投稿者: karib_sotai

  • 本当に悪?

    おはようございます。

     

    症状疾患を何とかしようとする考え方。そこには症状疾患を悪と決めつけ、やっつけるという考えが見え隠れする。

    しかし、その症状疾患現象は本当に悪なのでしょうか?

     

    誰だって痛い思いや、ツライ思いはしたくないと思います。しかし、それはからだからの重要なサインでもあるのです。

    痛みを感じなかったらどうでしょうか?そのほうが楽かもしれませんが、からだの異変に気づけず、エントロピーは増すばかり、早くにその生命活動は営めなくなるでしょう。

     

    あまり自分中心になってはいけません。からだあっての自分であり、自分自身なのですから。

    からだの声に耳を傾ける。一番身近なからだの声を蔑ろにして、世の為、人の為に(今回のテーマでもある)正義をとおす?

    自分ばかりが、もてはやされる事ばかり考えていると、後でしっぺ返しをくらうことになります。あまり独り善がり、自分善がりにならないほうが身のためです

     

    身のためといっても、その為に消極的で良いとか、御身大事で他人様お構いなしでも良いという事ではありません。それでは正義はとおらないでしょう。

    イタイ、ツライはからだのサインであり、例えば、動作に当てはめてみれば一旦止まって、自然の法則に背反していないかどうか、からだと向き合ってみるべきなのです。

    わざわざ痛くなる様な動きをとおしていて、痛いからやらなくていい、では生活が立ち行かなくなります。そうではなく、そのイタミは、からだの使い方が何か間違っており、それを正してほしい、というからだからのサインと受け取め、改めてみる。それだけでも現象は随分と変わってくる。

     

    症状疾患も悪ではなく、それでも生命活動を継続させようとする一つのバランス現象という見方もできます。だったら悪を生じさせないバランスに自分自身が変化していけば良いのではないでしょうか。その為に、からだと向き合う。結果的に生じている悪としているものも消滅していく。

     

    その為には自然の法則の理解が必要です。理解は必要ですが、アタマで解っただけでは不十分。やってみなければ。しかし、やってみてそのとおりにできるかというと、そうもいかない。アンバランスの度合いが激しいほど、一人では上手くいかないでしょう。

    はじめは、操体臨床家、指導者のサポートを受けた方が良いと思います。正義をとおそうとする人の味方ですから。

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    2018年春季東京操体フォーラム
    は

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

    テーマは「スポーツ障害と操体」です。

     

     

  • 正義を学んでいる。

    おはようございます。

     

    施療を施す側は誰でも、病んだ人を助けたい、弱った人の味方になりたいと思っている筈です。その為に病み(症状疾患)に対しての治し方を学び、研鑽を積む。

    そして、病みを抱えた人も、そうした研鑽を積み、少しでも評判の良い人に診てもらおうとするでしょう。

    施療者、病みを抱えた人、双方の思惑は相対的に一致し、それが当然と思われることでしょう。しかし、両者の思惑には相対的な物事を超えた大切な事柄が欠落している。

     

    それは症状疾患現象の元を正すという事。操体臨床は、ここに重点を置いており、だから常識的に考えれば難しいとか、無理と思われることも可能となるのです。

    勿論これは人間の欲の範疇の事柄ではなく、大自然の叡智に準ずる範囲のものです。自分勝手な欲と自然の理とは相容れませんから。

    症状疾患現象の元となるもの。それはボディの歪みに表されるアンバランス。それはつまり、自ら責任を持って営まねばならない生命活動が、環境に上手く適応できていないという事。それがボディの歪みとして現れている。

    だから、単にボディのカタチだけ整えるのではなく、そのプロセスが大事。動き一つ、呼吸一つでからだのツクリは変化するのだから。

    動きや呼吸が、重力をはじめとする自然環境への適応に向かうほど健康回復につながり、ツクリもそれに応じて変化し、結果的に症状疾患という現象も露と消えるという事。

     

    自然の叡智というのは、人間の知識での決まり事(症状疾患への対処)の枠を超えた計り知れないものだと思います。からだの持つ自然良能作用、自然治癒力というものも計り知れない。

    人間同士のやり取りには、必ず良い悪いとか、善悪とかが絡んできます。その相対的な枠を超えた絶対的大自然。その自然の理を学ぶ事こそ、真の正義を識ることにつながると思います。

    そして、その学びこそ道(タオ)であり、操体の学びに終わりはないのだと思います。

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  • 義を正す。

    おはようございます。

     

    東京操体フォーラム実行委員ブログ、今週は友松が担当いたします。

    どうぞよろしくお願いいたします。

     

    さて、今回のテーマは「正義」ですが、操体の門をたたき、学び続けている人というのは、正義感が強い人だと思います。 

    操体は救いの生命観に基づいた絶対的な真理の探究であり、世間一般の相対的な物事の考え方からすれば、なかなかその真意がわかりづらい、という事があるかもしれません。

    例えば、からだの不調を何とかしたくて来る人は、私達にそれを治してほしくて来る筈です。

    しかし、治すのはその人自身であり、その人のからだなのです。いくら高等と呼ばれる施療を受けようとも、からだが応えてくれなければ、どうにもならない。これは紛れもない事実です。

    からだが応えてくれねば、どうにもならない。この事実を踏まえ、からだのこと、イノチのことの絶対的な真理を探究し、からだが最大限に治しをつけてくるよう手助けする。そうやって臨床効果をあげているのが、操体臨床家なのです。

    だから、操体を臨床に用いている人は、自分が治したなどと主張しない。治しているのは紛れもなくからだなのですから。

    そこのところを隅に追いやり、自分が治したと自分の手柄のように利を主張する。それは、からだからしてみれば理不尽であり、義が捻じ曲がるのではないでしょうか。

    正義には、義を正す心の持ち方と行動が求められる。

     
    その人のからだを尊重し、生命の叡智を感じる。

    治してほしいという人は、往々にして自分が病ませてしまったという自覚がない。そのままでは心とからだはアンバランスのままであり、義が立たない。からだあっての自分なのに。

    少々、本人に煙たがられようが、面倒くさがられようが、からだ(生命)の要求として感じた事、言うべきことは言わせていただく。

    それも操体指導者として、義を正す事だと思います。

     

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  • 清濁

    魚介類について良く「天然もの」か「養殖もの」か、

    が目に付くことがある。

    一般に前者が高価で、質も高いというイメージがあるようだが、

    いやいや、そんな単純なことではないようだ。

     

    「養殖」にもピンからキリまであって、

    手間隙をかけて育てられた養殖ものは

    「絶品」ときく。

    そういう話をきくと、人間の手に宿る可能性を見るような気持ちがする。

     

    ここで思い切って変な話に突入してみたい。

     

    人間における「天然もの」は、この地球上でみれば

    自然そのまんまのワイルドエリアに、

    いまもひっそり暮らしているだろう。

    一方で、自分たちで創造した便利な世の中に生きている人類は、

    恐らく『養殖』の部類に入るのかもしれないと思う。

    なんだか80年代のSFのような話になってきたが。 

     

    さて、自分の生き方について考えてみて、

    自然に還る、「天然もの」の生き方に憧れることもできる。

    また、この便利な社会の流れにのって、生きることもできる。

    そして、そんな中で、あえて自分事として手間隙をかけて生きることもできる。

     

    清濁入り混じる現代に生きている。

    それこそ、自分は人間らしいな、と感じるようになってきた。

    さあ、どのように泳いでいくか。

     

    その責任を全うしていくこと、

    筋道をつけていくこと、

    次代に伝えていくことは

    他でもないこの人間にしかできないことなのだと感じている。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは友松実行委員の「正義」がスタートします。

    どうぞお愉しみに。

     

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  • 護る  

     「正義の味方」というのは

    いわゆる「悪」と呼ばれているものと対峙すると同時に

    何かを「護る」ことも、担っていることが多い。

    世界の平和を護るため、日夜、悪と対決する存在。

     

    この世界の平和の話を

    「からだ」の世界に重ねるとき、

    さて、我々のからだの世界の平和を護っているのは誰であろうか。

     

    白衣を身に纏った、あのヒーローたちの顔が浮かぶ人もいるだろう。

    でも彼らの多くは、こちらから相談へ訪れないと護ってはくれない。

    そして、護り続けてもらうには、やはりこちらから通い続けるしかない。

    心底困ったときの、お助けマンというところか。

     

    御承知の通り、

    実際はもっと身近に、日夜からだの平和を護ることのできる存在がいる。

    「自分」という存在も重要な担い手だ。

     

    しかし、この「自分」という存在は曲者らしい。

    どうやら裏の顔もあるようで

    実はからだの平和を乱している張本人でもあるらしいという噂が耳に入ってくる。

     

    だとしたら、果たして「護る」とは、どんなことを意味するのだろうか。

    一人二役を演じていることに気が付けば、

    からだの世界にも、今までとは一味違う平和が訪れはじめるかもしれない。

     

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  • カナ?  

    先日、とあるお世話になっている方から

    人生のあれこれについて、いろいろ話を伺っていたときのこと。

    気が付いたら、話の流れで「正義」についての話をしていた。

     

    その方は、「自分が『これは正義だ』と思いこむところから、色々な問題が起こると思う。『正義』なんて、ないんじゃないかしら」としみじみと話していた。

     

    たしかにそうかもしれない、と感じた。

    思えば人と人とのぶつかり合いの中には、

    お互いの大事にしている「正義」がぶつかり合って

    火蓋を切っているようなことがあるからだ。

     

    でもそれは間違いなく、お互いにとって「正義」なのだ。

    どうしたものか・・・。 

     

    うちの師匠に登場してもらおう。

    師匠は、時たま「ほんとう カナ? カナ? カナ?」

    という呪文のような言葉を口にすることがあるのだが、

     

    ほんとう カナ?・・・  カナ?・・・   カナ?・・・  

     

     と、3度問いかける間の中で、吐き出す事よりも

    キャッチすることに意識のスイッチを切り替えられれば、

    しめたもの。

     

    自分が大事にしているはずの正義が

    武器になってしまうことから、

    もしかしたら半歩ぐらいなら、距離を置けるかもしれないと思う。

     

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  • エンマ様

    こどもの頃にみた「夢」の話である。

     

    小学校に入るより前だったと思う。

    夕食後に居間で家族と過ごしている時、

    気が付いたらころっと、うたた寝をしてしまった。

     

    その夢の中で、「エンマ様」らしき人と会った。

    気付くと、ぼや~っとした暗くも明るくもない空間のなかに

    でかくて顔が赤くて何か装束のようなものを身に着けた

    荒々しい鬼のような人物が目の前に座っていた。

     

    「いいか、ウソをつくようなやつは、その舌をひっこぬくからな!」

     

    ちゃんとは覚えてはいないが、

    そんなようなことを唐突に告げられて、目が覚めた。

     

    こども心に何か突き刺さるものがあったのだろう。

    目が覚めてから、周りにいる家族に泣きながら

    「これからはいい子になります!」

    と宣言した記憶がある。

     

    今思えば、絵本か何かで見たものを

    夢に見てしまったのだろうなと、笑い話になってしまうが、

    異様に生々しくて、まるで現実のような体験だったので

    強く印象に残っている。

     

    そして実は、この時に宣言した気持ちのようなものが

    未だに尾を引いて自分のなかに残っている感覚がある。

    果たして世の中的に「いい子」であるかどうかは別にして、

    何か自分のなかで線を引くきっかけになったような出来事だったので、

    あのときにエンマ様に出会えてよかった、と今では感じている。

     

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  • ごまかす

    他人に向けてのことは置くことにして、

    「自分」に対してのことである。

     

    「本当は〇〇」なのに、

    この「〇〇」を選択しないことにする、ことは意外と多い。

     

    自分に対して言い訳をして、ごまかされたフリをすることは簡単だ。

    けれども本当のところはごまかしきれていない、

    ということも事実だ。

     

    結局のところ、そこのところをどうにかしようと思ったのならば、

    ごまかすこと、ごまかされることは諦めるに尽きるのではと思う。

     

    自分自身の感じている本当のことを、

    素直に、速やかに実行する。

    こんなことができたら

    それはもう立派な正義だと思う。

     

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  • 非常識

    「常識」は世間一般に正しいと思われているもの。

    しかし、それを支えている「正しさ」の根拠が見直されれば、

    それまで「常識」と捉えられていたものは、

    揺らいでしまうこともある。

     

    人間の歴史を振り返ってみれば、

    その繰り返し。

     

    けれども、「常識」が「常識」であるうちに

    そのことに疑問を投げかける人は

    決して多くはない。

     

    常識に疑問を持ち、

    見直して、点検し、

    再構築し、実践している人は

    「非常識」としてたたかれることになるかもしれない。

     

    それでも、どこまでも素直に、謙虚に、続けていく。

    それもまた、正義だと思う。

     

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  • ワルモノ

    おはようございます。

    昨日までのモノガタリを辿っていて、

    何だかまだ続きのある絵本の世界に入り込んでいるような気持になりましたよ。

    瀧澤さん一週間ありがとうございました。

     

    さて本日から一週間は寺本が担当します。

    テーマは引き続き「正義」です。どうぞ宜しくお願いします。

     

    「操体」の世界に足を踏み入れると、

    今まで考えてみたことのなかった

    ものの「見方」、「捉え方」に遭遇する。 

     

    勉強し始めた頃、講習に参加する度に、静かなる衝撃の連続だった。

    (そしてそれは6年目の今でも、螺旋階段を昇るように、未だに続いていることではあるのですが・・・)

     

    中でも「症状」や「疾患」、「からだの不調」、「病名」といったものに関してのこと。

    操体に触れるまでは、これらのことが自分のなかで単なる「マイナスイメージ」でしかなかったように記憶している。

     

    頭痛がすれば、

    「何でまた頭が痛くなるんだろう。。。やだなー。」と思い、

    消してしまいたい

    蓋をしてしまいたい

    それとも、

    我慢するか、

    無視するか、

    または、

    やっつけてしまうか。

     

    20数年間生きてきて、そんな風にしか思えていなかったことに、 

     

    「いやいや、そんなことないんだ。

    こいつらは、そんなニクい奴らじゃないんだ・・・」

    と語りかける言葉(診方・捉え方)が操体にはあった。

     

    今まで「陰」になって見えていなかったところに

    光を当てられているような気がして、

    その時に、「あぁ、こういうことが知りたかったんだ」と感じたことを覚えている。

     

    「ワルモノ」だと思い込んでいたものは、

    瞬く間に変化してしまった。

    これも一種の正義なのだと思う。

     

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