(つづき)
コケ類や地衣類の散策を通して、樹木を眺める機会も増えてきた。
かれらの一部は樹木の樹皮にその存在を見つけることができるけれど、とても小さいし、ぱっと見ではなかなか見つけられないので、近くでじっくりと観察することが自然と増える。改めて樹木にも親しみのようなものが湧いてくる。
3月の、まだ寒さが残っていたある雨上がりの朝のこと。
冷たい雨はやんでいたがまだ外気は冷えていて、それを皮膚が感じているような早朝の空気だった。
ふと、道端の樹木が目に入った。なんの木かはわからないけれど、なんとなく、そのこんもりとした幹に触れてみたくなり、左手で触れてみた。
その時、何とも言えないあたたかみのようなものをその樹木のからだから感じた。
ちょっと意外な感覚だった。
外の空気は冷えていて、風が吹けば猶の事寒い。そんな外気にさらされながら、樹木はそのからだにあたたかさを蓄えて生きている。
わずかな太陽の光を蓄えていたのか、生命活動由来の熱のようなものが発生しているのか、それとも私の手の感触の錯覚だったのか。
それにしても、その時に感じたあたたかみは、生き物に宿っている自然なやさしさというか、たまらなく穏やかな感じのものだった。
ふと、数日前に近所の公園の木の上に座っていたおんなの子のことを思い出した。
散策をしていたら、ちょっと目立たないところに生えている大木の上に気配を感じて、みてみると曲がりくねった太い枝のところに座っているおんなの子と目が合った。
今時、木登りをするなんて珍しいなと思い、でもそれなりに高いところだったので、ふと思いなおして「ひとりで降りれる?」と声をかけてみたりした。
その子がこくりと頷いた様子をみて、あぁこの子はこの場所が好きで、しょっちゅう登りに来てるんだろうなという感じがした。
あの子のきもちがなんとなくわかるような気がする。
なんとなく、自分にほんとうに必要な間をあじわいにきているのではないかと思う。
