カテゴリー: 岡村郁生(おかむらいくお)

  • 目的とは?

    目的とは?〜東京操体フォーラム

    目的に適うにはどうすればいいのか。
    それを学ぶ場が東京操体フォーラムである。

    橋本敬三医師は、『太極の意志』という言葉を用いて操体を説明された。言い替えれば、生命の意志に適(かな)う、如何にしたら生命の意志に適うのかということを操体の中で学んでいるのである。

    つまり、からだの要求に適うとは、
    それを快適感覚、快を通して学んでいるのである。
    もっと分かりやすく言えば、からだが喜ぶように、からだにどう問いかけるのか、それが操体の臨床である。

    からだの要求に適う、どうすればからだと心が喜ぶか、
    それがいわゆる操体であり、操体法という学びの場である。
    それが東京操体フォーラムの位置づけである。

    昨日と続きで読んで頂いている方は、お分かりだと思いますが、
    私は秋のフォーラムの挨拶に、目的をお話するのは必要だ!
    そうだ!これで行こう!と思い、これをアレンジ致しました。

    何故アレンジする必要があるのかって?
    ハイ、ごもっともな意見です。
    ただ何となくいい意味で、
    お話しする言葉と、読む言葉には違いがあると思いませんか?

    今顧問も、今回のトークライブの三浦理事長との話の後で、

    「話を聞いていると、橋本敬三先生が(三浦理事長に)乗り移っ ているのかと思っちゃったよ。
     やっぱりね、”言葉”で直接聞くのは大事だよね。
     生で聞くのと、このビデオで撮っている(映像を見ること)
     のとではねェ、やっぱり波動が違うんだよね。」・・と。

    続けて、こんな事も教えてくれました。

    橋本敬三先生の真似をするんじゃなくて、三浦理事長の真似をするんじゃなくて、頂いたものの中で自分のことを大事に表現すればいいんだよねェ。」

    ということで、私はこんな表現(発表)をさせて頂きました。
    良かったら見てやって下さい。

    〜発表メモより〜

    本日のメインテーマは、
    操体臨床の世界、その診断と操法」です。

    臨床にあたって操者の自己責任として診断と操体の判別をハッキリ認識しておかねばなりません。

    そして、サブテーマは「般若身経を臨床に活かす」です。

    操体を学ぶ上で、般若身経は避けては通ることは出来ません。
    般若身経は体の使い方や、動かし方を説いた説明書なのです。

    その応用範囲は幅広く、奥深くものですから何度も何度も咀嚼して理解を深めていくべきものなのですが、一見、健康体操のように思われてしまい、誤解を受ける事もあるようです。

    だからこそ、今回のフォーラムで、“からだ”に元々備わっている身体運動の自然法則とその真理に気がついて欲しいのです。
    皆様が、それによって得ることの出来た喜びは、今後の生活の中に大きく役立つこととなるでしょう。

    それこそが、操体を学び続けている方達へのご褒美であり、味わう事が出来る喜びではないでしょうか。

    橋本敬三先生は、“太極の意志”という言葉で操体を説明されました。

    太極の意志は、生命の意志と言い替えることができます。
    その生命すなわち、どうしたら“生命の意志に適うのか”ということを、
    操体の中で説いているのです。
    つまり、
    “からだ”の要求に適うとは、気持ち良さに適うことであり、
    もっとわかりやすく言えば、
    “からだ”が喜んでくれるように、
    “からだ”にどう問いかけるのか、
     ということなのです
    例えば、
    頭で考えた要求と、
    からだが感じる要求には、明らかに違いがあります。

    息・食・動・想の“食”を例えに出しますと、
    おいしいものをお腹一杯に食べたとします。
    それは、
    舌は天国、腹地獄といって頭は満足していても、
    からだは悲鳴を上げているのです。
    そうです!頭で考えた快感は、実はからだにとって不快感になっていることが多いのです。

    からだはその不快感を、歪みや痛みといった、分かりやすいものに形を変え、頭に訴えています。

    操者はその生命、すなわち“からだ”の要求する声に耳を傾け、
    その声に如何に応えることができるのか?

    そのようなことを橋本敬三先生は、操体を通じて説いているのです。
    では、からだの要求に適うにはどうすればいいのでしょうか。

    それは気持ちよさに適うことであり、からだが喜んでくれるように、どう問いかけるのか。それだけで良いのです。

    それが操体の臨床なのです。

    さて皆様、操体を学ぶ目的は何でしょうか?
    生命の意思は、間違いなく“からだ”が喜び、“心”が喜んでくれる
    つまり、快適感覚に適うことを望んでいます。
    それをどうしたら適えていけるのか、を学ぶ事が目的なのです。

    目的を持って学ぶことで意識が変わり、何を学んでいるのか。
    どうして操体が“自然法則の応用貢献”そのものなのか?
    ということが自然と分かってくるのです。

    橋本敬三先生は臨床を通して、生涯、操体を学び続けていました。

    その意志を継ぎ、三浦理事長をはじめ、フォーラム実行委員全員も、
    共にコツコツと、操体という畑を耕し続けております。
    そこで得られた実りを、その収穫祭を、
    皆様と共に喜び合いたいと考えています。

    私たちが日々行っている何気ない動作にも、
    これだけ新鮮な味わいかたがあるのだな、と
    感動して頂ければ幸いです。

    本日は是非!私たちと共に楽しんでいって下さい。
    以上をもちまして、初めのご挨拶とさせていただきます。
    ありがとうございました。

    という内容でした。

    この目的に対して、どの程度自分自身が理解できているのか?
    その問いかけに十分答えられるほど、私は学べていません。

    そこが自分への課題であって、希望でもあります。
    だから、自分自身という存在に答えてあげて欲しいのです。

    それに適うこと。
    適うように学んでいくこと。
    コツコツ静かな汗を流し、耕し続けること。

    自分に妥協しないこと。
    己という存在に、問いかけ続けること。

    操体を通して、
    目的に適う学びを得ることができる環境に感謝しています。

    さ〜て明日からの岡村さんは、
    我が亀・耕す・ちょっと砕けるの三本です)
    明日も見て下さいネ〜まってま〜す。ンガクック。

    明日も是非!良かったらお寄り下さいネ。

    今日も見て頂きまして、ありがとうございました。
    ハブアナイスデー!!

    岡村郁生

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  • 東京操体フォーラムの目的とは?

    ハッハッハッ〜クション!

    呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン!(またこのフリなの)
    お呼びでごじゃるかご主人様。

    お呼びじゃない?そうです私が変なオジさんです。
    (振りつけを、重心安定・移動で行うと気分が良くなりますヨ)

    違うよ〜ゥ!茅ヶ崎の”つかまり立ち龍”こと、岡村郁生です。
    こうしてブログでのお話をさせて頂くのは三回目ですネ。
    一週間、どうかお付き合い下さいませ。

    先日の珍しく晴れた連休の初日。
    お陰様で、今回十三回目の秋期東京操体フォーラムが、
    大盛況・大興奮のなか、終了いたしました。
    (個人的主観含む?イヤイヤ皆さんそう感じましたでしょ!)

    参加して頂いた方達の熱気が伝わってくるのは勿論ですが、
    実行委員の皆さんと、共に味わう事のできた、
    空間に漂う流体波動の一体感を保ちながらの流れに、
    皆さんと操体の持つ波動の快に身を委ねておりました。

    これは、美辞麗句を重ねようなどと言う、つまらぬアピールではありません。
    一人一人が何かを学びに来ている。
    ”学びの場”としてのフォーラムの立ち位置に、
    皆さんが賛同し、結果としてご褒美を頂いたのだ!と、
    何ともいえない気持ちです。
    (何ともいえないから言いませんがbyきみまろさん)

    イヤイヤ、本当にお陰様です。
    参加者の方々との一体感を、
    ”波動を通して”感じることができる。
    操体の学びを共有する。
    その点において、臨床の世界と何ら代わりはありません。

    畠山常任理事は今回の発表で、
    参加者の波動をいきなり統一していました。
    (プロジェクターと”パワアポイント”という最新機器で?)
    内容は、操体の移り変わりを非常に分かり易く演出し、
    イキイキ・ワクワク、させてくれました。(ドキドキ?)

    ・・・あい変わらず、質のいいプレゼンがナイスでしたネ。

    三浦理事長は、
    超新鮮なネタを大盤振る舞いしてくれました。

    「あーしよう、こうしようと考えて準備していたけれど、
     その場所に行けば、これをやろう、これは要らないという
     波動がある。」
    「ともに学ぶこと。
     フォーラムの中で、一人一人の力が一つの波動として
     共鳴波動として広がっているんだと思うよ。」

    ・・・本当にその通りです。耕し続けることですね。

    今顧問は、
    古舘伊知郎氏以上に、妙〜に似合う?ヘッドマイクを装着して、
    普段の臨床風景そのものを披露してくれました。

    「やっぱり普段やっていることしかできないからね〜
     やっていないことをしろって言われても無理なんだから。」
    「随分前からずっと準備しているけどね。
     昨日も何をやろうかな〜と、やっぱり準備しているんだけど
     結局は“演じさせられている”ものなんだよね」

    ・・・と身に染みるお話しをしてくれました。

    ところで今回もそうですけど、
    開催の挨拶を毎回担当させて頂いておりますのが、
    何を隠そう(隠してないじゃん)私なんですね〜。

    そして今回は、今までと違う始めの挨拶だったのです。
    (某理事長から、今回は原稿を読んだな〜
      とチェックされちゃいました・・汗。ムム、そうでがすゥ)

    その訳は、
    東京操体フォーラムの目的”にあったのです。

    さて皆様、
    目的とは何なのでしょうか?

    続きはブログで・・・。
    あっ違った!
    明日のブログで!!
    今宵はこれにて、失礼いたします。
    それでは
    「行ってらっしゃいませ皆様!
     また明日、この場所でお会い致しましょう。」

    ありがとうございました。

    岡村郁生

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  • どんなときも僕が僕らしくあるために

    良く悩む私ですが、この(伝説の)偉人の言葉は大事にしています。

    「最大の名誉は決して倒れないことではない 倒れるたびに起き上がることである」
                                     〜孔子

    「賢者は財宝を貯えない 人に与えれば与えるほど 彼の財宝は豊かになる」
                                     〜老子

    今週も私は、とっても充実させて頂きました。
    これもひとえに皆様のお陰でございます!ありがとうございました。

    来週からは、現代に生きる“サムライ”甲斐田さんの登場です〜よろしくお願いします!!

    <臨床はオーケストラのように・・・>

    “皮膚の操体”を患者さんの“からだ”に通すことは、オーケストラに似ている気がする。

    それぞれの楽器の特徴や個性を生かしあう空気の渦。
    質の違いから生まれる音色、それを生かす奏者達の熱気。
    音の強い弱いに上下はなく、リズムとタイミングに合わせていく間の取り方。

    ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・と複雑に音色が重なれば、
    絶妙なハーモニーを響かせて、反発することなくお互いを生かしあう。
    指揮者は奏でないが、その流れを育み、個性を尊重しあい引き出していく。

    そして同じ空間に無限に広がりゆく一体感を味わう(指揮者、奏者、観客、関係者)

    そこには生の感動があり、一期一会の世界がある。

    操体と知り合えたことで、私の意識は変化していく。

    (男性Fさんの右肩甲骨に点の渦状波)
    ・主訴:目の疲れがあり背中と肩こりが強くなる。
    患者は仰向けで、操者は右腕側方に位置
    「なっなんですか?ハハハこれは何ですか?ハッハハハハハすごいハハハ〜」と笑いながらのFさん。
    操法後に感想を聞いてみると、肩甲骨が踊っているようでびっくりしたとのこと。
    目の痛みはどうですか?「ああ、今はいいみたいですね!何でですか?」と聞かれる。
    「そうですね、からだが治してくれるんですよ〜ありがたいですね〜」と私。
    「先生は今、気功法をやってくれたんですか?」とFさん、
    「ええ、呼気は自分に通しましたけど、気功はしていません。」
    「ありがとうございます!」、「いえいえ、私のお手柄ではありませんヨ、もともと良いからだなので変化してくれたのでしょうネ」
    「こちらこそありがとうございました。」

    (男性Uさんの右踵内側に点の渦状波)
    主訴:フクラハギの痛みとぎっくり腰様の痛み。
    患者はうつ伏せで操者は足元に位置。
    「おわァ〜すっごいひざの裏、押してますよね〜効きます〜」とUさん。
    「いいえ、押してなんかいませんよ〜」と私。
    「エエッすっごい効いてますけど??」、「不快でしょうか?」と私。
    「いや、背中のほうまで効いています!気持ちいい〜です」
    十分味わっていただいてから、カチカチの左腰とお尻に触れると・・・!
    「ウッホ!」と私もビックリ、同時に「うわっスゴイ!柔らかいっすね」とUさん。
    立ってから、足踏み・屈伸・歩き回っていただいて来院時と変わっているのか尋ねる。
    「いや〜もう癖になりそうっすね!明日現場何とかなりそうだな〜」とUさん
    「いや〜無理しないでくださいって、初めにお願いしたはずですけど・・」と私。
    「わかってます、無理はしませんから!」言葉に嘘がありませんように?

    (女性Iさんの足の左第二指に渦状波)
    主訴:左五十肩による夜間痛、それに伴う寝不足
    患者は仰向けで、操者は足元に位置。
    「それではIさん、何かが不快だったら声をかけて下さいね〜」と私。
    すぐに「左手がジワジワ暖かい!」とIさん。
    「そうですか〜気持ち良ければ十分味わって下さいね。また何か感覚がつきましたら教えて頂けますか」と伝える。
    「左足を持ってますよね、揺らしてます?」とIさん。
    「いいえ、ただ触れているだけですけどお〜」と私。(ユラユラが気持ち良いらしい)
    十分味わってから動きを確認して頂く。
    「うんっ来た時より楽になっているわね!これで元に戻らないコツは?」
    「そうですね〜“きれいになる操体生活”をお読みくださいネ!(草階さんありがとう)」
    お後がとってもよろしいようで・・・。

    (女性Yさんの左足の第一指内側に点の渦状波、左踵外側に点の渦状波)
    主訴:帝王切開でお腹の傷が痛む、膝の痛みと腰痛。
    イメージの世界?魔法の王国?を体験して感動でした。
    患者仰向けで操者は足元に位置。
    〜以下治療後の本人談〜
    (左足の第一指内側)
    「しばらくして、黄緑色の自分の液体が細胞にキラキラきれいなものを与えてくれて、
    何かがブワーって足から上へ昇ってきた。」
    「おなかに沢山の白いお花が咲いてキラキラしていた。」

    (左足の踵の外側)
    「黄色のマーガレットみたいなお花がパーっと咲いてきれいだなーと思ってたら、オレンジ。黄色のお花畑で囲まれたイメージです。」
    「絵に描いた黄色とオレンジのお花がワイワイ飛び回っている。」
    「膝がくすぐったくなる前に嗚咽が聞こえてきた。なんだか勝手に涙が出てきた、膝のあたりがモゾモゾしていたら、勝手に泣けてきた。」

    そのあとYさんがゲラゲラ笑いだし、ちょっと面食らう私。

    「笑ってしまったのは、膝がくすぐったくてむずがゆくて笑った訳じゃないけれど、何か
    がおかしくって笑っている訳じゃなくて、勝手に笑っているのが・・なんだか私、おかしくなったんじゃないかと思う位だったけれど、止めちゃいけないって言うからそのままにしていたんです。」

    「不思議だったのは目をつぶっているのに、(私が)どこに位置しているのかがわかること。」
    「居て欲しい足の位置にいてくれると、足がブワーって暖かくなる。」

    何なのでしょうか?別に脳みそは脳みそで休憩中?なのでしょうか・・・。
    彼女の“からだ”は治しをつけてくる段階で、このような現象を付けてきてくれた。
    イメージの世界?想像の世界?何が見えていたのだろう。

    その後で横になりたくなった時に“赤色”が見えて、始めは嫌じゃなかったのだが、
    上に昇ってきたらちょっと重たくなる様な感じがして、ちょっと不快だったので私は手を離した。
    (もうすでにその頃は)とても体が軽くなってきていたからとの事。

    不思議だな〜からだは不思議だな〜。涙が勝手にポロポロと出てきているようなのです。

    診せて頂いている時にからだの意思で、“勝手に”笑っている様なのです。
    別に笑おうと思っていたわけでもないですし。(くすぐってもいませんよ!)

    これが“皮膚に問いかける”臨床の一例です。
    全て“点の渦状波”なのですが・・・。

    悩んでいた私にいつも訴えかけて頂きまして、本当に感謝しております。

    操体の御縁の中、皆様に出会えた喜びを味わいながら学び続けます。

    この世界に飛び込んで良かった!ありがとうございます!

    「僕が僕らしくあるために、君が君らしくいられるために、素直になろうよ・・・。
    遠慮して欲しくないんだ、表現して構わないのだから、本当の自分に向かい合ってみて!
    からだはあなたの下僕じゃない、仲間なんだよ、もっと仲良く信じてあげようよ。
    信じていれば必ず、信じ抜いた分は応援してくれるんだよ。
    君は一人じゃなくて、手を取り合っている一つのイノチなんだから。」

    ・・・というわけで?ポエム(猪木サンかいなっ!)で締めましょう!私のブログ。
    長々つらつら書いてしまって・・・でも許して下さいね。
    では、皆さま11月2日にお会いしましょうネ〜ありがとうございました!!

    岡村 郁生

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  • 知らなかった世界は、まるで夢と魔法の王国?

    “皮膚の操体”この皮膚に問いかけていく操体法を知ったのは、今から九年ほど前のことでした。

    当時、鍼灸接骨院操体法(比較対称の第一分析)を取り入れて行っていた私は、あるきっかけで、東京の三軒茶屋にて講習会をされている“三浦 寛”先生に操体法を教えて頂くのですが、そこでビックリ(たまげた門左衛門!)したことは・・・、

    橋本敬三先生の本に書かれていないこと!をされていることでした。(聞いてないよ〜と初めは思いましたが、後から気が付いたら”同じ”でした。)
    正直面喰らいましたね!・・・どうしようかと思ったくらいです。
    “痛いほうから楽なほうへ”ではなくて、「気持ち良さを聞き分ければいいんだ!」
    「気持ち良さで治るんだからな」でしたから。

    今でこそ操体法の基本のように“気持ちの良さ”という言葉があります。
    でも、ここまでこだわっていらっしゃるとは・・・。

    そんなこんなで、接骨院で「どうでしょう気持ち良さがありますか?」と初めて口にしたときに、自分の意識が変わりました。(他の治療のスタンスさえ変化いたしました)

    ひと月に二日間、東京での一年間の講習も終わりに近づいてきて最後の頃です。
    三浦先生は、皮膚へ問いかける操体を私たちに見せて下さったのですネ。

    「何しているんだろうか?」以外の思考は働きませんでした。
    無理もありません、当時の私は一極微(第二分析)だけで精いっぱいだったのです。

    それからというもの、私の操体は“気持ち良さを味わう”ものとして臨床に生かし、
    充実したものとなっておりましたが、正直“皮膚”にはついていけませんでした。
    その最たる理由は、“何をしているのか完全に理解できないから”でした。

    そして、十分に間に合っていると感じて(信じて)気持ちの良さを、動きによって患者さんのからだに聞き分けさせて頂いておりました。

    それからもずっ〜と、第五日曜日にだけは三軒茶屋へ欠かさず伺いまして学ばせて頂いたのですが・・・その時のことは忘れられません。
    ある時、私が“皮膚”に問いかける操法、(つまり渦状波ですね)のモデルにさせて頂いたのです。
    一瞬、何が起こっているのか全く理解できませんでした。

    まるで床が抜けおちたように背中の感覚が抜けていき、自分のからだが半分無くなってしまったのです(感覚が!)

    思わず声をあげました「怖いッコワイ〜!」すると三浦先生は「大丈夫だからネ、委ねてそのままからだに委ねなさい・・」と。

    ちょっとそれからは勝手にからだの中から動くような感覚があって、そのまま委ねてみると・・・からだが意思をもった生き物のように“うごめき”はじめ、何かからだが付けてくる感覚というものに、に驚きつつも(誰でもそうなのでしょうか?)なんとも言えない
    体験したことのない“原始感覚のうちの未知の部分”を体感しながら感動しておりました。

    それからというもの・・・。
    この“皮膚”というものに問いかけるのは、第二分析とは全く違う意識を持つことが出来なければ、本当の“皮膚に問いかけていく”操法にならないだろうナ、(個人的意識の問題ですが・・・)と、学びの日々が続くのです。

    私の考え方では、
    一つのものごとを理解し、自分の中に“腑に落ちた”本当の理解をするためには、それを難産の挙句、血と汗と涙を流し、その苦労の末に産み出された(もともと備わっている自然法則なのですが、普通は?気がつかないレベルにあるのでしょう)成り立ちまでをも理解したいのです。

    どのような治療を学ぶにしても、ただ上辺だけ真似たり、方法そのものに夢中になってしまい、それを例え使いこなしたとしても・・・もともと創始者(どこまで突き進むのかはその方次第ですが、サムシンググレートまで?)の“想い”まで含めて学ばせて頂く謙虚さが必要ではないでしょうか。

    そして、歩みの遅い私はお陰様で一つの大きな決断を致しました。
    これからの自費での臨床は、じぶん自身に嘘のないものにしよう!
    誰かに言い訳しないものにしよう!(私は今まで逃げてしまっていましたから・・)
    生きているのではなく、 “生かされしイノチ”
    その目的に適う臨床を学び続けよう!

    それがどんなに自分の意識の変化があることか!びっくりです。
    (心身魂をもって味わうことになるのですが)

    その詳細は・・・今日の夜に続く〜〜(またかよ!って突っ込まないで下さいネ)

    岡村 郁生

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  • 今日のオカ村さん(ネコじゃなくて)

    ブログをご覧いただいてありがとうございます。
    皆様の今日も昨日と異なる新たな旅立ちです、充実したものになりますように!

    私の仕事環境は、午前中接骨院におりまして、午後は治療院に移動して働くというシフトなのですが、
    開業してから経営に関してコツコツ続けていることの一つに漫画を揃える事があります。

    接骨院にある漫画は、全て私の好みで置かせてもらっていますが、これがどうして?接骨院の若い患者さんだけでなく、50代〜70代の方にも評判がいいのですヨ。
    (これも経営安定のツボ?と考えています。)
    本当によく言って頂けるのですが、「ここに置いてある漫画の選択は誰がしているの?」
    「外すことのない面白い漫画ばかりね〜!」・・と。

    その選択のツボは自分自身で味わうこと、面白いだけでなく読了感が良いこと、そして何よりも生命賛歌に繋がっていること、がポイントですネ。
    (最近では・・岳、あんどーなつ、玄米先生の宝箱、深夜食堂、などオリジナル系ですね)

    そうでした!
    ここいらで引っ張りすぎだけん、ちょっくらやっとくで(静岡弁・秋穂さんの真似です)

    (第二分析をメインにした臨床のケースその?)

    中学3年生のKさんは卓球部のキャプテンです。
    毎日メンバーと楽しく練習していましたが、先輩が卒業してしまい、自分がキャプテンになってからは“かなり”ストレスがたまっているんじゃないか?との事。(本人でなく一緒に来ているおばあちゃんから聞く)

    「コンバンワ〜!こちらのほうへ、どうぞ。」とご案内する私。
    ちょっと緊張した面持ちのようだ。

    「いつも卓球で大活躍している話は聞いていますよ〜かっこいいですね!」と私。
    ちょっとはにかんだ様な照れ笑いを浮かべる。
    (よしっ!大丈夫。この表情を見せてくれるのならば・・・と心の声)

    待合室から歩いてきた感じでも、動きの聞き分けもできそうだしね。(根拠なしのカン?)

    おばあちゃんが後ろから心配そうに孫の代弁をする。
    「この子と最近ご飯食べに行くとね~、動くたびにイタイイタイって!病院もいかないのに言ってるのよ!だからここに引っ張ってきちゃった!」
    さらに照れたような困ったような表情を見せるKさん。
    ヨシッこの子も、からだも大丈夫!(いつもの根拠なし?カンが伝えてくる)

    問診表を見れば、
    主訴:両方のふくらはぎがとっても重だるい、常に腰が痛い、
    両肩が突っ張ってつらくなる。
    と記載してあるが・・。(フ〜ンと流すようにして見てみるだけで、あまり突っ込まない)

    視診を通す。(サーチアイと私は思っている〜鉄腕アトムの真似)

    正面から見ると右側屈の形をとっているように感じる。
    右肩が随分と下がっていてちょっと不自然。
    右の骨盤が上がって体側が詰まっている(本人は左がつらいとのこと)
    顔を見ると左が詰まっているようだ。
    他にもなんとな〜く情報が頂けたのでサーチアイのお陰です。

    “動診”の前の自動運動を「絶対に無理しないようにして下さいねッ」と伝えてから行っていただく。

    「右捻転すると腰に嫌な感じがあって、無理すれば辛いです」とKさん。

    慌てて(フリをして)「無理しちゃだめだよ〜ここでは無理禁止!気持ちいいのは良いけれど、無理して伸ばしたりすると余計にからだが怒っちゃうよ〜可哀想だからね」と私。

    見た目の可動域の左右差は思ったよりないけれど、これはうまく逃げてるんだろうなァ?

    軽く上肢を引き上げて(卓球でよく行う姿勢)側屈は左が窮屈でやりにくいとのこと。
    前かがみを膝を曲げて行ってもらうと、頭が右足のほうに引き寄せられているけれど、これもKさんの自覚はないようである。
    「下腿のひき吊れと腰の不安感が発生しそうです」というので再度「無理しないでね」と
    優しく、でも心に差し込むように目線をつかって伝える。

    後屈させてみると随分左に倒れて、しかも左に軽く捻転がかかってくる。
    フムフム・・・随分と頑張り屋さんだな〜。
    からだは正直なものだから、本人の口を通して聞くよりもずっと雄弁なので助かっている。

    「センセ〜この子って姿勢が悪いでしょ〜私いっつも猫背を注意して言ってるのよ〜」
    「でも若いのに猫背が直らないから、体が歪んでいるんじゃないかと思って〜」
    ・・・と後ろから心配そうにこちらを見て伝えてくれます。
    とっても元気なKさんのおばあちゃん?も卓球の現役バリバリ(し・・死語かな?)選手なのデス。

    「いや〜こうして歪んでくれて助かっているんですよ〜、ビシッと無理していたらもっと“からだ”が可哀想じゃないですか、ここまで頑張ってくれているんですからネ」
    ・・・とお二人のからだに響くように、いつもお疲れさま!という私。

    「じゃあここのベッドをうまく使って、一番安楽な姿勢で休んでくださいね〜ゆっくりでいいですよ」
    「これが良いな〜とわかったら呼んで下さい、ゆっくり“からだに”聞き分けてね!」

    そろそろポジションが決まったようだ。
    仰向けで頭を北側に向けているのが良いらしい。

    同様に操者の立ち位置でも、からだの極性に判断していただいてから、操体法を通させて頂く。

    「それでは、これから一つ一つの動きを通していきますので、その動きに気持ち良さがああるのか、ないのかをよーく聞き分けて下さいね〜」
    「途中不快な感じがあったらすぐにやめて下さいね。我慢しちゃだめですよ〜」と私。

    動かすことについては操者の責任として、自分自身の重心安定、重心移動、そして連動をよく理解し、その一つ一つの動きに適うように患者のからだを導いていく。

    動きの操法を通す場合は、(第二分析)
    1、 八つの動きを分類して、一つの動きに対する動診を通す。
    2、 動きに伴う感覚を聞き分ける(気持ちよさがあるのか、ないのか)
    3、 あれば、気持ち良さを操り〜最高に気持ちが良いところ(最快点)で撓める〜。
    4、 十分に味わった後、からだのつけてくる要求に委ねる。
    5、 脱力をからだが選択してきたら、脱力後の爽快感を十分に味わっていただく。
    6、 (操者が連動を見ていて、不自然な連動性を通していた場合はよく言います)
    何か“からだに”表現したいみたい動きがあれば表現していただいてかまいません。
    7、 回数の要求を訪ねる。あればもう一度通す。

    たとえKさんが、小学生の頃に側彎症という診断であっても、
    元々“いいからだ”を見せて頂くのだから、直る力がある。(悪いからだとして見ない!)

    「大丈夫ですよ!きっと今よりもっと楽しく動けますよ〜」
    「これからもお手伝いをさせてもらいますが、からだの動かし方、ルールだけは覚えてネ!」

    と伝えて、般若身経(体の使い方です)を指導させて頂き、月に二回で5回ほど診せて頂いたのです。
    「おかげさまで肩の高さも猫背も良いみたい(すっかり今じゃあ操体法ファンになったみたいね?」とはKさんの祖母の弁です。

    でも私としたら、なんだか全く自分のお手柄に感じません。
    本当に気持ちの良さを味わうことが、からだの喜びなんですな・・・としみじみ。

    そんな私の場合ですが、臨床を通して直感で診せて頂くことが多いのですネ。
    鍼灸や指圧もたいがい考えすぎると今一つになることが多いのです)。
    それを恥じて、しっかりと解剖力学的負荷理論や医学生理学的理論で説明したくなり、できるだけ区分けして方法と結果をイコールにしたかった・・・。

    開業当初に行っていた楽を通す操体法(第一分析)では、それが可能だったように思える。
    楽を通す臨床では、それがかなり近く、思い通りの結果を築くことができた。

    それは“操者側の決め付け”が多く入っているからなのである。
    だから、本人の頭の要求と操者側の思惑が一致している。

    でもそれでは動きが改善しても、感覚の改善につながってきてくれないケースが割と多い。
    動きが良くなっても、からだの満足感が薄いような感じがするのである。
    だから、痛みが残っていたり、よくなったのに戻りが速かったりしていた。

    “気持ちよさに全てを委ねる”、“からだの意思に任せる”という意味合いの臨床においては、もう少し工夫の余地があるように思えるのだ。

    だから、楽を通す操体法と、気持のよさを通す操体法は、同じような別物であったのだ!
    そして・・・・。
    皮膚に問いかける操体法を知ることになり、私の人生の歯車は急激に、しかも大きな目的と希望を乗せて回り始めることになる。
    (999にメーテルと乗り込んだ鉄郎のように?)

    その世界が見せてくれるものは、私が”心から求めていた”操体の法則、想念をはっきりと映し出してくれるのだが・・・。

    それは明日の最終ブログにて!近日公開!!
    (って明日なんでしょう?ってそうだけど・・・書いてみたかっただけです)

    では、皆さま。良い週末を!「ハブアナイスウィークエ〜ンドゥ」(ウイッキ〜さん風)

    岡村 郁生

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  • 柔道部物語

    中学生の頃に初代タイガーマスクに憧れていた私は、中学生でいじめられないように男らしくなろう!と考えまして?高校生になって柔道部に入ったのです。

    その頃の私は(今はもっと青春してますヨ)まさに物語の主人公(三五十五)並みに充実しておりました。

    私の場合、どう見ても体育会系ですから?(君は違うだろっ!て言わないでね)部活動を通して学ばせていただいたことは、今思い返しても大きな財産です。

    私よりずっと大きな先輩達は、皆180センチ以上の体躯を誇りいかついのですが、厳しくもあり、優しくもあり、向上意欲に燃える塊のぶつかり合いといった感じで、充実した囲雰気で毎日練習していました。(よく“はたかれ”ましたが・・・)
    そこで先輩の胸を借りて、何かの?においに悶絶しながらぶつかっては倒されて、落とされてはマケズに立ち上がった私が、そこにいました。

    本気でぶつかるとこんなにも気持ちい良いんだな〜と初めて学べましたからネ。

    大変な時も、お互いに疑問を出し合い“本音で”討論できる同志。

    恵まれたことに、東京操体フォーラムの実行委員はそんな方達で構成されております。

    操体を、実感すればするほどに、有難いものです。

    (今日の夜に続く〜臨床の話がとうとう出現するのか?な)

    岡村 郁生

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  • 一歳の長男の誕生日に思うこと

    私は三人の子持ちです。
    子持ちというとシシャモみたいですね。

    言い直しさせていただきます。
    お陰様で、三人もの子宝に恵まれまして現在に至るまでハッスル
    している愛妻家(恐妻家?嘘ですヨ)の今年38歳になる男です。

    ・・・が、出来る限り生活の匂いを消す努力をしながら、臨床に向かいます。
    だって、非日常の世界を味わうのが感動の始まりですし、日常茶飯事では来院して頂くのに申し訳ありませんから・・ネ。

    家ではどんな感じなのでしょうね〜?(夫として父として)

    特に何にもしていませんが、夫であり父である自分の、充実した輝きを普段から見せてあげることが出来たら、それだけで十分だろうなァ〜と考えるようになりました。
    “真っ当”にしているんだよ〜。
    人としてね、出来る限り自分に与えられた使命を知っておきたくて、コツコツとね。

    昔(少しだけ)は、自分の家という場所において、夫という地位の確立をする為に、洗濯を手伝ったりご飯を作ったり、どこかに連れて行ったりすることが大事であって、それが家族と自分の一番大事なことだと考えていましたが、
    それでは間に合っていかないのです。

    自分に葛藤が起こるのです。(私の場合ですよ)
    なぜならば、愚痴が出てしまったのです!しかも自分では気が付かなかったのです!

    ・・その時、聞いていた三浦先生が・・
    「愚痴なんてネ、誰も聞きたくないよ!同志だから、こうして皆聞いてくれるけどね・・」
    「煮ても焼いても食えないのが愚痴!だから愚痴なんて言わないほうがいい」
    ちょっと落ち込んだ私を見て、
    「お前は疲れているんだろう?自然に溶け込んできたら良いよ。一人になってみろ」
    とお優しいフォロー(ウウッ涙が出る〜)
    「岡村が岡村らしくなければ意味がないんだよ!媚を売る様なことをするのはネ、自分を消耗させているだけなんだヨ、そんなことは子供は望んでいないんだヨ、」
    とわかりやすく教えていただいたのです。

    正直言いまして、聞いたときにエエッそうなのかな?と思いましたが、
    意識が変わって、目的を確実に見据えていれば、おのずと答えが出てくるのですネ。

    手に入れたいものがあったならば、手に入れたい目的は何なのか?
    目的もはっきりせずに、ただ望んでいても意味がないから叶わない。

    そして欲望という名の怪物に支配されないために知っておくルールもある。

    例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチはこう言っています。
    「それを手に入れないと、苦痛を覚えそうだと悟ったら、その事をあてにしてはいけないし、それをやってみてもいけない。」〜欲望を絶つ心得より〜

    この意味が最初はわからなかったのですが、解ったら環境そのものも変わってきました。
    勿論!良い方向に。
    今ですか?聞くだけ野暮ですよ〜。(フォーラムの懇親会で聞いてくださいネ)

    意識といえば、瞑想をするときのことなんですけれども(飛びすぎだって!)、調身・調息・調心をゆっくり行いますよね。
    その時に雑念がふつふつと湧いてくることがあります。

    瞑想なんてしないワという方でも、眠れない時には感じることが多いはずです。
    (いらいらしてたり、ワクワクしたり、心配事があったりすると眠れなくなる)

    その時、“雑念を払いなさい”という教えもありますが、どうしてかわかりませんが私の場合そうしようとするほど、雑念がかえってまとわり付いてきます。
    そのような時にはどうしたらよいのか?

    私がその考えに共感を生む“代々木忠”氏はこんなことをお話しております。(以下引用します)

    「瞑想においては雑念をはらえ」という言葉をよく耳にする。だが、雑念をはらおうとすれば、いつまでも雑念とつきあうはめになる。だから呼吸によって心が落ち着いてきたら、「あえて雑念とたわむれよう」と私は言いたい。雑念を否定し振りはらうのではなく、雑念と積極的に遊んでみるのである。

    そもそも雑念とは何だろうか。なぜ心が落ち着いてくると、雑念が現れてくるのだろう。雑念とは、過去においてまだ解決していない、あなたの思いなのではないだろうか。この意識するとしないとにかかわらず、解決されていない思いがたくさん残っていればいるほど、人からいくら励まされようとも、あなたは自分に自信を持つことがむずかしくなってくる。

    たとえば、(きょう、会社でこんなことがあったな。屈辱感を味わったな。あんなことを言った部長にさえ、俺は媚を売っちゃったんだな)という思いが浮かぶかもしれない。そうしたら、なぜあなたがイヤな部長にさえ媚を売らなければならなかったのかをよく考えてみる。人はだれでも嫌いな人間に媚など売りたいわけがない。そこにはそうしなければならなかった状況があったはずである。だったら、自己嫌悪するのではなく、その時にそれしか取るべき道のなかった自分を認め、自分なりに精一杯やったあなた自身を許してあげよう。

    あるいは、もっと昔の出来事を思い出す人もいるだろう。(そういえば子供の頃、こんなつらいことがあったな。でも、だれにもそれが言えなくて、今でも俺は心のどこかでまだそれを引きずっているよな。よく考えてみると、あの時のあいつをまだ恨んでいるんだな)などと思えてきたとしよう。しかし、そんなつらいめに遭いながら、あなたは一人でここまでがんばってきたのである。過去の幼いあなたに(よくがんばった。君はすごいよ)とほめてあげてほしい。

    そして、どんな場合でも必ず最後に、一生懸命やったあなた自身に(ありがとう)という感謝の思いを送ってほしい。実はこれが自分との対話においては最も大切なことである。(終わり)

    ・・そうです!わたしも自分にありがとうネ。今日一日ありがとうございました!・・家に帰って寝る前に言っておりましたので、この言葉は納得いたします。
    (他にもおトイレでもよく言っております。鏡を見ても言っております。変ですか?)

    そんな一日の振り返りには・・・。
    からだの内面に響くように聞き分けます。

    ・どこかでバランスを崩さなかったかい?
    ・何がそのサインだったの?
    ・ゆっくり考えてみて・・・思い出せる?
    ・何がアンバランスにさせたのかな。

    ・大丈夫きっと本当の原因は突き止められるからね。
    ・大丈夫だよ!安心して!

    ・どうしたらバランスを取り戻せるのかな?
    ・どんなに小さなことでもいいから教えてね。

    ・私にできることはなあに?

    これだったんだね!もう大丈夫だよ。

    そのポイントは気持ちよく”たわまって”くれます。
    じぶんに、からだに、ありがとうっていいましょう。

    癒し癒される関係を、自分を愛してあげて欲しいのです。

    以前も書きましたが、からだは自分の意志とは違う意思を持っている。
    でも頭の意識に合わせてくれている有難い存在なのです。

    人に誉めてもらうことを期待して、人とのお付き合いなど考えてはいけないのです。
    唯一、自分に認められること。
    自分の中に在り、見守ってくれる神性というものに認めてもらえるように、
    日々充実した時間を築きあげたいものですネ。

    やはりそこには自然界の摂理が生きています。
    “自然は自己の法則を破らない”

    私はここにご縁があってきていただいた方に是非!
    秋のフォーラムをご招待したい〜!!(でも参加費用は払ってくださいね!ウフフ)
    だって、操体を学ぶということは、そういうことなんです
    から・・・。
    勿体無いです、知らないってことは回り道をしているのかもしれませんよ!(何の?と言われても・・)
    とりあえず、実行委員の臨床を味わって頂くことや、秋の東京操体フォーラムに(ってしつこい私にマジックリン?)ウソかホントか自分の感覚で確かめて、出来ればよ〜く味わってくださいね。

    本日もお付き合いいただきまして、ありがとうございましたァ!

    岡村 郁生

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  • 自分はいつも同じですか?

    私の水曜日は特別な日なんです。
    実は休日なんですね〜!ですからノンビリして・・・ません。(笑)

    とにかくいつもと同じか、少し早目に起床します。
    そして朝の湘南の波をチェックして、波があれば季節問わずに海に向かいます。
    晴れている時に向かって左を見ると、昇りつつある太陽の日差しが江の島のシルエットを映し出し、右手には烏帽子岩、富士山と伊豆の山々が見えています。

    そして、バランスを取りながら木目のロングボードに乗り、その日にしか生まれない波との一体感を味わうのです。(浮遊感がなんともいえず、良いんですネ)
    波を待っていてユラユラ〜としていれば、急にボラの空中ジャンプにびっくりします。
    雲の切れ間からヤコブの梯子(天使の階段)が海面に降りていれば、目線で昇っていけば和むこと!抜群です。

    今日ですか?残念ながら、波がありませんので入っていませんが・・・。

    自然と一体化する方法が趣味です。
    自分が特別だと勘違いしやすいんです、私は。
    だからニュートラルな状態と言うか、ナチュラルボディーを感覚したいのです。
    (ナチュラルボディーをよみがえらせたい方は三浦先生、今先生のDVDを買いましょう!「ナチュラルボディーが蘇る」と「ひとりでできる操体操法」名作です!)

    私は趣味も仕事も?同じ様に感じるのですが、誰か(他人)と競争(比較)するようなことをしていても寂しいのです。

    一人でいることがいかに重要なのか。(誤解を招きそう?)
    そこにじっくりと時間を割き、自分自身と向き合うことで様々な“とらわれ”を排除したり、からだの声を聞かせてもらって感じたことを整理しています。

    ああ今日も安心して死ねる。(寝るという事は似ている)そう思って床に就きたいのです。
    そして朝目覚めたならば、昨日の自分自身とは違う自分を意識しながら。

    岡村 郁生

    (いつもいい湘南写真が素敵なスタ−ボードさんより転載)

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  • 大人の学習意欲は育てるのが大変?

    ちょっと昔のフォーラムテーマに“タッチ”というのがありましたので、(あだち充先生とは関係ないのであしからず。)
    きょうはそれを・・題材にさせて頂きまして、私も臨床のことを?

    <触れる〜Touch~その美しき交わり>

    どんなに機械が素晴らしい出来栄えであっても、それが大自然の創ったものを越えることはないだろう。

    例えば内視鏡では、トンボの目つまり複眼を模してスコープに反映させている。
    様々な角度方向から消化器系の内部を観察することができるから、微細な炎症やポリープ、様々な病理変化を見逃さぬように日々進化している技術らしいのですが・・・その元になっている、昆虫の複眼のレベルと精度はその比ではなく完璧と言える形状なそうです。

    だから素早く動くハエなどを捕まえることができるのですね。
    しかも、自ら飛んでいるという条件を満たした上ですから考えてみれば凄いことなのです。

    私もよくハエを手で掴めるように体の使い方を工夫するのですが、難しい!
    せいぜい子どもと一緒に蝉を取りに行って、網を使わないで樹にとまっている状態で捕まえる位しかできません。(それでも子供には褒められるのですが・・・)
    身体の使い方を学習していくことで、いつかはハエを掴んでやります!
    なぜかって?それはですネ、殺虫スプレーや蠅叩きだと殺してしまうじゃないですか。

    それに、わざわざ人に寄ってたかってくるあの鬱陶しいハエが不思議なのです。
    だって自ら危険を冒すようなことをどうしてわざわざするのでしょう?
    きっとヤジウマ根性が旺盛なんじゃないのかな?・・ということは、僕に足りないものをもっているなんて強引な結びつけでしょうか。

    橋本敬三先生も、カラスは凄いヤジウマ根性を持っているといっておりますから。
    ヤジウマ根性は見習いながら、ずるいヤジウマになりなさいとお話していますネ。

    カラスと言えば、あの学習能力、特に記憶力は素晴らしい!
    私の患者さんから聞いたのですが、人の顔を記憶するらしいのです。

    例えば、高い場所や木の上に巣を作るのですが、その下を通る人を警戒しているようです。
    その巣に危険を感じる時には“人の頭”を狙ってあの大きなくちばしで突っ込んで来て威嚇します。
    その危険を感じさせた人が巣の近くにまた来ると、必ず顔を覚えていて襲ってくるのだそうです。(庭木の手入れをする方はご存じでしょう?)
    だから、いたずらはしないほうがいいですネ。
    聞いた話では後ろから襲われてしまい、頭頂部をつつかれてしまった方がいましたが、何ともびっくりです。(血が出てくるほど痛いらしいですよ!)
    命がけで残すべきものを守ろうとしている姿と考えれば見習いたいものです。

    普段ゴミを漁っていて、ビニールの中から食品を見極めて狙いすまして突っついて取り出す能力でさえ、世にあふれかえる雑多な情報の中にあって本当に必要なモノを見極めて自分のものにする努力と考えればなんだか・・・カラス先生!と呼びたくなりませんか?

    人のからだのなかでは、どの部分に情報を敏感に感知するセンサーが授かっているのでしょうか?
    昆虫の触角みたいに、様々な情報を取り入れるだけでなく見極めるのに必要な便利な部位。

    眼・鼻・口(舌含む)・耳・それぞれの感覚器は全て脳が関与しています。
    すべて必要ですし、敏感にすることも鈍感にすることもできます。
    その中で最も大きな感覚器とも言える、外界と内界を分けている皮膚はその姿から信じられないほどの高性能を発揮するのです。

    そして話は急に変わりますが、手を見てほしいのです。
    その掌(たなごころ)の先端には指がありますが、皆様!自分の指をまじまじと観察したことはありますか?

    最近はわざと手術で指紋を消してしまう方もおりますが、そんなことは絶対にやらないほうが良いです。(もちろん好き好んでしているわけではありませんね。)

    指の先端にある指紋、そして爪の役割の完璧さは、嗚呼どうしてこのような形状を創りたもうたのでしょうと神に感謝せずにはおれません。

    まず爪がなくては力が入りません、指先に力が入り何かをしっかりと押さえたりできるのは、爪があってこそです。

    指先の感覚の鋭敏さは、脳つまり大脳の中心溝の目に位置する運動野、中心溝の後ろに位置する感覚野の中に占める割合が他に比べて突出しています。
    つまり指先を動かす細やかさも、指先から受け取ることが出来得る感受性も大きいのです。
    その感受性たるやどんなセンサーでも敵わないのです。
    人が細かな作業ができる理由は、体のどこよりも機能的であり、優秀である指先あってのものなのです。

    指紋に至っては、その模様たるや超芸術的です!
    同じものを作れと言っても無理でしょう。(だから最近は銀行の認証に使いますよね)
    必ず、一人ひとりの形が全て異なっていますよね。(弓型・渦巻き型・混合型)
    どんなタイヤのグリップパターンより繊細なその溝によって、何かをつまむ時に滑らないようにする他に、形はどうか?どのような感触なのか?硬さ柔らかさ等がすぐに分かってしまうのですから。

    子供の成長段階においても、まだ乳児の頃には目が見えませんから、何でも舌に入れてから形を判断するわけですが、次に手で持って感触や硬さを照らし合わせていくからこそ、大きくなってから目で見たもののイメージが出来るのです。
    つまり学習の結果によるということなんです。

    学習と言えば、このような話があります。
    ある耳の聞こえない老夫婦が(聾学校で知り合って結婚)、人口蝸牛(蝸牛とは、耳の中にある器官で中の液体が震えることで音を感じ取ります)を夫婦揃って手術したのです。

    手術する前は、「あなたの声はどんな声なのかしら?」、「音楽も聴けるのね!」とそれは素晴らしい世界なのでしょうね!と、楽しみにしておりました。

    しかし、現実に人口蝸牛スイッチを入れて外の世界の“音”を初めて聞いた夫婦は・・・、
    すぐにスイッチをオフにしてしまったのです。
    なぜならば、小さい頃から学習することで、人は必要な音を拾い不必要な音は小さくしたり聞こえなくしているのですが、学習されていない老夫婦は、世の中に溢れかえる音の洪水に耐えきれなかったのです。(でも自然の中では、虫の音や鳥の声、川のせせらぎ・風のそよぐ音を楽しむことができるのですから、環境次第ですね。)

    同様の事として考えてみると・・・。
    操体の臨床を見せて頂く機会にも、その姿をどのように捉えているのか?
    シンプルなものこそ、見た目の違いが分かりにくいものなのです。
    こんなの簡単そうだなァ使ってみよう!ちょっと勉強したらすぐに出来そうだぞ!等。

    簡単そうに見えても、そのように見えるのは自分の学習レベルが低いのかもしれない!と。
    全く以前と同じ事をしているように見えても“そう見えているだけで”まったく違う!と。

    操体の臨床は派手にはなりませんから、そういった気づきがなければいけないのです。
    なぜならば、“感覚を聞き分ける”それが大事なことであって、“気持ちよさのレベル”
    というものが、“本当にからだの要求に叶っているのか?”
    それを謙虚に受け止めて、からだに聞き分けなくてはいけないのですから。

    とちょっと強引に結びつけたところで、気がつきました!
    ああ〜今日は私の臨床を書かせて頂こうと思っていたんだった〜・・・。
    なぜか?気づくとこんな感じになっておりました(普通はもっと早く気が付くよ!)

    まあこんな感じの毎日が私の学びです。
    そして良いとか悪いは無いのです。

    それでも間に合っていればいいのですから。
    但し、これは自己弁護に使っては勿体ないお言葉なのでは?とおもいますね。

    そうだ!学ぶことを続けようと思われた方々に朗報です!

    秋に東京操体フォーラムが11月2日に開催されます。
    テーマは「操体臨床の世界、その診断(問いかけ)と操法」です。
    もう秋の行楽シーズンにぴったりじゃないですか〜!

    ああ良かった!ようやくブログらしくなりました(本当か?)
    では本日はここまでとさせて頂きます。
    皆様、ありがとうございました。

    岡村 郁生

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  • 好きな歌は”世界で一つだけの花”

    自分の世界には自分がいないことがあります。

    私という人間はどんな人間なのでしょうか?という問いにいつも考え続けています。

    未知なるものは深遠なる世界に通じていて、その世界には私という個人が存在している理由があるのでしょうか?

    例えば私の小さな時に、こんなことがよくありました。

    ある時期から母親と弟と別れ、父親と祖母の三人暮らしだったのですが、この時の私は
    意地悪なところがあり(今も勿論ありますが)、わざわざ人が嫌がることを見越して、計算した上でよくいたずらをしました。
    (何か頼まれた時にわざとノンビリ行って心配させたり、知っていてもわからないフリをしたり、天邪鬼なことを選んでするのです)

    すると祖母がむきになって叱るわけです。それが楽しいのです。
    (今になって考えると、当時の自分の“環境”に対するストレス解消だったのでしょうか。)
    そんな私の心を知っていたのかどうかはわかりませんが、祖母は何回もその度に本気で叱るのです。
    そうです!何回も、何回でもずっと高校2年生まで最後まで、叱ってくれたのです。
    結局、亡くなるまで私は叱ってもらえました。

    もし祖母と暮らすことがなければ、私は誤った道を堂々と歩んでいたでしょうし、今の私は存在していません。

    愛とはかくも有難く、これほどまでに強く、貫き信じ抜けるのでしょうか。

    あきらめることがない愛を頂いた私は、本当に恵まれた環境に在ったのですね。

    愛の中で尊きもの、下品なものがあります。

    無条件の愛と、何かと条件をつける愛です。

    欲の愛は仏教で渇愛と言いますが、求めれば求めるほどに果てしなく、永遠に尽きることなく要求が続いていく愛です。
    そこには満足というものがなく、あっても一時的な満足でしかなく、満たされません。
    望むほどに足りなくなっていく無間地獄のようです。
    そしてこの愛には自分しか存在しないのです。寂しい愛です。

    “自分のまわりに無限に存在している愛に気がつくこと”が大事なのではないでしょうか。

    “生きているんだ”と考えているのと、“生かされているのだ”と考えること。

    私がイタズラすると決まって祖母が言う台詞がありました。
    「誰も見てなくたって誰かが影で見ているんだよ!良いことも悪いこともみんな見られてるんだよ、そら使ってるとそのうち罰が当たるよ!」(そら使うというのは、静岡弁でいいかげんなことをしているといった意味です)

    そしてな・ぜ・か?よく起こったのです。
    例えば、足の小指の先がちゃぶ台の足に思いっきりぶつかったり、開いていた扉の角に気が付かなくて思いっきり頭をぶつけたり、鞄に入れたはずの物が無くなったり・・・。

    すると決まって言われるのです。
    「ほうら、見てごらん!言わんこっちゃない、罰が当たったんだよ」と。

    これは偶然なのでしょうか?
    よくわかりませんから、なんだか無性に腹が立ったのですが、それに続けて悔しいからといって、その辺にあるものにあたくれると、更に怪我をしてしまいます。(学習能力なし?)

    自分でまいたタネは、必ず自分で刈り取らなければいけません。

    どうせならば、しっかり良いタネを蒔きましょう!
    収穫に至るまで、コツコツと良い土壌になるように耕しましょう!
    毎日、分け隔てすることなく昇ってくれる太陽に感謝しながら過ごしましょう!
    雨の日も風の日も雪の日も昇っていますが、見えないだけです。信じ続けましょう!
    やがて来る、充実した日々の結果に応じて頂くことのできるご褒美に向けて。

    私ですか?お蔭様で元気です。おばあちゃん。ありがとうございます。
    操体”この道に歩ませていただいて本当に、本当にありがとうね。
    今はね、この世界において本当に素晴らしき環境を与えて頂いていますよ、いつもありがとうね。皆様に宜しくお伝え下さいね。

    う〜ん何なのでしょう?こんなブログでいいのかしら?(またまた御免なさ〜い)
    明日はしっかりと臨床日記にしましょうと考えていたのに、何故?(ホワイ)
    懲りずにまた明日お会いいたしましょうネ。

    それでは今日ブログを訪れていただきましてありがとうございました。

    (故石ノ森章太郎先生の作品の中でも大好きなキカイダーより)
    私の良心回路(=ジェミニィ)が、ギルが奏でる笛の音で操られそうな時は(スイッチオン!ワン・ツースリー) 〜意識をチェーンジ!〜

    この使い方は1番から始めますが、1が終わってから2にへと進む
    ようにしていますが、御自由にどうぞ。

    (慈悲の瞑想)

    1、私(が・の・に)〜    
    2、私の親しい人々が〜  
    3、生きとし生けるものが〜 
    4、私の嫌いな人々が〜   
    5、私を嫌っている人々も〜

    1〜5、幸せになりますように
    1〜5、悩み苦しみがなくなりますように
    1〜5、願い事がかなえられますように
    1〜5、悟りの光があらわれますように

    生きとし生けるものが 幸せでありますように(数回繰り返し)
                   

    ちなみに私は宗教家ではありませんし、何かの宗教にも所属していません。
    が、こんなことを考えているのが“自分”なのです。
    (一部です、恥部もあります)

    今日はこんなところで失礼いたします。
    明日は明日の風が吹く〜。
    千の風になって吹いてくるのですね)

    岡村 郁生

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