「何もない」ということは「何もないということでは
ない」ということ、「何もしない」ということは「何
もしないということではない」ということ。
臨床を行ううえで、最近感じることです。
見えているものの裏側で支えている空間に何を見立て
るのか。
見立てによってウンと空間が生きてくるように思いま
す。
「何もない」ということは「何もないということでは
ない」ということ、「何もしない」ということは「何
もしないということではない」ということ。
臨床を行ううえで、最近感じることです。
見えているものの裏側で支えている空間に何を見立て
るのか。
見立てによってウンと空間が生きてくるように思いま
す。
からだを通してききわけた感覚や無意識は、そんなに
やわじゃないと思います。少なくとも意識を変えるく
らいの力はあると思います。
ですから、「なんだかよくわからない」でも心配する
必要はありません。
「なんとなくいい」というあなたの真実があれば、そ
れでいいと思うのです。
「なんだかよくわからない」の裏側には「なんとなく
いい」につながる見立てがあります。
診たては
今まで養ってきた思考がとても大切だが、
その思考ばかりに偏ってしまい、
目の前の情報をそのまま受け取れない状態に
なってしまうことがある。
そのまま受け取りつつ
今まで養ってきなものを創造的に
展開していく。
このバランスが取れてこそ
診たてがみたてになるのだと思う。
一週間、ありがとうございました。
明日からは、瀧澤さんです。
見立ては
「なぞらえる」「物を本来あるべき姿ではなく、別のものとして見る」という意味で
使われることがあるようだ。
私は茶道のことはよくわからないが、
千利休は見立ての心を生かし、日常使いの生活用品を茶道具として取り入れていたという。
今の時代は何不自由なく物が揃っており、不足していて困るということは
日常生活の中でほとんどない。
とても便利な生活に慣れているため、時々その物がないと、
大変なことが起きたかのような事態になる。
時にはパニック状態に陥ることさえある。
そんな時、
別なもので代用できる?
どうしたらなくても大丈夫?と
柔軟に想像力をはたらかせ
発想の転換ができれば、
パニックを起こすことが避けられることも多いだろう。
こんな日常も創造力を養うよいチャンスなのだと思う。
ミタテは創造的思考が導くものだと思う。
思考している頭の中は
10個の視点での展開なのか?
100個の視点での展開なのか?
10,000個の視点の集合が展開されているのか?
どれだけの視点で展開しているのだろう。
どれだけの視点を活用して展開できているのだろう。
こんなことを考えていると
自分を磨くことに
妥協という言葉は
必要がないのかもしれない。

最近、食べ物を口にした時の
味覚の変化を観察するようにしている。
味覚に意識を置いていると、
自分の食事の内容にいかに無頓着(無意識)になっているかが
よくわかる。
体感して、驚かされたことは、
好物で食べていた物の
味が濃くて食べれないという経験をしたことだった。
しかし、その濃いという感覚も、
少し我慢して食べていると、
次に同じような味付けのされているものを食べても
今度は、濃いとは感じずに食べれてしまうという経験だった。
こんなにも味覚は簡単に変化していく(順応する)ものだと体感した。
自分自身が変化の中にいる中で、
何かをミタテているという意識を持つことが
大切だと思う経験をした。
今日から8月。
私はある経験をしてから
8月が1年間の中で、好きな季節になった。
私的なことだが1年間の中で
一番自分の変化に敏感になれるような感覚があるからだ。
さて、自然の偉大さにふれるたびに、感動する。
その感動は何度あじわっても同じということはない。
同じ場所の風景であっても、止まっていない風景(空間)は
時には、感情より先に涙が湧き出る。
この感覚。
感情、思考より先に
からだが示す反応。
この感覚を
大事に、大切に
まずは自分と自分のからだとの信頼関係をきずくことを
大切にしたいと日々思う。