言葉より大切なもの
言葉より大切なもの
かけがえのない人生
脳(意識)とからだ(無意識)
腹落ちする
大きな流れの中の一つの
命
「さて、どう生きるか」
常に問われている
死を思え、今を生きよ
本日で最終日になります。
一週間を通じて自身の実体験を基に「からだからのメッセージ」について書いてきましたがまだまだわからないことが多いというのが本音です。
しかしわたしが操体の学びの中で得ていることは確かにそれに繋がっている。
その繋がりの中でかすかに見えてきていることがいくつかある。
それは
からだからのメッセージを受け取っていると
①命の営みの選択に迷いがなくなる。
②感覚優位でからだと向き合えるようになる。
③自身の生き方の方向性が「楽」ではなく、「快」に向くようになる。
ということがわかってきたのである。
最後になりますが、最近私自身がこのメッセージを受け取る心得として注意していることがあります。
それは携帯電話を見る時間を極力なくすことです。
わたしはひとりで食事することが多い人間ですが、無意識に携帯を見てしまったりすることがありました。
ある時に気が付いたのですが、これを積み重ねると「感覚」に意識が向けられなくなるのです。
それはからだの要求を無視したなにか作業的なものとなり、本当にありがたいものをありがたく思えなくなることに繋がっていくように感じました。
じぶんの意識をどこに向けるのか?
本当にじぶんの健康を真剣に考えるのならば、生活の中で命の営みをひとつひとつからだと共に感覚を共有していくこと。
それがからだからのメッセージを受け取る一番よい方法だと思います。
一週間お付き合い頂きありがとうございました。
明日からは半蔵さんが担当致します。
からだから発せられるメッセージはそのからだを使わせて頂いている本人だけに送られているものではないように思っています。
からだを取り巻いている物や周囲の人、もっと言うならば空間にも何らかのメッセージを送っています。
からだは私達のように言葉をもたないので、そのメッセージを感覚的に感じ取るしか出来ない。
それを認識する術の一つは「自分の感覚のうつわ」を「からだがききわけている感覚のうつわ」に重ねていくこと。
この2つのうつわが重なれば、はじめてからだと対等な関係性の中で対話することが出来る。
そのうつわをつくること行程にあるのが「からだのうごき」とそのうごきに適う「息の適正」のように思います。
からだからのメッセージを素直に受け取れるからだと感覚は「うごきの流れ」の「うごき」が上手いこと乗り、そこに呼吸という命が吹き込まれることによってつくられると認識しています。
からだからのメッセージは表と裏があるように感じます。
大抵の人は
痛みや不快、刺激等の不快に繋がるものは表。
きもちのよさは裏。
日常生活の中でキャッチしやすいのは、この表のメッセージです。
逆に裏のメッセージはからだが病んだりするまでは身を潜めている。
このからだからのメッセージの関係性が病の根底にある原因のように感じます。
操体、もしくは操体の臨床は、この裏と表を「正当なからだの使い方」の中で逆転させることをしています。
そしてからだからのメッセージを日常の中で表在意識で感知し、感覚的に受け取っていく。
こういった自身の目には見えない感覚的なものを変えていくことこそが健康維持増進に最も必要なことだと思っています。