都内某大型書店にて。
もちろん買いました。
昨日に続いて三浦先生に聞かせて頂いた話をさせて頂きます。
ある日の事、三浦先生は僕にこんな質問をしました。
「子供の頃に一番楽しかった事ってなんだろう。」
「遊びでも何でも良いから。」
「これから先に進む道に、それは大切な事だよ。」
何の意味があるのか、その頃には全然分かりませんでした。
あれから2年ほど過ぎて
少しだけ何かを感じるようになって来ました。
昨日書いたように僕は、人の進む道には道標があるって思います。
良い道も、悪い道もその前に道標が必ずある。
そんな風に、操体を通じて感じるようになってきました。
僕が子供の頃家の周りには山が沢山あってそこを探検するのが
一番好きな遊びで、楽しい時間でした。
何が面白かったんだろう。
小さい頃に行けなかった場所に段々と行けるようになる。
それまで見れなかった景色が見えるようになる。
そんな探検遊びが一番楽しかったんです。
生まれて始めてみる景色、自分の力で手に入れた景色
それは、子供にとっては大きな感動だったのです。
そんな子供の頃の楽しかった事っていまも忘れてない。
子供の頃の楽しさはきっと大人になっても大切なヒントをくれる。
道標になってくれるのでしょう。
考えてみればいまも同じような事を
毎日僕はやってるのかもしれない。
武術と操体を通じて僕は人間の身体を探検している。
勉強のような感じじゃない、まるで探検するような気分で
楽しんでいます。
考えてみれば凄くありがたく楽しい時間を、僕は大人になった
今でも過ごさせて頂いています。
しかもこの探検をすると、武術と操体の宝物が見つかる。
大人になった分小さくなるんじゃなく、大人になった分
子供の頃より大きくなった楽しみを僕は頂いてます。
凄く楽しい日々を僕は過ごしてます。
だから、もっともっと真剣に取り組みたい。
もちろん気楽に楽しみながらです。
僕はそう考えてます。
今週お付き合い頂いた、みなさまありがとうございます。
次回はきっと新しい宝物の話が出来るかな。
お気楽に僕は考えています。
操体は三浦先生から直接マンツーマンで教えて頂きました。
まだまだ、これからも学ぶ事が沢山です。
でもホンの少しだけでも分かって来ると面白いんです。
まだ、いまよりももっと分からなかった時期。
三浦先生に色々とお話を聞かせて頂きました。
マンツーマンで教えて頂くって技術以外にも色んな話を聞かせて頂く機会に恵まれてるって思います。
その頃はあんまり分からなかった事が少しだけでも
理解出来るようになってくると。
あー凄いなって。
三浦先生の凄さを改めて感じたりします。
きっと、ここからが勉強なんでしょうね。
教わって、そこから自分自身で感じて学ぶ。
ここからが学びの始まりなんでしょうね。
まだ何も分からなかった頃に、こんな話をして頂きました。
「話を聞くと、何でも面白いとか楽しいって。」
「いつも言ってるから。」
「まあ大丈夫。」
操体を本当に出来るのか不安な学び始めの時期の事です。
僕は何でもお気楽に楽しむタイプなのです昔から。
その時には全然意味が分からなかったのですが。
最近少しだけ何かを感じます。
まあまだまだもっと深い意味があるのでしょうけど。
気持ちの良さと辛さがあって。
操体は気持ちの良さで身体が元に戻ってゆくと考えます。
気持ちの良さに何かの秘密がある。
これって仕事も人生も同じなのかな。
そんな風に、考えると面白くなってきます。
楽しい事、気持ちの良い事、そこにはきっと成功の道がある。
そんな風に考えると面白いんですよね。
自分が本当に楽しくて、気持ちの良い事を分かってそこに進む。
そんな道に行けば、そこに普通に成功の道があるのかな。
だったら痛みと同じで嫌な事って
そこに行くなって教えてくれてるんだ。
楽しい事も辛い事も道を教えてくれるありがたい道標なんだ。
その道標に沿って行けば良いんだ。
ありがたく道標が示してくれる道、それを進んでいけば良いんだ。
僕はそんな風に思います。
そんな風に思うと何でも面白くて楽しくなって来ました。
操体の道はもっともっとこれから学んで行くレベルですけど。
何となくお気楽に、僕はそう考えて。
そうすると面白いんです。
お陰さまで、毎日楽しく過ごさせて頂いています。
操体は僕に人生で大切な何かを教えてくれてます。
凄く面白いんです。
橋本先生に三浦先生にそして仲間のみんなに感謝です。
操体には、臨床以外の部分で素晴らしい学びがある
それが臨床では、大切なんでしょうね。
技術で何とか出来るなら楽なもんなんでしょう。
技術以外の部分が大切なんでしょうね。
三浦先生の元で学ばせて頂いて僕はそんな事を感じてます。
操体を学ぶと今までと違った感じ方になったりする時がある。
今までよりも、少しだけ敏感になったりする事がある。
普通は通り過ぎるような事を少し感じたりするようになった。
武術も操体も筋肉だけの動きじゃない。
身体の内側の動きを感じないと上手くいかない。
僕はそう感じる。
そうすると手の内と小手先って言葉に何かを感じる。
小手先って一部分しか使わないから力がない。
本当の力だけじゃなくて仕事でも芸事でも
目に見える部分しかやらないって事かな。
そんなんじゃ上手くいかない。
もっと真剣に内側まで見えない部分まで取り組むと
全く別の結果になると思う。
手の内って手を使う時に手の先まで何かの力があるって感じ
僕はそんな風に感じる。
身体全体を上手く使うと手の内が出来る。
目に見える部分以外まで神経を巡らせる事をする。
臨床でも仕事でも芸事でもきっと同じコツがあるのを感じる。
操体でも介助を行う際にただ手で持ってもどうにもならない
自分自身がきちんとした身体の使い方が出来なければ
どうにもならない。
手技を使うのに手だけではどうにもならないって僕は思う。
武術で殴るという事も同じ
ただ手で殴っても痛いだけ、相手を倒すには
手の先にある力も使わなければどうにもならない。
身体の中にある別な力、それは分かってくると当たり前
の事になる。
僕は武術と操体を学んで少しずつ感じて分かりつつある。
患者と一緒に気持ちが良くなる。
それは手の先の力がなければ良く分からないと思う。
次回のフォーラムの実技では介助してる手の先に注目して
ご覧になると面白いと思います。
実行委員はみんな小手先の技術でない手の先の力を持ってますから
手の内に気が付いてから実技を見ると凄く面白いって思います。
身体の中の動きがあるから普通は出来ない事が出来るように
なるような気がします。
それは特別な事でも実はない。
気が付くか付かないかそれだけなんです。
気が付けば当たり前。
気が付かなければ魔法。
それが面白いんです。
武術と操体には魔法のコツがあるんですよ。
それは気が付けば誰にでも出来る魔法なんです。
怪しくない説明出来る魔法。
世の中にはそんなのが実はいっぱいあるんでしょうね。
仕事でもスポーツでも成功してる人はそんな魔法を
使ってるのかな。
そんな風に気が付くと面白いです。
僕は武術でも操体でも、何でも実力はそこそこなのですが。
ツイテルとかご縁に恵まれてるのは自信があるんです。
不思議と良い感じがやってくるんです。
先日とある雑誌で柳生心眼流の先生と対談させて頂きまして。
ツイテル僕は何故かそこの編集者と仲良くなって
不定期に僕の勉強になる先生方と対談させて頂く事になったのです
柳生と言えば伊達藩いまの仙台なんですね。
それで始めから凄く面白く対談させていただきました。
僕は仙台出身で操体も仙台ですから。
対談では面白い話を沢山聞かせていただきました。
昔は手技療法といえば柔術家の事だった。
柳生では人体を家と見る。
だから首がおかしいからといって首は診ない。
家全体の歪みを診る。
首だったら身体全体の歪みを診る。
だから首が悪いのに足を診たりする。
何か操体みたいです。
柳生では整体とは書かないで正体と書く。
これって操体に影響を与えた正体術と関係あるのかな。
凄く面白い共通点があって。
考えてみれば橋本先生は民間から学んだという記録があるから
仙台で昔治療と言えば柳生だったとの事。
きっとどこかに接点があってもおかしくはない。
そう考えると面白いんですね。
凄く面白い話でした。
柳生は武術ですので、身体を治すだけでは足りない
相手に勝つために治療以外の知恵が沢山在るんです。
操体では手は小指、足は親指といった原則があります。
柳生では手と足5本の指それぞれに意味があります。
命を賭けた闘いの知恵は5本の指全てを大切にする必要が
あったのでしょう。
ツイテル僕は対談の後日に行なわれた。
柳生の先生のセミナーに学びに行って
休憩時間に何故か付きっ切りで教えていただきました。
次回のフォーラムではショートプログラムで
武術としての指の考え方
そして操体の現在、過去、未来といったテーマ
に沿ってというか少し飛んで、操体以前武術の時代
をお話させて頂こうかと思っています。
ご興味のある方にご参加頂ければ幸いです。
色んなご縁に恵まれる、僕は近所で子供達に空手を教えています
何となく始まった子供空手教室は沢山の楽しい時間嬉しい時間を
僕にくれます。
もともと普通に自分の練習で通っていたジムが近所にあって
子供の友達やご両親とも仲良くさせていただいてるので。
子供達が一緒に空手をやりたいと言い出しました。
それで、始めは教室でなくジムの空いてる時間に場所を借りて
みんなで遊ぼうかな、そんな感じでした。
ジムの人に尋ねてみると。
調度空手教室を開く為に、先生を探していたそうなのです。
あっという間に僕はそこで空手教室を始める事になり。
いまではお陰さまで沢山の子供達が通ってくれています。
何となく上手くいくのが僕の得意技なのです。
最近の子供達は習い事とかあって結構大変。
月曜日の空手教室でもお疲れの子供もいるのです。
おいまだ週の初めだぞとか思うわけです僕は。
ある日の事、何となくいっぱい疲れた子供が目に付いたので。
思いつきでこんな事をやってみました。
「みんな、何か今日疲れてる子多いな。」
「練習の前に面白い事やろうか。」
こんな言葉に子供って反応するんです。
次に何をやるのか興味津々になってます、
「いいか、練習の前に寝てごらん。」
「疲れたまま練習してもつまんないから。」
「ごろって気持ち良く寝てごらん。」
見学のお母さん達、普通は何をやってるんだろうこの先生は
そう思うのですが、うちはいつもこんな感じなので普通に見てます。
あーまた何か始めるな。
そんな軽いのりで僕のする事を見てます。
「寝るって言っても本当に寝ちゃダメだよ。」
「ごろんって気持ち良く床に寝てね。」
「それで、身体を自由にゆっくり動かしてごらん。」
「きっと気持ちが良い時があるんだ。」
「自由にゆっくりやってごらん。」
「あっ目はつぶろうか。」
「人の真似をしないでね。」
「自分の身体だから自分が一番気持ち良いように。」
「自分で自由にやって良いよ。」
「凄い形になってもいいぞ。」
子供達何となく真剣にやりだすんですよ。
こんな遊びを。
「手はどんな形が気持ち良いかな。」
「足はどうかな、自分でゆっくり動かしてごらん。」
疲れていた空気が段々動き出します。
何となくまったりゆっくりの空気に全体が変わっていきます。
子供達は自由が好きだから自由にさせときます。
2分もするといびきとか聞こえてきました。
(これ本当なんです。)
気持ちの良い場の空気が感じられます。
「みんなじゃあ目を開けてごらん。」
「気持ちが良かった人は手を上げて。」
みんな手を上げてくれます。
子供ってこういう感覚に敏感なんです。
それを妨げる事を大人たちは本当はやってはいけない。
僕は子供達に接してそう感じます。
「良かったな。」
「じゃあ隣の人、周りの人見てごらん。」
「みんな形が違うでしょ。」
「でもみんな気持ち良かったよね。」
「面白いんだよ。」
「みんなが気持ちが良いってみんなが自由にやって良い事。」
「みんなが違ってるんだよ。」
「でもみんな同じなんだ。」
こんな事を僕は小学校の低学年や幼稚園児に言ったりします。
分かったのか分からないのか、見学のお母さん達も
どう感じたのかは関係ないんです。
子供達は言葉じゃ分からないけど何となく
言葉の奥の何かを感じてるのを感じるんです。
僕は言葉で説明はそんなにしないんです。
子供に分かりやすい言葉はあえて使わない時があるんです。
そうやって言葉で説明出来ない何かを感じてもらうんです。
大人よりも敏感な時期に何かを伝えたい。
学校じゃないんですから空手を学ぶって事は
だから学校ではやらない事しか僕は教えないんです。
操体を学ぶとこんな事が面白いなってなってくるんです。
自分が一番楽しんでるかもしれないのです。
僕は人に教えながら凄く色んな事を学ばせていただいてます。
今日はこちらは朝からシトシト雨が降っています。
良い感じの朝です。
昔は雨とか面倒臭いなとか思う人だったのですが。
操体を学んで少し変わってきました。
雨の日も良いなです。
シトシトした感じが良いんですよね。
今くらいの雨は少しだけ残ってる冬に
そろそろお仕舞いだよご苦労さんでした。
何となくそう伝えてるような感じを今朝感じたんです。
そんな日々の変化が面白いんですよね。
面白さや楽しさ気持ち良さって探すんじゃないんですよね。
多分ある事に気が付けば良い。
僕はそんな風に楽しい日々を過ごしてます。
僕は道場で教える事も面白く変わってきてます。
自分が選手だった頃って、痛みや辛さに耐える日々。
耐えるよりも自分から進んでそんな道に行く。
それが練習だったんです。
それも大事な時間、プロだったからそんな事も必要だったのかな。
僕はよくこんな事を話します。
入門してきた人には大体こんな話をするんです。
「朝元気に目が覚めて一日元気に過ごして。」
「夜寝たら一日の疲れがちゃんと取れる。」
「そんな毎日の中に道場がある。」
「そうしたら自然に強くなってるよ。」
「毎日疲れて辛かったら強くならない。」
「そう思わない。」
「だからここでは技も教えてるけど。」
「昔の人の知恵を学ぶんだよ。」
「何千年もかけて創りあげたものを。」
「命がけで創ったものを学ぶ。」
「これが武術だから。」
「しかもいまは命賭けなくても良いんだから。」
「楽しい時代に武術を学べるんだから。」
「楽しさやありがたさをいっぱい感じると面白いよ。」
「武術をきちんとやれば健康になっていくんですよ。」
「その為の知恵が武術にはいっぱいあるから。」
「ただ技だけやってもそれは中途半端。」
「中途半端じゃ強くも健康にもならないから。」
「だから健康になる事もここでは学ぶんですよ。」
「そうすれば毎日面白くなる。」
「その方が楽しいでしょ。」
「強さは健康の上に載るものなんですよ。」
こんな話をしながら僕は武術をそして操体を混ぜながら
生徒達に教えてます。
しかめっ面をして痛みに辛さに耐える。
それも大事、でもそれはホンの一部分だけなんです。
それは、沢山じゃない。
それは、なくても実は大丈夫。
それに僕は気が付き始めたんです。
操体は色んな事を教えてくれるんです。
知ってますか、プロ選手の控え室って笑い声が結構ある。
試合前に笑顔が多い選手って大概勝つんです。
控え室からリングに向かう花道に移る瞬間に
選手の顔つきは変わるんです。
控え室で顔が変わったら早すぎる。
そんな選手は大概勝てない。
みんなはリングの上しか知らない。
だから練習も日常もリングの上を真似する。
それじゃ勝てないし毎日辛い。
だから、僕は道場でこんな話を良くするんです。
面白い日々を、面白き変化を僕は日々味わっています。