「息」の変化も、原始感覚でキャッチできる「圧」の変化。
とおるところにとおる。
ながれるところにながれる。
つながるところにつながる。
かさなるところにかさなる。
みちるところにみちる。
原始感覚ですから、ニュアンス的なことは、体感してキャッチしていくんです。
それがよりよく生きること(快)につながっていると、積み重ねてきた実感は教えてくれます。
それは、「うごき」にも言えることで、何度も、丁寧に、確かな感触になっていくように継続していく。
「生命」の観点から、立つべきところに軸が立つようになってくれば、「こころ」の迷いや縛りにも変化が感じられるようになってくる。
そんな中、最近想うこと。
それは、わたしたちが「思考」と呼んでいるはたらきも、よりよく生きる生かし方があるんじゃないかということです。
ときに、「思考」にとらわれたり、縛られたりするのは、「思考」だけのはたらきになってしまうからであって、それは全身体性に適っていないから。
大切なのは「ながれ」や「比率」であって、「からだ」のそれぞれのはたらきが全身体性に調和していけば、「思考」は別の形で昇華され、より「いのち」に対しての理解が深まっていくように感じています。
つまりは、思考を介さず、素直に「からだからのメッセージ」を受け取ること。
そして、メッセージによって体感したことをもとに、その背景にあることに想いを馳せ、問い続け、応え続けられるように考えること。
ここに「想念」の素があるようにおもうんです。