からだとからだ、心と心のコミュニケーションみたいなものですからネ。

関係ないですが、ワタシなどは女性のイイ匂いを嗅ぐとフラフラ〜とついていっちゃいそうになりますヨ。

(同じ現象がウナギ屋さんとやきとり屋さんの前でも起こります)

そばに寄ったときにフワッとイイ匂いがしたときなんかには、もうその日は一日ハッピーです。

まぁ、そんなことはどうでもいいんですが、

とにかくキ○タ○鍛えて突撃ラッパ鳴らすだけでは、ちょっと味気ないものです。

「せっくす」ってお互いが対等の立場で、「よいでござるか」「よいでございますわん」という、

心とからだを通した対話があればこそ、本当にお腹いっぱいの充実感が得られるんじゃないですかねぇ。

これは操体の臨床も同じですネ。

操体だって「せっくす」と同じ感応の世界であり、一方通行ではダメなんです。

お互いが心を開いてからだを感じ合い、気持ちのよさの交流をしながら、それを十分に味わっていく。

う〜ん、何かスバラシイなぁ。

気持ちがいいってことはきっと神サマがくれたご褒美ですから、

からだそのもので大いに感じて、十分味わいながら生きていきたいものですネ。

つづく

中谷之美