投稿者: tokyo_sotai

  • からだはききわけている①

    岡村さん

    一週間のメッセージありがとうございました。

     

    バトンは茅ヶ崎から久慈へ。

     

    今週担当の瀧澤です。

    よろしくお願い致します。

     

    今回はテーマが無題ですので、学びの中でからだと共に感じとっていることを書いていきたいと思います。

     

    ここ数ヶ月、からだと向き合いながら、「感じがいい」とはどういうことだろう、ということを考えています。

     

    これまで「からだに感覚をききわける」ということを学習してきましたが、その感覚の中でも最近は「感じがいい」という感覚が気になっているのです。

     

    例えば、夜眠りにつく前に、頭の向きをからだにききわけてみる。

     

    自分の場合、ベッドの配置上、二方向でのききわけになりますが、実際にやってみると「感じがいい」と感じられる向きがあることをからだにききわけることができます。

     

    以前はそこまで意識できていなかったのですが、どうしてこのように「感じがいい」とからだにききわけることができるのか、体感して気づいたことの一つに呼吸の変化があります。

     

    「感じがいい」とききわけられる向きでは、呼吸がとおりやすくなり、とりわけ吸気は背中側まで入ってくるのが感じられます。

     

    対して、「感じがいい」とききわけられなかった向きでは、呼吸は浅く、吸気は胸の方までしか入ってこない感じになります。

     

    自分の意識で呼吸をコントロールしているわけではないのに、「感じがいい」とききわけられる向きでは、呼吸も「感じがいい」とききわけられる。

     

    このような呼吸の変化を体感していくと、自分の意識がはたらく以前に、からだの要求する呼吸を満たすために、からだはからだにとって「感じがいい」向きをききわけている、自分たちはそれをからだにききわけて感じとっていくことができる、という捉え方になっていきます。

     

    また、からだの向きが変化することで感覚や呼吸が変化するということは、空間とからだの関わり方が変化することで感覚や呼吸が変化すると言い換えることもできそうです。

     

    からだがききわけている空間の変化を、自分たちも感覚や呼吸をとおして、からだにききわけて感じとっていく。

     

    こういったことは健康維持増進にとって必要なことだと強く感じています。

     

     

    2024年春季東京操体フォーラム開催致します。

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  • 生き方の自然法則って?⑦

    (続き)

     

    「息・食・動・想・環」が、「生き方の自然法則」となるのであれば、

    「想念」に受け入れる「意識」、言葉の使い方・捉え方、運命のハンドル。

     

    大切なのが「大脳新皮質」であると、自覚できない偏りがあるならば、

    そこに気付けば「生き方の自然法則」は、受けとることのズレにある。

     

    類人猿と異なる能力を、現代人は大きく評価されることで発展させ、また、

    大脳新皮質による理性が、その限界を留まることなく生み出し続ける特徴

    を持ったことで、偏りの捉え方を自覚しないまま捉えてしまうこともある。

     

    「からだ」で捉えること。

    からだから受けとった感覚。

    からだからのメッセージで、生かされた意識。

     

    生命の基本としての細胞の感覚、組織の意識、それらをつなげての全体。

    シンプルに原始感覚の軸に支えられてこそ故の、大脳新皮質一体の存在。

     

    「からだ」は言葉を産むのか。

     

    「大脳新皮質」は「からだ」を支配し、言葉を生んでいるのか。

     

    本来の環境は創造するところから、矛盾の無いよう不自然の生まれぬよう、

    自然に流れるよう、捉える必要性があるのではないか、と考えて生きたい。

     

    橋本敬三先生は、

    「野次馬、それもずるい野次馬になれ」

    「カラスは頭が良いよなぁ、やっぱり野次馬根性が大切なんだ」と進言、

    世の中を、知的な好奇心で肯定し、ウソかホントか試しなさいと語った。

     

    自分勝手ではなく、重心のズレを調和させた感覚のなかで生じる鮮度の間。

    そこで生じた学問を紡いでいく、生き方に自然法則は快く微笑んでくれる。

     

     

    最終日まで一週間のお付き合い、誠に有難うございました。

    明日からは、久慈在住の瀧澤(たきさわ)副実行院長の登場です。

    お愉しみにお待ちくださいませ。

  • 生き方の自然法則って?⑥

    (続き)

     

    仮に、大脳新皮質の脳と、それ以外の脳に、それぞれ意識があるとした場合。

     

    「大脳新皮質」主体の場合は感覚的に、

    「息・食・動・想」そして「環境」は、個体における外界の適応において、

    意識・信念・心のような、「精神活動」で対応しやすくなる。

     

     

    「それ以外の脳」主体の場合は感覚的に、

    「息・食・動・想」そして「環境」は、個体における体内環境の適応にて、

    呼吸・消化排泄・姿勢の保持・免疫などで対応しやすくなる。

     

     

    「それ以外の脳」に含まれないとする場合は感覚的に、

    「息・食・動・想」そして「環境」は、皮膚での地球環境の適応において、

    生命循環維持における、全て自律性主体の自然法則性で適応しやすくなる。

     

    つまり、「からだ」そのものが、主語になる。

    じぶんはからだに、いったいかして、いいもわるいもないじょうたい。

     

    自分は「からだ」に一体化して、良いも悪いもない状態。

     

    主語を変えた「操体」の捉え方での「息・食・動・想・環」でありたい。

     

                             (続く)

  • 生き方の自然法則って?⑤

    (続き)

     

    「生き方の自然法則」

     

    それは、「息・食・動・想・環」

     

    呼吸すること、食事をとること、体を動かすこと、思ったり念じたり、

    考えたりすること、それからそれらを包んでいる環境のこと。

     

    これら全て、瞬間瞬間で、同じようにそれぞれ関係し合い、それぞれが

    つながって補っている、とする一説を「同時相関相補性」といいます。

     

    ワタシ自身、この「生き方の自然法則」は、橋本敬三先生が様々な文献

    様々な自己体験、臨床経験を経て、よく練られた進化形未完成説である。

     

    「体系付けてきたけれど、未だに完成してはいない。アトヲタノム」

     

    このように捉えているのです。

     

                                 (続く)

  • 生き方の自然法則って?④

    (続き)

     

    橋本敬三先生がいらっしゃった温古堂。

     

    実際にご縁があった皆様や、患者様も少しずつ年齢を経た今は、

    当然、時の流れを受けて、重ねて、高齢化してきている。

     

    循環していれば変化して当然。

    その都度の変化を受け、更に熟成して、透きとおっているだろうか。

     

     

    ワタシ自身の「操体・操体法」の捉え方は、橋本先生の哲学思想に基づく、

    操体フォーラム三浦寛理事長の継承され、磨きあげたからこその「操体」。

     

    「息・食・動・想・環」も、橋本敬三先生が手っ取り早いということで、

    書籍中に何回か語られていたのが、「動」になっている。。

     

    「動」の具現性。「動」のわかりやすさ。

    これは「操体法」の、最も大きな特徴と言えると思います。

     

    「百聞は一見にしかず」

     

    ヒトが、見ていてわかる。

    やはり、客観性において飛び抜けているからでしょう。

     

    臨床における効果は、客観性が見てわかる範囲内で判断すること。

     

    「苦しい方、痛い方に動くのではなく、ラクな方、気持ちのいい方へ動けばいい」

                    (「からだの設計にミスはない」P17より抜粋)

     

    操法で「気持ちのよさ」を受容し、可動域が上がり、全体的な不自然さが消え、

    滑らかに変化したり、最小刺激量で、わかりやすいのも特徴です。

     

    ただ、意識の捉えどころによって、言葉を理解し、

    それを「大脳新皮質」で解釈していることによって、変なこだわりも生じる。

     

    ワタシ自身、この上記の言葉によって誤解も生じていると考えています。

     

                                (続く)

  • 生き方の自然法則って?③

    (続き)

     

    生命現象とは法則性。

     

    流れている代謝。動いている細胞。

    機能を持つ組織。識別しうる意識。

     

    多種多様な変化、変性・変容も受け入れる法則性。

     

    「生き方の自然法則」=「息・食・動・想・環」。

     

    様々な時代に流れは生まれて、そして継承され練り上げられた。

    地球上で各種多様な、身体文化を育んで、日本で吹き溜まって、

    流れてきたそれを、全て調和の中に受け入れ生かすことは可能。

     

    ホントかウソか、非対称性で感じること、新鮮なホントの感覚。

    それは、大きな大きな器(ウツワ)のようなもの。

     

    操体関連の書物で語られていない「環境」要件。

     

    「生かされている」と考え、生じる「感謝・心」は欠かせないもの。

     

    大脳新皮質が発達して「息・食・動・想・環」を、生き方を考える。

    自然法則そのものから「息・食・動・想・環」を、生き方を考える。

     

    生命現象は、継続性のある循環した、天然の法則性に支えられている。

     

                               (続く)

     

                     

                             

  • 生き方の自然法則って?②

    (続き)

     

    橋本敬三先生の語られていた昭和時代。

     

    「息・食・動・想・環」合わせて5つの「生き方の自然法則」は、

    継続して循環している「同時相関相補性」を具現化しているんですよ。

     

    本を読んだから知っている、実際にやってもらって知っている等々も、

    一回ポッキリでは、噛み砕いて味わっていないので循環していません。

     

     

    唐突ではありますが、新聞広告に出ていたコピーに目がとまりました。

     

     

    「理屈じゃねぇんだよ」

     

     

     

    本物だなぁと思えるものは何か違う。

     

    何事も速く、短くの世の中だけど、

     

    求められ、長く続くものには、時の積み重ねが生んだ何かがある。

     

    それは、多分理屈じゃないんでしょうね。

     

                              (続く)